神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

小椋神社

2015年07月31日 | 滋賀県

滋賀県大津市仰木4丁目


滝壺神社を後にして、次は小椋神社に向かう。
小椋神社は、私が神社巡りをしようかと考え出した頃に訪ねたことがある。
この近所に住んでいる親戚に、「この辺りにいい神社はありませんか?」と訊ねると、ここへ案内してくれたのだった。 
当時の私は今以上に神社の知識も何も無く、ただ漠然と境内を歩き回っただけで記憶も朧気なのだが、いいところだなぁ、という印象だけは残っていて、いずれ再訪せねばと思い続けていた。

幸神社までは同じ道を引き返す。
暑さは変わらないが、今度は下りなので幾分かは楽になる。 
それにしても…家並の中を行くようになったのに、未だ自動販売機が見当たらない。
持参のペットボトルのお茶は残り半分ほどだ。
都市部に住んでいると、見回せば視界のどこかに自販機があるのが当たり前になっているが、いざ欲しい時に無いというのは皮肉なものだ。
とはいえ、私の子供の頃の風景は、こんな風だったな、とも思う。
ジュースなんて滅多に飲まなかったし、夏の炎天下、一日中走り回ってた。

幸神社から300メートル程で四つ角に出て、そこに山地神社というのがある。
幸神社よりも更に小さく、それでいて緑に覆われた小さな小さな空間に祠がある。
写真にするには難しいし、ここからは既に小椋神社の鳥居が見えているので、 そちらに向かう。



奥比叡ドライブウェイを渡ると直ぐに鳥居。
手前左手に参拝者用駐車場があるが、確か前回は無くて鳥居前に車を駐車した記憶がある。



鳥居前の風景はそんなに惹かれないけれど、赤い欄干の橋と拝殿が見えてくると、予想外に規模の大きな神社であることに気付く。



日が翳って赤と緑が静かになる。



手水鉢に蛙の置物、と思ったら本物の蛙だった。
もう少し近寄って撮ろうと思ったら逃げられてしまった。



拝殿の手前には数本の杉の大木があって、開けて明るい空間なのに、空気は厳かに感じられる。



左手に社務所があって、恐らくは神職の方が常駐されているようで、こういった場所は落ち着けないのが常だが、ここは何故か落ち着く。



拝殿は滋賀県でよく見かけるタイプのもので立派だ。



拝殿の先は同じ規模の社殿が並んでいて、小椋神社の主祭神は二柱なのかな、と思わされる。
左に見えているのは、初代一の鳥居とのこと。



右が大宮神社、左が若宮神社ということで、これらは本殿ではないようだ。
手前にあるのは湯立竃であるらしく、湯立神事が行われるのだろう。



社殿には、このような木製の狛犬が置かれている。
本殿を含め、大きめの摂社には全てあったと思う。



拝殿越しに鳥居方向を見る。



人が作ったものと、優勢な緑と大木の幹が融合するかのようで、本来、人は自然の中に溶け込んで生きていたのだ、なんて大袈裟なことを思う。
でも、人と自然が寄り添って創り上げられるものは間違いなく美しい。



目を転じれば、もっと緑優勢な一画が目に入る。
比較的新しい狛犬にはあまり惹かれないので、最初は摂末社の一つだろうなんて思った。



が、その先にある建築物を見れば、そこが本殿のある場所だと理解できる。



豊かな緑に包まれて、その格式を感じさせる建物はそこにある。



モミジの木が多くて、紅葉の時期はさぞかし美しいだろうと思う。



明かりの灯った石灯籠には「田所神社」の文字が見える。
小椋神社の社名は祭神である「クラオカミ」が訛ったものとも言われているが、いつしか田所神社と呼ばれるようになり、昭和20年に元の小椋神社に戻されたのだという。



瑞垣も美しい。
が、その外側に石造瑞垣という重要美術品に指定されたものがあることは、家に帰ってから知った…。



本殿は華美ではなく端正なものだ。



本殿への参道と平行する形で左右に道が続いているので、まずは本殿に向かって右側の道に入ってみる。
左に見える祠があるのみで、この先は水溜りのような池と、右に分かれて田畑の方へ出る道になっていた。



次に左側の道へ。



こちらは参道らしい趣で、摂末社が並んでいる。



緑深く、それでいてよく手入れされている。









変化に富んでいて、庭園のようなところもある。



奥宮である前回の滝壺神社には地蔵尊があったが、こちらもお地蔵さんや賽の河原まである。



参道奥には、最初に見た、大宮神社、若宮神社と同じような社殿がある。



こちらも同じように二社が並んでいる。
右が新宮神社、左が今宮神社らしい。
規模の大きな摂社は全て「宮」が付いているのには、何か意味があるのだろうか?



石段を上り切ると、この二社の隣に神明神社もあった。



ここもモミジが美しい。



参道を引き返す。
とても表情が多彩で、四季の変化も大きそうで、何度も訪れたくなるような神社だった。

この日の予定は、ここからあと二社訪ねるつもりだったが、暑さと体力的に厳しい。
それに、予定より時間が押しているので、二社回ると帰りの電車は夕方のラッシュに巻き込まれそうだ。
ちょっと勿体無い気もするが、ここから近い一社のみ立ち寄ることにする。



これは、その最後の一社に寄った後、再び小椋神社の前を通り、集落内の狭い道に入ってから現れた鳥居で、これが小椋神社の一の鳥居であるようだ。


撮影日時 150721 12時45分~14時
地図


滝壺神社

2015年07月23日 | 滋賀県

滋賀県大津市仰木町


この一ヶ月ほど、仕事が休みの日は殆ど雨だった。
車で出掛けていたときは、少々の雨なら寧ろ撮影日和などと思うこともあったし、実際に何度か雨の中で神社の撮影をした。
しかし、電車と徒歩でとなると、とても出掛ける気にはなれない。
行き先はとっくに決めていたので、悶々とした日々を過ごした。

今日の天気予報は概ね晴れで、夕方には所により雷雨。
夕方までには帰りの電車に乗っているだろうし、問題ないので出掛けることにするが、予想最高気温は35度となっている。
滋賀県南部の天気予報だ。
前回、滋賀県に行ったのは2009年の12月のことだから、5年以上も前のことになる。

新快速電車に乗って、京都を過ぎ、湖西線に入ると琵琶湖が見えてくる。
新快速に乗るのも湖西線に乗るのも恐らく10年ぶりくらいではなかろうか。
最近、何でもないようなことでも、改めて振り返ってみると、5年ぶりとか10年ぶりのことが当たり前のようにあって、ちょっと愕然としてしまう。
それはともかく、過去にコメント欄でちょっと書いたことがあるので知っている人もいるかもだが、私は車ばかり乗ってきたくせに鉄道オタク的要素も持っているので、223系新快速に乗るとき、ああ、225系に乗ってみたかったなぁ、などと思うのであった。

比叡山坂本駅で普通電車(どうでもいいが懐かしい117系だった)に乗り換え、次のおごと温泉駅で降りる。
おごと温泉駅は以前は雄琴だったし、比叡山坂本は叡山だった。その手前の大津京も西大津という駅名だった。
駅名に限らず、最近は何かと改名されるものが多いが、殆どの場合、私は元の名称の方がいいと思ってしまう。
駅名は変わっても駅前は以前と変わりない。
と知った風なことを書くのは、この近所に親戚が住んでいて、過去に何度かこの駅を利用しているからである。

天気は曇りがちで、予報とはちょっと違うが、気温は高いのでそのほうが助かる。
暫くは比較的新しい住宅地に沿って歩くので退屈だ。
神社までの距離も長く、しかも殆どずっと緩い上り坂である。
昔からの仰木の集落に入ると、やっと歩く楽しさが出てくるが暑い。
ペットボトルのお茶を一本持参しているものの、これだけでは心許無いので、自販機があればスポーツドリンクでも買おう思うが、その自販機が全く見当たらない。



坂の多い集落で、時おり琵琶湖方面が望まれる。
今回からスマホの写真を一回り大きくした。



車の入り込めないこんな道も多い。
ああ、いい感じだな、と思いつつ、こんなところに自販機は無いよなぁ、とも思う。

やや広い道に出て、その道を進めば滝壺神社へと行けるのだが、近くに幸神社というのがあるので、遠回りになるが立ち寄っておく。



民家に近く、小さな鎮守の杜といった風情で木々が繁っている。
光線状態も悪くなかったので、一眼で撮っておこうかなと思った矢先、スズメバチが飛んできたので一目散に逃げる。
私はスズメバチ恐怖症と言っていいくらいにスズメバチが苦手で、もし友人と一緒にいても、スズメバチが来たなら友人を放って逃げる自信がある。
というか、ここに至るまで、神社のことに全く触れていなかったことに驚愕する。
果たしてこれは神社ブログなのだろうか?
神社と関係の無い長ったらしい前置きからここまでを、ちゃんと読んでいる人がいらっしゃるなら是非コメントしてください(笑



幸神社からは、先程のやや広い道まで戻らず、神社に面した道を進む。
地図で見る限り、さっきのところまで戻るよりは近道だし、やがて川沿いの道になって、さっきの道と合流する筈だ。
道は砂利道の農道になって、地図の通り川に沿う。
川と言ってもコンクリート護岸されたもので味気ないが、こんな風に花が咲いているのでさほど退屈はしない。


川の左岸を進む。
が、奥比叡ドライブウェイの下をくぐって直ぐに、動物避けの柵が道を塞いでいる。
もしかしたら扉があって開けられるのかも知れないが、あったとしても大抵は紐で結ばれていたりするし、あまりこういうところでゴソゴソとするのも嫌なので、ちょっと引き返して橋を渡り、右岸の道を進むことにする。
対岸に先ほどの引き返し地点を見て暫くで再び左岸に渡り、のんびりと歩く。
が、前方に民家が見えてきた辺りでまたもや動物避けの柵に行く手を阻まれる。
此は如何に、という中学時代に国語の時間に習ったフレーズが頭に浮かぶ。
道は確かに地図通りなのだろうが、歩けなければ意味は無い。
あまり書くのもどうかと思ったので一度しか書いていないが、相当暑い。とにかく暑い。
汗はダラダラだし足は重くて、ちょっと挫けそうになる。
地図を確認すると、どうやら幸神社に向かう手前の、やや広い道、まで戻らねばならぬようだ。
1.5キロ程を無駄にしてしまったが、挫けそうになる心を奮い立たせて歩き出す。



やや広い道に戻ってトボトボと歩く。
棚田があったり琵琶湖が見えたりするが、写真にはしにくい。
時々、太陽が顔を出し、暑さが厳しさを増す。
汗が滴って、目に入りそうになる。
やがて、やや広い道は林道のようになり、谷間に入っていく。
砂防ダムが見えてくる辺りから谷川に沿うようになると、上流から吹いてくる風が、まさに冷気と言っていい涼しさを運んでくる。
谷間の風はこんなにも涼しいのかと、何度も経験している筈のことを新鮮な思いで感じ取る。
滝壺神社までは、あと少しだ。



前方が少し開けて、モミジの木が目に入ると、そこが社頭だ。
ここに至るまで何の変哲も無い野山の風景だったが、鳥居が見えた瞬間、嵐気が立ち込める。
しかし………無粋な看板は、どうにかならぬものか。 



看板が入らぬよう縦で撮ってみるが、モミジの緑が切れてしまうので、やはり横向きがいい。



一瞬、かなり奥行きがあるように思えたが、本殿は直ぐそこに見えているし、とても小さな神社である。



鳥居の扁額は滝壺神社ではなく、「くらおかみのおおかみ」だ。
当初、今回の神社巡りに、この神社は予定に入っていなかった。
ここから東に2キロ程のところにある小椋神社が一番の目的で、数日前に地図を見ていて、ここの神社記号に気付いた。
調べてみると、小椋神社の旧社地であり、現在は奥宮の位置づけであるという。
これは是非とも行かねばなるまいと、駅から結構な距離があるのに立ち寄ることにした次第。
ただ、滝壺神社という名称の由来は判らなかった。
付近は、三本の谷川が合流する場所でもあるが、滝や滝壺は見当たらない。
社頭には打たせ滝のような、樋状のところから人工の小さな池に水を落としている場所があるけれど、仮にこれを滝壺と見立てたとしても後付に違いないものだ。



本殿、といっても祠のような小さなもの。
右側は地蔵尊と書かれていて、神社としては珍しい並びだ。



地蔵尊の中は見えないが、建物に涎掛けがしてあって、ここにお地蔵さんがいらっしゃるのだな、ということが判る。



二つの建物の間に、決して大きくは無い杉の木が立っていて、別に御神木ではないのだけど、どこか神聖なものを感じた。


撮影日時 150721 11時半~12時(滝壺神社のみの撮影時間)
地図