京都府南丹市美山町下
京都府は全国的にみても滝の少ない地域であるが、この美山町辺りは例外で、それなりの数の滝が存在する。
といっても、地質によるものか、あまり滝姿に惹かれるものが見当たらない。
そんな中で、この不動の滝は美しい滝姿とは思えなかったものの、ちょっと面白そうだな、と興味をそそられた。
ネット上での写真を参考にしたわけだが、そこから、こういう風に撮ればこんな写真が撮れるかも、という想像がどんどん膨らむタイプの滝だった。
場所は前回紹介した知井八幡神社のある北集落から、ほぼ真北に1.5キロメートルほどの山中だ。
つまり、茅葺集落の背後の山を越えたところである。
北集落から上流に向かって由良川沿いを進み、暫くで知見方面への道に入る。
すぐに杉波谷川沿いの道が分岐するのでそちらに進む。
舗装されているのは最初だけで、人家が途切れる辺りから未舗装の林道となる。
いくつかのサイトで、普通車でも問題なく通れると書いてあったが、出来れば未舗装の道は走りたくない。
ゲートのある広い場所があったので、ここに駐車して歩こうか、と思いつつも、そのまま車を奥に進める。
と、林道を塞ぐ形でトラックが停まっており、伐り出した木の積み込み作業が行われていた。
若いお兄さんとお年寄りのコンビで、親子かも知れない。
「ここから滝まで歩いたらどれくらいかかりますか?」
「もうちょっと待ってもうたら車どけるけど、その車でいけるか?」
やはり無理なのか・・・。
お兄さんの方は滝の存在を知らないらしく、お年寄りに時間を訊ねる。
「半時間ほどや」
「じゃあ歩いていきますんでゲートのところに車とめさしてもらっていいですか?」
「ああ、ええよ」
ということで、車を数百メートルバックさせ、ゲート前の広場に駐車する。
歩き出して、再び彼等の前まで来たので、
「このへん、ヤマヒルはいますか?」
と訊ねてみる。
「ヤマヒルなんかじっとしとったらついてきよるけど動き回っとったらなんでもあらへん」
事も無げに答える老人。
「熊は出ませんよね?」
「それは何とも言われへんなぁ」
楽しげに答えるお兄さん。
・・・まあ、今さら引き返す気も無いし、先に進むことにしよう。
「じゃあ行ってきます」
「はい気ィつけて」
あまり楽しくはない筈の林道歩きが、お二人のお陰で軽快な気分で歩けた。
林道自体は荒れているわけでもなく、私の車でも走れそうではあったが、それなりに荒い石もあったので、徒歩で良かったと思う。
滝への山道の分岐までちょうど15分。
橋で対岸に渡り、杉林の中、九十九折の急登を息を切らしながら進む。
登りきった峠状のところに祠がある。
判りにくいが、右手の木の間にも祠の屋根が見えている。
流れの音が遥か下から聞こえてくる。
こういうルートで道がつけられているということは、谷沿いには通過困難な場所があるということだろうと左下の谷間を注視して進むと、木の間越しに二つ三つの滝が見えた。
けっこう良さそうな滝で近くまで降りたかったが、ロープでも無ければ無理そうだ。
道が流れのそばまで降りてくると谷の合流点に着く。
真っ直ぐ進むのが本流で、左手(右岸)から流れ込む支流の方に不動の滝がある。
ここでも橋を渡る。
人家から離れた山深い場所なのに、随分と整備された道だ。
支流に入ってすぐに、岩とその上に載せられた石灯籠が見えてくる。
既に滝音は聞こえていて、この先を右に回り込めば滝が見える筈だ。
見えてきた。
一番最初の見える瞬間というものは、いつも胸が高鳴る。
名前の通り信仰の滝であるが、ちょっと変わった形状をしている。
右側の岩が覆い被さるような感じに見えるが、水流によって削られたものであろう。
落ち口付近では右側の方が低く、明らかにかつてはそちらが流れの中心であったようだ。
つまり、暗い岩の裂け目のようなところを樋状に流れる滝だったわけで、それが美しいかどうかはともかく、奇瀑と言っていい形状だったに違いない。
落ち口の辺りには岩が挟まっており、たぶん、そこに土砂なども堆積して流れが堰き止められ、現在の姿になったと思われる。
水量は多過ぎず少な過ぎず、この滝としての理想的な量だと思う。
前夜から今朝にかけての程よい雨量が幸いした。
端正な姿という表現とは、ある意味対極にあるような姿で、決して美瀑とはいえないのだが、それ故に見る角度や切り取る場所によって、全く違う滝であるかのような多彩な表情を見せてくれる。
右側から迫り出してくるかのような岩も面白いし、滝の間の鮮やかな緑もいいし、繊細で複雑な水の流れも見ていて飽きない。
高さは10メートルそこそこだが、切り取り方によっては意外と迫力もある。
滝の右手には祠。
供えられていた花はドライフラワー状になって、萎れているのに鮮やかを保っていた。
祠の前から滝を見る。
左奥から小さな支流が流れ込んでいる。
反対側の滝の左手には不動三尊。
人里からは離れているけれど、ずっと信仰の場とされてきたのだろう。
この滝、迫力ある岩ばかりでなく、滝下部の岩の表情がまた面白い。
実はここに来る途中に見かけた滝にも、遠目ながら同じような岩の表情が見られた。
なかなか面白い造形だ。
黄色い葉っぱが、いいアクセントになってくれた。
滝壺は浅いが、ここも葉っぱが秋らしさを見せてくれた。
紅葉はまだ先だけれど、一足先に見せてくれる季節感が嬉しい。
周囲は苔生して、ちょっと庭園のようでもある。
羊歯も苔も目に楽しい。
とにかく撮っていて飽きないので、この時点で撮り始めから2時間が経過していた。
そのお陰で、ずっと曇っていた空から太陽が顔を出した。
先述したように、これを見れば本来の水の流れは右側だったことが判ると思う。
やがて滝身にも日の光が。
太陽が出ても、またすぐに翳ってを繰り返す。
粘って粘って粘って、似たような写真ばかりを何枚も。
粘りつつも動き回るので、撮影は忙しい。
岩もまた、光を浴びて違った表情になる。
太陽の角度が変わって、優しい光になった。
優しい木漏れ日を見て、名残惜しいが帰ることにする。
帰りに林道まで出て、谷の合流地点から流れに沿って進んでみた。
途中で見た滝の下まで行けたら、と思ったのだが、すぐに廊下状になり先へ進めなかった。
今日はリュックですらないので、いつか出直してこようと思う。
2万5千分1地形図
撮影日時 111006 8時20分~11時20分
駐車場 滝への山道の分岐点付近駐車可
地図
京都府南丹市美山町北
美山町の北集落は「かやぶきの里」として知られている。
私が初めて訪れたのは小学校6年生のときのことで、当時、幼いながらも目を見張った記憶がある。
再訪はずっと間が開いて、今から7,8年前のことで、あのときの風景がどの程度残っているだろうか、と思いながら訪ねてみた。
小学生の頃の記憶はイメージのようなもので、はっきりとしたものではないのだが、大きく風景が損なわれている様子は無かった。
ただ、当時は「かやぶきの里」として知られた場所ではなかったように思うし、駐車場なんかも無かった。
山に溶け込むように、のんびりと、あるがままの風景としてそこにあった。
だが、再訪したその頃には平日でも観光客が多く訪れ、駐車場には観光バスも出入りしていた。
集落そのものの風景はあまり変わっていなくても、何か違和感を感じた。
あるがままの風景だったものが、どこか人目を意識した風景のように感じられたのだ。
それからは、私にとってはあまり魅力的な場所に感じられなくなった。
知井八幡神社は、そんな北集落にある。
周辺の中心的神社で、山里の神社としては規模のあるほうだろうが、観光客が立ち寄る対象にしている様子はない。
今回、美山町にある滝へ行く目的があって、ちょっとついでのような感じになったが立ち寄ってみることにした。
集落前の駐車場に着いたのが5時過ぎ。
まだ暗く、雨が降り続いている。
予報では夜のうちに止む筈だったのだがと、携帯電話で雨雲の様子を確認する。
周辺には「点」ほどの雨雲も表示されておらず、やはり山の天気というのは判らないものだ、などと思う。
外が明るくなってきても雨は止まないので、傘をさして神社に向かう。
といっても、やはりついでというか、集落にもカメラを向ける。
終わりかけのヒガンバナとソバの花が雨に濡れている。
もう少し早い時期に来れば良かったかなぁとも思う。
こんなことを考えるのはヘンかも知れないが、私はこういう集落を撮るのはちょっと抵抗がある。
ここは生活の場なのだし、暮らしている人にとって、度々カメラを向けられるのは気詰まりなのではないかと思ってしまうのだ。
だから少し離れた府道付近からのみにして、集落内では撮影を控えることにする。
集落を抜けて階段を上ると鳥居前。
お祭りが近いのだろうか、沢山の幟がはためいている。
振り返れば、雨に煙る山と集落が望める。
鳥居をくぐるとすぐに神門。
拝殿には御神輿が置かれている。
やはりお祭りが近いのだろう。
木々は決して鬱蒼という感じではないが、それなりに大きなものが境内を囲むように聳えている。
大木の切り株も幾つかあって、それを覆う苔が雨に打たれて嬉しそうだ。
こっちは傘をさしながらの撮影で大変である。
本殿は中心的な神社だけあって、なかなか立派なもの。
本殿右手には御神木がある。
私が好きな、緑の深い鬱蒼とした神社ではないので、撮影場所が少ないだろうと思っていたが、この本殿には撮影欲が掻き立てられた。
彫刻にも惹かれるし、光線状態が近距離撮影に相応しい状態に思える。
思った通り、アップで撮った彫刻は、光と影を纏って美しく浮かび上がる。
ちょっと息をひそめてしまうような気配。
目、というより、眼差し、を思わせる表情。
心惹かれる彫刻であったが、彫師は不明だという。
こういう光線状態のときは、足元のシダ一つをとっても絵になるような気がする。
雨が上がって、空も明るくなってきた。
参道から見た社務所。
来たときよりも緑が鮮やかになった。
畳んだ傘を手に、やや軽くなった足取りで神社を出ることにする。
府道から神社を見る。
明るくなって、茅葺の柔らかい雰囲気が感じられるようになってきた。
府道横を流れる由良川にも、朝の陽が射してきた。
茅葺集落と神社彫刻と雨上がりの朝の気配。それらが味わえて、何だか贅沢な気分になれた。
2万5千分1地形図
撮影日時 111006 6時10分~7時30分
駐車場 府道沿いに観光客用のものがある
地図
右岸にあるトラロープを使って、ずるずると滑る湿った斜面を登る。
滝とほぼ同じくらいの高さまで登ると、今度は上流方向に向かう踏跡を辿る。
急な斜面を横切るわけだから足を滑らせると危険だが、ここも斜面に沿ってトラロープが張られている。
滝の上流に降り立つと、流れの両岸の岩が少し立って谷歩きらしい雰囲気になるが、それも僅かですぐに滝が見えてくる。
たぶんこれが最後の滝なのだろうが、最後の最後で来て良かったと思わせてくれた。
周りには枯れ枝など、風景としては目障りなものも多く写真にしにくい感じなのだが、滝の落ち口付近から差し込んできた太陽の光が余分なものを陰にしてくれた。
思いの外、幻想的な姿を見せてくれる。
それに、表情も多彩だ。
光の加減でイメージがだいぶ変わりそうな滝だけれど、いい瞬間に出逢えたように思う。
それに、滝前は行き止まり感のある狭い空間で、深い山中の谷底にいるような、不思議な心地よさがある。
普通なら、暗くて狭くて陰鬱と感じるかも知れないが・・・。
さて、雰囲気を満喫したので、元来た道を帰ることにする。
太陽が高くなって往きとは谷の表情も違っているが、ちょっとだけ渓谷らしい姿も見られた。
ここで左岸に合流してくる支谷があるのだが、こちらにも滝があるらしいので少し遡ってみる。
こちらも道らしい道は無いものの、短い距離で滝に辿り着く。
わりと大きな滝で表情も豊かそうに思えるのだが何故か惹かれない。
他の滝にも言えることだけど、周囲が雑然とした滝が多く絵になりにくい。
植生も貧弱で、やや荒れた雰囲気もある。
光の加減次第では、もっと美しくなりそうな気もするが。
分岐点まで戻り、時おり日の差し込む谷を下る。
最初の滝まで戻ってくると、太陽が滝を往きとは全く違う姿にしていた。
薄暗くて幽玄な姿もいいけれど、日の光で輝く滝も神々しいような美しさがある。
祠の前まで戻ってくると、三脚を持ったおじいさんに出逢う。
私の姿を見て「何の写真を?」と訊かれたので、「滝の写真を」と答える。
そこからおじいさんの滝の話が止まらなくなった。
紀伊半島の雨の被害を嘆き、どこそこの滝はいいとかつまらないとか、和歌山の桑の木の滝で遭難し、6日ほど山を彷徨った話などなど。
お互いの滝情報を交換し、カメラの話などもしていると、一時間以上が経過してしまった。
おじいさんが滝の写真を撮りに行かれたので、私は祠周辺の写真を帰る前に撮ることにする。
木々が浅いところだと太陽の光が差し込めば風景になりにくいけれど、ここは明るくなっても森の気配がある。
欅の大木の幹にはマメヅタがびっしり。
最後にその欅を見上げてから、車へと戻った。
京都府京都市西京区大原野出灰町
手軽に滝や渓谷の写真を撮るとなると、どうしても琉璃渓になってしまう。
実際、ここでは何度も琉璃渓を掲載しているし、他に近場でこれといった場所も見当たらない。
もっと近い場所に六甲があるが、開発の手が入り込んで水の汚れたところが多く、登山者も多いので行く気になれない。
滝を紹介されているサイトを見て、篠山や亀岡、南丹辺りに適当な場所は無いものかと探してはみるが、撮りに行きたくなるような魅力ある滝は見当たらない。
こういったサイトにもあまり紹介されていないような滝があるとは思えないものの、とりあえず地形図で滝がありそうな場所を探してみる。
と、意外な場所で気になる地形が見つかった。
丹波どころかもっと街に近い、高槻市と京都市西京区のほぼ境、ハイキング等で有名なポンポン山から流れ出す谷だ。
谷自体は小さく、地形図には滝記号どころか水線すら描かれていないが、それなりに集水面積はあり、ほぼ間違いなく滝があると思える地形だ。
改めて調べてみると、山登りをする人のサイト、それから滝を紹介されているサイトでも、掲載されているところが見つかった。
とはいえ、基本的にはあまり知られていない場所のようであるし、ポンポン山自体はハイカーで賑わうところではあっても、この不動谷は一般的なルートでは無いようだ。
滝は五つほどあるようで、そんなに惹かれるものでも無かったが、こういう「こんなところに」、という存在は、少々つまらなそうでも行ってみたくなる。
芥川沿いの道から、出灰川沿いの狭い道に入る。
すぐに高槻市出灰の集落で、ここにはずっと以前に紹介した素盞鳴神社がある。
そこから暫くで、右手に出灰不動尊の看板が見えてくる。
いちおう駐車場はあるが、軽自動車以外は入りにくそうだし、私の車だと腹を擦りそうなので、400メートルくらい手前の道の広くなっているところに駐車した。
徒歩で不動尊入り口まで戻り、出灰川を渡る。
この辺りは出灰川が府境になっているので、橋を渡れば京都府だ。
不動谷沿いのよく整備された山道を登っていくとすぐに不動尊に着く。
勝手な思い込みで、比較的新しい信仰の場所という気がしていたのだが、案の定、見えてきた建物は何の風情も無いもので、そこに置かれている不動明王像なども全く風化のしていない綺麗なものだ。
まあ滝が目的だしいいけれど、と、前方に目をやると、そこに広がる気配にちょっと息を飲んだ。
鳥居と拝殿(?)らしき建物があって、その奥には祠と二本の大木が聳えていた。
右の大木は欅、左の注連縄の巻かれているものは杉である。
事前に調べたときに、ここの写真も見ていたのだが、そのときは気付けなかった空気が満ちていて、この風景に接することが出来ただけで来て良かったと思った。
思いのほか古くから、信仰の場としてこの地はあるようだ。
何だかここだけで満足してしまい、滝がどうでもよくなってきた。
最初は全部の滝を見るつもりだったが、適当なところで切り上げようなんて気持ちになる。
とりあえず、流れに沿った道を進むことにする。
僅かな距離で木橋があって、その先に滝が現れる。
西向きの谷間はまだ朝日が入らず、予想外に暗い。
オートフォーカスが使えず、マニュアルに切り替えるがファインダーも暗くてピント合わせに苦労する。
というかピンボケだ。
先日の台風の影響で、普段の倍くらいの水量だろうか。
水飛沫も凄いので、レンズが水滴ですぐ濡れてしまい、落ち着いて写真を撮ることも出来ない。
滝の手前、左側から登っていく道を進み、あまり気合いの入らないまま次の滝へ。
更に道があるような無いようなところを進んで三つ目の滝。
どれも水量が多すぎるので写真にしにくい。
それに、滝はあっても渓谷としての美しさは無いので気持ちも高ぶらない。
渓谷というものは(渓谷の定義にもよるが)、岩盤質の山でないと発達しないものであると思うが、ここは谷の両岸がぐずぐずと崩れやすい土の斜面だ。
従って滝壺や淵も発達しない。
深い淵の澱み、岩を滑る急流、そして滝、それらが揃わないと、渓谷とはいえないと思うし、水の美しさは発揮されないと思う。
少し足を濡らしてしまったりしながら、惰性でこの滝に辿り着く。
落差はこの谷最大だろうか。
大きく見れば二段、細かく見れば三段で、一段目と三段目の間から撮ったもの。
二段目から三段目へと流れ落ちていく様子。
もう少し岩の表情が出せれば良かったのだが。
さて、ここから先はどう進むのだろうか。
もともと道といえるほど明確なものは無かったが、かといってここは適当に進める地形ではない。
一段目は傾斜も緩く手がかりも多そうなので、ずぶ濡れ覚悟なら滝身を登っていけそうにも思えるが、もとよりそんな気合いは無いし、もうこの辺りで引き返そうかとも思う。
と、戻りかけたところで、右岸の斜面に垂れ下がっているトラロープが見えた。
見つけてしまったからには先に進むしかない。
気勢の上がらないまま、恐らくは最後であろう次の滝を目指す。
2万5千分1地形図
撮影日時 110923 7時40分~8時30分
駐車場 あり
地図