神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

矢高神社

2017年06月24日 | 奈良県

奈良県吉野郡十津川村内原


前回、屏風岩に一緒に行ったT君が、十津川村に行きたいと言う。
べつに彼は、山や滝が特に好きなわけでもなければ、神社が好きというわけでもないので、なぜ十津川村に行きたいのか訊ねてみても、「何となく…」という漠然とした答しか返ってこない。
ただまあ、田舎の風景自体は好きなようだし、今まで神社や滝にも同行してもらっているから、今回も私の好みで適当に十津川村を周ってみることにした。

木造校舎の廃校に立ち寄ったり、廃集落を訪ねたりしつつ、「日本の滝百選」の一つである、笹の滝への道に入る。
笹の滝は、以前このブログでも紹介したことがあって、その時、途中にある矢高神社も併せて紹介した。
今回も併せて掲載しようと思うが、前回とは逆に、神社の方をタイトルにした。

公衆トイレのある広い場所に駐車。
その横から川の方へ向かう道を進めば、すぐに神社前。



前回の日付を確認してみると、2008年の9月だった。
9年近い歳月を経ているとは思えないほど、印象は変わらない。



鳥居の向こうでT君が寛いでいる。
光が柔らかく、緑が優しい。






前回と似た天気のせいもあるが、やはりここは寛げる空間だ。






社殿の印象も前回と変わらず。
簡素で、この空間に似つかわしい。



見ての通り、境内は狭いので、撮る場所も限られてはいるが───









こんな風に、少し角度を変えたり、光の加減が変わった瞬間を撮ってみたくなる場所は、私にとって素敵な場所であると言える。



公衆トイレのところから、笹の滝方面に僅かに進むと吊橋がある。
奥里という集落へと続く道で、現在は更に上流側から車道が通じているが、昔はこの吊橋を渡って山道を辿ったようだ。
何となく集落まで歩いてみた。
特に面白いわけでは無かったが、今も使われているのか荒れておらず、所々、石を積んで補強されていたりして、いかにも昔の生活道路といった感じがした。
T君は高いところが苦手なので、往きも帰りも吊橋の上から下を流れる滝川に目を向けないし、大人二人が渡るとかなり揺れて、私などはそれも楽しいと思ったりするけれど、目障りな両脇のネットが無ければ、私も足が竦んだかも知れない。



吊橋の手前から、滝川へと下っていく道があるので辿ってみる。
実は、吊橋もこの川辺へも神社より先に来ていて、ここから強引に斜面を登って神社を訪ねた。
その際、木々を掻き分けたりしたので嫌な予感がしていたのたが、神社の境内で手首がこそばくて見てみると、やはりダニが着いていた。
境内は寛げる空間と書いたけれど、実際のところ、他にもダニが着いていないか気になって落ち着けなかった。
家に帰ってから、足首に喰らいついているヤツも見つけてゲンナリしたが、念のために言っておくと、私のように草叢に足を踏み入れたりせず、ただ参拝するだけなら、ダニの被害に遭うことはまず無いと思います。



参拝後は笹の滝へ。
前回も書いたが、「日本の滝百選」とはいえ、あまり好きな滝ではない。



立派な滝壺があって、色んな角度、色んな表情が撮れる滝が理想だから、ほぼ向かって右側からしか撮れないこの滝は、ちょっと退屈である。



光量、水量のせいもあって、シャッタースピードも中途半端なものになる。



ただ、T君の方は、何やら浸っている様子で、その涼しさ、雰囲気を満喫しているなら、来て良かったと思う。



笹の滝を後にして、果無集落に立ち寄る。
「天空の郷」などと呼ばれているのは大袈裟に思うが、尾根上にある集落は見晴らしが良く、青空の下、或いは、雨上がりの靄の立ち込める風景であったなら、それも納得したかも知れない。


撮影日時 170620 12時45分~12時55分(矢高神社のみ)
地図


石上神社

2015年10月17日 | 奈良県

奈良県天理市滝本町


天理市の神社に訪れるのは二回目だ。
天理市は日本で唯一、宗教団体名を市名に冠した自治体で、実際に天理市内を歩いてみれば、宗教都市といっていい雰囲気を強く感じる場所であるが、歴史のある地域でもあるから、当然、神社もたくさんある。

車で高速道路を使えば数十分で行ける天理も、電車だと三回の乗換えと一時間半ほどの時間を費やしてしまう。
天理駅からは商店街を通って、東の山の方に向かって歩き出す。
同じ方向に向かって歩く人が結構いて、長い商店街のアーケードを抜けるまで一緒だったが、左に天理教本部、右に天理大学のあるところを過ぎると、東に向かうのは私だけになった。
市街地を抜け、周囲の雰囲気が長閑になってくる辺りで、右手の方角に石上神宮があるのだが、今回は立ち寄らない。
国宝の拝殿などもあって、相当な規模と歴史を持った神社であるから気にはなるけれど、今日は午後に用事もあるので時間的余裕が無い。
因みに、石上神宮は「いそのかみ」と読み、これから訪ねる石上神社は「いしがみ」である。

国道に出て暫く進むと、左の山へと入っていく狭い車道がある。
桃尾の滝という小さな道標が立っているが、車なら見落としてしまいそうだ。
石上神社は桃尾の滝への途中にあるのでそちらに進む。



車道が明るい場所から木々の間に入っていく辺りで、右に石上神社への参道が岐れる。
直ぐに急な石段が現れて、鳥居を見上げる。



石段を上りきれば、小さな空間があって、その先に拝殿、そして本殿が見える。
もっと鬱蒼としているのかと思っていたが、意外と明るい場所で、コントラストが強くて写真が撮りにくい。



少しだけ陽射しが弱くなると、ふっ、と心地よい静けさに包まれる。



手水は右手の小さな谷川から、竹樋を使って注がれる。



拝殿から本殿。
簡素な拝殿だが、本殿も小さく質素。
でも、心惹かれる佇まいだ。



小さく愛らしい神殿狛犬もいる。



拝殿の左手から、滝への道に出られるのでそちらに進む。



本殿周りは大木と杉や雑木が入り乱れて、やや雑然としているようにも見えるが、それでいてちゃんと調和しているような、何か不思議な美しさを感じる空間だった。

車道に出て、桃尾の滝へ向かうことにする。


撮影日時 151015 11時~11時20分
地図 


安宅神社

2014年05月30日 | 奈良県

奈良県吉野郡十津川村旭


栂ノ本集落を後にし、旭川に沿う道を上流に向かう。
暫くで対岸に渡る橋があって、その先の道端から斜面を登っていく階段が見える。
鳥居は見当たらないが、栂ノ本のお爺さんに教えてもらった神社への行き方には、「橋」「手摺のある階段」という言葉があったので、恐らくあの奥に神社があるのだろう。
橋の手前の少しだけ道が広くなっている場所に駐車して歩き出す。
この辺りは中谷という集落で、旭川最奥の集落でもある。
橋を渡って階段を上るが、参道というわけではないらしく味気ないものである。
階段を上り切ると平坦な道が横切っていて、右に行けば集落、左に行けば神社のようだ。






こんな感じの気持ちの良い小道を進む。
まだ鳥居は見えず、ここも参道というわけではなく、かつての生活道のようだ。
道の脇には石垣が続いていて、民家があったであろう平坦地がある。
紀伊半島でよく見られる風景でもあり、私の好きな風景でもある。
いったい、どんな生活が営まれていたのだろうと想像すると、楽しさと寂寥感が綯い交ぜになって心惹かれる。
写真は、進行方向の光線状態が悪かったので振り返って撮った。



やがて右上に鳥居が見えてくる。
この辺り、地形図には水田の記号があるけれど、今はもう無い。
鳥居への階段を通り過ぎて真っ直ぐ進めば谷川に出る。
地形図には「ミヤ谷」と書かれていて、滝でもあれば写真を撮ろうと思ったのだけど、無粋な砂防ダムが見えたのですぐに引き返した。
「ミヤ谷」は、神社が直ぐ傍にあることから考えて「宮谷」であろう。



神社への階段を上る。
陽はだいぶ西に傾いたようで、栂ノ本で見たような強い陽射しは既に無く、夕暮れが様子を窺うように陰に潜んでいる気がする。



ここも小さな神社ではあるが、栂ノ本の八王子神社と同じくらいの規模で、普通なら地形図に記載される筈なのだけど・・・。






特に目を引くような風景は無いけれど、雰囲気はとてもいい。






傾いた日が少し印象的に陰翳を描いて、それをぼーっと眺めたりして寛ぐ。
立ち寄って良かった。


車に戻り、明日の沢歩きのために更に上流へ向かう。
旭ダムを過ぎると道が悪くなり、路面に落石が転がっていたりするようになる。
私の車ではこれ以上は進めないというところで車中泊することに決める。






付近の風景はこんな感じで、険しい山肌と、広葉樹の豊かな緑が明日を期待させてくれる。
標高は既に700mで、集落から遠く離れた山の真っ只中だ。
この夜、残念ながら星空は楽しめなかったけれど、珍しくビールを一本持参してきたので、それを飲んで山の気に浸れば至福の時である。


撮影日時 140513 15時50分~16時20分  最後の二枚は18時前後
地図


八王子神社

2014年05月23日 | 奈良県

奈良県吉野郡十津川村旭


久しぶりに、深い山中で水と戯れ、その空気にどっぷり浸りたいと思い、十津川村にある谷を選んだ。
ただ、せっかく十津川村まで行って一日だけで帰るのは勿体無い。
車中泊をして二日目に谷歩きをすることにし、一日目はどこか適当に良さそうなところをと考えて選んだのが、前回掲載した吉村家跡防風林だった。
この神社は、吉村家跡防風林から、その目的の谷に行く途中にあって、何だかついでのついでみたいな感じになってしまうけれど、計画を立てている時点でちょっと気にはなっていた。
実際のところ、今回は写真の枚数は少ないし、いい写真も撮れなかったのだが、まずネットで紹介されることのないような場所だし、地元の人と会話したことも印象に残っているので載せておきたい。

十津川沿いの国道から外れて旭川沿いの道に入る。
暫くで左側の山腹に栂ノ本という集落があり、神社はそこにあるのだが、集落内は駐車できるか判らないので分岐を素通りし、少し先にある道の広くなっているところまで進む。
事前に航空写真で広い場所があるのは確認していたものの、実際に駐車できるかどうかは現地次第だ。



広くなっている場所はバス停だった。
駐車を躊躇ったが、かなりの広さで、端っこの方に駐車すれば、2台や3台でも問題無さそうである。
念のため、掲示されている時刻も確認するが、バスは当分来そうに無い。
というか、一日2往復のようだ。
バス停の背後には感じのいい小道が続いており、これが集落への近道になっているのだろう。
車道を経由するよりだいぶ距離を短縮できるし、地図には載っていないので得した気分。

車道に出る手前の民家で、玄関前にいらっしゃったお爺さんと挨拶。
三脚とカメラバックを抱えた私を見て「野鳥の写真か?」と尋ねられたので、神社巡りをしていることを説明する。
まず滅多に余所者が来ないような山中の集落では、ここで訝しげな顔をされることが多いのだが、そんな様子も全く無く、気さくに神社の名前を教えてくださったり、他にも会話を交わす。



その民家から神社まではすぐで、車道がカーブするところから参道が小山の上に向かって続いている。



つい今し方お爺さんに教えてもらったばかりだからか、扁額に八王子神社と書かれているのを見て、何となく気持ちがにっこりする。
それにしても、天気が良すぎてコントラストが強く、写真が撮りにくい。
航空写真からは、もう少し鬱蒼としているように思えたのだが。



石段を上り切ると、周囲は開けて光は強くなる。
左手には石楠花が咲いており、奥に行けば百以上の花を付けた石楠花もあったが、光の加減で全く写真にならず。



社殿は小さいものの、覆屋は立派で、大切にされているのだろう。



ただまあ、あまり撮るところもない。



このブログ以外、ネットのどこにも情報が無い神社は幾つくらいあるだろう。
調べたことは無いが、ここは間違いなくその一つになる。
まあ情報といえるほどの内容を載せているわけではないけれど、こんなところか、なんて、いつか誰かが検索で見てくださるかも、とか考えると、また何だか楽しくなった。

帰り道、再びお爺さんに挨拶。
石楠花が咲いていたことを話すと、なんとこのお爺さんの親父さんが、旭川を遡ったところにある中ノ川から移植したものだという。
中ノ川は明日、私が行こうとしている場所に比較的近い。
何となく縁のようなものを感じて更にいろいろ話をすると、旭川をもう少し行ったところにも神社があるという。
どの地図を見ても神社記号は載っていない。
神社名と行き方を丁寧に教えて下さり、数年前の台風時の話などを聞き、お別れする。
また一つ、誰も紹介していない神社に出逢える。
それは悦びであり楽しみであるが、本当は、こういった人との出会いが一番の悦びであるのだと思う。


撮影日時 140513 15時~15時20分
地図


御杖神社

2012年11月20日 | 奈良県

奈良県宇陀郡御杖村神末

一年一ヶ月ぶりの神社カテゴリでの記事だ。
この間、訪れた神社は再訪ばかりでたったの10社ほど。
この御杖神社も再訪ではあるし、確か以前に「雑多な写真」で載せたとは思うものの、一つの記事としての紹介は初めてだ。

相変わらず遠出や神社巡りに時間が割けない状況ではあるのだけど、それとは別に、以前とはちょっと考え方というか気持ちの持ちように変化があって、最近は以前のように、新たな神社を見つけ出そう、といった気負いみたいなものが無くなった。
気に入った場所を何度も訪れたり、気になったところを気ままに訪ねたり、といった感じで、時間が無いぶん必死になるのではなく、寧ろマイペースになった。
また、隈なく撮ってやろう、などとも思わなくなり、撮りたいところを撮りたいように、といったスタイルになりつつある。
なんてまるで悟りを開いたようなことを言っているが、あくせくするよりのんびりを欲しているだけなのだろう。

ここ御杖神社はのんびりするのに相応しい山里にある。
当初、寄るつもりも無いどころか念頭に全く無かったのだが、いかにも山里らしい鎮守の杜が視界に入って、数年ぶりの訪問となった。



この日は寒風の吹きすさぶ荒れた天気で、寒さだけでなく雨も降ったり止んだり。
そして時々、こんな風に束の間だけの陽射しが顔を覗かせる。
ここの鳥居は特徴ある縦に長い姿で出迎えてくれる。



周囲は長閑な山里の風情だが、鳥居をくぐれば雰囲気は一変して厳かな気配に満ちる。
神域は狭く、すぐ背後には道路や民家があるが、そうとは感じさせない深さがある。



振り返れば里の気配。
まだ紅葉は残っているけれど、鳥居前から見える三峰山は白く雪化粧していた。



狭い神域とはいえ式内社で、社殿はそれなりに規模がある。
ただ、撮りにくい位置にある本殿は撮影せず。



いちばん気に入った角度から撮ったものだが、実はトイレの前からだったりする。



柔らかな陽射しが気持ち良い。



境内右奥には境内社。

この後、霰混じりの雨が降ったりしたものの、私にとっては懐かしい名張周辺をドライブ。
最後にはまた御杖村に戻ってきて、ここから程近い谷間で車中泊。
名張に住んでいた当時、何度か星を見て眠った場所だったので、とても心地よく眠れた。


撮影日時 121115  12時半~12時50分
駐車場 神社西側の道路にあるガソリンスタンド跡が参拝者用駐車場になっている。
道路地図
地形図


洞川八幡宮

2011年06月07日 | 奈良県

奈良県吉野郡天川村洞川


洞川集落は、修験道の山として有名な大峯山・山上ヶ岳の登山口である。
標高は800m以上。近畿では異例の高地に存在する集落だ。
渓谷や鍾乳洞、温泉などもあって、登山基地としてだけでなく、観光地としての要素も持っているが、何となくイメージとして、鄙びた山里を想像していた。
が、訪れてみると案外と開けており、旅館街などもあってそれなりに賑わっている。
ちょっと残念ではあったが、もとより神社以外に立ち寄るつもりはないので、それらを尻目に神社へ向かう。
神社は面不動鍾乳洞への道の横にあって、すぐそばに鍾乳洞へ行く人のための無料駐車場がある。
道路は狭いし、ここ以外に駐車できそうな場所は見当たらない。
目の前の蕎麦屋の店員さんが表におられたので駐車場所を訊ねると、そこに(面不動鍾乳洞の駐車場に)停めればいいとおっしゃる。
お言葉に甘えてそこに車を入れるが、駐車場の看板には、鍾乳洞に行く人以外の駐車は罰金、などと書かれている。
いいのかなぁ、と思いつつ、車を降りて目の前の神社に向かう。
洞川の神社ということで、やはり修験道と無関係ではないらしく、役小角が大峯山入峰にあたり守護と祈誓成就のため祭祀したと案内板に書かれている。



狭い道路に面して鳥居が立っている。
川を挟んで対岸には旅館があって、食事をされている方が見えたりして落ち着かない。



二の鳥居はまだ新しい木製のもの。
見上げれば、杜の深さが迫ってくる。



石段を登りきると小さく開けた空間。



緑に包まれた空間ではあるけれど、木々は高く圧迫感が無い。



空を覆う緑の天井が高いせいか、ちょっと稀なほどの清々しさ。
思わず深呼吸したくなるようなところだ。



本殿右後ろの杉は特に大きい。
樹齢千年以上だとか。



瑞垣も木漏れ日も、とても清浄なものに感じられる。



他に撮るべき場所も無いのだが、この空間があれば充分だ。






小さな神社だが、いい杜に出逢えて良かった。


2万5千分1地形図 洞川
撮影日時 110524 14時50分~15時20分

駐車場 あり?
地図


高鴨神社

2011年05月31日 | 奈良県

奈良県御所市鴨神


相当な歴史、由緒を有する神社で、そういった方面に詳しい方なら興味深い場所であろうと思う。
が、例によって私は、ネットで見た写真から、「意外と緑が深くて雰囲気が良さそう」という理由で立ち寄った。
歴史や由緒は、風景にも多分に影響を与えると思うし、そういったものから生み出される雰囲気というものも確かにあるから、あまりに無頓着ではイカンなぁと思いつつ、やはり私は、ただ単純にそこにある風景を見て、そこにある雰囲気を感じ取るのが性に合っている。

このくらいの神社になると、普段、私が行くような場所とは違って参拝者にも出会う。
だが、境内は奥深く、思いの外ひっそりとした空間にも出逢える。
前回に掲載した国見神社のような、自然に溶け込むような良さは無いけれど、手入れが行き届き、作られた空間であっても、やはり神社ならではの良さが感じられた。



ネットで見た通り、鳥居の先は奥深い緑で、見た瞬間にちょっと胸が高鳴る。






特に木々が深いというわけではなく、大木が多いわけでもない。
左手には大きな池があるし、意外と開けた空間である。
ただ、モミジの木が多く、それらの緑に勢いがあって豊かに参道を包んでいる。
秋の紅葉はさぞかし綺麗だろうと思うが、冬はちょっと淋しくなりそうだ。






私の写真には珍しく、鳥居の先、拝殿前には参拝者の姿。



二の鳥居の横には御神木。
それなりに大きな杉だが、さりげないというか、この時期、主役はモミジの緑になっている。
階段の手前で左右へも道が続いているが、まずは正面の拝殿へ。



拝殿もモミジが彩る。



本殿にもモミジ。
桧皮葺で極彩色の本殿と、その緑はよく似合う。



階段をおりて、まずは右手(西側)の道に進んでみる。
池に沿う道だが緑は深くなっていく。
途中、稲荷神社もあって、緑の中で朱色が映える。



この辺りが最も緑の深い場所だろうか。



やがて西神社に辿り着く。



この社殿も、緑に包まれた朱色が美しい。



参道を振り返る。
小さな境内社がいくつもあり、その多くは簡素ながらも杮葺だ。



来た道を引き返し、今度は東への道を進むとすぐに東神社。
これも美しい社殿だったが、やや開放的な場所のためか、いま一つ映えない。



背後に回ると被さるように緑があって、あ、いいな、と思った。
やっぱり私は、緑あってこそだなぁと思う。


2万5千分1地形図 五條
撮影日時 110524 12時~12時45分

駐車場 あり
地図


国見神社

2011年05月26日 | 奈良県

奈良県御所市原谷


奈良県御所市は南紀に行く際の通り道で、だからたぶん、もう50回以上は通過しているのだが、神社はといえば二ヶ所しか訪れたことがない。
それなりに名の通った神社が多い地域でもあるのに、往きは南紀へと向かう気が逸り、帰りは疲れきって立ち寄る気力も無いといった状態であるので、ただ通り過ぎるだけの場所になっていた。
似たようなことは、以前に御所市の巨勢山口神社を紹介したときにも書いたけれど、そんな御所市で、最も気になっていた神社がこの国見神社だった。

国見神社は国見山の山麓にあり、その国見山は神武天皇がここから国見をしたことに由来するのだが、神社そのものが創建された時期は不明で、式内社でもない。
私は歴史には無頓着で、風景、雰囲気の観点からこの神社に興味があったが、相当古くからあるであろう気配はあって、そういったものが創り上げる風景、雰囲気というものは確かにあると思う。


周辺は古い家並みで道路は狭い。
駐車場所を探すのに苦労するだろうと思っていたが案の定である。
参道は今住側と原谷側からの二ヶ所あり、私は参道の長い今住側から入ることにしたが、もとより参道近くに駐車できるとは思っていなかったので、家並みの中を往復してから、今住の南側にある踏切近くに駐車することにした。
そこから今、車で通ったばかりの道を歩き出す。
どこかで左方向の道に入らなければならないのだが、神社方面へは特に立て札等も見当たらなかったので、自転車で通りがかったお爺さんに道を尋ねる。
丁寧すぎてくどいくらいの説明なのだが、それが嬉しくもある。
説明通り左手の山の方へ向かう路地に入り、すぐに墓地に出る。
そこからは半ば山道といった風情になるけれど、よく踏み固められたしっとりとした道で歩きやすい。
神社は山麓にあるといっても、なだらかな尾根に沿うような道で奥深く、鳥居が見えてくるまでそれなりの距離がある。駐車場所からは15分ほど。






山麓ではなく山中の気配で、雨上がりのしっとりした気配に包まれている。



鳥居の先は参道らしくなって、更に奥へと続く。



本当に歩きやすくていい道だ。
地元の人がよく参拝されている証拠だろう。



二の鳥居が見えてくる。
その周囲に湛えられた雰囲気に、ちょっと驚く。






鳥居の先には割拝殿のような建物。
この鳥居のところで原谷方面からの参道が右に来ている。
ちょっと進んでみるとすぐに一の鳥居があって、田畑や民家が見える明るい場所に出る。
原谷側から参拝したら、あまりにあっけなくて印象も変わってくるかも知れない。






鳥居の手前で左へ向かう道もある。
こちらは国見山への登山路へと続いているようだが、登りのきつい正面の参道が無理な人のためだろうか、ぐるっと回り込むような感じで、緩い勾配の道が境内へと続いている。



割拝殿らしき場所から本殿。



やはりなんと言うか・・・



周辺地域の雰囲気とは隔絶された気配のある場所というか・・・。



瑞垣内には普通に入っていいようなので本殿の前へ。



振り返ると、石灯籠の多さが目に付く。



本殿左手に稲荷神社があり、境内社はこれだけのようだ。
そこから見た本殿。



割拝殿の横にはたくさんの竹箒。
多くの人が出てきて掃除をされるのだろう。
箒も傷んでおらず綺麗だし、境内社に供えられていた榊も瑞々しいものだったから、やはり地元の方々に親しまれている場所のようだ。



それと相反する、と言うとちょっと語弊があるけれど、自然度の高さ、奥深さが、損なわれずに共存しているのが魅力的だ。



どこか深山の神社のようですらある。



帰り道、再び二の鳥居付近を。



ずっと残してほしい環境である。


2万5千分1地形図 畝傍山
撮影日時 110524 10時30分~11時20分

駐車場 なし。原谷側は軽なら鳥居前付近に駐車できるかも知れない。
地図


三輪神社

2010年12月28日 | 奈良県

奈良県宇陀市室生砥取


国土地理院発行の2万5千分の1地形図は、4千数百枚で日本全国をカバーしている。
私が所有しているのは、そのうちたった150枚ほどで、当然ながら殆どが近畿地方のものである。
その中でも最も活用したのは「大和大野」の地形図で、歩いた場所をペンで赤く塗った跡が網の目のように交錯している。
主に名張市在住時代、今から12年以上前の足跡ということになり、眺めるだけで感慨深い地図だ。
当時の記憶がありありと蘇ってくるルートもあれば、歩いたことさえ全く思い出せないルートもある。
当然、神社記号も幾つかあって、同じように、立ち寄った記憶のある神社もあれば、すぐ近くを通っているのに神社があったことさえ思い出せないところもある。
この三輪神社は後者の方で、神社前を通っているのに鳥居を見た憶えもない。
当時は神社に興味が無かったから、仕方が無いと言えば仕方が無いのだが、視野の片隅であろうと目にした筈のものを全く思い出せないのは気になる。
最近になってからも、何度も近くを通る機会があったのに何故か立ち寄る機会が訪れず、ますます気になりだして、今回、漸く訪ねることが出来た。

国道165号線から龍穴神社方面に抜ける道に入る。
名張市在住時代はこの道はまだ出来ておらず、砥取集落付近は土砂だらけで工事中だった記憶がある。
砥取の集落が尽きる辺りで斜めに上っていく狭い道へと入り、峠を越えるところで右手に鳥居が見えた。
滝谷側に100メートルほど下った辺りが少しだけ広くなっていたので駐車。
車を降りて歩き出す。



どういうわけか、車で通り過ぎたときには鳥居とその奥の参道だけが目に入って、紅葉には全く気付かなかったので吃驚する。
暫く陶然としてしまうほど、西日に輝く暖かな色に惹かれる。



入り口はちょうど峠の頂点。
狭苦しいところだろうし、小さな鳥居の先はすぐに山道のような参道があるだけだろう、なんてことを想像していたのだが、峠の上とは思えない木々の深さと奥行きがあって、これにも驚かされる。
この鳥居とその先の参道を見て、立ち寄らないどころか憶えてさえいない10数年前の私は馬鹿ではなかろうか・・・。



鳥居をくぐり、石段を登って少し進むと空気は一変、二の鳥居付近は深い山中のような気配が満ちる。
尤も、夕暮れ時のせいでもあるし、右手には木の間越しに民家も見えるのだが、それでも一の鳥居付近の華やかさとは対照的な森厳とした空気に包まれている。



この鳥居の先には、また石段があるのだが、そっち方向を何度撮ってもうまく写らないので割愛。



鳥居をくぐり、石段前から振り返る。



石段の先はまた雰囲気が変わって境内は明るくなる。
社務所以外にも色々と用途がありそうな、かなり長い建物。



細い公孫樹と、右の大木はウラジロガシだろうか。
葉をちゃんと見なかったので判らない。



拝殿。
明るく開けた空間だが、拝殿の背後はにょきにょきといった感じで木々が叢生し、一つの森のよう。



拝殿が小さく見えてしまうくらいに、勢いよく天を衝いている。



そして、何やら厳かな気配。



拝殿にかかっている扁額。
陸軍中将 橋本勝太郎謹書とあるので、帰ってから調べてみると、「坂の上の雲」にも登場している日露戦争時代の軍人だという。
といっても、私は読んでいないし、この人物が、神社と何か繋がりがあるのかどうかも判らない。



拝殿の背後に回れば、天を衝いていた木々の下、ちょっとただならぬ気配の立ち込める空間がある。
三輪神社らしく、本殿は無いようで、扉の向こうは木々があるのみだろう。



手前の鳥居は欠損しているが、その空気は何ら損なわれることはない。



空と土の繋がるところ───そんな印象を受けた。



かなり暗くなった参道を下って一の鳥居に戻る。






紅葉は往きとは違ってしっとりと、夕闇に「ぽっ」と火が点ったかのように浮かび上がっていた。


今年の更新はこれが最後です。
見に来てくださっている方、いつもありがとうございます。
おかげ様で、今年も一年、何とか続けることが出来ました。
来年もまた、よろしくお願いします。


2万5千分1地形図 大和大野
撮影日時 101118 16時10分~17時

駐車場 本文中に記した場所よりも、峠の手前50mほどのところで道が広くなっている場所が良い。
地図


龍鎮神社

2010年12月21日 | 奈良県
奈良県宇陀市榛原区荷阪


室生ダムに流れ込む深谷川に竜鎮滝という小さな滝があって、その傍らに祠がある。
龍鎮神社と呼ばれているが、神社というにはかなり小さいので、「滝・渓谷」のカテゴリでアップしようかとも思った。
けれど、滝の方も小さく、この滝だけでは物足りない。
ここは竜鎮渓谷とも呼ばれ、もっと上流部にも滝があるので、時間があるときにでも全体をゆっくり周って「竜鎮渓谷」としてアップするのが良さそうだ。
というわけで、ちょっとどっちつかずではあるけれど、龍鎮神社として掲載することにした。
滝も神社も小さいけれど、とても素敵な場所である。

ダム湖に沿った道を走り、深谷川を渡る橋の近くに駐車する。
橋の西側から深谷川沿いの山道に入る。
よく整備された道を300メートルほど歩くと、左下の流れの傍に龍鎮神社が見えてくる。



折り返すように下っていく道があって、比較的新しい鳥居が立っている。



下りきってすぐ右手に竜鎮滝がある。
小さなナメ滝だけど、独特の風情がある。
ここに、というか、竜鎮渓谷は以前にも来たことがあって懐かしい。



水の美しさは格別のものがある。
時間や季節を選べば、この滝はもっと美しく多彩な表情を見せてくれる。



こちら側の岸辺には拝殿があるのだが、対岸には鳥居と祠がある。
確か以前に来た時には木製の朱塗りの鳥居だったような気がするし、ずっと趣があったと思うのだが・・・。
何にせよ、「龍鎮」というからには主役は先ほどの滝壺なのかも知れない。



少し下流に移動する。
右手に拝殿、左手に鳥居と祠。
周囲は滑床で、夏ならばとても気持ちが良さそうだ。



もう少し下流へ行くと注連縄がある。
紅葉はほぼ終わっており、写真の紅葉も、辛うじて遠目でのみ美しさを見せてくれた。



拝殿から祠を見る。
お供えのカップ酒は、時に写真の邪魔になるけれど、素朴で、とても味わいのあるものに見えたりもする。



あとは周囲の木々を。
散ってしまった木々が多いわりに、まだ色付いていないものも多く、今年の紅葉は中途半端な印象。



岩壁の多い室生周辺ではよく見かける光景。
植物の逞しさや、岩と葉の色合いに惹かれる。

やっぱりどっちつかずで散漫な感じになってしまったけれど、水と空気の清々しいところなので・・・。


2万5千分1地形図 大和大野
撮影日時 101118 15時~15時50分

駐車場 橋の西側200mほどのところが広い。
地図