神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

大野ダム 2

2011年04月30日 | その他

京都府南丹市美山町


前回の場所から府道に戻り、ダム湖に沿って上流方向に向かう。
桜はあちこちにあるが、落ち着いて撮影出来そうな場所は簡単には無い。
大野小学校の手前辺りで右手に農地が広がり、桜も見える。
府道から逸れて右へ下る狭い道を進めば、岩江戸公園という場所があって、ビオトープ的な環境が作られている。
ここは以前にも立ち寄ったことがあり、駐車場があるのも判っていたので車を入れる。
公園といっても地元の人しか知らないような場所で、府道からも判りにくいし、駐車場に車も無い。
いわゆる桜がたくさん植えられているような公園とは違うのだが、田畑の周囲に桜が見られるので、付近をのんびり歩くには良さそうだ。



桜の向こう側がダム湖で、その奥は対岸の山。付近は田畑で、振り返れば民家や小学校が見えるといった環境。



農道脇にはタンポポも花盛り。






レンゲソウも咲いている。



対岸の山が日陰になって、日の当たる桜を浮かび上がらせてくれる。



前回と同じく、ここも立派な桜があるわけではないけれど、いかにも日本の農村といった風景で迎えてくれる。















水入れの始まっている場所もあり、蛙の鳴き声も聞こえてくる。
もうすぐ田植えの風景も見られるのだろう。



畑のそばで日向ぼっこをしていたお婆さんが、ゆっくり家へと歩いていく。
時間もゆっくり流れているように感じられる。









付近に茅葺民家は少なく、近くにあったのはこの一軒のみ。
でも、周囲の環境にいちばん溶け込んでいた。


再び車で移動。
府道を更に進むが、この道、ダム湖沿いといっても湖面が見られる場所は殆ど無い。
萱野集落への橋付近で細くなったダム湖が垣間見え、水際に多く新緑の早いヤナギが綺麗な場所があったので、道路の広くなっている場所に駐車して撮影。
湖岸には降りられないので、府道の歩道からという落ち着かない撮影になる。











ヤナギは他の木々に先駆けて新緑を見せてくれるので、とても鮮やかで力強いものに映る。


ここから更に上流、芦生近くまで車を走らせたが特に撮影はせず。
ただ、その辺りで道路脇に残雪があったのに驚いた。
途中には茅葺民家が多いことで有名な北集落もあるのだが、それなりに行楽客もいて、私にとっては観光地といった印象なので素通り。
来た道を引き返し、最後に大原神社に寄る。


午前中の晴天が嘘のように曇り出し、今にも雨が降り出しそうな気配。
樫原集落にある大原神社は、私が初めて神社巡りを目的に遠出をした際、立ち寄った場所なので懐かしい。
立派な石垣が、薄暗い境内で何とも言えない陰影を描く、



本殿前から拝殿。



本殿は覆屋に覆われており、なかなか大きい。









山里の神社としてはそれなりの規模がある。
曇天で光が淡く、何となくひっそりとした息遣いのようなものが感じられる境内だった。


撮影日時 110418 10時10分~12時40分
撮影場所が複数なので、地図へのリンクは割愛します。


大野ダム 1

2011年04月19日 | その他

京都府南丹市美山町


大阪の能勢町にコブシ(タムシバ?)が綺麗に咲いている場所があるので、それを撮りに行こうとしたのだが、あまりに光線状態が悪く、つまらない風景になっていたので素通りし、そのまま地図も見ずに美山町へ向かうことにした。
美山町は茅葺民家が多いことで知られていて、そこに桜が加われば美しい風景が見られそうだし、途中にある大野ダム周辺には桜が多かったような気がする。
特にどこという明確な目的地は無く、とりあえずあの辺り、といった感じで車を走らせた。
それに、前回の「春」と題した記事も、春を表現するには物足りなかったように思うし、特に桜に関しては、毎年中途半端についでで撮っている気がするので、ちゃんと桜のある風景を追ってみたかった。
尤も、最初の目的はコブシだったのだから、今回の桜もついでみたいなものだけれど。

今回のタイトルは大野ダムとしたが、勿論ダムの撮影が目的ではなく、ダム周辺の風景であることと、撮影地が複数ということからそうしただけで、ダムそのものは見てもいないし、ダム湖の写っている写真も僅かである。
また、同じ理由で住所も美山町までとし、字は省いた。
写真の枚数が多いので、2回に分けて掲載。


ダムの近くにある駐車場付近は桜も満開で数も多かったが、いかにも公園的雰囲気で惹かれない。
どこであろうと美しいには違いないのだけど、やはり似合う場所があると思う。
ダム湖に沿った道を進み、最初に現れる橋で対岸に渡る。
地形図では恐らく昔の橋が表示されているようだが、実際は少し西に架かっており、橋を渡ってから左折してやや狭い道を進むと、地形図で橋が記載されている辺りでアスファルトの道が途切れる。
そこに駐車して付近を歩いてみることにした。



地図も見ずに来ているので神社の存在は知らなかった。
田畑の向こうに山、その山際には桜と神社、という風景にはとても惹かれる。



鳥居の右上には社殿の屋根が見えているし、狭くて奥行きも無さそうだ。
この時点では気付かなかったが、桜に囲まれた場所に、茅葺の建物がある。
神社へは後で訪ねることにして、まずは付近の桜を撮ることにする。



アスファルトの道が尽きた先にも未舗装の農道が続いている。



立派な桜があるわけではないけれど、なんとも清々しく気持ちの良い道だ。



桜の根元ではスミレも満開で、春爛漫といった感じだ。









手前の桜の向こう側がダム湖で、奥に見えている桜は対岸である。
一際目を引く桜というのは無いが、周辺はこんなふうにあちこちで桜が満開だ。






対岸の山の斜面は、まだ茶褐色。
でも、所々で山桜の彩が見える。









群生する白く小さな花はタネツケバナだろうか。
地味ながら、これも春を彩る。









やっぱり、桜は山村や田畑が似合うなぁ、と思う。



桜は無いけれど、こういう風景も好きだ。
右側の山裾をゆく小道なんかは、続きが気になって歩いてみたくなる。



ぐるっと一周するような感じで、集落の反対側(写真の奥側)から神社のそばまで来た。
ここで初めて茅葺の建物の存在に気付く。
屋根は土に還りそうな苔生し具合で、手入れがされていないと言えばそうなのだが、それがまた美しくあるのは、自然のものだけで作られているからだろう。
ここは神社の境内ではないが、無関係とも思えない。
帰宅後、調べてみると、地元では茅葺観音堂と呼ばれているものとのこと。
写真は桜の花びらが散る瞬間を狙ってみたものの、花びらの数が少なく中途半端に・・・。



茅葺の建物ばかりに目が行っていたのだが、ふと背後に何か気配を感じて振り返ると、カシの大木があった。
やや傷んでいるのか、樹液が滲み出し、周囲はその匂いで満ちている。
寄り添うように椿。






そして根元には石仏。



さて、鳥居をくぐって神社に参拝。
扁額には「瀧明神」とある。
で、どうして瀧なのかと疑問に思うところで、地形図を見ても周囲に滝などあるとは思えない地形だ。
これも帰ってから調べてみたところ、ここは大野ダムの完成により現在地に遷座したらしく、かつては由良川のそばにあったようだ。
なるほど、それなら納得できる。
由良川は河岸段丘状の地形を呈していて、流れのそばは急傾斜を形成している。
横から流れ込む小さな谷は、そこで滝となる。
現在の地図から想像するに、水量は少なかったと思われるが、落差は10メートルほどあったらしい。
その頃の神社の姿を見てみたかった。



石段には落ち椿と桜の花びら。



見上げれば石段のすぐ先に社殿があって、やはり奥行きは無さそうだ。






振り返れば、先ほど見てきた桜や田畑が望まれる。
かつての神社が、滝のある深い雰囲気の場所だった可能性は高いけれど、今の場所も、これはこれでいいのかも知れない。
ただ、斜面にへばり付くような感じで、とても狭い境内ではある。



境内にはショウジョウバカマが多い。
花の盛りは過ぎて、やや萎れているけれど、辛うじて鮮やかさを保っていた。



境内社の前から、カシノキと観音堂を見る。






カシと椿。



観音堂の屋根と桜。
日本の春を感じる。


撮影日時 110418 8時40分~9時50分
2万5千分1地形図 和知 (リンクしたポイントは駐車したと思われる地点)
駐車場 本文中に記載した場所や、観音堂前など
地図


2011年04月13日 | その他


長い間、更新せずにいてすみませんでした。

大きな災害に、といっても、兵庫に住む私はその情報に触れるのみなのですが、それでも立ち止まってしまう出来事でした。
恐ろしさや悲しみを想像することはあっても、それは想像に過ぎず、実際に被害に遭われた人の心との隔たりを思うと、どんな言葉も無意味に思えて、立ち竦んでしまうのです。

私は、東北地方へは行ったことがありません。
けれど、写真や映像や文章で、そこにある美しい風景に、憧憬を抱いてきました。
冬の厳しさがあるが故に、そこに描かれる春は、柔らかく温かい。
そしてそこに住む人達も、きっと、柔らかく、温かい。
日本の原風景を思わせる風景と人々に、私は憧憬を抱いてきたのです。

時に、自然はその厳しさを見せつけます。
人間の無力さを知らしめるように、そして、心の奥底にある畏怖の念を呼び起こすように。

3月11日以来、このブログのアクセス数はガクンと落ちました。
その、減った数の中に、東北の方々が含まれているのだと思うと、声にならない叫びを上げたくなります。
身近で起こった、阪神大震災のときと同じような、行き場のない怒りと悲しみに苛まれるのです。

自然の厳しさは、自然の恐ろしさは、嫌と言うほど身にしみました。
だから今度は、その柔らかく、温かな自然で、どうか被災地を包んでほしい。
そう願って、写真を撮りました。
一足先に春が訪れるこの地から、かの地に本当の春が訪れることを願います。

ただ、どうしても、心に描くような暖かい春を撮ることが出来ず、もどかしいというか心苦しいというか・・・。
きっと、私が心に思い描くような春は、こんな写真にではなく、あるべき場所にあるのでしょう。



コブシ(タムシバ?)の花咲く春の斜面。
芽吹いたばかりの芽は、紅葉のように朱色に輝く。
























朱色の葉の多くはヤマザクラだ。
ソメイヨシノなどは満開になっているところも多いが、ヤマザクラはまだまだこれから。






足元のありふれたタンポポが、なぜか力強いものに感じる。












春の空。



そして、名前はちょっとアレだけど、春の空を思わせるオオイヌノフグリの花の色。



最後に食べたのはいつだろう?
また久しぶりに味わってみたい。



そして、神社にも春。












社務所の窓にも春。



満開にはまだ早かったが、川沿いに1キロほど続く桜の連なり。
鶯が囀っていた。