神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

若山神社

2015年12月26日 | 大阪府

大阪府三島郡島本町広瀬


9月に、ここと同じ島本町にある椎尾神社を掲載したが、その際、もう一社立ち寄るつもりで取り止めたことを書いた。
ここがそのもう一社で、あの後すぐにでも行くつもりであったのに、何となく後回しになってしまい、今頃になってやっと訪ねることになった。

この神社は、例によって地形図を見ていて気になった場所で、そこに記されているかなりの長さの参道が興味を引いた。
とはいえ、大阪の近郊で、付近には団地も建ち並んでいる。
あまり期待せずにネットで検索すると、思いのほか緑深い写真が出てきて、いずれ行かねばと思わされたのだが、一度きっかけを逃すと、何故か次の機会はなかなかやってこない。
行こうと思えばいつでも行ける近場だけに、気合も入らず、いつしか12月も後半に入っていた。

雨上がりの朝というのは絶好の撮影日和だ。
ちょうど休日だったので若山神社に行こうと思い立つ。
急いで準備を済ませ、まだ薄暗いうちに家を出る。
島本駅に降り立ったのが7時半頃。
山の方を見ると、水蒸気が立ち上って、雨上がりの朝ならではの風景になっている。
一人、駅に向かう通勤の人達とは逆方向に歩く。
右手に団地を見ながら緩い坂道を上る。
途中に若山神社の看板が幾つかあり、地図からも想像出来る通り、それなりに大きな神社なのだな、と思う。
宅地から離れ、ややキツイ上り坂のカーブを過ぎると若山神社が見えてくる。



予想通りに雨上がりの風情を湛えた風景と、予想以上の雰囲気を湛えた参道に気分が高揚する。






ちょっと目障りなものも入ってしまうが、右に左にと移動して写真を撮る。



参道右には、本殿そばへと続くコンクリートで舗装された車道があるが、さして風景を損なうものではない。



天気や、車道が作られてから歳月を経ているからでもあるが、シイの大木や竹林の存在が大きい。
ここの社叢はツブラジイの大木が多く、大阪府の天然記念物になっている。



参道を振り返る。



雨上がりに来て良かったと思える。
ただ、ここはどんな天気でも素敵な風景になりそうである。



鳥居へ近付けば、その気配は深山であるかのようだ。
これも天気の効用によるところが大きいかも知れないけれど、本当にここが、京阪間の駅から僅か1.5キロの場所なのだろうかと疑いたくなる。



何より、樹相が見事だ。
これだけの杜を形成する神社は、山間部でもそうは無い。



実のところ、ほんの少しでも紅葉が残っていれば、なんて淡い期待をしていた。
でも、そんなことはどうでもよくなってきた。



鳥居の奥も、木々は深く、豊かな表情を見せる。



深い参道も終わりに近付く。
小さなモミジの木が、何とか色を保っていた。



常緑樹が優勢な杜の中で、それは充分に目を楽しませてくれた。



参道を上りきれば、これまでとは打って変わって平坦な開けた空間に出る。
鬱蒼とした空間が好きではあるが、ズラリと並ぶ摂末社が壮観でもある。



この辺りから、地元の方が次々と参拝に来られる。
やはり深山とは違うし、東側は展望が開けて、街並みの広がりが望める。
ここからは木津川、宇治川、桂川の三川合流地点が見えるらしいが、霧に隠されてしまっている。



これまでの風景からすると、やや平凡な拝殿に辿り着く。
それでも、地元の人が憩う陽の当たる心地よい場所だ。
顔見知りの方々の挨拶が行き交って、ちょっと居心地が悪いが、私にも声をかけて下さる方がいて、そそくさと立ち去る気分にならないのがいい。
紅葉の時期には少し遅かったこと、桜の木が多いから、春には美しいことを聞いて、また来ようと思わせてもらった。
本殿は横から少し見えるだけなので写真は撮らずに、更に奥へと続く道を進んでみる。
これは麓へと続く車道の筈だが、何やら期待めいたものがある。



その車道から左に分れる小道があって、そこにお稲荷さんの世界が広がっていた。



妖しくも美しい空間だ。



霧が流れてきて、またどこか深い山中にいるかのように錯覚させる。
こちらの小道に入ってくる人は殆どいないようで、本殿付近のような賑わいもなく静かだ。



何かがひっそりと息づいているような、そんな場所だ。



小道はまだ奥へと続いているようなので進んでみる。
左手には何か文字の刻まれた岩が次々と現れる。



山腹をトラバースしていた小道は、やがて小さな谷間に出る。
ここも山奥のような雰囲気だが、よく見れば砂防ダムがあって、ちょっと興醒めする。



右上に見えている壁が砂防ダムだ。
ここで終点かと思ったら、くの字に折れて斜面を上っていく道が続いている。



道は砂防ダムの上に出たところで終わっており、ここが終点のようだ。
足を滑らせると少し危険なところもあり、一般の人はここまで来ることはあまり無いのだろう。



来た道を引き返す。



本殿の方へ戻って、小烏神社という摂社に向かうつもりだったが、麓へと続いている車道がちょっといい雰囲気で惹かれる。
そういえば、本殿付近で地元の方達の会話の中に、「もう二周目やで」というものがあったが、参道を上ってこの車道を下り、また参道を、ということだったのだろう。
参拝は、散歩や健康のためのウォーキングを兼ねているらしい。



それはともかく、この車道、捨て難い味わいがあって、参道を往復するよりも、ぐるっと一周する方が楽しめる。



雨と秋の余韻が路面にある。






左の斜面の向こうは平野が広がっているから、竹林がそちらからの強風などを防いで、右にあるカシやシイの杜を守っているのかも知れない。



四季と天気と時間。
私も地元の人間ならば、その時時に見せてくれる表情を見に、何度も訪れ、何周もするだろう。



静かに心が浮き立つ。



センスがあるなら、なにか歌でも詠みたい気分だ。



参道と合流するところで振り返る。



右上には、先ほど見た鳥居がある。



もう一度、鳥居の正面に立ち、改めて杜の深さに見入る。
電柱や電線が目障りではあるが。



小烏神社に向かうため、再び参道を進む。
この鳥居をくぐって少し進んだ辺りで、左に小烏神社への参道が岐れる。



また霧が流れてきて、電柱さえ無ければ深山の趣になる。



本当にここは大阪で、本当にここは、たった標高150mほどの場所なのかと思う。




木々も、くすんだ朱色の鳥居も美しくて、見入る、というより魅入られる。






若山神社への参道に比べれば、随分と歩く人は少ないようで、時間と空間を独り占め出来る。



拝殿と木々。






鳥居も社殿も、やや傷んでいるけれど、心地いい。



道は更に続いて、若山神社への参道に繋がっている。
そこから、小烏神社の鳥居を見る。



振り返れば、小烏神社の屋根にはブルーシートが掛けられていて、やはりちょっと傷んでいるようだ。



小烏神社の参道は、この場所に合流する。
再び若山神社の本殿前を通る。
8時半頃に地元の人が訪れることが多いようで、10時前の今は静かになっている。
また来ようと思いつつ、次の目的地に向かう。


今年最後の更新です。
見に来られた方に感謝です。
今年は随分と手抜きになってしまいましたが、最後に割といい写真が撮れたので良かったです。
良いお年を。


撮影日時 151224 7時50分~9時40分
地図


椎尾神社

2015年09月15日 | 大阪府

大阪府三島郡島本町山崎


大枝稲荷神社の次の目的地は、近隣の神社ではないので電車で移動する。
往きに下車したJRの桂川駅まで戻らず、600mほど手前の阪急洛西口駅から乗車する。
行き先は、サントリーの蒸留所で有名な山崎にある神社だから、JRで山崎駅まで行ってもいいのだが、阪急の大山崎駅で下車しても200mほど歩く距離が長くなるだけなので、差し引き400mほど短くて済む。

大阪府の神社に行くのは5年ぶりくらいだ。
そもそも、大阪府の神社に行くこと自体が珍しい。
車を手放したので市街地から遠く離れた場所は尚更行きにくくなったし、ますます大阪の神社は疎遠になるかと思ったが、歩行者の視点で地図を眺めてみれば、それはそれで良さそうな神社が見つかるものだ。

大山崎駅で降りて、サントリーの蒸留所方面に向かう。
最近は海外にもその名を広く知られるようになったからだろう、見学者らしき外国人のグループを二組ほど見かける。
それはともかく、恥ずかしながら私は、「山崎」という地名は京都府大山崎町にあるのだと思っていた。
JRの山崎駅も京都府側にある。
ところがサントリーの山崎蒸留所は府境を越えて大阪府側にある。
改めて地図を見てみると、蒸留所は大阪府島本町山崎にあり、JR山崎駅は京都府大山崎町大山崎にあるという、少しややこしいことになっていた。



JRの線路を踏切で渡ると、すぐにサントリーの蒸留所。
道路の両側にサントリーの建物が並び、まるでサントリーの敷地内に入っていく道路のように見える。
関係者や見学者でもない限り入るのをちょっと躊躇いそうになるが、地図を見れば道路の先に保育園や老人ホームがあるし、目指す神社もこの先にあるので、行き交う見学者や作業員を尻目に先へと進む。



道路が直角に右へ折れるところ、進んできた真正面に神社入り口。
一眼で撮っておけばよかった…。



こちらは二の鳥居。



JR山崎駅からは800m、阪急大山崎駅からは1キロ。
もともと天王山が近くまで迫ってきている地域でもあるし、車窓の眺めも緑が多く、京阪間としては長閑なところであるが、それでも駅から僅かな距離で、この雰囲気に接せられるのは嬉しい。



日が翳ると、緑がいっそう深くなる。
ここはヤマブキで知られているらしく、参道両側には沢山のヤマブキが植わっている。
花期の風景も見てみたいものだ。



石段も石垣も、少し苔生して味わい深い。
近くの保育園からか、子供の声が随分と賑やかに聞こえてくるが、都会の喧騒といったものは無い。



拝殿。



ミンミンゼミの声も賑やかだ。
私の住んでいるところではクマゼミばかりなので、ミンミンゼミの声を聞くと懐かしいような気分になる。
子供の頃に住んでいたところではミンミンゼミやアブラゼミが多かったからか、クマゼミでは夏の風情がいまひとつ感じられない。
境内左手には谷川が流れており、せせらぎも聞こえてくるが、護岸されて砂防ダムもあり、風景としては詰まらない。



本殿は覆屋の中で、どんな様子かはあまり見えない。



本殿前から拝殿越しに鳥居方向を見る。



拝殿右側には稲荷神社の鳥居が並ぶ。



手前の艶やかな鳥居もいいが、奥の色褪せて苔の生え出したような鳥居もいい。



境内右側のやや高いところには何やら派手な社殿があって、まるで稲荷神社のように見えるが、弁天堂とのこと。
背後の木々は、なかなか豊かだ。



ここからは、歩いてもう一社訪ねる予定だったが、どうも雲行きが怪しい。
雨雲レーダーを見ると、遠くない場所に雷雲も発生している。
それなりの距離を歩くつもりだから、途中で雨に降られても困るので、今回はここで切り上げることにする。

この日はたった二社しか参拝出来なかったが、どちらも都市近郊にあるとは思えない趣があって、とても満たされた気分になれた。

 
撮影日時 150904 11時半~12時半
地図 


大神宮社

2010年05月18日 | 大阪府
大阪府高槻市中畑


前回に続き、大阪府の神社である。
ここは以前に「雑多な写真7」で一枚だけ画像を掲載しているが、いずれ再訪してきちんと掲載したいと思っていた。
現地は浅く開けた南向きの谷間であり、参道付近は明るく長閑な雰囲気。それでいて社殿周りは大木を含む杜が厳かな気配を包み込んでいて、なかなかに素敵な場所である。
撮影は雨の日だったが、晴れの日にのんびり日向ぼっこをしてみたくなるような環境だ。



石灯籠の立つ場所からコンクリート舗装の参道に入る。
参道沿いには数本の桜があるが当然散っており、八重桜だけがまだ咲いていた。



短い坂を上りきると鳥居が現れる。
モミジと桜の新緑が、雨に濡れて滲むように鮮やかだ。



参道右手は、以前は水田であったと思われる地形だ。黄色く覆っている花はセイヨウカラシナだろうか。
菜の花と勘違いされることも多い帰化植物だが、各地の河川敷を黄色に染める風景は、もはや馴染み深いものになっている。



そのセイヨウカラシナの花畑越しに社殿を見る。
背後の常緑樹の杜は鬱蒼としていて、手前の華やかさとは対照的だ。



明るく長閑な参道から、アカガシや杉の大木が聳える杜に足を踏み入れると、一気に神社らしい雰囲気になる。



再び鳥居。
その先には、小さな山里の小さな神社にしては立派な瑞垣が見えている。







鳥居と瑞垣の間に湛えられた空気にはえも言われぬものがある。



そして瑞垣の中に佇む本殿。





簡素な神明造が美しい佇まいを見せる。
ここで、今年初めて見るスズメバチ。
季節柄、特に威嚇する様子も無く、暫くで飛び去っていった。



本殿左手から伸びる小道を辿れば、ひっそりと境内社。



決して広くはない境内だが、こういった小道があると、奥行きや広がりが感じられる。
また、ここは元々は弁才天宮であったらしく、水に関わる神様でもあるからか小さな池が二つある。



絵馬殿(?)から神社入り口方向を望む。


2万5千分1地形図 法貴
撮影日時 100507 8時~9時10分

駐車場 参道入り口付近が広くなっているが、消防団の車庫があるので決して邪魔にならない位置に。
地図


太歳神社

2010年05月11日 | 大阪府
大阪府豊能郡豊能町牧


大阪府の神社を掲載するのは久しぶりだ。
「雑多な写真」で掲載したものを除けば、まだたったの二社しか掲載していないし、これからもあまり行く予定は無いのだけれど、豊能郡に関しては、我が家から行きやすい山里ではあるし、普段からよく車で通る地域でもある。
ここへは三年ほど前にも訪れていて、そのときは晴れた日の午後で、写真が気に入らずそのままになっていたから、今回は雨の日の早朝に行ってみた。
が・・・前の方が良かったかも知れない、と思いつつ、とりあえず掲載。
ここの撮影は、たぶん夏の曇天の午後がいいと思う。

太歳神社は「おおとし」である。普通は「大歳」であるが、何故かここは「太」の字が使われている。
広島県にも太歳神社というのがあって、こちらは「ださい」と読むそうだ。とある漫画に出てくる神社のモデルになっているとかで有名らしいが、こちらの太歳神社は地元の人しか知らないような場所である。



地形図で見ると、神社入り口は北西側にあるかと思ったが、実際は南東側で、けっこう参道が長い。
ただ、集落からも神社へ行ける道があるので、この参道はあまり使われていないのかも知れない。前回も鳥居前は少し雑草が茂っている状態だった。



鳥居の先の二本の大木、そして奥深い参道には、ちょっと意表を突かれる。
初めて訪れたときには、いつも走っていた国道のすぐそばに、こんな場所があったのか、と驚いた。



樹齢は300年とのことで、巨杉と呼ぶにはまだ歳月がかかりそうだが、なかなか立派な木である。
前回も思ったけれど、右側の木の、樹皮に描かれた模様がちょっと不気味。



左は間伐されていない貧弱で暗い杉林、右は雑木で、ちょっと雑然とした印象の参道。
ここは夏に来ると、参道のコンクリートが苔に覆われる。



やがて社殿が見えてくる。
上りきったところで、道は左右に分かれていて、右に行けば集落の方へ続いている。



参道とは逆に、境内は明る過ぎるくらいなのだが、今日は雨なので落ち着いた雰囲気だ。



境内社の稲荷神社の横から社殿を見る。









本殿も思いのほか立派なもので、ここでも意表を突かれる。
広い境内の端っこの方は雑草が茂っているところもあるが、さすがに本殿周りは綺麗に保たれている。



集落方向への道を下っていくと、こんな場所に出る。
境内社といえるかどうか判らないが何やら祠があって、その前には貯水槽のようなものが見える。



実はここは集落の水源地で、写真左奥に水の湧き出している場所がある。
つまりここは昔から泉として大事な場所で、だから祠があるのだろう。
飲料水は左奥の場所から取水しているので決して手を洗ったりしないよう。
手前に写っている水を溜めている場所は余り水のようで、夏の暑い日、「ここやったら足を浸けてもうてもかまへんよ」と地元のおばさんがおっしゃっていた。



奥に見えているのが神社から下ってきている道だ。
正面の岩の辺りからも水が滲み出してきている。
ここは夏は本当に居心地の良いところで、水が冷たいせいか蚊も少なく、木陰が涼しい。



神社から、集落方向とは逆の方にも道が続いていたので進んでみる。
境内にいるときから蛙の合唱が聞こえていたが、春の雨に濡れる里山の風景が広がっていた。


2万5千分1地形図 妙見山
撮影日時 100507 6時~7時20分

駐車場 神社方向への道の分岐点近くで国道の東側が広くなっている。
地図

素盞鳴神社

2008年04月25日 | 大阪府

大阪府高槻市出灰

出灰の集落は、京都から見れば、ちょうどポンポン山の裏側にあたる。
ポンポン山と言っても他の地方の人には判らないかも知れないけれど、京都周辺のハイカーなどには知られた山で、地形図にもその名は記載されている。
本来は加茂勢山という名前が、山頂付近で足を踏み鳴らせばポンポンと音がすることからポンポン山と呼ばれるようになり、その通称が、いつしか一般的となった。
そんな軽い響きの名称とは逆に、出灰の方は深い響きだ。難読地名のひとつで、「いずりは」と読む。
かつて石灰岩を産出したから「いずるはい」、で、「いずりは」となったのだろうが、そういった地名の響きにも雅なものを感じるのは、ここがかつては京都府だったからかも知れない。
とまあ、例によって神社と関係の無いことを書いたけれど、素盞鳴神社はその出灰の鎮守で、神社そのものよりもカツラの大木で知られている。
高槻市の天然記念物に指定されているが、カツラの大木としては、やや物足りないし、神社も小さいものである。
けれど、谷音響く山峡の地は、ここが大阪であることを忘れさせてくれる。



とは言うものの、小さい神社は被写体としては難しい。
この一枚のみ雰囲気が良く出せたと思うので紹介することにした。
鳥居右手にある木がカツラの大木。


神社左手を流れる谷の対岸から拝殿を見る。


本殿覆屋。

本当は、こういった小さな神社をもっと載せたいのだけど、やはりある程度の規模が無いと絵にするのは難しく・・・。

2万5千分1地形図 法貴
撮影日時 071128 10時前後

地図


樫船神社

2008年02月18日 | 大阪府

大阪府高槻市田能

高槻市の最北端に近い、京都府境に接する場所にある。
大阪も、この辺りまで来ると鄙びた山里の風情があるが、昭和の半ば頃までは京都府だったところで、距離的に見れば、昔は亀岡との結び付きが強かったのも容易に想像出来る。
神社は尾根上にあり、参道は長い。およそ船とは無縁の地にあって、樫船神社の名称は不思議に思われるが、これは、かつて亀岡盆地が湖沼であったことに因むという。
亀岡が湖沼だったのは4世紀頃まで。地名や名称の語源を辿るのは、その場所の、かつての姿を垣間見るようで楽しい。恐らくは樫も多かったのだろう。



急な石段の先に一の鳥居。


尾根上に出て、道がやや平坦になると二の鳥居がある。この辺りは、ひっそりとしていて良い雰囲気だ。


境内は、尾根上にしては広く開けている。
紅葉のピークは少し過ぎているようで、色合いは今ひとつ。


本殿の周りも晩秋の風情。


2万5千分1地形図 法貴(北東)
撮影日時 8時半過ぎ

地図