神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

石部神社

2018年04月20日 | 再訪

兵庫県朝来市和田山町宮

南紀方面に行くつもりだったのだが、天気予報は昼から雨だという。
四、五日前までは曇り時々晴れ、二、三日前までは曇りの予報だったのが、だんだんと悪化してしまった。
北部の天気はと見てみると、日中は何とか持ちそうである。
行き先を、但馬か丹後方面に変更するが、下調べする時間も殆ど無く、どちらへ行くか決めかねたままT君の車で出発する。
助手席に座った私は、景色をあまり見ることなく、スマホの画面で地図ばかり見て、行きたい場所を探す。
といっても、時おり周囲を眺めてみれば、北部であろうが天気が冴えないことに変わりなく、空気も濁って輪郭のぼやけた風景が続き、写真を撮りたい意欲が湧いて来ない。
写真を撮る気になれないというのは、私にとって行きたい場所が無いのに等しい、とまでは言わないけれど、目的地を探す熱意は失せている。
それで、途中、何度かある但馬と丹後への分岐点では、全てT君に判断を委ねていると、但馬に着いたのであった。

但馬の入り口付近で、ふと思い出した場所があった。
今まで「右が丹後、左が但馬、好きな方へ」くらいしか指示しなかったのに、俄に活気づき、「そこを右へ、そこを左!」などとナビをし始め、辿り着いた場所が石部神社だ。



約10年ぶりに石部神社の前に立つ。
神社の手前左側に神池があるが、その写真は後にして、まずは神社の写真を。



相変わらず空気は濁っているので、カメラのコントラストの設定を強めにすると、それなりにキリッと引き締まってくれた。



前回は緑いっぱいの季節で、時間も早朝だったと思うが、印象は変わらず嬉しくなる。



手水鉢の下にはユキノシタの群生。
ありふれた花だけれど、最近、咲いた姿を見ていないなぁと思う。



拝殿と本殿。
山里にある、さして大きな神社ではないが、式内社でもあるので、社殿はそれなりに立派である。



本殿。



拝殿と公孫樹の新緑と境内社。



扁額にある刀我は、近くに流れる東河川の「とが」と同意であろう。
付近には他にも石部神社があるので付したものと思われる。



狛犬さんと、一つだけの境内社。
狛犬さんは、何やら「ふふん」と得意がっているようにも見える。



それほど大きな木ではないけれど、杉と公孫樹が、いい陰翳を描いてくれた。
この境内社はポツンとあって、どこか身の置き所に困っているようにも見えるのだが、何か存在感がある。



参道は北から南へ入る形だが、西側から入る道もある。



少しだけ薄日が差して、公孫樹の新緑が踊るようだ。



公孫樹の幹は傷んでいるが、いつまでも元気であってもらいたい。
次に訪れるのはいつのことか判らないが、黄色の絨毯が敷き詰められた秋でありたいと思う。






適当に、と思っていたけれど、思いのほか写真を撮らせてもらった。



さて、神池の写真を。
池畔には枝垂桜が残っていた。



水が綺麗なことに変わりないが、やはり日が照らないと、その透明感は出ないと思う。



何故か以前はいた錦鯉、それこそ錦色である、赤、橙、白、黒の色を纏った鯉が見当たらない。
盗るような不届き者がいるとは思えないし、逃げ出したのか、それとも死んでしまったのか判らないが、いま居る鯉達は、いつまでも水の綺麗さと共にあってほしいものだ。


撮影日時 180417 10時~11時
地図


西吉野の花木を訪ねて その3

2018年04月12日 | その他

西吉野の花木が多そうな地域を地形図で見てみると、景色の良さそうなところが多くて目移りする。
もちろん、地形図からは花木の多さは判別できないが、山峡に抱かれた集落や、山腹の傾斜地に広がる集落が点在し、ネットの情報を加味しても、「ここだ」と決めるのは難しい。
賀名生梅林と川岸の二箇所は即断したけれど、かといって、それ以外の場所がつまらないとも思えない。
結局、その辺りの地域を適当に走って、景色のいいところがあれば写真を撮ろう、という無計画な状態でここまで来た。
ただ、そういう場合、たいてい時間のロスが大きくて、僅かな場所しかまわれなかったりする。
何度もそういったミスを繰り返していても、学習しないというか、行き当たりばったりも面白いじゃないか、と考えたりするので、今回も、賀名生梅林と川岸集落の他は、三箇所しか撮影できなかった。
その三箇所をまとめて掲載するが、つまらないからまとめたわけではなく、寧ろより強く惹かれた場所もあった。
もっと条件のいいときに、必ず撮り直しに行きたいと思うし、今回まわれなかった場所も、ぜひ訪ねてみたいと思わせる地域であった。



ここは、川岸集落から一旦離れて、昼食に向かう途中で立ち寄った。
上西山という集落にある、丹生小学校跡だ。
行政上は下市町になるが、この辺りも花木に包まれた集落が多い。



アマチュアカメラマンが数人いて、熱心に撮影されているため校舎には近づけない。
例によって、皆さん立派なカメラと三脚である。



木造校舎と桜は本当によく似合う。



学校の真正面にある潰れた商店。
もしかしたら駄菓子なども売っていて、子供たちで賑わった時代もあったのかも知れない。
ショーケースの中にあるタバコの見本は、随分と懐かしいデザインのもので、私が高校生くらいの時にはこれだったと思う。



同じく、その商店の張り紙。
国鉄城戸駅前と書かれているのは、前回の記事で書いた五新線に因むもので、国道168号線から県道に入ったところが城戸集落であることにも触れたが、鉄道は開通しなかったものの、バス専用道として使われていたときに、国鉄バスのバス停名は「城戸駅」であったらしい。
タバコのパッケージにしろ、こういった張り紙にしろ、時代や歴史を感じさせて、楽しいような寂しいような気になる。



学校前を少し通り過ぎた辺りの県道。
ここも啓翁桜が多い。

川岸で二度目の撮影を済ませた後、どこへ行こうかと地形図を眺めて、鹿場という集落に行くことに決めた。
この辺りに幾つかある、山腹に点在する集落のどれかに寄りたいと思っていたのだが、どこも道は狭そうで、車を止めて撮影できるか心許無い。
鹿場なら、狭い道に入る手前辺りに駐車して、そこから歩いて行けそうであるし、他の山腹にある集落と違って、緩やかな尾根と浅い谷が入り組んでおり、伸びやかでありながら起伏のある風景が広がっていそうだ。



八ツ川方面への道に入り、鹿場への分岐を少し過ぎたところが広くなっていたのでそこに駐車。
鹿場への道はこんな感じで、普通車だと擦れ違い困難な場所が殆どである。
尤も、車には全く出遭わなかったけれど。



途中、杉林の中を行くこともあるが、概ね花木が目に入る道だ。



時刻は16時前で、西日が強くなってきた。
撮影の条件は良くなさそうだし、何より賀名生梅林と川岸での疲れがあって、足が重い。
急坂ではないけれど、上りばかりで無口になるか、「あーしんどい」「もうアカン」を繰り返すかのどちらかだ。
ただ、この先には展望が開けて花木に包まれた風景が広がるはず、と信じて歩みを進める。



と、本当にそんな場所に出た。



地べたに座り込んで、暫し、風景と涼しい風を満喫する。



そして、この長閑で華やかな場所にある民家。



十津川村にある果無集落が「天空の郷」と呼ばれていることを、以前の記事で書いたことがあるが、ここの方がそれを強く感じた。
というか、天上の郷とでも呼びたい風景だった。



住んでみたい、と思えるほど、朝な夕なにうつろう光と色を眺めていたい場所だ。



花木の里も、高齢化で後継者は少ないらしい。
私は植物が好きだし、育てるのも好きだし、この辺りに住むのは悪くないんじゃ、なんて半ば本気で考えたりする。
いや、でも、無理だよなぁ…。



西日に花木が輝く。
それも美しいけれど、雨上がりの朝や、雪で真っ白に覆われた景色も、どれほど綺麗だろうか。



内陸の山間部、しかも高地、冬の厳しさは相当なものだろう。



だからこそ、より一層強く、春を謳歌するような風景が広がるのだろう。

後になって思えば、日が暮れるまで鹿場の風景を眺めていれば良かった気もしたけれど、あと一箇所くらい、どこかを撮影したいと思ったので移動した。



で、立ち寄ったのが、坪手垣内という集落の辺り。
昼間もここを通ったのだが、夕暮れ時の光が花木を浮かび上がらせて、何とも言えない雰囲気に包まれていた。
手前はツクシの大群生。



華やかなのに、夕暮れの光のせいか、どこか寂しいような懐かしいような想いになる。



河原へ降りてみる。
水辺の木々はまだ春の装いではなく、光を浴びた斜面上とは対照的な風景だ。
足下を見れば、猪の足跡があった。



華やかな桜も、ひっそりとした気配に変わってきた。



日が暮れていくのは名残惜しい気もしつつ、日が暮れていく風景を見ていられるのは満たされるものがあった。


西吉野の花木を訪ねて その2

2018年04月05日 | その他

奈良県五條市西吉野町川岸


賀名生梅林を後にして、国道168号線を更に進む。
国道168号線は、五條の先から、ずっと紀ノ川の支流である丹生川に沿って走っているが、ほぼ同じルートを国鉄五新線跡も通っていて、時々、この168号線と交差する。 
五新線跡とは、旧国鉄が、奈良県の五条と和歌山県の新宮までを結ぼうとして途中まで建設した路線で、国鉄再建法により工事はストップ、そのまま開業することなく消えていった路線だ。
一部区間はバス専用道として使われた、なんて話をT君に聞かせながら先へ進むが、T君は、「えらい税金を無駄にしたもんですねぇ」などと言う。
私が幼い頃は、まだ国鉄時代だったし、しかも鉄道が好きな方だから、何となく哀愁のようなものを感じてしまうのだが、えらくドライな感想が返ってくる。
しかし、交差する立派な高架橋や、五條から新宮にかけての地形の険しさ、そして輸送需要などを考えると、その感想は妥当なものでもある。
ただ、もし開通していたら、と考えるのは、鉄道好きなら仕方のないことで、深い山峡を走るローカル線を夢想したことが何度かある。
大赤字線になるのは必至だとは思うが、もし開業、存続出来ていたなら、今頃は観光鉄道として脚光を浴びていたかも知れない。

さて、本題から大きく逸れてしまったが、城戸という集落で、168号線から外れて県道に入る。
国道とずっと寄り添っていた丹生川は、ここからは県道に沿って流れる。
五新線跡の高架橋も県道を跨ぎ、国道と同じ方向へ進んでいく。
本線からローカル線に乗り換えたときのように、路面や周囲の雰囲気が変わって1.5キロほども進むと、左手がぱあっと華やいで、誰もが車を停めたくなる風景が目に飛び込んでくる。
ここが目的地の一つ、川岸集落だ。 



さっきまでと変わらず曇天のままなので、やや物足りない気もするが、T君も「おお」と声を上げる。
カメラマンの間では有名な場所のようで、ネットで検索すれば沢山の画像が出てくるし、私自身、西吉野へ行こうと決めたのは、ここを知ったからだ。
光線状態は良くないけれど、花の咲き具合からすると、いいタイミングに出逢えたようだ。



光の加減もそうだが、もう少し川の水量が多ければいいのになぁ、と贅沢なことを思う。
風景が良ければ良いほど、細かいところに不満が出てくる。



手前は啓翁桜、黄色い花はサンシュユ、奥の濃いピンクは花桃だろうか?



当然ながら、自然のままで造られた風景ではない。
西吉野は生け花用の花木の栽培が盛んな地域で、この季節、あちこちの集落は花に埋もれるように春を謳歌する。



人の手と、自然が融合した風景であり、そういう意味では神社とも通じるものがある。



幾つもの集落が花に包まれるのに、この川岸集落が特に有名なのは、川の湾曲部に花木が固まっていて見栄えがすること、それが県道から見えること、そして、この吊り橋の存在もあるだろう。



対岸に集落があるわけでもないので、花木の管理のためにある橋だと思うが、かなり傷んでいて板を踏み抜きそうな恐怖がある。
揺れも酷くて、高さは無いがスリルがある。



吊り橋の先の小道は、サンシュユの中を行く。
今まで何度も春の山で見てきたが、こんなに豊かな黄色だったかな、と思う。
でも、別名に春黄金花というのがあるくらいだから、これが本来の色なのだろう。



ここから県道側を見ると、花木の里であることがよく判る。



光線状態のせいで色は冴えないが、春爛漫だ、と思う。



当然、集落内も歩いてみる。



花は尽きることなく、そこかしこにある。



先ほどの場所を見下ろす。
坂道が多くて、既に賀名生梅林で筋肉痛になっていた身にはキツイ。
疲れもそうだし、お昼も過ぎて空腹でもあるので、川岸集落を離れることにする。


昼食後、もう一度、川岸集落の前を通ると、さっきより光線状態がいい。
立ち寄らずに他の場所へ行って撮影するつもりだったが、素通り出来ず。
私の撮影に付き合わされるT君に悪い気もするが、彼は決して「もういいじゃないですか」などとは言わないし、それどころか、「確かにさっきより光が当たって綺麗ですね」と言ってくれる。
まあ実際の風景の違いはともかく、写真的には「そんなに変わらんやん」と思われそうでもあるが。
同じ場所の似たような写真ばかりですみません…。



陽光が降り注ぐと、花と同じように心身が綻んでいくような気がする。



ただただ、春だなぁ、と。



ひたすら、春だなぁ。



とにかく、春───すみません、同じような写真ばかりで、書くことが無くなってきました(笑



でもまあ、見て下さる方に、春が感じていただければ。



もっといい表情を、と言い出せばきりがないけれど、またいつか春に訪れて、その表情を切り取ってみたい。
このシリーズ、次が最後です。


撮影日時 180327 12時~12時50分 14時50分~15時30分
地図