神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

丸山稲荷神社

2013年11月29日 | 兵庫県

兵庫県篠山市福住


前回、紅葉の進捗状況を見に行ったのに、いつしか紅葉のピークは過ぎてしまい、というか、怠惰に過ごしていただけなのだが、とにかく紅葉を心ゆくまで満喫することなく冬の寒さを迎えてしまった・・・。
とりあえず、熊野神社に行った日に、他に三ヶ所ほど訪ねた写真が残っているので掲載していこう思う。

丸山稲荷神社は、私が神社巡りでもしようかなぁ、と思い始めた頃に訪れた神社だ。
今から7年ほど前のことになるのだが、この辺りは普段から車でよく通る地域で、その鳥居を度々目にしていた。
周囲から30メートルほど高くなった小山の上にあって、遠目からでも「神社がありそうだなぁ」と思える風景でもあった。
初めて訪れたときは深い霧に包まれており、朱の鳥居と社殿前の黄葉が印象に残ったが、今回は晴れ渡っていて風景としては詰まらなそうだ。
たぶん、ブログに載せることは無いだろうなぁと思いつつ、久しぶりに参拝することにした。



ここは遠目に小山全体が入るように撮ったほうが、のどかでいい風景だと思う。
そのくせ私は、車の中から手持ち撮影という不精なことをした。
いや、農作業の人が訝しげにこちらを見ていたので、三脚立てて本格的に撮るのは気後れがして・・・。



直線で急な石段が尽きるところに二の鳥居があって、そこから更にジグザグに上っていくと三の鳥居が見えてくる。



坂道を上りきった先は、下から見た小山の印象に比して広い。
初めて訪れたときと同じように、この小空間を黄葉が彩っていて嬉しくなる。
ただ、コントラストが強いので、写真としてはゴチャゴチャとうるさい感じになってしまう。



いくつものベンチがあって、憩える空間になっている。
参道が急坂なので、ちょっとお年寄りには厳しいけれど、柔らかい空気に満ちている。






緑から黄色、橙色へのグラデーションが陽光を透かして綺麗だ。



覆屋の隣は「丸山亭」と書かれた休憩所だ。
人と神様の距離感がいいなぁと思う。



なんとなく、美しいと思えたので。



覆屋の背後には祠。
そういえば、ここは竹林だったな、と思い出す。



ここの竹林は荒れておらず、なかなかいい表情を見せてくれる。









柔らかな陽射しが降り注いで気持ちがいい。
掲載しようか迷ったが、この竹林とベンチのある空間は、心が安らぐものがあった。


撮影日時 131114 11時20分~11時50分
地形図
道路地図
駐車場 神社前駐車可


熊野神社

2013年11月15日 | 再訪

京都府南丹市園部町黒田


紅葉の進捗具合が気になるので、ちょっと気軽にドライブに行くことにする。
こういう目的地も定めず気儘に走る場合、大抵は篠山市、南丹市、亀岡市の範囲だ。
篠山市から南丹市に入ったところで霧が出てきた。
一面が霧に覆われるという感じではなく、朝の光と濃淡のある霧が交錯するかのように陰影を描いて、刻一刻と風景が変化する。
写真に最も適していると思える状況でもあるが、べつに目的地があるわけでもなく、真剣に写真を撮るつもりもしていなかったので少し焦る。
この辺りでこのチャンスを活かすならどこがいいか?
最初に思い浮かんだのは摩気神社だが、つい一ヶ月ほど前に友人と訪れたばかりだし、出来ればもう少し風景の種類に幅のあるところがいい。
ということで次に思い浮かんだのが、六年前に訪れたことのある熊野神社だ。
あの参道と二の鳥居に霧が流れる光景は、かなりいいのではないか?
摩気神社への分岐を少し未練がましく見送りながら熊野神社に向かうことにした。



熊野神社前に着くと、あれ、霧は? という感じだった・・・。
遠目には霧に覆われているように見えた山裾なのだが、駐車場所から歩いてくる数分の間に晴れてしまったのだろうか?
それでも、六年ぶりに出逢う風景は心惹かれるものであったし、鳥居前の色付き始めたモミジと、奥へと続く参道の雰囲気を見れば、引き返す気にはなれない。
ブログ開設間もない頃にアップした、この神社の写真の出来の悪さを、ちょうどこの機会に払拭したいという気もしてくる。



記憶と違わぬようでありながら、どうして六年も再訪しなかったのだろうとも思えてくる風景。



途中、祠(愛宕山と刻まれた石灯籠があったから愛宕社だろう)があり、そこに記憶には無い電気柵があった。
グリップ部を握って外し、更にすぐ先にある鉄製の扉を開けて進むと、この自然石を積んだ石段が現れる。
動物による農作物の被害は深刻なのだろう。
参道沿いに植えられたモミジの苗木も、鹿による食害を防ぐためにネットで覆われている。
野生動物の被害には頭を悩ますところだが、こういった植栽が幾つか見られたのは嬉しいことだ。
地元の方が参道を美しくしようと思ってらっしゃるからだろうし、将来、この杉林の中でモミジが豊かに色付いている姿を想像すれば、心も豊かになる。



以前には無かった青い砂利も敷かれている。
ちょっと殺風景とも思える貧弱な杉林であり、無機質な感じのする荒い自然石の石段ではあるが、歩いていて楽しい。



振り返れば、ちゃんと潤いある光景もある。



石段を上りきり、緩やかにカーブを描く平坦な小道を進むと二の鳥居。
霧が残っていないのが残念だし、光線状態もイマイチでいい写真は撮れないが、この鳥居の風景はとても惹かれるものがある。
周囲の木が紅葉し、霧がかかり、右手から朝陽が差し込む、そんな瞬間に出逢えたら、と思う。



社殿に近づくにつれ、潤いが増してくる。



ちょっと変わった形状の拝殿の向こうには、狛犬と本殿覆屋も見えてくる。



以前にも書いたが、こういう「くぐる」建物は大好きだ。






それに、こういった建物を介して見る風景は、一幅の絵のようでもある。



お久しぶりです、という感じで本殿前。



お邪魔します、という感じで覆屋の中へ。



右手からの淡い光に描かれる陰影が美しかった。



本殿裏手にある木も、淡い光に表情豊か。



本殿前の木には、季節はずれの蝉の抜け殻が残っていた。
そういえば、夏にあれだけ賑やかな蝉の抜け殻は大量にある筈なのに、いったいどこへ消えるのだろう。
蟻などが食べるのだろうか? それとも、地面に落ちて土に返るのだうか?



手水への道は苔生している。
手水は山からの小さな流れを利用したものだが、以前とは違って四角く掘られて水を溜めるようになっていた。
まだ安定していないのか、水は少し濁ってしまっていたが、やがて苔生して清水を湛えるようになるだろう。
殆どの神社は何か手が加えられると残念な方向になってしまうのだが、ここはいい方向に向かっているようで嬉しい。



境内社の周りも苔が豊かだ。



霧がかかっていたわけではないけれど、薄曇のような光線状態だったところに陽が射してきた。



二の鳥居を見れば、寧ろ陽射しのせいで霧の名残が感じられる。



一番いい表情に出逢うために、何度か足を運ばねばと思う。



やや明るくなった参道を帰ることにする。



往きとは違って木漏れ日の道だ。



足許にはキノコが点在して秋の風景。



木の幹に引っ掛かった落ち葉も秋の風景。



往きには目立たなかった貧弱な公孫樹も、陽射しを浴びて豊かな黄葉を見せてくれる。






地面に落ちてしまった葉っぱにも、豊かな表情。
秋の撮影は、とても楽しかった。


撮影日時 131114 9時10分~10時20分
地形図
道路地図
駐車場 神社手前に観景寺とその駐車場もあって、神社と無関係とは思えないものの停めていいか判らない。
少し歩かねばならないが、府道に広くなっている場所がある。


戯言

2013年11月02日 | その他

以前にも戯言というタイトルで記事を書いたことがあるけれど、最近は写真を撮りに行っていないので、再びどうでもいいような内容を。


最近読んだマンガ

「よつばと!」 
なんというか、独り身の私でも父性愛に目覚めます。
同時に、童心に返ります。
蝉を捕ったり、ドングリを拾ったり、あるいは、我侭し放題だった自身の子供時代を思って、周りの人たちの優しさを想います。 

「ぎんぎつね」
稲荷神社が舞台のマンガ。
主人公が私のお友達と同じ名前の「まこと」ちゃんです。
こんな風に、神社と、それに関わる人々と接することが出来たらいいなぁ、なんて思います。

「のんのんびより」
田舎が舞台のマンガです。
アニメ化もされています。
アニメの方が田舎の風景描写が美しくて、ちょっと涙ぐむくらいの憧憬を抱きます。
でも、やっぱり原作のマンガの方が好きかなぁ。
にゃんぱすー。

「絶園のテンペスト」
中二病的ではありますが、主人公が愛する人を想う気持ちに共感します。
愛する人を喪いたくはないけれど、 失ったことなら何度かあります。
いや、喪ったこともありますね。
反省や悔恨の積み重ねですけど、無償のそれを抱ける日は訪れるのでしょうか。


自然災害

今年は台風の多い年でした。
以前、コメント欄に書いたことがあると思いますが、台風が来るとワクワクする、という知人がいたりします。 
警報が出れば学校が休みになるから嬉しい、という子供の気持ちは理解しますけど、大人になってもそういった感覚でいる人は理解できません。
年をとればとるほど、地震も台風も雷も怖くなります。
台風が日本列島に向ってくる度に、どうか逸れてください、と祈ります。
日本列島に限らず、フィリピンや台湾であっても、それは同じです。
毎年のように台風による犠牲者が出るから慣れっこになっている人がいるのでしょうか?
違います。
そういった人は、想像力が足りないのでしょう。
自分にとって、身近な人、大切な人が犠牲になることに。 
台風が来る度に、どこかで誰かが犠牲になることに想いを寄せてください。


最近、知り合った人

深夜に、突然、若い女性に声をかけられた。
たぶん、近所に住んでいる人で、何度か顔を見た覚えがある。
「変なお願いしていいですか?」
「え、何でしょう?」
「何か変な人がいるんで、送ってもらえませんか?」
え? え?
何だか私の情報処理能力を超えている。 
彼女の足許には二匹の小さな犬。
私に向かって吠え立てるので、困っていると、
「撫でてやってくれますか? そうしたら吠えなくなるんで」
・・・・・・。
おお!
確かに撫でると吠えなくなった。
なかなかやるな! と思ったけれど、昔、私が飼っていた犬ほどではない。
だってあの子は、怪しい、と思う人以外に、吠えることは無かったから。
あれ?
それって、私が怪しいと思われている可能性も・・・、って、声をかけてきたのは彼女のほうですよ?
それはともかく、 並んで歩く。
何でも、犬の散歩をしていると、サラリーマン風の男に声をかけられたらしい。
で、無視して歩くと、追いかけてきたらしい。
警戒しながら歩くが、それらしき怪しい人影は無い。
さすがに彼女の家の前まで行くのはどうかと思ったので、最寄の信号のところで、さよならをする。
以後、何度か顔を合わせて、挨拶をする関係になったけれど、まあ彼氏がいない筈はないな、と思える可愛らしい人でした。

前回、辻の四本杉に一緒に行った人とは友達のつもりだけれど、知り合ったのは比較的最近のことだ。
仕事の取引先の人で、週に一回は一時間以上、話し込んだりする。
彼は音楽をこよなく愛しているが、私とはその趣味が明らかに違う。
けれど決して偏狭ではなくて、私がよく聴くボカロに対してもある程度の理解を示してくれる。
私の撮る写真に対してもそれは同じだ。
ある時、私は「宗教はともかく、それなりの信仰心はあるんですけどね」と言ったことがある。
それに対して彼は、
「そらそうやわなぁ。そうでなきゃ、あんな写真は撮れんわなぁ」と言ってくれた。
私自身は、写真を撮るときに、あらゆる感情を排しているつもりだ。
けれど、 何故か嬉しかった。
私の写真に対して、何か感じてくれる人がいるのなら、それはかけがえのないものだと思う。


11月は紅葉の季節でもあります。
写真びよりなので、撮りに行けたらなぁ、と思っています。