神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

滝本北谷上流部(1回目)

2010年05月25日 | 滝・渓谷
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町口色川


ここは以前に「筆藪滝・猿手滝・部屋滝」として下流部を掲載している。
当時、部屋滝より上流は、私の技術と体力では無理と判断したのだが、いろいろ調べているうちに、なんとか行けるかも、と思えてきた。
それに最近は、やや歩行距離の長い場所や渓谷に行く機会も増え、休日には殊勝にもジョギングしてみたりと、体力の回復を実感したりしていたので、まだ見ぬ上流部の探索を試みることにした。
ただ、前回のように下流の瀧本集落から上流部にかけてを往復すると距離が長くなるので、今回は上流部から谷を下降することにした。
上流部には林道が通じており、都合の良いことに熊野古道の地蔵茶屋という休憩所がある。

さて今回(1回目)としたのは、二日がかりで探索する予定が二日目は雨だったため、上流の一部しか探索出来ず、都合、約一ヵ月後にもう一度訪れることになったからである。
一回にまとめようかとも思いつつ、春の一ヶ月は、その表情を大きく変えるので、一回目と二回目を分けて掲載することにした。
尚、ここは沢登りをする人の間でも人気が高く、危険箇所での逃げ道もあって、沢登りでは初心者向けコースとなっているが、沢登りの難易度はハイキングなどとは大きな隔たりがあり、一般的には熟練者向きとなるので、安易な入渓は避けて下さい。


朝に自宅を出て昼過ぎに地蔵茶屋に到着。どんよりとした曇り空だ。
普段はカメラバッグと三脚を肩にかけて歩いているが、今回ばかりはそんな出で立ちでは無理なようなので、高校時代に使っていたリュックを引っ張り出してきた。
久しぶりにリュックを背負って歩き出すと、何やら武者震いにも似た高揚感が湧き上がってくる。
未舗装の林道に入って暫く進むと、谷川へと降りていく階段がある。
降りたところに発電用の取水堰堤があり、そこからは流れに沿って歩く。


水は普段より少し多いくらいだろうか。新緑の色はまだ浅い。
この辺りの山は岩盤質で、流れは岩床の上を滑るように流れるところが多い。





前半は穏やかな流れで、水に濡れることさえ厭わなければ特に危険な場所も無い。
水深はだいたい膝くらいまでであるが、溝状に突然深くなっているところもあるので、足を取られないように。



滝もいいけれど、こういう穏やかな流れもいい。



もう少し穏やかな流れに浸っていたかったが、辺りの地形は険しくなり、流れは急流となって下っていく。



急流の先はストンと切れ落ちて滝となっている。
前方には岩壁が聳え立ち、ちょっと怯んでしまいそうになる。
だいたい、沢登は下降の方が難しいし、昔のカンを取り戻すのにも時間がかかる。



最初はちょっと手間取りながら、なんとか滝の下へ。
上から見たときは凄い傾斜に見えたのに、下から見れば緩やかな滝だ。
ただ、左岸にそそり立つ岩壁と川幅いっぱいに流れ落ちる姿は、なかなかスケールがある。



ほっと一息つく間もなく、流れはまた切れ落ちて、下方からごうごうと音を立てている。
この滝の下へ降りるには、崩壊地を横切る場所もあり、ちょっと危険を伴う。



何とか河原に降り立ち、比丘尼滝の前に立つ。















事前にネットで写真を見ていたけれど、思っていた以上に良い滝だ。
滝壷は深く泳げるほどの広さがあるし、滝前は広い河原で開放的な心地よい空間。
それでいて滝そのものは深い緑に包まれて陰翳もある。





滝のすぐ下流から、流れはまた穏やかになる。





ミツバツツジが所々で咲いている。
下のツツジは花付きが悪く寂しいが、頭に描いた通りの写真になったので満足。



時おりヒカゲツツジも見かける。

この先で広い河原に出た後、谷はゴーロ帯になる。
ゴーロ帯とは、巨岩が谷を埋めている場所を言うが、私はこのゴーロ帯が苦手である。ルートは判別しにくいし、見た目以上に危険で時間も食う。
時刻は15時過ぎになっているし、おまけに小雨も降ってきた。
この谷でいちばん見たい滝はまだ先だが、今回は諦めて引き返すことにする。

地蔵茶屋に戻る頃には薄暗くなっており、雨もやや強くなってきた。
ただ、ここから300メートルほど谷沿いの林道を遡ると、牛鬼滝(奥比丘尼滝)というのがあるので、もうひと頑張りする。


ここは林道からすぐのところにあるので容易に見ることが出来る。
これも予想より立派な滝であったが、すぐ横が林道のため、緑の深さが無く、日中だと味わいが薄れそうだ。









夕暮れ時のおかげで、多彩な表情を見ることが出来た。


2万5千分1地形図 紀伊大野
撮影日時 100419 13時~18時20分

駐車場 地蔵茶屋にあり
地図


大神宮社

2010年05月18日 | 大阪府
大阪府高槻市中畑


前回に続き、大阪府の神社である。
ここは以前に「雑多な写真7」で一枚だけ画像を掲載しているが、いずれ再訪してきちんと掲載したいと思っていた。
現地は浅く開けた南向きの谷間であり、参道付近は明るく長閑な雰囲気。それでいて社殿周りは大木を含む杜が厳かな気配を包み込んでいて、なかなかに素敵な場所である。
撮影は雨の日だったが、晴れの日にのんびり日向ぼっこをしてみたくなるような環境だ。



石灯籠の立つ場所からコンクリート舗装の参道に入る。
参道沿いには数本の桜があるが当然散っており、八重桜だけがまだ咲いていた。



短い坂を上りきると鳥居が現れる。
モミジと桜の新緑が、雨に濡れて滲むように鮮やかだ。



参道右手は、以前は水田であったと思われる地形だ。黄色く覆っている花はセイヨウカラシナだろうか。
菜の花と勘違いされることも多い帰化植物だが、各地の河川敷を黄色に染める風景は、もはや馴染み深いものになっている。



そのセイヨウカラシナの花畑越しに社殿を見る。
背後の常緑樹の杜は鬱蒼としていて、手前の華やかさとは対照的だ。



明るく長閑な参道から、アカガシや杉の大木が聳える杜に足を踏み入れると、一気に神社らしい雰囲気になる。



再び鳥居。
その先には、小さな山里の小さな神社にしては立派な瑞垣が見えている。







鳥居と瑞垣の間に湛えられた空気にはえも言われぬものがある。



そして瑞垣の中に佇む本殿。





簡素な神明造が美しい佇まいを見せる。
ここで、今年初めて見るスズメバチ。
季節柄、特に威嚇する様子も無く、暫くで飛び去っていった。



本殿左手から伸びる小道を辿れば、ひっそりと境内社。



決して広くはない境内だが、こういった小道があると、奥行きや広がりが感じられる。
また、ここは元々は弁才天宮であったらしく、水に関わる神様でもあるからか小さな池が二つある。



絵馬殿(?)から神社入り口方向を望む。


2万5千分1地形図 法貴
撮影日時 100507 8時~9時10分

駐車場 参道入り口付近が広くなっているが、消防団の車庫があるので決して邪魔にならない位置に。
地図


太歳神社

2010年05月11日 | 大阪府
大阪府豊能郡豊能町牧


大阪府の神社を掲載するのは久しぶりだ。
「雑多な写真」で掲載したものを除けば、まだたったの二社しか掲載していないし、これからもあまり行く予定は無いのだけれど、豊能郡に関しては、我が家から行きやすい山里ではあるし、普段からよく車で通る地域でもある。
ここへは三年ほど前にも訪れていて、そのときは晴れた日の午後で、写真が気に入らずそのままになっていたから、今回は雨の日の早朝に行ってみた。
が・・・前の方が良かったかも知れない、と思いつつ、とりあえず掲載。
ここの撮影は、たぶん夏の曇天の午後がいいと思う。

太歳神社は「おおとし」である。普通は「大歳」であるが、何故かここは「太」の字が使われている。
広島県にも太歳神社というのがあって、こちらは「ださい」と読むそうだ。とある漫画に出てくる神社のモデルになっているとかで有名らしいが、こちらの太歳神社は地元の人しか知らないような場所である。



地形図で見ると、神社入り口は北西側にあるかと思ったが、実際は南東側で、けっこう参道が長い。
ただ、集落からも神社へ行ける道があるので、この参道はあまり使われていないのかも知れない。前回も鳥居前は少し雑草が茂っている状態だった。



鳥居の先の二本の大木、そして奥深い参道には、ちょっと意表を突かれる。
初めて訪れたときには、いつも走っていた国道のすぐそばに、こんな場所があったのか、と驚いた。



樹齢は300年とのことで、巨杉と呼ぶにはまだ歳月がかかりそうだが、なかなか立派な木である。
前回も思ったけれど、右側の木の、樹皮に描かれた模様がちょっと不気味。



左は間伐されていない貧弱で暗い杉林、右は雑木で、ちょっと雑然とした印象の参道。
ここは夏に来ると、参道のコンクリートが苔に覆われる。



やがて社殿が見えてくる。
上りきったところで、道は左右に分かれていて、右に行けば集落の方へ続いている。



参道とは逆に、境内は明る過ぎるくらいなのだが、今日は雨なので落ち着いた雰囲気だ。



境内社の稲荷神社の横から社殿を見る。









本殿も思いのほか立派なもので、ここでも意表を突かれる。
広い境内の端っこの方は雑草が茂っているところもあるが、さすがに本殿周りは綺麗に保たれている。



集落方向への道を下っていくと、こんな場所に出る。
境内社といえるかどうか判らないが何やら祠があって、その前には貯水槽のようなものが見える。



実はここは集落の水源地で、写真左奥に水の湧き出している場所がある。
つまりここは昔から泉として大事な場所で、だから祠があるのだろう。
飲料水は左奥の場所から取水しているので決して手を洗ったりしないよう。
手前に写っている水を溜めている場所は余り水のようで、夏の暑い日、「ここやったら足を浸けてもうてもかまへんよ」と地元のおばさんがおっしゃっていた。



奥に見えているのが神社から下ってきている道だ。
正面の岩の辺りからも水が滲み出してきている。
ここは夏は本当に居心地の良いところで、水が冷たいせいか蚊も少なく、木陰が涼しい。



神社から、集落方向とは逆の方にも道が続いていたので進んでみる。
境内にいるときから蛙の合唱が聞こえていたが、春の雨に濡れる里山の風景が広がっていた。


2万5千分1地形図 妙見山
撮影日時 100507 6時~7時20分

駐車場 神社方向への道の分岐点近くで国道の東側が広くなっている。
地図

阿古師神社

2010年05月05日 | 三重県
三重県熊野市甫母町


海の写真を撮ろうと思い、頭に思い浮かんだ幾つかの候補地の中から楯ヶ崎を選んだ。
それなりに名の知られた景勝地で、数年前にその駐車場で車中泊をしたことはあったのだが、楯ヶ崎まで徒歩40分ほどもかかるということで、結局その景観には接していなかった。
また、途中には阿古師神社があって、舟か徒歩でしか辿り着けない場所でもあり、ちょっと興味もあった。
楯ヶ崎も良かったが、民家も車道も無い木々と海だけの環境にある神社は、ことのほか居心地が良く、立ち去りがたい魅力があった。

駐車場から遊歩道に入り、急な下り坂を降りる。
よく整備された道で迷う心配もなく、20分ほども歩けば阿古師神社に着く。
日差しとコントラストが強いので、神社をゆっくり撮影するのは後にして、まずは楯ヶ崎へ向かう。
途中で道が分岐するが、どちらを選んでも楯ヶ崎へ行けるようなので、取り敢えずは右の道を進む。


道中は海岸沿いとはいっても概ね樹林帯で、神社も海に面してはいても狭い入り江だった。
ここで一気に視界が開け、太平洋の大海原が眼前に開けるので、とても眩しく感じられる。
ここは千畳敷と呼ばれる場所で、灯台付近から楯ヶ崎の手前まで、なだらかな傾斜の岩場が続いている。



振り返れば、白い灯台が青空に映えていた。



海面は黒くさえ思える濃い青色だが、岩に波が砕けて光と溶け合うと、ドキッとするような鮮やかな青色が現れる。



のんびり岩場を進むと楯ヶ崎が見えてくる。
なだらかな千畳敷とは対照的に、柱状節理の岩が屹立している。
ここは伊勢と熊野のほぼ境目で、熊野大神と伊勢大神が、楯ヶ崎を眺めながら酒盛りをしたという伝説があるらしい。



風が強いわりには波は穏やかだ。
豪快な波飛沫を期待していたのだが・・・。



少し雲が広がりだし、雲間から差し込む光が海を輝かせる。
夕暮れの楯ヶ崎を撮るつもりでいるが、まだまだ時間がある。
とは言え、けっこう日は傾いたので、一旦は神社へ戻ることにする。







日が傾けば、木々も表情が豊かになる。
ヤブツバキ、カゴノキ、クスノキ、ウバメガシなど、海岸部に多い暖地性の木々たちが、独特の樹形を見せる。



鳥居前のコンクリート敷は、道ではなく船着場である。
寝転んで空を見上げ、静かな波音を聞いていると、微睡んでしまいそうなほど心地よい。



境内から鳥居方向を見れば、ここが海に面していることがよく判る。
二木島湾を挟んだ対岸には室古神社があり、こことは深い繋がりを持っていて、
神武東征軍が熊野灘で難破した際、犠牲になった神武天皇の兄である稲飯命を室古神社に、その弟の三毛入野命を阿古師神社に祀ったのが起源とされている。
対岸に目を凝らしてみたが、左手から伸びる岬が邪魔になっているらしく見えないようだ。



目の前の海は砂浜などは無いが、透明度が高く、見ているだけで楽しい。
どうも私は、滝でも海でも、その水に触れられる環境でないとダメなようで、先程の楯ヶ崎にしても、景観は優れていても気軽に海に触れられないのが気に入らない。
実際に水に触れて遊ぶわけでもないけれど、とにかく手に届く場所に水があるだけで、楽しさや居心地の良さが倍加する。



境内の木々たちを見る。
もともと暖地性の木々は動物的というか躍動的というか、動きの感じられる樹形をしたものが多いが、ここは更に特徴的で、今にも動き出しそうな気さえする。





木の間越しに本殿を見れば、海辺らしい木の表情でありながらも、どこか深い山奥のような気配。



拝殿と本殿。
クリーム色の社殿は、南紀ではよく見かけるものだ。



さて、夕焼けを狙って楯ヶ崎へと戻る。



空を見上げれば、その立体感に暫し見入ってしまう。
都会では、空の色も雲も、もっとぼんやりしていることが多くて、この空の深さには吸い込まれそうな気分だ。



千畳敷から見て楯ヶ崎は東にあるので、西からの残照に浮かび上がる景色を期待していたのだが、ただのシルエットになってしまった。



西の方を見ても、派手な夕焼けになる様子は無い。
ただ、夕暮れらしい優しさが満ちてきた。



波が穏やかなので、スローシャッターでの撮影も中途半端な感じに・・・。



夕暮れの余韻と夜の訪れ。
風が冷たくなってきたので、そろそろ来た道を引き返すことにする。

で、40分の道のりということは、当然闇夜の中を歩くことになる。
懐中電灯を持って、時おり月明かりの差し込む樹林帯を歩いていると、動物の足音が聞こえてきたりする。
狭い岬ではあっても、ちゃんと生き物たちの営みがあるのだなぁ、などと思いながら黙々と歩く。
やがて、今日、三度目の阿古師神社。


月明かりに鳥居がぼぉーっと浮かび、その奥で社殿の屋根が白く輝いている。
再び船着場に寝転んで、今度は夜空に流れる雲を暫く眺めることにした。


2万5千分1地形図 賀田
撮影日時 100326 14時半~19時20分

駐車場 あり
地図