神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

安宅神社

2014年05月30日 | 奈良県

奈良県吉野郡十津川村旭


栂ノ本集落を後にし、旭川に沿う道を上流に向かう。
暫くで対岸に渡る橋があって、その先の道端から斜面を登っていく階段が見える。
鳥居は見当たらないが、栂ノ本のお爺さんに教えてもらった神社への行き方には、「橋」「手摺のある階段」という言葉があったので、恐らくあの奥に神社があるのだろう。
橋の手前の少しだけ道が広くなっている場所に駐車して歩き出す。
この辺りは中谷という集落で、旭川最奥の集落でもある。
橋を渡って階段を上るが、参道というわけではないらしく味気ないものである。
階段を上り切ると平坦な道が横切っていて、右に行けば集落、左に行けば神社のようだ。






こんな感じの気持ちの良い小道を進む。
まだ鳥居は見えず、ここも参道というわけではなく、かつての生活道のようだ。
道の脇には石垣が続いていて、民家があったであろう平坦地がある。
紀伊半島でよく見られる風景でもあり、私の好きな風景でもある。
いったい、どんな生活が営まれていたのだろうと想像すると、楽しさと寂寥感が綯い交ぜになって心惹かれる。
写真は、進行方向の光線状態が悪かったので振り返って撮った。



やがて右上に鳥居が見えてくる。
この辺り、地形図には水田の記号があるけれど、今はもう無い。
鳥居への階段を通り過ぎて真っ直ぐ進めば谷川に出る。
地形図には「ミヤ谷」と書かれていて、滝でもあれば写真を撮ろうと思ったのだけど、無粋な砂防ダムが見えたのですぐに引き返した。
「ミヤ谷」は、神社が直ぐ傍にあることから考えて「宮谷」であろう。



神社への階段を上る。
陽はだいぶ西に傾いたようで、栂ノ本で見たような強い陽射しは既に無く、夕暮れが様子を窺うように陰に潜んでいる気がする。



ここも小さな神社ではあるが、栂ノ本の八王子神社と同じくらいの規模で、普通なら地形図に記載される筈なのだけど・・・。






特に目を引くような風景は無いけれど、雰囲気はとてもいい。






傾いた日が少し印象的に陰翳を描いて、それをぼーっと眺めたりして寛ぐ。
立ち寄って良かった。


車に戻り、明日の沢歩きのために更に上流へ向かう。
旭ダムを過ぎると道が悪くなり、路面に落石が転がっていたりするようになる。
私の車ではこれ以上は進めないというところで車中泊することに決める。






付近の風景はこんな感じで、険しい山肌と、広葉樹の豊かな緑が明日を期待させてくれる。
標高は既に700mで、集落から遠く離れた山の真っ只中だ。
この夜、残念ながら星空は楽しめなかったけれど、珍しくビールを一本持参してきたので、それを飲んで山の気に浸れば至福の時である。


撮影日時 140513 15時50分~16時20分  最後の二枚は18時前後
地図


八王子神社

2014年05月23日 | 奈良県

奈良県吉野郡十津川村旭


久しぶりに、深い山中で水と戯れ、その空気にどっぷり浸りたいと思い、十津川村にある谷を選んだ。
ただ、せっかく十津川村まで行って一日だけで帰るのは勿体無い。
車中泊をして二日目に谷歩きをすることにし、一日目はどこか適当に良さそうなところをと考えて選んだのが、前回掲載した吉村家跡防風林だった。
この神社は、吉村家跡防風林から、その目的の谷に行く途中にあって、何だかついでのついでみたいな感じになってしまうけれど、計画を立てている時点でちょっと気にはなっていた。
実際のところ、今回は写真の枚数は少ないし、いい写真も撮れなかったのだが、まずネットで紹介されることのないような場所だし、地元の人と会話したことも印象に残っているので載せておきたい。

十津川沿いの国道から外れて旭川沿いの道に入る。
暫くで左側の山腹に栂ノ本という集落があり、神社はそこにあるのだが、集落内は駐車できるか判らないので分岐を素通りし、少し先にある道の広くなっているところまで進む。
事前に航空写真で広い場所があるのは確認していたものの、実際に駐車できるかどうかは現地次第だ。



広くなっている場所はバス停だった。
駐車を躊躇ったが、かなりの広さで、端っこの方に駐車すれば、2台や3台でも問題無さそうである。
念のため、掲示されている時刻も確認するが、バスは当分来そうに無い。
というか、一日2往復のようだ。
バス停の背後には感じのいい小道が続いており、これが集落への近道になっているのだろう。
車道を経由するよりだいぶ距離を短縮できるし、地図には載っていないので得した気分。

車道に出る手前の民家で、玄関前にいらっしゃったお爺さんと挨拶。
三脚とカメラバックを抱えた私を見て「野鳥の写真か?」と尋ねられたので、神社巡りをしていることを説明する。
まず滅多に余所者が来ないような山中の集落では、ここで訝しげな顔をされることが多いのだが、そんな様子も全く無く、気さくに神社の名前を教えてくださったり、他にも会話を交わす。



その民家から神社まではすぐで、車道がカーブするところから参道が小山の上に向かって続いている。



つい今し方お爺さんに教えてもらったばかりだからか、扁額に八王子神社と書かれているのを見て、何となく気持ちがにっこりする。
それにしても、天気が良すぎてコントラストが強く、写真が撮りにくい。
航空写真からは、もう少し鬱蒼としているように思えたのだが。



石段を上り切ると、周囲は開けて光は強くなる。
左手には石楠花が咲いており、奥に行けば百以上の花を付けた石楠花もあったが、光の加減で全く写真にならず。



社殿は小さいものの、覆屋は立派で、大切にされているのだろう。



ただまあ、あまり撮るところもない。



このブログ以外、ネットのどこにも情報が無い神社は幾つくらいあるだろう。
調べたことは無いが、ここは間違いなくその一つになる。
まあ情報といえるほどの内容を載せているわけではないけれど、こんなところか、なんて、いつか誰かが検索で見てくださるかも、とか考えると、また何だか楽しくなった。

帰り道、再びお爺さんに挨拶。
石楠花が咲いていたことを話すと、なんとこのお爺さんの親父さんが、旭川を遡ったところにある中ノ川から移植したものだという。
中ノ川は明日、私が行こうとしている場所に比較的近い。
何となく縁のようなものを感じて更にいろいろ話をすると、旭川をもう少し行ったところにも神社があるという。
どの地図を見ても神社記号は載っていない。
神社名と行き方を丁寧に教えて下さり、数年前の台風時の話などを聞き、お別れする。
また一つ、誰も紹介していない神社に出逢える。
それは悦びであり楽しみであるが、本当は、こういった人との出会いが一番の悦びであるのだと思う。


撮影日時 140513 15時~15時20分
地図


吉村家跡防風林

2014年05月16日 | その他

奈良県吉野郡十津川村三浦


十津川村を訪ねるのは久しぶりだ。
山里だとか、廃村、廃校、滝や渓谷、山岳と豊かな自然、そういった、私が反応してしまう言葉が全て当て嵌まる地域である。
吉村家跡防風林は、山里と廃村、巨木といったカテゴリに入るだろうか。
名称から想像すれば、民家跡に残る防風のための植栽林といった感じで、あまり食指は動かないのだが、実際は、潰えた人の営みと自然の不思議さが融合したかのような、何か感じずにはいられない場所だ。

十津川村に入れば、数年前の台風の傷跡があちこちに見られる。
圧倒されるような大規模な崩落場所もあって、今も復旧工事が行われており、自然の力をまざまざと見せつけてくる。
風屋貯水池に沿うようになって暫くで右折し、神納川沿いの県道に入る。
思っていたよりも狭い道で、小さな落石が道に転がってる。
紀伊半島の山中では小さな落石が日常茶飯事で、往きには無かった石が、帰りには転がっていたりする。
今回も、この県道の帰り道では三ヶ所ほどで新たな石が転がっているのを見た。
いちばん大きいものでレンガくらいの大きさではあるけれど、それでも走行中にフロントガラスに飛び込んできたらと恐ろしくなる。



県道沿いにこういった滝があるのは、さすが十津川村といった感じ。
段瀑で20メートル以上の落差があるが、地図に名称も無ければ滝記号も無い。
地図に記載されていないどころか、実際に名称すら無いのかも知れない。

災害復旧の迂回路があって、防風林へはその辺りが近いのだが、熊野古道小辺路駐車場の看板が見えたので、そこまで進むことにする。
駐車場は五百瀬小学校跡を利用したもので、今も何かの施設として活用されているようだ。



歩いて県道を引き返す。
途中に商店があって、庇がまるで暖簾のようなエライ状態になっていたが、営業中ではあるようだ。 
ゆうパックの幟も、もはや無意味かも。
そういえば昔、山登りの帰りの山里で、こういった商店に立ち寄って菓子などを買ったことがあったが、最も定番と思えるポテトチップスが賞味期限切れだった。
パリッとした食感は失われていたけれど、笑い話でもあり、或いは逆に寂しくなるような、そんな思いに浸ったものだ。
もしクレームをつける人がいるなら、野暮な人だと思う。



「三浦峠」と書かれた看板に従って小道に入ると吊り橋が現れる。
向こう岸から渡って来られた女性と「おはようございます」と挨拶。
橋から川の風景も撮りたかったが、ここは災害復旧中なので、ダンプやショベルカーが稼動する殺風景な姿を晒していた。



対岸に渡って直ぐに庚申さん。



供えられた花は瑞々しく、地域の方に大切にされていることが判る。



道端にはシャガが花盛り。






シャガの花を初めて見たのは小学校高学年の頃だ。
なんて美しい花なのだろうと感動した記憶があるが、あまりに有り触れている花なので、やがて関心を失ってしまっていた。
だが、改めて見ると、やっぱり美しいなぁと思う。



こんな感じの気持ちのいい小道を進む。



途中、何軒かの民家があるが、車道は無く、徒歩でしか辿り着けない場所だ。
果たして住んでいる人はいるのかと思ったが、日向ぼっこをされているお爺さんがいらっしゃった。



とはいえ、棚田の水入れは行われていないし、人の営みもいつまで続くか判らない。



熊野古道らしく、荒い石畳になっている部分もある。



道の横に廃屋があったりもする。



廃屋の軒先ではシダが日を浴びていた。



マムシグサがあちこちに咲いている。



こんなふうに光を浴びると、有り触れたマムシグサも美しく見える。
が、基本的には植林された単調な風景の中を登るので、あまり楽しくはない。



その単調な杉林に、不協和音のように防風林が見えてきた。



異形、威容、畏怖といった言葉が思い浮かぶ。



これはアシウスギの類だろうか?
アシウスギは日本海側で見られる杉の一種で、多雪地帯に適応し、枝が雪の重みで地に接したりすればそこから発根する。
ウラスギ、ダイスギとも呼ばれ、有名な北山杉もこの系統らしいから、手入れさえすれば真っ直ぐ伸びるのだろう。
樹齢500年前後とのことだが、植えられた時に、この姿は想像されたのだろうか。
ただ、防風すべき対象は、もうこの地には無いのだけど。

付近にあった立看板によると、この辺りは小規模な宿場的機能を果たしていたらしく、旅籠も営んでいた吉村家の屋敷があって昭和23年頃まで居住していたという。
地形図には建物記号が記されているが、今はもう残っていない。



枯死したものもあるかも知れないが、残っているのは5、6本なので、ここに写っているものがほぼ全てだ。



上部の幹は真っ直ぐなので、やはり台杉の形態とよく似ている。



こちら側は斜面ばかりなので、向こう側が屋敷跡になるのだが、まるで結界のようでもあり、ちょっと不思議な世界へと続いていそうな気がする。






似たような写真ばかりだけど、歩み寄ることのワクワク感が伝わるだろうか。



通り抜けた先は何の変哲も無い杉林ではあるが、平坦地になっており、一部に石垣と複数のお墓が残っている。



雲一つ無い晴天で撮影条件は厳しい。
実を言うと、最初は撮影を諦めかけたのだが、そうそう来られる場所でも無いし、これらの木々の存在感を全く写せずに帰るのはあまりに口惜しい。
カメラの設定を弄り倒して、何とかこの条件でもまともに撮れるように四苦八苦した。
結果はともかく、いろんな角度から撮ってみた。















複雑な形状故に、いろんなところから他の植物が芽を出して育っている。
ここにもマムシグサが咲いていた。



斜面の一番低いところにあるものが最大だろう。






たった5、6本とはいえ、森のような存在感。



本当は雨上がりの靄が立ち込めるような中で撮りたかったけれど、それでも素敵な姿を見られて満足。
ちょっと元気の無い木もあったが、いつまでも残っていてほしいと思う。


撮影日時 140513 10時20分~13時40分
地図


三輪神社

2014年05月02日 | 京都府

京都市左京区花脊別所町


前回の岡安神社と掲載順序が逆になったけれど、ここも桜の写真を撮りに行った際に立ち寄った、岡安神社の前に訪れた場所。
美山町から佐々里峠を越えて京都市左京区側に入ったのは、実はこの神社に寄ることが目的で、暖かくなったらぜひ行こうと決めていた。
この神社の所在地である花脊という地名も、京都で育ち、雪や花が好きだった私には、心惹かれて焦がれるような響きに感じられる。
京都市に住んでらっしゃる方ならご存知の方も多いと思うが、花脊はかつてスキー場があったところで、私はいつも京都新聞に載っていたスキー場だよりで積雪深を確認して、その白い風景を夢想していた。
昨今は雪も少なくなったとはいえ、真冬に行くにはノーマルタイヤでは不安なので、今回はちょうどいい機会だった。

この神社を教えてくださったのは、ここと相互リンクしていただいている「アタの雑記」さんで、昨年の12月のこと。
私は今まで何社かの三輪神社に行っているが、相性というものがあるのかどうか判らないけれど、どういうわけかとても居心地がいい場合が多いので、三輪神社と聞くと期待が膨らむ。
アタさんのところで掲載されていたその風景も、心惹かれるものがあったので、暖かくなるのを待っていた。

佐々里峠から桂川沿いに下ってきた道を逸れ、別所川に沿う道を遡る。
国道ではあるが狭い道で、離合困難な部分も多い。
神社前に駐車スペースが無いのは判っているので、事前にgoogleマップの航空写真で確認していた道路の広くなっている場所に駐車して歩き出す。
神社入り口から700メートルほど北側である。
ただ、地図には日吉神社と記載されている。
車道は緩やかな上り坂で、既に桜の撮影で歩き回っていたので、運動不足の身としてはしんどい。
やがて道路に面して石灯籠と木製の鳥居が現れるが、どうやっても目障りな建物が写真に入り込んでしまうので撮影せずに参道に入る。
参道横は休耕田なのだろうか、枯れススキの揺れる明るい道であるものの、相変わらず空気は濁っているかのようで、空の色も冴えないままだ。
 


明るい参道を150メートルほど進むと、今までの風景とは一変して暗い杉林の中へと入っていく。
二の鳥居と杉の大木が、結界感を意識させる。



振り返るとこんな感じ。



二の鳥居。
既に居心地の良さを確信、というか実感している。



どういうわけか、濁っているように感じられた空気が、進むにつれ澄んでいくように思える。
森の中は春霞や黄砂といったものの影響を受けにくいのか、それとも神域だからだろうか。



拝殿と狛犬、そして右後ろに御神木。



この御神木の存在感はかなりのもの。
背後には同じような社殿が二つ並んでいて、左が日吉神社、右が金峰神社であるらしい。



金峰神社。



日吉神社。
googleマップに日吉神社と記載されていたのは間違いというわけではないようだ。
では三輪神社は? というと・・・



この二社に挟まれた中央に拝所がある。
三輪神社は本殿を持たないのが普通なので、こういう様式となる。



拝所の背後には二本の杉の大木が聳え、御神木ほど大きくはないものの、何やら特別な存在感を放っている。
ああ、三輪神社だ、と思える風景。



それにしても、太陽の場所さえ定かではない空だったのに、木漏れ日が降り注いでいるかのように空気は綺麗で、写真もクリアに写る。



ふと、せせらぎが聞こえてくるので、日吉神社の左奥に進んでいくと、山からの清水が流れており、手が洗えるようになっていた。
その場に座って、ぼーっと春の暖かさに浸る。



あちこちに点々と咲くミヤマカタバミも、春を清楚に彩る。



帰りに、拝殿越しに狛犬さんを見て、



名残惜しくゆっくりと参道を戻る。
予想以上の居心地の良さを満喫したけれど、外に出れば相変わらずの濁った空が広がっていた。

最後に、この神社を教えてくださったアタさん、ありがとうございました。


撮影日時 140416 10時50分~11時50分
地図