神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

Monochrome 2

2011年08月30日 | その他

写真を撮るときというのは、無心でいるような、或いは逆に、結構いろいろと考えているような、自分でもよく判らない心理状態だったりする。
けれど思考はともかく、何らかの「想い」を込めて撮っているのは間違いない。
だからたまには、それぞれの写真に文章は添えずにおこうと思う。
もしかしたら、つまらない文章なんかを書き添えるより、写真たちは雄弁に語ってくれるかも知れないのだし。

などというのは建前で、最近仕事が忙しくて疲れておるのです。
手抜きですはい。



京都府綾部市 室尾谷神社









兵庫県篠山市後川下 春日神社




兵庫県篠山市後川中 春日神社




兵庫県三田市 駒宇佐八幡宮




兵庫県篠山市 波々伯部神社




兵庫県篠山市 熊按神社








兵庫県多可町 青玉神社



兵庫県多可町 荒田神社




京都府京丹波町 酒治志神社




兵庫県丹波市 加和良神社




京都府南丹市 朝倉神社




兵庫県丹波市 山口神社



京都府南丹市 熊野神社



福井県小浜市 加茂神社




福井県若狭町 廣嶺神社



京都府京丹波町 岩山神社




福井県若狭町 御方神社




滋賀県高島市 八幡神社




滋賀県米原市西山 八幡神社




兵庫県篠山市 八柱神社



兵庫県篠山市 味渕神社




兵庫県西脇市 瀧尾神社




兵庫県西脇市 八王子神社




兵庫県三田市 駒宇佐八幡宮




兵庫県猪名川町 春日神社




兵庫県猪名川町 熊野神社


Monochrome 1

2011年08月26日 | その他

モノクロ写真には今まであまり関心が無かった。
デジタル写真は、カラーからモノクロへは一発で変換できるから、遊び半分でそういうことはしていたけれど、やっぱり私はカラーだなぁ、なんて思っていた。
ただ、「色」というものは、それほど確かなものでもないな、という思いもあった。
鮮やかで派手な写真の多いサイトを見た後に自分の写真を見ると、くすんでメリハリの無い写真に見えるし、逆に地味で落ち着いた色調の写真が多いサイトを見た後は、自分の写真が毒々しいくらい派手に見えることもあった。
色のイメージというのはかなり流動的、というか、味覚と同じように、慣れや直前の情報などに左右されやすいものであるらしく、そういった意味では少し懐疑的な目で「色」というものを受け止めなければならないな、という気はしていた。

それなりに悪くないと思える写真があって、だけどどうしても色が気に入らないものをモノクロに変換してみると、何か目の覚めるような思いがした。
今までは気に入った写真をモノクロにして、やっぱりカラーだなんて思っていたけれど、それほど単純なものではない。
当たり前のことだが、カラーに相応しい写真と、モノクロに相応しい写真は違うのだ。

車のこともあるが、諸事情により暫くどこにも出掛けられそうにないので手抜き企画の一環のようものかも知れないけれど、自分なりに過去の色んな写真をモノクロにしてみて、とても得るものがあったような気がする。
それなりに真剣に、結構な手間と暇をかけて選んでいるし、見てくださる方にも今までと違ったものを感じていただけたらいいな、と思う。



わりと目障りなものが多く、全体の色調も悪かったものが、日本の山里らしい風景になった。



杉林の手前に咲く梅。
まったくパッとしなかったのに、それなりに味が出たかな、と。
杉木立というのは白と黒がよく似合う。



樹齢三千年といわれる玉置神社の神代杉だが、中途半端な斜面に立っているので、鬱蒼とした森の深みもないし、全体像が見られる場所もないので、その異形を表現するのは難しい。
モノクロにすることで、その樹皮に刻まれた陰翳が強調されて、ただならぬ表情を見せてくれる。


 


















とある廃校にて。
山間部にある木造校舎の廃校。
モノクロはノスタルジーを強調する手段でもあるから、こういった素材は単純にハマる。
立ち入り禁止である様子も無かったので二度ほど入ったことがあるのだが、そのうち一度は深夜の2時だった。
友人と二人、懐中電灯ひとつで校内を周っていると、何故か二人揃って便意を催した。
汲み取り式の真っ暗なトイレの個室に駆け込み、怖さより安堵に浸っていると、トイレの底から「ゴーン」と鐘を鳴らすような音が響いてきた。
「何の音?」
壁越しに隣室の友人に尋ねる。
ちなみにこの友人は、何度も幽霊を見たことがあるというから霊感があるのだろうし、彼が何も感じないのなら特に心配はいらないだろうという思いがあった。
「知らん」
口調は落ち着いている。
だから私も落ち着いて排便に専念する。
と、再び「ゴーン」と音が響く。
「何の音?」
「だから知らんて」
いろいろ科学的に音の原因を探ってみるけれど、ちょっと答えは出せそうにない。
友人もそれは同じなのだろう、でもまあ気にすることもないかと腰を据えてトイレに取り組む。
友人は先にトイレを終え、私は少し遅れてからトイレを出る。
トイレの外で待っていた友人が私を迎えて言った。
「めっちゃ怖かった!」
もっと早く言えよっ!

それはともかく、廃校から数十年が経って、校内はかなり荒れ果てている。
時おり余所者が入り込むのだろう、黒板には下品な落書きも多い。
そんな中、この学校の卒業生の書いた文字が黒板にあった。
「なつかしき
故郷の学びや
涙が出る」
ふっと、子供たちの歓声が、さんざめくように耳に届いたような気がした。
単純な言葉に込められた万感の想いが、壊れたピアノや、図書室の色褪せた本や、床や壁や、窓から見える景色の全てに、溢れている気がした。



これはカラーでも載せたことがあるけれど、霧がかかって、もともとモノトーンに近い世界。
桜は華やかではあるが派手ではない。
だからモノクロでもいいのではと思う。



これはまあ単純にカラーよりモノクロの方が良かったので・・・。



これもカラーで掲載済みだ。
踏み切りや看板といったものは、モノクロが似合うようである。



桧皮葺の屋根に芽吹いた植物。






雨上がりの河畔。



今まで猫の写真を撮ったことが無いと思っていたので、過去写真の中からこれを見つけてビックリした。
港のそばなので、たぶん新鮮な魚を食べ慣れているに違いない。



カラーだと夕暮れ時の雰囲気が出ている。
モノクロだとちょっとそれが伝わりにくいかな、とも思うが、モノクロだから伝わるものもあるだろう、という気がしている。



日差しのうるささが抑えられて、ちゃんと建ち並ぶ境内社が主役になってくれた。



色情報もうるさく感じられることがあるが、これもそれが整理されたように思う。






枯死した大木は、色を失うことで存在感が深まる。
カラーでは出せなかった気配というものがあると思う。


花たち

2011年08月23日 | その他

以前から何度か書いているけれど、マクロレンズが無いので花の写真はあまり撮らない。
撮ってもいわゆる図鑑写真になることが多く、自分が美しいと思う花の表情に辿り着けないのだ。
それでも花は好きである。
思い返せば、小学校6年生の時、何故か衝動的に花屋さんに行って、桔梗の花を買ったのが花好きを自覚するきっかけだった。
学校の宿題でアサガオを育てたときも、義務感ではなく楽しく育て、なんと12月まで生き延び、一株から500個以上の種がとれたりもした。
以後、中学くらいから山に登るようになったこともあって、興味は野生の植物に移っていく。
山野に生える、地味だけど味わい深い花たちに逢いたくて山に行くことも多くなる。
特に三重県に住んでいた頃は、すぐ近所に山があったから、徹底的に地元の植物を調べるくらいのつもりで、道なき場所や、険しい場所まで足を踏み入れたりした。
当時使っていた地図を見れば、見つけた植物の名前がびっしりと書き込まれている。

最近は、花が目的で山に入ることは無くなったけれど、神社巡りや滝へ行く際には、どうしても足元の草花に目を向けてしまう。
好きな気持ちは変わらないので、たまに珍しい植物を見つけたりすると、暫くは上機嫌になって足取りも軽くなる。
だから、狛犬と同じで、あまり撮らないと言いながらもそれなりの数の写真がある。
殆どが図鑑的写真、しかも以前使っていたコンデジの方が接写に強かったので、コンデジの写真が多くなったけれど、まあ「神社に咲いていた花の紹介」といった感じで載せてみようと思う。
神社以外で撮ったものも勿論あるが・・・。



ツルアリドオシ 
杉林に多いので、神社でもよく見かける。
小さい花だが、下草の少ない林床を、ぽつぽつと白く彩る。
京都府の神社にて



ウツボグサ
高校一年生のとき、一人で福井県の山に登りに行った。
近所の山は何度か一人で登っていたけれど、そんな遠くまで一人で行くのは初めてで、何かと不安を抱えての山登りだった。
その登山道の脇に、このウツボグサがたくさん咲いていて心を和ませてくれた。
ありふれた花だけど、思い出深い特別な花でもある。
京都府の神社にて



ユキノシタ
初めて見たのは小学校の帰り道。
民家の庭先でこの花を見かけ、あ、ユキノシタだ、とすぐに名前が出てきたのは、家にあった図鑑をしょっちゅう見ていたからだろう。
子供の頃、魚類図鑑、昆虫図鑑、植物図鑑の順によく見ていたが、今は逆の順に詳しいような・・・。
兵庫県の神社にて



イチヤクソウ
俯き加減の可愛らしい花。
あまり多いものではないので、たまに出逢うとしゃがんで見入ったりする。
京都府の神社にて



ゲンノショウコ
代表的な民間薬の一つで、名前は飲むとすぐ効くことから「現の証拠」の意。
白花も多く、ありふれた花だけど目に楽しい。
福井県の神社近くにて



キクバオウレン
まだ他の植物が芽も出していない頃に咲く。
早春に相応しい清楚な花。
兵庫県の神社にて



ショウジョウバカマ
山地のやや湿ったところにありふれた、春を代表する山野草の一つ。
通常は紅紫色の花を咲かせるが、場所によっては写真のような白っぽい花も珍しくない。
名前のショウジョウとは中国の伝説上の動物である猩々のことで、その顔の赤さを花色に、葉姿を袴に見立てたものといわれるが、私が高校時代に読んだ本に、葉に霜が降りると葉が赤くなることから、猩々のような色の袴でショウジョウバカマ、と書かれていたように思う。
ウィキペディアでも前者の説が載っているけれど、私は後者だと思う。
ちなみに色の分類では猩々緋という色があって、つまりは猩々の顔の色ということなのだけど、色見本を見てもあまりショウジョウバカマの色に似ているとは思えない。
京都府の神社にて



タチツボスミレ?
山ではごく普通に見かける花で、スミレの仲間でも圧倒的に個体数が多いから、スミレを見かけたらほぼタチツボスミレだと思ってしまうのだが、微妙に葉の形状や花色に個体差があって、あまり自信が無かったりする・・・。
京都府の神社にて



ミヤマカタバミ
カタバミといえば庭や路傍に生える黄色い花か、南アメリカ原産の帰化植物であるムラサキカタバミが普通で、どちらも雑草というイメージだ。
このミヤマカタバミは、木陰にひっそりと咲き、清楚で可憐といった感じでカタバミのイメージを払拭する。
珍しいものではないけれど、山で出逢うといつもちょっと立ち止まってしまう。
京都府の神社にて



ミヤマカタバミとタチツボスミレ
光の当たり方などから、陰翳を活かして撮ったので、図鑑写真とはちょっと違うものになったかな、と。
京都府の神社にて



シロバナタンポポとオオイヌノフグリ
決して珍しいものではないと思うのだが、シロバナタンポポをあまり見かけることが無い。
花が好きとは言いながら、その種類によって関心の度合いは大きく偏っていて、キク科植物は関心の薄い方に属すから気付いていないだけかも知れない。
京都府の神社近くにて



オオイヌノフグリ
ヨーロッパ原産の帰化植物ではあるが、もはや春を代表する花の一つとして定着した感がある。
爽やかな青は、春の空を思わせて清々しい。
京都府の神社近くにて



ヒメオドリコソウ
これもヨーロッパ原産の帰化植物。
中央にオオイヌノフグリが二輪。
取り囲まれて怯えているようにも、祝福されているようにも見える。
京都府の神社近くにて



トリカブト
厳密にいえばヤマトリカブトだとかキタヤマブシだとかいろいろ種類があるのだが、見分けがつかないので総称であるトリカブトで。
有名な有毒植物ではあるが、花色は美しく、形も面白い。
福井県の山中にて






セイヨウカラシナ
これも帰化植物で、もはや菜の花畑と呼ばれるのは「アブラナ」ではなく「セイヨウカラシナ」であることが多い。
接写でもなく、図鑑写真でもなく、風景として花を撮るとすればこういう感じだろうか。
帰化植物で好きになれないとはいえ、日本の春の風情に溶け込んでしまった。
京都府の川沿いにて






ノアザミ
背景に神社の建物を入れてみたり、昆虫を入れてみたりと図鑑写真からの脱却を試みるが・・・。
京都府の神社にて



ヤマアジサイ
これも背後の流れを入れて風景っぽく。
京都府の山中にて



ヘビイチゴ
これは光の当たり方でいちおう写真になっているような・・・。
野生のイチゴは山でよく食べるけれど、これはあまり美味しくない。
奈良県の山中にて



イワタバコ
夏の渓谷を代表する花。
初めて見たのが赤目四十八滝だったので、イワタバコといえば赤目を思い出す。
和歌山県の谷川沿いにて



ドクダミ
庭に生える雑草でもあり、神社でも普通に見かけるものだが、薬用としてもよく知られる。
独特の臭気があり、昔は吐き気を催すほどの悪臭に感じたのに、今は癖のある匂い、という風にしか感じず、特に嫌なものでもない。
私の母などは、懐かしいような匂い、と言っている。
鳥取県の神社にて



マムシグサ
山にありふれた特徴ある花。
秋に生る実は毒々しい感じで一目でそれと判る。
あまり群生はしないと思うが、ここでは固まって生えていて、何となく楽しげに見えた。
和歌山県の谷川沿いにて



ウマノアシガタ
神社の一コマっぽく、手水鉢付近の濡れた石畳を背景に。
京都府の神社にて



ムラサキケマン
これも神社の一コマらしく撮れたのではないかと。
接写できないのなら、ある程度背景の条件がいいところで咲いてくれている花を探し、いちおう花が主役ではあるけれど風景の一部、というような感じで撮るのがいいかも知れない。
兵庫県の神社にて






ヒガンバナ
遠景でも映える花なので、ヒガンバナは普通に風景写真になる。
子供の頃、周りの人間が、縁起の悪い花だとか、家に持って帰るとその家が火事になるだとか言っていた。
毒々しいくらいに真っ赤な花ではあるけれど、今は素直に美しいなぁと思う。
京都府の田園にて



ムシトリナデシコ
帰化植物は好きではないのに、帰化植物の写真が多いなぁ・・・。
神社にある苔生した古木の根元で、鮮やかな淡紅色の花が映えていた。
兵庫県の神社にて



シュウカイドウ
これは園芸植物で、普段は見向きもしないのだけど、光としては理想的だったので思わず撮った。
写真というのはとにかく光を見ることで、光次第で被写体は180度変わる。
根気があれば、全ての花をこんな光で撮ってみたい・・・。
兵庫県の神社にて



エゴノキの花
草本類に比べて木本類には興味が無い。
だから写真に撮ることもあまり無いのだけど、緑の苔の上に落ちた真っ白な花が目を引いた。
実にサポニンを含んでおり、石鹸代わりに用いられたそうだが、魚への毒性もあって漁にも使われたとか。
昔、川沿いの水溜りのようなところで、この実を磨り潰して流し込んでみたことがあるけど、魚は元気に泳ぎ続けていた。
京都府の神社にて



サザンカ
これも木本類だけど、花の少ない時期に咲くので・・・。
兵庫県の神社にて


──ランの花──
ランといえば多くの人はカトレアやデンファレといった豪華な洋ランを思い浮かべると思う。
けれど日本にも多くのランが自生していて、野生ランとして愛好家に親しまれている。
私は多くの植物の中でも日本に自生するラン科植物が大好きで、洋ランのような派手さは無いのに、どこか気品を湛えた姿や、特徴的な生態に魅入られてしまう。
そんなランの中でも一番好きな(つまり植物の中で一番好きなということになるが)花がフウラン(風蘭)である。
葉姿、花姿ともに気品があって、花の甘い芳香も素晴らしく、私にとっては非の打ち所の無い植物で、花の季節になれば園芸店に並ぶものの、とにかく自生の姿が見たくて堪らなかった。
暖地を好むので、南紀を中心に何年もかけて随分と探し回り、もう無理かも、と諦めかけたところでやっと見つけた。
全部で7株ほどあったと思うが、そのうち開花株は3株くらい。
見つけた一ヵ月後、またその場所にフウランを見に行った。
開花株は全て誰かに採られていた。いや、盗られていたと書くべきか。
フウランは絶滅危惧種である。
しかも発芽から開花まで20年ほどかかるという草本類とは思えぬゆっくりとした成長速度だ。
美しい花を採って手元で育てたいという気持ちは判るが、厳に慎むべき行為であると思う。
そんなわけで、フウランの花の写真が撮れるのはいつになるか判らないのだけど、その他の何種類かのランを神社で撮っているので・・・。


キンラン
とある神社で数十株が群生していて驚いた。
豊かな黄色は金蘭の名に相応しい。
兵庫県の神社にて



クモキリソウ
地味なランだけど、山で初めて見つけたランなので愛着がある。
兵庫県の神社にて



ネジバナ
もっともありふれたランで、公園の芝生などでよく見かける。
一つ一つの花は小さくても螺旋状に咲く姿は面白く、色も鮮やかで魅力的である。
京都府の神社にて



カヤラン
木に着生するラン。
シダやラン科植物などでよく見られる生態で、決して寄生ではなく、ただ木の表面に根を張っているだけである。
私の好きなフウランも同様に着生種で、そのことが余計に発見を困難にしている。
カヤランは着生種の中では最も個体数が多く、少し頑張れば見つかる。
フウランを見つけるのは奇跡に近い気がする。
京都府の神社にて



セッコク
これも着生ランで、洋ランのデンドロビウムと同じ仲間だ。
兵庫や京都では殆ど見つけられなかったが、三重や和歌山ではけっこう簡単に見つかって驚いた。
三重県の神社にて

あとはサギソウ、トキソウ、カキラン、エビネ、シュンラン、コバノトンボソウにハクウンラン、ヒナランやウチョウラン、他にもいろいろ見つけたけれど写真には撮っていない。
いつか撮りに行きたいなぁと思いつつ、それらの殆どは神社ではなく山の中なので、なかなか実現しそうにない。



──おまけ──

キノコたち









狛犬さん

2011年08月16日 | その他

先月から車のエアコンの調子が悪くなり、とうとう完全に故障してしまった。
もう随分と長く乗っている車なので、故障するのも仕方が無いのだけれど、馴染みの車屋さんに相談すると、「もう買い替え時やで」とおっしゃる。
確かに、修理したとしても、またすぐどこか壊れてくるだろうとは思う。
中古で買ったときで6万キロ、そこから更に9万キロ乗ってきたのだから、相当くたびれてきている。
でも、地球二周ぶんほど付き合ってきた車でもある。

道具というものは、単なる消耗品に過ぎないものもあるが、使えば使うほど愛着の湧くものもある。
カメラも昔より価値は下がったとはいえ、そういう傾向があると思うし、車もそうだろう。
どこかが壊れたからといって、じゃあさよなら、という気にはなれない。
もちろん金銭的な面もあるけれど、少なくともここに掲載してきた場所は、全て今の車と共に周ったものばかりで、思い出の詰まった車だから、まだ暫くは付き合っていきたい。
というわけで、あちこちで見積もり取ったり部品取り寄せ等にお盆が挟まったりして、まだ修理が出来ていない。
エアコン無しではさすがに出掛ける気になれず、写真も撮れていないので、暫くは過去写真からばかりになります。

で、今回は狛犬を。
神社好きの中に、狛犬好きが占める割合というのは結構高いのではないかと思うけれど、私はそれほど意識してこなかった。
しかも写真に撮るのは難しく、どうしても「ただ撮っただけ」になりがちで、その表情や躍動感や刻まれた歳月といったものを表現出来ない。
だからついつい撮らずに素通りしてしまうことが多いのだが、それでも数百社という神社に訪れたのだから、探せばそれなりの数の狛犬写真が見つかる。
過去の記事に載せたものもあるが、こうやって集めてみると、懐かしさと、何かいとおしいような思いになって、これからはもうちょっと、語りかけるように接してみようかな、なんて思った。



奥上神社 京都府舞鶴市吉田
小ぶりで、童子のようにあどけない表情。
夕暮れで薄暗くなる境内で、ほっ、と和やかな気分になれた。



河原神社 京都府舞鶴市河原
伐採されて殺風景な境内に、所在無げな様子で佇んでいた。



大川神社 京都府舞鶴市大川
普通の犬っぽい狛犬。
比較的、光の状態が良く、狛犬がちゃんと主役になってくれた。



劔之宮王子神社 兵庫県加西市西剣坂町
本殿脇のとても素朴な狛犬。
思わずにっこり微笑んでしまう。



八柱神社 兵庫県篠山市初田
どこか思案顔(?)の狛犬さん。



春日神社 兵庫県篠山市川北
睨みを利かせる狛犬と、重なる緑の先に鳥居。






大森神社 三重県熊野市育生町尾川
狛犬を撮るとき、どちらか一方の光線状態は良くても、相対している以上、反対側は良くないことが多い。
ここでは珍しく、阿形、吽形ともいい光が狛犬に注がれていた。
どちらもマンガチックな表情で迎えてくれる。



滝神社 三重県熊野市神川町柳谷
ここにコメントを下さる方が、「哲学する狛犬」とおっしゃられたが、緑深い中で、本当に思索に耽っているように見えた。



八幡神社 三重県御浜町大字上市木
これはもうなんと言うか、二頭身、いや、顔から脚が生えていると言うべきか、とにかく見た瞬間のインパクトが凄かった。






仲山神社 三重県津市美杉町下之川
こちらもインパクトの強さでは代表格。
マニアの間でもブサイ───いや、ユニークな狛犬として知られているようだ。
阿形の方が強烈だが、吽形の方がとぼけた顔をしているのにすましてポーズを決めているようで可笑しかった。



色川神社 和歌山県那智勝浦町大野
薄暗い中での手持ち撮影でピントが合ってないけれど、酒飲みの陽気なオヤジっぽくていい味を出していたので。



盈岡神社 兵庫県朝来市和田山町宮内
何やら物思う風情の狛犬。
こういう風に、風景に溶け込む感じで、尚且つ狛犬が主役になるような写真が撮りたいのだけど・・・。



養父神社 兵庫県養父市養父市場
忠犬、或いは執事のような端正な佇まい。



日置神社 福井県高浜町日置
オーソドックスなタイプの狛犬に、大木と境内社。
神社らしい一コマかな、と。



佐伎治神社 福井県高浜町宮崎
これもよくあるタイプの狛犬だが、このタイプの狛犬らしい躍動感が少しは出ただろうか。



天神神社 京都府木津川市梅谷
これも神社風景としての狛犬。
というか、鈴緒の賑やかさに驚く。



若宮神社 滋賀県野洲市南櫻
滋賀県で時折見かけるタイプの狛犬。
どことなく爬虫類的なような・・・。



野蔵神社 滋賀県野洲市南櫻
上の神社のすぐ近く。
狛犬のタイプも共通するものがあるが、こちらはちょっとコワイ。
何となく嘲笑ってるような・・・。



川田神社 滋賀県湖南市正福寺
厳めしい顔付きだけど、その短躯のせいか可愛らしくもある。



飯道神社 滋賀県湖南市針
子持ちの狛犬は珍しくないけれど、これは覆い被さっているようにも見える。
子供の頃、原っぱでよく見かけたオンブバッタを思い出した。
そういえばカエルでもこんなの見かけたなぁ。



──還りゆく──


廣嶺神社 福井県若狭町日笠



熊野神社 福井県小浜市熊野



新鞍神社 福井県おおい町川上



久須夜神社 福井県小浜市堅海



椎村神社 福井県小浜市若狭



日枝神社 福井県高浜町東三松



坂本神社 京都府綾部市田野町
本殿裏に、現役を退いた狛犬が一対。
阿形は口から欠けてしまっているけれど、数十年、或いは100年以上もの間、お互い少しの距離を置いて神社を見守り続けてきた狛犬が、最後はこうして寄り添って、静かに過ごせて幸せそうに見える。
ゆっくりゆっくり、一緒に、自然に還るのだ。


寄せ集め 1

2011年08月09日 | その他

「雑多な写真」シリーズと何が違うのかと言われそうだけど、雑多な写真は、まだ紹介していない場所ではあるものの、使える写真が少なく一つの記事としては掲載しにくい場所をまとめて紹介、という位置付けでありますが、今度の「寄せ集め」は、既に掲載した場所であるけれど、そのときに使わなかった写真の中から、これも載せても良かったかなぁ、といったものを寄せ集めてみたものです。
ちなみにタイトルに「1」と付いているのは、雑多な写真と同じくシリーズ化する魂胆だからです。
というか、これを思いついた時、この手でネタ切れを何回か凌げるんじゃ、なんて考えて、今後もラクをするために出来るだけ週一の更新を続けるために、シリーズ化を決定しました。

私は普段、過去の写真をあまり見ない(というか見たくない)のですが、今回、改めて過去の写真を見て、意外と楽しめました。
懐かしさも勿論ありますが、今とはちょっと違う視点があったり、今よりいい点、悪い点が見つかったり、また撮り直したいという意欲が湧いてきたり・・・。

以前紹介した、ということで、どうしても似通った写真が多くなりますが、なるべく違うものを選んだつもりです。
懐かしさと新鮮さ、両方感じてもらえれば・・・。






江須崎海岸と春日神社 和歌山県すさみ町江住
大好きな場所の一つ。
ここは猫がいっぱいいるので、今度行くときは猫の写真に挑戦しよう。



海神社 奈良県宇陀市室生三本松
ここは以前「雑多な写真」で紹介したつもりだったのだが、してなかったようだ。
まあ厳密に区分けするつもりもないので・・・。
ここのすぐ近くにあるもう一つの海神社は紹介済み。
「うがー!」とか言ってそうだけど、やんちゃ坊主といった感じで可愛らしい。



龍穴神社 奈良県宇陀市室生
ここは何度も行っているけれど、どうしても理想の光に出逢えない。
季節、時間、天気・・・いつに行けばいいのかなぁ・・・。



御杖神社 奈良県宇陀郡御杖村神末
小雨の降る中、ひっそり、ひっそりと。



鶏鳴の滝 滋賀県甲賀市信楽町神山
デジタル一眼を買って、初めて撮った滝なので思い出深い。
改めて写真を見返すと、本当に色んな表情があるので、もう一度、今の目線で撮りたいと思う。



八阪神社 滋賀県甲賀市信楽町柞原
民家に挟まれてはいるけれど、欅の大木が並ぶ参道は気持ち良かった。



神内神社 三重県紀宝町神内
岩の多い、ちょっと不思議な空間。
南紀独特の気配が漂う。



不動の滝 三重県御浜町神木
ぱっと見、何の写真か判らないような・・・。
朝日を浴びた滝の飛沫を、高速シャッターで写し止めたのだけど・・・。



高野神社 滋賀県東近江市永源寺高野町
他の写真もそうだが、掲載時に、なんでボツにしたのかなぁと思うものがある。
割と頻繁に好みというものは変わるのだろうか。
静かでいい神社。



大屋神社 滋賀県日野町杉
苔の深い緑と、絡み合う木の根が艶かしくさえある。




馬見岡綿向神社 滋賀県日野町村井
豪壮な本殿、という印象だったが、あまりそんな風には撮れなかった。
二枚目の猪を見たとき、「黄泉の国から戦士達がかえってきた!」というセリフが思い浮かんだ。
「もののけ姫」に出てくる乙事主さまのセリフだったりします。



江文神社 京都府京都市左京区大原野村町
神社でありながら、こういった石仏が境内にたくさんある。
苔を纏っているけれど、ちゃんとお守りされているようで茶碗は綺麗だ。


とりあえず、次回も寄せ集めの予定です・・・。


雑多な写真17

2011年08月02日 | その他

約10ヶ月ぶりの雑多な写真です。

以前は数多くの場所に立ち寄り、その度に写真を撮っていたけれど、最近は行き先を絞ることが多く、雑多にまわす写真がなかなか溜まらない。
しかも現地に着いて、光線状態や風景が良くなければ簡単に写真を諦めるようになったので尚更だ。
これは決して写真に対する熱意が下がったわけではなく、寧ろ逆で、よりいい写真を撮るために選り好みが強くなったせいでもある。
写真は撮り慣れてくると、その場の光を見れば大体どのような写真が出来上がるかは撮らないでも判るので、ブログの記事にするかボツになるかも撮る前に判ってしまう。
だからまあ、ボツになると判ってるなら撮らずに他の場所へ、ということで、写真が溜まらない。
そういった意味で、失敗作は減ったし、そこそこ満足のいく写真は増えたのだけど、相変わらずその上が撮れない。
自分の中で70点の写真が最も高得点だとして、以前は70点の写真が300枚中1枚だったのが、今は50枚に1枚くらい撮れるようになったけれど、以前と同じく80点、90点は撮れないままという気がする。
たぶん、そこに辿り着くには何かが足りなくて、というか足りないのではなく欠落しているような気もして、そうなるともうこの上は無いのかなぁ、などと考え出すとちょっと気が滅入る。
まあ素人が楽しんで撮っているだけのことなので、さして真剣に悩む必要もないだろうし、その先に辿り着けたところで大したものでもないかも知れないけれど・・・。

上に挙げたような理由で写真が足りないので、今回はかなり過去まで遡って写真を拾い上げました。
というか、何処にも出掛けてないのでネタ切れの苦し紛れのアップです・・・。



大天井滝 奈良県吉野郡川上村高原
何だか物凄く撮りにくかった印象ばかりが・・・。
ここは曇りで緑いっぱいの時期がいいと思う。






八坂神社 奈良県吉野郡天川村南日裏
周りに民家やキャンプ施設があって落ち着けない。
でも大木が何本かあって、それなりに陰翳に富んだ風景を見せてくれた。



與能神社 京都府亀岡市曽我部町寺
ここへは二度訪れたが、とにかく写真が撮りにくい。
本殿の精緻な表情が、辛うじて少し出てくれた・・・ような気がする。






二社大権現 京都府宮津市新宮
真夏の太陽の下、大木が鳥居を包むように深い影を作っている。
日本の夏らしい情景の一つで、心惹かれるものではあるけれど撮るのは難しい。
境内はコントラストの強い斑状態で写真にならなかった。









藤社神社 京都府京丹後市峰山町鱒留
ここは道路沿いでありながらも、しっとりと苔に覆われた境内で、もっと淡い光で撮りたかった。
撮影を始めて間もなく、神社横の道路に軽トラックが停まり、何やらこちらを窺うような様子。
怪しまれてるのかなぁ、と思いつつ撮影を続行すると、20分後にパトカーが来た。
同じく神社横の道路に停まり、何やらこちらを窺う様子。
やましいことは何も無いので撮影を続行していると、問題なしと判断したのか、パトカーは去っていった。
たぶん、さっきの軽トラックの人が通報したんだろうなぁ・・・。
被害妄想では? なんて思う人もいるかも知れないが、余所者の滅多に来ない田舎では、時にそういうこともある。
三脚立ててカメラ構えてるのだから、見れば判るだろうという気もするが、地元の人にとっては、地元の神社を何故撮っているのか理解できないというケースもよくあるようだ。
素敵な神社だったけれど、何となく残念な気持ちが残ってしまった。






大穴持神社 奈良県御所市朝町
参道は傾斜が強い上にザラザラの砂地で、登ろうとしてもズルズル後退してしまうほど。
これではお年寄りの参拝は困難だし、土止めを兼ねた木の階段でも作ってくれたらなぁと思う。
一の鳥居に一番惹かれたのに、まともに撮れたのは二の鳥居のみ。





















若宮神社 兵庫県丹波市春日町山田
これだけの枚数を載せるのだから、一つの記事にすれば良かった気も。
とはいえ、これは2008年の撮影で、今さらだし・・・。
鳥居の先に、真っ直ぐに伸びる長い石段を見た瞬間、一気に惹かれたのだが、日差しが強く、思うように写真が撮れなかった。
最後の拝殿らしき建物には、こんな山里の小さな神社に珍しく神像があった。


まだ暫く出掛けられそうに無いので、次も苦し紛れの予定・・・。