神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

片川川

2010年03月30日 | 滝・渓谷

三重県南牟婁郡御浜町片川


以前、「雑多な写真10」で、一枚だけ写真を掲載したことのある場所だ。
桃太郎岩と呼ばれる場所があって地元では知られているようだが、地図にその名称は見当たらない。
前回も桃太郎岩は見たけれど、晴れてあまりにもコントラストの強い写真になったので、そこから続くナメ滝の最下部、滝壺だけを載せた。
今回は桃太郎岩の写真と、更にその上流部を新たに探索してみた。
地形図を見ても特に面白そうな様子ではない。ただ、前回に上流に向かってしっかりとした道がついていることは確認していたし、ひと気の無い静かな清流に触れられれば、と考えた。

片川の集落を過ぎ、峠へと向かう狭い道を上っていく。
途中、片川川を渡る橋の手前で右へと分岐する林道があるので、そちらへ入る。
僅かな距離で林道終点。駐車スペースがある。
林道終点からは、よく踏まれた山道が続いている。
暫くで金属製の立派な橋を渡るが、そこから前回に掲載した滝壺が見える。



前回は晴れすぎて困ったくらいだったのに、今回はずっと雨が降り続いている。
滝壺の様子は前回のものを見てもらうとして、これは上流のナメの部分。
水量は普段の二倍はあるだろうか。左岸のスラブ状の岩からは、幾筋もの流れが滝となって本流に落ちる。
前回、この滑り台のようなナメ滝が数百メートルに亘って続く、と書いたが、どうも印象によって誇大化されていたようで、実際は100メートルあるかないかだった。



暑い時期なら岩の上に寝転んだり、靴を脱いで流れと戯れたいところだし、実際に前回はそうしたのだが、今回はさすがにそんな気にはなれず、傘を差しながら窮屈な撮影をする。



上流側を見ると、流れの傍にゴロンといった感じで大きな岩が横たわっている。
これが桃太郎岩だ。
で、何故これが桃太郎岩なのかというと───



横から見れば、その理由ははっきりする。
真ん中からパッカリと割れていて、なるほどと納得させられる。
写真では大きさが判り難いと思うが、間に大人が立てるくらいのものだ。



更に上流へと進む。
流れは平凡で特に見るべきところも無いが、所々でこのような石垣が現れる。
流れも石垣で護岸されている場所があり、かつて集落があったように見受けられる。
片川集落でさえ、かなり不便な山中に感じるが、このような場所で、いったいどのような生活が営まれていたのだろう。
実は、南紀の谷間を歩いていると、こういう風景は度々目にする。
こんなところに? と思える場所に人が暮らした痕跡を見つけると、愕然と憧憬が綯い交ぜになったような不思議な感覚が満ちてくる。
今よりもっと人口の少なかった時代に、人はもっと拡散して住んでいたのだろう。
人は、隈なく自然の中に分け入り、山や川や木々を生活の糧とし、自然と溶け込むように生きていたのだろう。
生活の道が、山中に縦横に巡らされ、夕暮れ時にはそこかしこの谷間から夕餉の煙が立ち昇り、人と動物の生活圏に境界は無く、昼は人々が闊歩し、夜は動物たちが我が物顔で歩き、そうやって山は、活き活きと朝と夜を繰り返していたのだろう。
たぶん、人口のずっと増えた現代の方が、山は寂しく、人跡稀な状態になっているのだと思う。





やがて谷の合流地点に辿り着く。
地形図ではもっと手前で破線が右岸から左岸へと渡っているが、実際にはこの合流点に鉄製の橋が架かっている。
この合流点はどこか惹かれる風景で、左奥へと白く光る流れの帯と、苔生した岩の上にある落ち椿がとても印象的だった。









左右どちらの谷にも道は続いていたが、右の谷を進むことにした。
辺りは植林地帯で、流れも平凡、一般的には評価されることも無い風景だろう。
でも、私はすごく好きで、ただただ、しみじみ、といった感じでこの雰囲気に浸る。
小降りながら雨は降り続いているが、この雰囲気は雨のお陰でもあるのだろう。



さて、そろそろ引き返そうかと思った辺りで、そこだけ大木が屹立する一画があって、辺りとは明らかに雰囲気が違った。



もう夕暮れ時で、暗くてよく見えなかったのだが、目を凝らせば大木の根元に石の祠のようなものが見えた。
山の神かな? と思いながら傍へと歩み寄る。



暗くて中の様子が窺えないので、失礼ながら懐中電灯で照らさせていただく。
───庚申さんだった。
庚申信仰については(も)よく知らないが、普通はもっと人里近くにあるような気がするし、こんな山中にあるのは珍しいのではないだろうか。
やはり、先程の石垣は集落跡で、そこに住む人々の信仰対象だったのかも知れない。
放置されている様子はないから、今では山仕事の人達がお守りをされているのだろう。
それにしても、またしても何か不思議な感覚に包まれるのは何故だろう。
石に刻まれた像の姿からも判るように、どちらかと言えば荒ぶる神(神という表現は違うだろうけれど)という印象があるのに、何故か心が解きほぐされていくような安寧を覚える。
それは、集落跡で感じたものともどこかで繋がっていて、人々の営みや、想いや、移ろいゆくものや、変わらずにあるものや、そういったもの全てを包含して、今、静かにここにあるといった感覚だ。
ここまで来て良かった。



来た道を引き返し、駐車場所へと戻る。
林道終点では桜が咲いていて、恐らくは植栽されたソメイヨシノで惹かれる木では無かったけれど、日が暮れて淡い青色を帯び、やはり綺麗だなと感じた。


2万5千分1地形図 瀞八丁
撮影日時 100325 16時10分~17時50分

駐車場 林道終点にスペースあり
地図

 


雑多な写真15

2010年03月20日 | その他

私は高校生くらいの頃から、一人でよく山歩きをしていた。
当時、山里や、山から駅までの長い車道を歩いていると、「乗ってくか」と声をかけてくれる通りがかりのドライバーはそれほど珍しくなかった。
実際に何度か乗せてもらったこともあるが、当時の私が気の利いた会話やお礼が言えたわけでもなく、いま思い出してもありがたかったなぁという気持ちになるばかりなのがもどかしい。
今は自分が運転する立場になったので、今度は自分がそうしよう、なんて考えてみたりもする。
だが、これは結構難しい。
突然降り出した雨に、ずぶ濡れになっている人、最終バスに乗り遅れたのか、真っ暗な山間部の道をとぼとぼ歩いている人を見かけたときなんかは、乗ってもらいたいなぁと思うのだが、いつも躊躇いが勝って通り過ぎるのみ。
多分に今の社会は寛容でなく、、防犯意識の高まりと引き換えに失ってしまったものがあって、怪しまれる可能性が高いし、私の人相もあまり良くない。
まあ私は別に善人でもないので、それでも構わないのだが、疑いが蔓延る世の中では、殆どの人が持ち合わせているであろう「ちょっとした善意」が、芽を出せずにいるのではないかと危惧する。
無警戒がいいとは言わないけれど、疑心暗鬼が連鎖していく世の中は嫌なものだ。
まずは、登山帰りの屈強な男性にでも声をかけてみようか・・・。

写真のストックが殆ど無いとはいえ、あまり更新に間が空くのも嫌なので、取り敢えず雑多な写真でも。





舟津神社 福井県鯖江市舟津町1丁目
このブログで取り上げた場所で、住所に1丁目と付くのは初めてだろう。
それだけ市街地にあるわけだが、街中であることを感じさせない奥深い空間であった。
参道横は石も配され庭園の趣。





岡太神社 福井県越前市粟田部町
ここも市街地に近いが、公園のようなスペースもあって、付近の住民の憩う場所といった雰囲気だ。
上の写真は御輿殿で、下が本殿。



加多志波神社 福井県鯖江市川島町
ここは曇天か小雨降る中で撮影したかったのだが、初夏の日差しが強い状況で木々の深さが出せなかった。
この参道と平行して、右手には観音堂の参道が並んでいる。ちょっと変わった空間構成だった。







與志漏神社 滋賀県長浜市木之本町古橋
境内に戸岩寺の薬師堂や鐘楼が残っている。
尾根上にあるが、モミジも多く、ケヤキの大木もあって気持ちの良い場所だ。





大見神社 滋賀県長浜市木之本町大見
ここは以前に掲載しているが、改めてちょっと立ち寄ったので。



意波閇神社 滋賀県長浜市余呉町坂口
鳥居の傍に大きな杉の御神木があるものの、そこから拝殿までの空間が、だだっ広い空き地のような場所で味気ない。
ただ、本殿の美しさには暫し目を奪われた。





高原熊野神社 和歌山県田辺市中辺路町高原
高原は尾根上にある集落で、雨の日などは霧というか雲に包まれることが多いようだ。
ここは、そんな天候の時に訪れるべきで、樹齢千年クラスの楠の巨木や朱の社殿が、見る者を陶然とさせるに違いない。私はまだ見てないけれど・・・。
熊野古道が有名になって訪れる人も多いが、だからこそ天候の悪いときがいい。



兵庫県豊岡市竹野町椒
はじかみ神社に行くつもりだったのだが、駐車しやすい場所が見つからず、しかも参道が工事中だったようなので立ち寄らなかった。
すぐ近所を走っていて、ちょうど山の端から朝日が降り注いできたので写真を撮った。
 


琉璃渓

2010年03月07日 | 滝・渓谷
京都府南丹市園部町大河内


12月の下旬に琉璃渓へ氷の撮影に行き、既に記事として掲載したが、その後も氷の撮影がしたくて気象庁のホームページで気温をチェックしていた。
観測地点は琉璃渓と同じ園部町内の黒田にある。
1月の13日から冷え込みが厳しくなり、14、15日の最低気温はマイナス7.5度を下回り、16、17日もマイナス5度近くまで下がった。
アメダス観測地点は盆地にあるので、早朝の冷え込みは山間部よりも厳しい可能性はあるが、標高は134メートル、一方、琉璃渓の標高は500メートルほど。
最低気温はともかく、日中の温度は琉璃渓の方が下回る筈で、前回よりかなり凍結しているものと思われる。
冷え込みは18日から緩む予想だったので、18日の朝が撮影のチャンスと考えた。
尤も、気象条件に合わせて仕事が休みになるわけではないから、13日のうちに18日が休めるよう手続きを取った。
週間天気予報と、昔から気象や天気図に興味を持ってきた経験と勘で休暇を取得したわけだが、最良の日に撮影が出来たと思う。

18日朝の園部の最低気温はマイナス1度となっているが、琉璃渓到着時の車載の温度計ではマイナス4度だった。
冷え込みが緩んだ日は、やはり標高が高い方が気温が低い。
前回は渓谷に降り立ってからも、なかなか氷に出逢えなかったが、今回は水辺のあちこちが凍り付いている。









ひとつひとつの氷の表情を見ながら撮り歩く。
残念ながら、今回も滝や流れ自体は凍っていなかったものの、流れの縁や水飛沫のかかるところは殆ど凍っていた。
それにしても、滝が凍る条件とは、どの程度のものなのだろう。
かつて一度だけ氷瀑を赤目四十八滝で見たことがあるが、その時はマイナス8.5度を記録した日の数日後だったと思う。
もちろん、気温だけでなく、水温や水量によっても変わってくるだろうが。


 






いつものように、下流に向かって進む。
進むにつれ、氷の表情は多彩になっていく。









流れが凍っていなくて寧ろ良かったかも知れない。
硬く冷たい輝きを放つ氷と、煙のような、踊るような姿を見せる水は、対照的な装いで共演してくれる。















シャッターを押すのに夢中になったり、時にはシャッターを押すことを忘れて見入ってしまったりする。












街にいるときは寒さが苦手なくせに、こういうところにいると寒さが苦にならないどころか、寒さを忘れてしまっている。






まるで極寒の地を流れる川のようで、とても京都の低山地帯の流れに見えないかも知れないが、流れから目を離せば、雪も氷も無く、枯葉や木々の茶色を主体とした平凡な風景だったりする。






何故か、流れている水よりも、氷の方が温かなもののようにも見える。






私は二歳くらいからの記憶があるが、その頃から川を見るのが好きだった。そして氷を見るのも好きだった。
三つ子の魂百まで、という表現が相応しいかどうか判らないが、たぶん、これからもずっと魅せられ続けるのだろうなと思う。






あと数日、寒波が続いていれば、滝も徐々に凍り出したのでは、という気もする。
そういえば、今まで何度か琉璃渓を掲載してきて一度も滝の名前を載せていない。
琉璃渓では滝や瀬にそれぞれ名前が付けられているのだが、文人墨客の好みそうな、やたらと難しい漢字と読みの名称で、ちょっと憶える気にもなれないのだ。



何度か通っていると、大体お気に入りの撮影ポイントが決まってくるのだが、氷となるとまた別で、普段とは全く違う場所を撮影することも多い。
とはいえ、この辺りまでで期待できる撮影ポイントはほぼ通過していて、もうあと僅かで折り返し、というところまで来た。
























ここは、今まで一度も撮影をしたことの無い場所だった。
普段は雑然とした滝で、情緒や美しさも感じられず、撮る気にはなれなかった。
それがこの日は最も美しいと思える空間になっていて、暫し陶然としてしまった。
もっともっと長居して、光の変化を待てば、もっといい写真が撮れたかも知れないと、後になって後悔している。



もと来た道を戻る。
谷間にやっと日が差し込んできて、氷も水も輝く。



撮り忘れた場所を探して、小さなところに目を向ける。



不思議な形の氷を見つける。



更に不思議な氷を見つける。
写真では状態が判り難いだろうが、上の暗い部分が流れの上に迫り出した岩で、氷のすぐ下は水が流れている。
恐らくは、流れから撥ねた水滴が岩につき、徐々に凍りながら、水勢による風の影響を受けて傘状に広がり、基部からは溶け出した水滴が垂直に落ちつつもまた凍っていって氷柱状に・・・と想像してみたが。



拡大してみた。
何かの顕微鏡写真、あるいはレントゲン写真のよう。
ちょっと大袈裟だけれど、どこかの宇宙空間のようだ、なんて思ったりもした。


写真のストックがほぼ尽きたので、暫く更新が滞ります。
もう少し春らしくなったら、またあちこち撮影に行きます。すみません。


2万5千分1地形図 埴生
撮影日時 100118 8時10分~11時20分
駐車場 あり
地図