神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

飼っていた犬のこと

2013年03月29日 | その他

昔飼っていた犬のことを書こうと思う。
今回は別に手抜き記事というわけではなくて、 ずっと以前から書きたいと思っていたことでもある。
ただ、その子を撮った写真は殆ど無くて、その中でも気に入っていた写真がどこにいったか判らなくなってしまっていたので、書きたいなぁという思いを抱いたまま月日が経ってしまっていた。
その写真が不意に出てきた。

この子は僕が小学校六年生のときに、父が知人から貰ってきた。
取り敢えずのエサとして、ペディグリーチャムというエサと共に貰われてきたので「チャム」と命名。
安直だけれど、小学生のセンスだからそんなものだ。
チャムはまだスリッパの上にちょこんと収まるくらい小さくて、母犬から離されて心細かったのだろう、キャンキャンとよく吠えた。
そんなチャムに対して僕は、近所迷惑にならないよう必要以上に厳しく躾けた。
その甲斐あってあってか、一ヶ月に一回も声を聞かないくらい吠えない犬になった。
誰のいうことより僕のいうことをよくきいたけれど、たぶん、厳しく躾け過ぎた僕を好きではなかったと思う。

チャムは数奇な運命、と言えば大げさだけど、それなりの遍歴を経てきた。
まずは僕が高校時代に祖母の家で暮らしだしたとき、僕と一緒に祖母の家に来た。
それから僅かな期間で父に引き取られ、更に僅かな期間で再び祖母の家で僕と暮らすようになる。
やがて僕は母と姉と暮らすことになるのだけど、そこは犬の飼えないところだったので、チャムはそのまま祖母の家で暮らした。
その祖母も、高齢で散歩が辛くなり、次は親戚の家に預けられることになった。
僕の引越しを期に、再びチャムと一緒に暮らせるようになったのは、僕が祖母の家を出てから6年ほども経ってからのことだ。
僕を忘れているなんてことはなくて、喜んで飛びついてきてくれた。

もともと人懐っこい子で、知らない人でもすぐに懐いたけれど、好き嫌いがはっきりしている子でもあったので、気に入らない人には平気で無視を決め込んだ。
近所にどこかの中学校の元校長というおじいさんがいたけれど、チャムは何故かこの人を軽視していて、呼ばれても知らん振り、近寄られても素通りという、非常にナメきった態度で接した。
大体の傾向として、高齢の男性と子供は好きではなかったようだ。

「お預け」と言えば、いつまでも御飯を食べずに我慢したし、通常、犬は食べている最中に邪魔されると怒ることが多いのに、最中であっても「お預け」と言えば食べることをやめた。
贔屓目ではなく賢い子だったと思う。
そのくせ、ドジというか、おバカなところもあって、ゴキブリホイホイに引っかかったこともあった。
部屋の隅でじっとしていて、呼んでも来ない。
名前を呼べば絶対に来るはずなのに、いったいどうしたのだろうと近付くと、片足をゴキブリホイホイに突っ込んでいて、「ボクはもう動けないんだ・・・」とでも言いたげな悲壮な顔をしていた。 

僕が出掛けるときは、いつも知らん顔をしていた。
でも、帰ったときには飛びついて喜ぶ。
そんな子だった。

貰われてきてから14年が経った。
もう弱ってしまっていて、歩くこともままならなくなった。 
なのに、その日、仕事に行く僕を、脚を引きずりながら玄関までついて来て見送ってくれた。
嫌な予感がして、僕はその日の仕事を早々に済ませ、急いで家に帰った。
チャムは辛うじて生きていた。
苦しそうな息を繰り返し、もう立つことさえ出来ないから、身体を横たえたまま尻尾を振った。
僕はずっとチャムの身体に触れていたけれど、その日の夜遅く、チャムは小さく呻き声をあげてからその呼吸をとめた。

夜明けを待って、車を近所の山に走らせた。
ノコンギク、アキノキリンソウ、アキチョウジ・・・、山に咲く秋の花を摘んでチャムを包んだ。

ペットの火葬場で、チャムは骨になった。
小さな骨壷に収まってしまい、その温もりは思い出になった。
本当はお墓を用意してやるのがいいのだろうけど、骨壷は今でも僕の部屋にある。
今でも時々思い出して、もっと可愛がってやればよかったなぁと後悔するので、今現在ペットを飼ってらっしゃる方は、どうか存分に可愛がってあげてください。



 


参拝記?

2013年03月22日 | その他

神戸市北区に、以前から行きたいと思っていた神社が二社あったので、今回、訪ねてみることにした。
今まで神戸市の神社は掲載したことが無いが、神戸市といっても六甲山系より北側は丘陵地帯が多く、長閑な風景も残っている。
とはいえ、やはり都市近郊なので車は多いし、あまり好んで向かう気にはなれない。
いつでも行けると思うと、なおさら腰は重くなる。
気がつけば、行こうと思ってから数年が経過していたので、今回はちょっと気合を入れて、久しぶりに早朝の神社風景を狙うことにした。
5時過ぎに一つ目の目的地、北区淡河町神田にある八雲神社に到着。
田畑に囲まれた小山の上にある神社であるが、まだ辺りは暗く、木々に覆われた駐車場は森の中のような雰囲気。
ただ、鳥居、参道、本殿覆屋と、それぞれに照明が灯っていて、特に鳥居に取り付けられたものはかなりの明るさ。
これでは薄暗いうちから写真を撮っても、照明の影響が強すぎて早朝の良さが出せそうにない。
それでも真夜中にも参拝できるのはいいなぁ、と思いながら、肝試しではなくデートで来たいと思う私はちょっとおかしい。
とりあえず参道を往復して数枚撮影し、車に戻って明るくなるのを待つことにする。
尤も、今日は晴天の予報なので、明るくなればなったで撮影条件は厳しそうであるが。

軽く眠って目を覚ますと太陽が顔を出していた。
シジュウカラの囀りが賑やかで、まさに朝の気配で気持ちが良いが、その気持ち良さは写真に写らない類のもので、実際に目の前にある光線状態にはガックリきてしまう。
意気消沈しながらも朝の参拝を済まし、また数枚の写真を撮って早々に諦める。
あまり期待は出来ないが、二つ目の目的地、北区道場町生野にある春日神社に向かうことにする。
途中、飛び出し注意の意味合いだと思うが、猫を模った看板に、「ねこもわたるねん」と書かれていて微笑ましかった。

春日神社に到着。
はなっから撮影に不向きな光線状態だったので、カメラを持たずに参道を進み参拝。
ここは参道横が竹林なので、淡い光なら奥深い緑のトンネルになりそうなのだが・・・。
何にせよ、この時期の緑はくすんだ色で、撮影対象はべつのものを選んだほうが良さそうだ。
どちらの神社も、梅雨から夏にかけてが最もいい表情を見せてくれそうな気がするし、また再訪しようと思う。

いちおう、少しだけ撮った八雲神社の写真を三枚だけ。


夜明け前、参道から鳥居を振り返って。
何となく、真夜中にネコバスを待っていたトトロが似合いそう、とか思ってしまった。
ものすごく濃密な空気、木々の息遣いまで感じ取れそうで、夏の夜に再訪したいくらい。



夜が明ければこんな感じ。



賽銭箱にはお餅が置かれていた。
朝陽を浴びた木の色と模様に、とても温かみを感じる。
というか、気温はマイナス2度だった。

以上、参拝記というか、気合が空振りに終わったのを無駄にしないための「繋ぎ」の更新でした。
これからも撮影が上手くいかなかったときは「この手」を使おうとか考えてます・・・。


Monochrome 4

2013年03月12日 | その他

ちょっと撮影に行けてないので、またモノクロを。
といっても、過去写真のストックも殆ど無い状態なので、手当たり次第にモノクロにしてみた感がありますが・・・。






蜘蛛は苦手だし、山を歩いていれば蜘蛛の巣にはウンザリさせられるけれど、日の光を浴びたそれは美しくもある。
屋内で時々見かける蜘蛛にハエトリグモというのがいる。
ぴょんぴょん跳ねる蜘蛛で、たぶん誰もが目にしたことはあると思うが、あれだけは何故か平気だ。
いや、平気どころか時には可愛く見えることがある。
こんな感覚は異常かと思い、試しに「ハエトリグモ かわいい」で検索してみると、「ハエトリグモの可愛さは異常」だとか「ハエトリグモが超絶かわいい」とかの記事がたくさんヒットする。
私が異常ではなかったのか、私以外にも異常な人が多いのか判断に迷うところだが、嫌い、気持ち悪いという先入観や固定観念を取り除いて見てみると、知らなかった表情が見えてきたりするものだ。
人間関係の場合、そう簡単にはいきませんが・・・。
























神社に行くと、参拝作法について書かれた紙や立て札などを目にすることがある。
二拝二拍手一拝」などは特によく見かけるが、とある神社で見かけた地元のおばあさんは、頭をたれて手をすり合わせ、まるで仏様にするようにして拝まれていた。
そのおばあさんは、もう足腰も弱ってらっしゃるようで、境内には入らず、鳥居前からのお参りだったのだが、その姿はとても敬虔なものに見えた。
正直に言うと、私は神社内ではあまり音を立てたくないので、鈴緒も拍手も気が進まないのである。
勿論、正式な作法には、そうすべき理由があるのだろうけれど、そのおばあさんを見てからは、あまり固く考えないようになった。















木を見ると長生きしたくなる。
いま見上げているその幹の、百年後、二百年後の姿を夢想してしまう。
語り合えはしないが、二百年も経って再会したなら、何か通じ合えるものがありそうな気もする。
「なかなかやるなぁ」と認めてもらえそうな気もする。
少なくとも今の自分を客観視したときに、たかだか数十年の人生で成熟しきれそうにない。
いつまで経っても、木を見上げるばかりだ。









水の写真が撮りたい・・・。






なんか写真や場所については何も触れず、戯言ばっかりですみません・・・。
 


大杉神社

2013年03月05日 | 兵庫県

兵庫県篠山市立金


前回の一之宮神社に続き、周辺の神社を友人と巡る。
この辺りの神社の殆どは神社巡りを始めた当初に訪れたのだが、ブログには掲載していないところが多く、この大杉神社も二度目の参拝ながら初掲載である。
掲載していなかった理由は、初期の写真の出来が悪いことと、自分の腕を棚に上げて言えば、写真にしにくい神社が多かったからだ。
今回も決して出来は良くないのだが、質よりも更新を優先。
それにまあ、写真はともかく同行者もいて、雪も残っていて楽しい参拝であった。
本当ならここのすぐ近所にある市野々の八幡神社も掲載したかったのだが、光線状態が悪すぎて断念。
基部が洞窟状に抉れた巨岩のある神社で面白いところなのだけど・・・。



鳥居の前に立てば、奥深そうな参道にちょっと期待が高まるところだが、右にカーブしたすぐ先に社殿があって、一度目は拍子抜けした。



冬の陽射しが心地よい。



けっこう雪も残っていて動物の足跡も見える。
カーブの手前で、どこまで続くのかと友人が訊ねるので、そこを曲がったらすぐ、と答える。



「すぐ」といっても受け止め方はいろいろで、徒歩1分でも「すぐ」といえば「すぐ」である。
カーブを曲がると「うわ、すぐや」と友人が驚いたから、すぐ目の前の「すぐ」だとは思ってなかったようだ。

さて写真を撮ろうと三脚を立てて準備をしていると、友人がスタスタと先に進む。
「まだ誰も踏んでない雪とセットで撮るつもりがぁ!」
立ち止まった友人が、うるさい人だなぁ、という表情をしながら存分に足跡をつけて戻ってくる。



まあ結果を見れば、足跡の有無は写真の良し悪しに何の影響も無いのだけれど・・・。
それにしても、靴底にキュッキュッと伝わってくる雪を踏み締める感触が楽しい。
何年ぶりだろう?



足跡は無かったし榊も色褪せていたから、あまり人は来ないのだろう。



派手さは無いけれど、彫刻も目を楽しませてくれる。
ちょっと目がコワイが・・・。






本殿裏の覆屋の壁に、何やら祠のようなものがあって、ちょっと独特の気配が漂っていた。



拝殿越しに参道方向を見る。

この後、雪を丸めて転がし、大きな玉を作ったり、雪を投げあったりと子供のようなことをしてしまった。


撮影日時 130226 12時~12時半
駐車場 神社前駐車可

道路地図
地形図