神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

大龍神社

2019年02月02日 | 再訪

兵庫県三田市上相野


休日の前夜に雪が降れば、どこかの神社に行こうと考えていた。
湖北や但馬辺りにでも行けば雪景色の神社を見るのも容易いだろうが、もう少し身近なところで少ないチャンスに出逢い、普段とは違う姿を見てみたい。
だが、そうそうタイミング良く、休日の前夜に降り積もって朝頃には止む、なんてことにはならない。
雪景色は、降り止んだ直後が最も美しいと思うが、そんなタイミングを待っていたら、そのまま春になってしまいそうだ。
ところが、上手い具合に休日の前日から冬型の気圧配置が強まった。
兵庫県河川監視カメラシステムのホームページで、篠山や三田辺りのカメラ画像を何度も確認し、気象庁のレーダーで雪雲の動きを追う。
積雪は1~3センチくらいか。
もう少し欲しい気もするが、風景としては充分に普段とは一変した姿を見せてくれる筈だ。
さて、問題はどこの神社に行くか、である。
最初に思い浮かんだのは、以前に雪景色を撮影したことがある篠山の八柱神社だったが、やはり同じ場所というのは面白味に欠ける。
地形図を見て、この近くで雪景色が映えそうな神社は、と探して、すぐに大龍神社に目が留まった。
ここは、常緑照葉樹が多く、雪が積もればそれらは白を纏う。
それに、いつもはその常緑照葉樹の光の照り返しで、写真が上手く撮れない気もしていたから、雪が覆えば撮影条件も良くなるのではなかろうか。
よし、ここにしようと決める。

7時過ぎの電車に乗る。
川西辺りから屋根が薄っすらと白くなりだし、武田尾では雪を纏った木々の山峡に目を奪われた。
以前に掲載したことのある廃線跡のトンネルから、今度は雪景色を撮りたい! なんて思って下車したくなるが、快速電車なので通過する。
三田に入れば、白くなった平地が広がる。
やはり少し物足りないと思える積雪量ではあるけれど、山々の雪化粧は綺麗で気持ちは昂る。

相野駅で下車。
スマホで気象庁のレーダーを確認しても雪雲は表示されないが、弱い雪が降り続いている。
線路沿いの道を10分も歩けば大龍神社前に着く。



眠い、寒い、メンドクサイ、などと、出かける前はいつも思う。
でも、来て良かったな、と思える風景が出迎えてくれる。



山際に立つ鳥居は、朝の賑わいと、まだ目覚めたばかりの空気との境界のようだ。



長床を見ると、いつも「いいなぁ」と思う。



ここに来るのは四回目だし、その向こうの景色も知っているわけだが、何故かドキドキさせられるのだ。



それに今日は、どんな雪化粧を纏っているのか、というワクワク感がある。



長床自体も、普段よりちょっと厳かにみえる。



下をくぐって社殿が見えだしたときの気持ちの高まり。



ああ、と心の中で声を漏らす。
高まるものと、しーんと静まるものが同居する。



雪と戯れ、はしゃいで駆け回っていた子供の頃、ふと周りを見渡して、その美しさに気付いた瞬間の、暫し呆然と言葉を失う感覚を思い出す。



綺麗な、あるいは美しい、または、神秘的なとか、神々しい、それとも、森厳や静謐。
当てはまりそうな言葉は幾つか出てくるけれど、やっぱり、ただ「ああ」という感覚が勝る。



普段は緑豊かな潤いある風景が好きなのに、この色彩を排したような厳しい風景にも強く惹かれる。



本殿。



本殿前から長床。



本殿向かって左側の境内社。



手が悴み、痛い。



雪は止んだが、時おり木々から落ちてくる。



こちらは右側の境内社。



朱の鳥居は雪の中でも映える。



気温はマイナス1~2℃程度だと思うが、指が思うように動かずシャッターが切りにくい。
火気厳禁の看板が無ければいいのに…。



今日は日曜日だが、当然、誰も来ることなく、この空間を独り占めする。



電車の音や車の音が聞こえてくることはあっても、ひっそりと、静かで心地いい。






ただまあ、やっぱり寒くて手は痛いけれど。



雪を被った狛犬さん。
実は走り回りたいのではなかろうか。






さて、そろそろ帰ることにする。



長床をくぐる。
往きのときのような高ぶりは無いけれど、ゆったりと満ち足りたような想いで通る。



きゅっきゅと踏みしめるほどの雪が無いのは残念だが、いい風景に出逢えて満足。



いつも、その年最初の更新は雪の神社にしたいと思っているのだが、今年はそれが叶って良かった。
と言っても、もう2月になってしまいましたが…。


撮影日時 190127 8時15分~9時15分
地図


石部神社

2018年04月20日 | 再訪

兵庫県朝来市和田山町宮

南紀方面に行くつもりだったのだが、天気予報は昼から雨だという。
四、五日前までは曇り時々晴れ、二、三日前までは曇りの予報だったのが、だんだんと悪化してしまった。
北部の天気はと見てみると、日中は何とか持ちそうである。
行き先を、但馬か丹後方面に変更するが、下調べする時間も殆ど無く、どちらへ行くか決めかねたままT君の車で出発する。
助手席に座った私は、景色をあまり見ることなく、スマホの画面で地図ばかり見て、行きたい場所を探す。
といっても、時おり周囲を眺めてみれば、北部であろうが天気が冴えないことに変わりなく、空気も濁って輪郭のぼやけた風景が続き、写真を撮りたい意欲が湧いて来ない。
写真を撮る気になれないというのは、私にとって行きたい場所が無いのに等しい、とまでは言わないけれど、目的地を探す熱意は失せている。
それで、途中、何度かある但馬と丹後への分岐点では、全てT君に判断を委ねていると、但馬に着いたのであった。

但馬の入り口付近で、ふと思い出した場所があった。
今まで「右が丹後、左が但馬、好きな方へ」くらいしか指示しなかったのに、俄に活気づき、「そこを右へ、そこを左!」などとナビをし始め、辿り着いた場所が石部神社だ。



約10年ぶりに石部神社の前に立つ。
神社の手前左側に神池があるが、その写真は後にして、まずは神社の写真を。



相変わらず空気は濁っているので、カメラのコントラストの設定を強めにすると、それなりにキリッと引き締まってくれた。



前回は緑いっぱいの季節で、時間も早朝だったと思うが、印象は変わらず嬉しくなる。



手水鉢の下にはユキノシタの群生。
ありふれた花だけれど、最近、咲いた姿を見ていないなぁと思う。



拝殿と本殿。
山里にある、さして大きな神社ではないが、式内社でもあるので、社殿はそれなりに立派である。



本殿。



拝殿と公孫樹の新緑と境内社。



扁額にある刀我は、近くに流れる東河川の「とが」と同意であろう。
付近には他にも石部神社があるので付したものと思われる。



狛犬さんと、一つだけの境内社。
狛犬さんは、何やら「ふふん」と得意がっているようにも見える。



それほど大きな木ではないけれど、杉と公孫樹が、いい陰翳を描いてくれた。
この境内社はポツンとあって、どこか身の置き所に困っているようにも見えるのだが、何か存在感がある。



参道は北から南へ入る形だが、西側から入る道もある。



少しだけ薄日が差して、公孫樹の新緑が踊るようだ。



公孫樹の幹は傷んでいるが、いつまでも元気であってもらいたい。
次に訪れるのはいつのことか判らないが、黄色の絨毯が敷き詰められた秋でありたいと思う。






適当に、と思っていたけれど、思いのほか写真を撮らせてもらった。



さて、神池の写真を。
池畔には枝垂桜が残っていた。



水が綺麗なことに変わりないが、やはり日が照らないと、その透明感は出ないと思う。



何故か以前はいた錦鯉、それこそ錦色である、赤、橙、白、黒の色を纏った鯉が見当たらない。
盗るような不届き者がいるとは思えないし、逃げ出したのか、それとも死んでしまったのか判らないが、いま居る鯉達は、いつまでも水の綺麗さと共にあってほしいものだ。


撮影日時 180417 10時~11時
地図


三輪神社

2017年12月26日 | 再訪

京都府京都市右京区京北明石町


前回の祠からは、南丹市、亀岡市方面へ車を走らせる。
どこか適当なところで紅葉をと思ったのだが、どうも惹かれる風景には出逢えない。
いろいろ迷いつつ、京北の三輪神社まで行ってみることにした。

この三輪神社を掲載するのは五回目になる。
たぶん最も多く掲載した神社ということになると思うが、それだけ特別かというと、そうでもないような気がするし、ただ何となく行ってみたくなる場所であり、行ってみれば何となく満たされる、といった場所なのである。



何年か前の紅葉シーズンに訪れたときよりも十日ほど時期が遅いので、紅葉はほぼ終わっているのではないかと危惧したが、秋らしい風景で迎えてくれた。



前回の秋は、参道奥が色付いていて、鳥居辺りは緑を残していた。



ここの紅葉はほぼ全て黄色で、赤は見当たらない。
派手さは無いが、拝所が赤いので、ここにはこれが相応しいように思う。



右手の尾根の上から、僅かに太陽の光が弱く届く。
確か前回も太陽の光が射し込むのを待った気がするが、この時期、ここは直射光は届かないのだろう。






短いけれど、いい参道だなぁと思う。



拝所の背後の黄葉は、だいぶ散ってしまっている。
前回の秋は、拝所を取り巻くように木々が黄色く色付いて、派手ではないけれど華やぐような空間になっていた。



ちょっと残念だが、こういった晩秋の気配もいいものである。



頭上には、まだ鮮やかさを残した黄色もある。



ちょっと忘れてしまいそうになるが、隣には同行者のT君がいる。
彼との会話は多いのだが、余分な感想は言わないので物足りなくもある。
基本的にはくだらない冗談ばかり言い合っているので、ここに書くほどのこともない。
ただ、彼は彼なりに何かを見て何かを感じているようだし、沈黙が続こうが撮影に夢中になってほったらかしにしようが、お互いの空気は何も変わらないので、一人で訪れたときと、ほぼ同じその場の雰囲気を感じることができる。
これはとてもありがたいことだ。



さて、帰ることにする。






また来よう、と思う。

もう年末だというのに紅葉の記事ですが、これが今年最後の更新になります。
振り返ってみると、今年の更新回数は、今回も含めて僅か7回!
自分でも驚きの少なさです。
来年は月イチ、せめて12回は更新しようと、なんとも小さな志を立てております。
こんなブログですが、見に来てくださった方に感謝します。
良いお年を。


撮影日時 171127 10時20分~10時50分
地図 


滝神社

2017年07月04日 | 再訪

三重県熊野市神川町柳谷


十津川村は日本一広い村である。
奈良県の面積の六分の一、と言われてもピンとこないが、琵琶湖が滋賀県の面積の六分の一だから、それと大差ない大きさだろう。
そう考えると、幼い頃から琵琶湖に慣れ親しんできた私には、その広さが大雑把にではあるが掴むことができる。
それは、主な見所だけを拾っても、とても一日で周れる面積ではない。
下手をすれば、車の移動だけで一日が終わってしまう。
行く前から、そういう危惧は抱いていた筈なのに、果無集落の時点で16時。
日が長い季節とはいえ、山深い場所だから、そこはかとなく夕暮れの気配が迫っているのを感じる。
どこかに立ち寄るとして、せいぜいあと一、二箇所。
来た道を引返すとすれば、寄りたい場所が幾つか頭に浮かぶ。
が、往きと帰りに同じ道を使うのはつまらない、という意見はT君と一致した。

国道168号線を更に南下して、多少、後ろ髪を引かれつつ、観光客で賑わう本宮大社を素通りする。
既に十津川村ではないが、ここまで来れば北山川沿いの道を辿り、国道169号線を使って帰ることが確定する。
この時点で、立ち寄る場所は瀞峡か滝神社、ということも確定する。
だが、T君に意見を求めるまでもなく、私は滝神社を再訪したいと思っていた。



国道から柳谷集落への道に入り、集落入り口付近、石灯籠の近くにある広場に駐車。
谷川沿いに下る小道を辿る。
すぐに、神社名の由来であろう滝と注連縄があるが、もう薄暗いのと、水量がかなり少ないため撮らずに進む。
これは、参道を振り返って撮ったもの。



右上に白っぽい鳥居が見えてくる。
が、どこか前回よりすっきりしているような印象を受ける。
帰ってから前回の記事を確認すると、石灯籠の両脇にあった木が伐られてしまったようだ。
特徴的で魅力的な木であったので残念だが、倒れそうな気配はあったし、台風などの影響もあったのかも知れない。



石段付近はすっきりしてしまったが、鳥居の奥の濃密な緑は健在だ。
白い神明鳥居もそうだが、この緑を見ると、ああ、南紀の神社だ、と思う。



時刻は18時を過ぎており、実際はもっと薄暗い。
鬱蒼として、静かで、心地よい。
約七年ぶりに訪れる懐かしさを噛み締めるように進む。



前回の参拝は雨の降りしきる中のことで、境内は殆ど水溜り状態だった。
本殿覆屋の左にあった社務所らしき建物は取り壊されたようだ。



3月終わり頃の参拝だった前回は、まだこんな風に落葉樹は芽吹いてなかったと思う。
杉が主体の杜のなかで、秋にこのモミジが色付けば、さぞかし美しいだろうと思う。



鳥居方向を振り返る。
どこか前回と雰囲気が違うのは何故かと考えて、落葉樹が芽吹いたからや、社務所の取り壊し、水溜りの有無ではなく、砂利が敷き詰められているからだと気付く。



杜が豊かでなければ、砂利の敷かれた境内は明るすぎる観があって、やや殺風景にも感じられるものだが、ここは、静謐や清澄といったものを、より強く感じさせるようになった。
規模は全く違うが、瀧原宮や大馬神社を思い出した。
どちらも三重県の神社であるし、同じ神明鳥居ではあるけれど、そういった表面上のことではない、何か繋がりのようなものを感じる。



帰り際、振り返って社殿を見ると、淡くなった光にひっそりと浮かび上がり、身を委ねるようにその雰囲気に浸ることができた。

地表を覆う緑は苔のように見えるが、その殆どがバイカオウレンである。
早春に、梅に似た花を慎ましく咲かせる。
南紀はバイカオウレンの自生が多いところではあるけれど、ここは地元の方々が丹精込めてお世話されているようで、他に類を見ない大群生となっている。
好きだった場所が、更に好きになる再訪であった。


撮影日時 170620 18時20分~18時50分
地図


大歳神社(栗栖野)

2016年04月22日 | 再訪

兵庫県篠山市栗栖野


当野の大歳神社から栗栖野の大歳神社までは2キロほど。
以前に訪れたときも、この二社は同じ日に参拝したと思うが、当野の大歳神社は一つの記事としては初掲載で、この栗栖野の大歳神社は再掲載になる。
因みに以前の記事を見ると2008年の7月に参拝したらしく、三、四年くらい前に訪ねたような気がしていた私はちょっと愕然としてしまった。

栗栖野へは途中、国道を歩かねばならないので退屈な道のりだ。
若林寺への立て札が立っているところで集落内の狭い道に入る。
大歳神社は、その若林寺のすぐ手前にある。



前回訪れたときもそうだったのだが、どういうわけか、ここの鳥居の写真はとても撮りづらい。
どうしても納得のいく色調にならないので早々に諦めた。
風景自体は、以前と同じように欅の大木が迎えてくれて嬉しくなる。



鳥居の先は、当野の大歳神社と同じように、椿で彩られていた。



この二本の欅、なかなか立派なものだと思うのだが、あまり知られていないようだ。
奥に見えている木も大木といってよいもので、樹形からするとシイの類だろうか。



それにしても、鳥居の内と外は別世界である。



外は明るく開けた空間。



内は杜に覆われて深く鎮まっている。



ここも背後には舞鶴若狭自動車道が通っているが、当野に比べれば離れており、そんな気配は感じられない。



正直なところ、神社には立ち寄らずに桜に集中しようかとも考えていたけれど、どちらの神社も訪ねてみて良かった。
桜に負けず劣らず、椿もいいものだ。



踏まずに歩くのは、ちょっと難儀だけれど。



拝殿前の狛犬は、残念ながら新しいものに代わっていた。



本殿右側の境内社。



本殿左側の境内社。
前回来たときもそうだったが、ここは木漏れ日が気持ちの良いところだ。



鬱蒼とした杜の中でありながら、暖かい色合いになる。



椿もそれに一役買う。



更に左側にある境内社。



何となくだけど、水の中を連想してしまう。
木漏れ日の揺らぎと空気感のせいだろうか。



まるで供えたかのような椿の花。






本殿は前回と変わらぬ印象。
ただ、立て掛けられている箒が新しくなっているので、何だか気持ちがにっこりする。



拝殿前から振り返れば、木々に優しく包まれた空間であることを実感する。



ここから南矢代駅までは一キロも無い。
桜を見て寄り道しながら、のんびりと帰った。


撮影日時 160408 12時~12時40分
地図


熊野神社

2016年03月17日 | 再訪

兵庫県篠山市宇土


八柱神社の雪景色を堪能して、林道から出たところで雪が降り出してきた。
四日前に12キロほど歩いたばかりなので、今回は同じルートを辿らず、もう少し手短に済ますつもりだ。
倉庫のような建物の軒下で、暫く雨宿りならぬ雪宿りをする。
雪が降れば、昔だったらただはしゃいでいただけなのに、今は帰りの電車で濡れそぼっているのもなぁ、などと色々考えてしまうのが煩わしい。
雪はそれなりに強く降っているように見えて、それでも地面を更に白くさせるほどではない。
空の隅には青空も見えて、やがて小降りになってくる。
北に向かって歩き出す。
ここから歩いて行ける範囲で行ってみたい場所を考えたら、宇土にある熊野神社が頭に浮かんだからだ。
過去に二回、訪れている筈で、ここに記事を載せたこともある。
概ね民家の多いところを通るので、あまり楽しくはないが、途中に稲荷神社があったので立ち寄る。



連続する朱の鳥居から、雪や、溶け出した雫が落ちてくる。
一つの記事として掲載するほど写真は撮らなかったけれど、こういった寄り道は楽しい。

それなりに車の多い道を歩く。
溶け出した雪が水飛沫を上げるので、反対車線まで出て私を避ける車もあれば、割と直ぐ傍を横切っていく車もある。
自身が運転する立場であったとき、路面が濡れていれば前者のような対応をしたつもりだが、どこまで徹底できていただろう。 

宇土集落に入ると道は狭くなり、やがて正面に宇土観音が見えてくる。 



宇土観音はよく知られいるようで、駐車場にも沢山の車がある。
その左手に、隠れるようにあるこの神社に気付かぬ人も多いだろう。



懐かしいけれど、雪があるので新鮮な気分でもある。
参道の桧は皮が剥かれて赤い。
桧皮葺に用いるためで、神社では時々見かける光景だ。
痛々しく見えるが、これで枯れるわけでもないらしいし、ここの桧の樹皮が、どこかの神社やお寺に使われるのだと思うと、何やら想いは遠くへ馳せる。
知らずに、どこかで出逢うこともあるかも知れない。



鳥居前からは、宇土観音が見える。



参道は短いものの、奥行きを感じさせる。






少し進んでは撮り、で、似たような写真ばかりだが。



境内社の稲荷神社。
やはりここも紅白で鮮やか。



北北西に向いた谷間にあるので、今になって太陽の光が射してきた。



参道は桧であったが、社殿周りは杉の大木が聳える。



モノクロの世界に、木だけ着色したかのよう。






雪は八柱神社よりも少ないけれど、ここも来てよかったと思える風景。



もともと端正な姿の本殿であるが、背後の木々が白いと、より際立ってそれが感じられる。






美しい本殿だ。



やや離れた右手の林からも撮影してみる。
ちょっと雑然としているものの、雪の中にある佇まいには惹かれるものがある。

帰りは同じ道を通るのもつまらないので、宇土集落から変電所まで、山際を通る道を歩いてみた。



地図からは軽自動車が通れる程度の舗装された道を想像していたが、思いのほか雰囲気のいい道で、雪が無くても写真にしたい風景だった。



ちょっとブレてしまったけれど、左手の杉林。



変電所の手前で振り返って。
この道は多分、また通ることになると思う。

変電所からは、往きと同じ退屈な道を篠山口駅まで歩く。
たった二社を訪ねただけだが、楽しく充実した一日だった。


撮影日時 160301 10時半~12時
地図


八柱神社

2016年03月08日 | 再訪

兵庫県篠山市初田


前々回に掲載した八柱神社を訪れた日から四日後、私はまた同じ時間に同じ篠山口駅前に立っていた。
もともと雪景色が似合うだろうと期待していた八柱神社だったが、今冬はもう雪は無理だと諦めて八柱神社を訪ねたのに、まさかその四日後に雪が積もるとは。
しかもちょうど仕事が休みの日で、喜んでいいのか嘆くべきなのか判らない。
とにかくまあ、往復二千円ほどの電車賃をかけて、四日前と同じ場所に行く。

ありがたいことに、最近は雪があるか無いか行ってみないと判らない、ということはあまり無い。
前夜から雨雲レーダーと気温を何度も確認していたが、決め手になるのはネットで見られる各地のライブカメラだ。
兵庫県の場合は、兵庫県土木局の河川監視システムのカメラが役に立つ。
ライブではなく2分毎の更新で、夜間だと少し見えにくいものの、時おり雪が舞っていたり、薄っすらと地表が白くなっているのが確認できた。

前回と同じく田松川に沿って歩く。
前回と全く同じ場所に白鷺がいて、前回は逃げたが今回は逃げない。
周りの田畑は白一色ではあるものの、5センチくらいの積雪を期待していたのに、せいぜい1~2センチといったところだ。

青空が見えているけれど、時おり雪が舞う。
気温はマイナス2℃ほどで、湿度のせいか前回より寒く感じる。
雪景色と寒さの中、鶯の鳴き声が聞こえる。
春はもうすぐ傍まで来ているのだろう。

初田集落を抜けて林道に入る。




神社前から集落を見る。
普段なら撮らないけれど、やっぱり雪があると全く印象は変わる。
神社の方向を見れば山深い雰囲気だが、意外と人家が近いことが判る。



参道に入れば木々に覆われているせいで雪は更に少なくなり、ちょっと斑な感じになるものの、来て良かったと思える世界になる。



雪の中で、朱の鳥居はよく映える。



参道の奥、鳥居の向こうは凛然として、頭に思い描いていた気配を湛えている。



前回と似た構図になってしまう写真が殆どだが、雪があったから撮った写真もある。



木々の葉まで白く染まっているのは、雪が止んでから暫くの間だけだ。
時間が経てば雪は落ちたり融けたりして、黒っぽい常緑樹の木々の葉と白い地面とに色が分れて、美しさが半減するように思う。
積雪量は少ないが、いいタイミングに出逢えたようだ。



丹後出身の友人は、雪は嫌だと言うけれど、やっぱり私は雪が好きだなぁと思う。
ただ、雪国の苦労など何も判っていないのは承知しているから、その友人が言うことも理解できる。



参道を振り返る。
朱の鳥居は、緑の中でも白の中でも鮮やかだ。



この位置からの写真は、いつも納得がいかない。
色合いも、その気配も写せない。



いつもとはちょっと違う角度から撮ってみる。



見上げた木々が、白く輝いて綺麗だ。
何度か訪れた場所でも、こんな風にまだ知らなかった装いがいっぱいあるのだろう。



歩みは遅々として進まないが、やっと本殿が見えるところまで来た。



シャッターを押す手が痛い。



顔は痛みや冷たさを感じないが、鼻水が出ていても気付けないくらいだから、ちょっと麻痺しているようだ。
雪景色に目を輝かせている自分、鼻水を垂らしている自分というものを客観的に見ると、随分と滑稽な姿であって、綺麗な雪景色の中で、自身だけが綺麗ではない異物なんだなぁ、なんて思えてくる。



くぐった鳥居を振り返る。



そして本殿前へ。



前回と同じように、杉林の向こうに朝の光が射し込んでいる。



反対側は、より強く照らされて、雪も淡く太陽の色に染まる。



真横から。



帰り際、振り返ると竹の葉からさらさらと雪が舞い落ちてきた。
スローシャッターで撮ったので、竹林の上部が光を纏ったかのように微かに白っぽく写った。


撮影日時 160301 8時半~9時半
地図


八柱神社

2016年02月29日 | 再訪

兵庫県篠山市初田


車に乗っていた頃は、月に一度は篠山に行っていた。
星を見るためであったり、神社を訪れるためであったり、無目的なドライブであったりと、とにかく馴染み深い場所であった。
ここ暫く疎遠になっていたので、久しぶりに篠山を訪ねてみようと思う。

電車で篠山に行くのは初めてのことで、何かと勝手が違う。
駅の跨線橋の階段が、下車客で一杯になるなんて想像もしてなかったし、駅前の風景も慣れ親しんだものとは違って、どこか知らない場所へ来たかのようだ。

気温はマイナス3度ほど。
寒いというより冷たいという感じで、田畑には霜が降りて薄っすらと白くなっている。
田松川という用水路のような川に沿って歩くが、最初は進行方向とは逆向きに流れていたのに、水門のあるところから先は、進行方向に向かって流れるヘンな川だ。
水門までは加古川水系、水門からは武庫川水系になっている。 
分水嶺という言葉があるように、通常は山が水系を隔てるものだが、こういう絶妙な地形の兼ね合いで分水された場合、谷中分水界と言うらしい。
河川争奪など、地形図を見ていると数百年、数千年後には、この流れはこっちの谷に奪われているだろうな、と想像出来るところもあったりして楽しいが、ここは人為的に運河が開削された結果によるもののようだ。

これから向かう初田の八柱神社は、過去に何度か訪れたことがあって、とても好きな神社の一つである。
雪景色が似合いそうに思ったので、本当は雪の積もった時に来たかったのだが、残念ながらそう都合よくはいかなかった。 

やがて、知らない場所が見知った風景になる。
初田の集落に入って、民家が途切れるところから林道に入る。
林道が左にカーブするところで神社への参道が岐れる。



ああ、と心の中で声が漏れるほど、この風景は懐かしく、何度見てもいいなぁと思える風景だ。



真っ直ぐに伸びた左の杉と右の竹。
朱の鳥居と石の鳥居。
その向こうに屹立する巨杉。



厚着をしてきたので寒くは無いが、手袋をしていないので手が悴む。
痛みを覚えつつも、暫しそれを忘れたりもする。



車で訪れている時には意識していなかったが、ここは篠山口駅から2キロ弱だ。
もっと辺鄙なところという印象を持っていたけれど、意外と身近なところに素敵な自然がある。
電車であちこち訪ねるようになってから、新たな発見が色々あって楽しい。



ここに来ると、いつも森厳という言葉が頭に浮かぶ。



とはいえ、そういった厳かな気配が写せなくて、いつも落胆するのだけれど。



石の鳥居と木の鳥居、その先に続く石段と、奥に見える本殿。



参道には杉の枯葉がたくさん落ちていて、やや雑然としているけれど、やっぱり森厳とした空気は変わりないように思う。
手入れされているとかいないとか、そんなことを抜きにして神域なのだと感じる。



本殿に近づくと、ちょっと失礼な言い方かも知れないが、旧知と再会するかのような高揚感を覚える。



本殿背後の杉林には、朝の光が射し込んでいる。






狛犬さんもお久しぶり。



本殿左手から。



右手から。



前回の再訪記事で、地元のおばさんが「存亡の危機ですわ」と神社の維持の大変さをおっしゃっていたことを書いたが、部分的に修繕はされているようだ。
余所者の無責任な言葉かも知れないが、どうかこの環境を残していただきたいと思う。



境内社。



境内社と杉林。



垣の外に出て、横から本殿を見る。



直線の杉と、曲線の屋根に見入ってしまう。

過去に二回掲載しているし似たような構図も多いかも知れないが、今までと少しは違う雰囲気が出せた…ような…気がする。


撮影日時 160226 8時半~9時10分
地図 


大龍神社

2015年06月09日 | 再訪

兵庫県三田市上相野


今回も福知山線に乗って神社へ行くことにする。
長い間、車での移動が当たり前になっていたけれど、私は元々、電車に乗るのは好きなほうだ。
窓の外を見たり、本を読んだり、眠ったり、見るとは無しに他の乗客を眺めたり、と、過ごし方は様々で、べつにそれが特に退屈と感じることは無かった。
ところが改めて車内を見回してみると、最近は多くの人がスマホをいじっている。
スマホも用途は多岐に亘るから、ニュースを読んだりだとか、調べ物をしたり、お絵かきアプリで絵を描いてみたりと、様々に活用できる筈なのだが、どうも私の目に入った範囲では、多くの人がゲームをしているようであった。
通学の中学生から、中年のサラリーマンに至るまで、一様に指を熱心に動かしている。
これはちょっとおかしな眺め、というか、大袈裟に言えば、由々しき事態では、などと考える。
もちろん、ゲームをする人はいてもいい。楽しいだろうしハマるのも理解できる。
だが、ゲームをする人と同じくらい、本を読む人や景色を見る人がいて然るべきなのでは、とも思う。
多様な価値観や時間の過ごし方が失われて、一律に、電車での通勤通学は退屈でゲームで時間潰し、という状態では、どんどんつまらない人間ばかりになるのではないか。
しかも福知山線は、それなりに自然豊かなところも通るから、田植えが始まっただとか、花が咲き出したとか、葉が色づき始めただとか、何かしら日々の変化が感じ取れるところであるから、誰も窓の外に関心を向けていないというのは悲しいことだ、というようなことを職場の同僚に話すと、「そんなもんでしょ」と一蹴された………。

とまあ神社と関係無い話はこれくらいにして、今回は前回の道場駅よりもう少し先まで乗って相野駅で降りる。
時刻は9時過ぎだが、駅前にいる何人かの高校生を尻目に線路沿いの狭い道を歩き出す。
今日は晴天で、撮影条件は厳しそうだ。
これから向かう大龍神社は、訪れるのは三回目、掲載は二回目になる。
過去二回で、この神社はどういうわけか写真が撮りにくく、いい色が出てくれないということを痛感しているから、晴天でコントラストの強い今日は尚更だろうと少し気が重い。
踏切を渡ってすぐに神社前。
車で来ていたときは意識していなかったけれど、ここも駅から徒歩10分以内で行ける神社で、いいところである。



似たような構図で何枚も撮ってみるが、やはりまあ目で見た印象のようには写ってくれない。
駅からここまでは田畑の広がる明るい風景だから、神社に足を踏み入れたときの陰翳と奥深さには心惹かれるものがあって、こんな写真では伝わらない。
少なくとも直射光が入っていない前回の方が、まだいい写真が撮れたように思う。



鳥居をくぐれば、光線状態は幾分マシになるような気がする。



以前に掲載したときにも書いたし、他の神社でも書いたことがあるけれど、長床というか舞台というか、なんと呼べばいいのか判らない建築物がある。






そしてこれも何度か書いてきているけれど、くぐる建物は大好きで、いつも何だかワクワクしてしまう。



うーん、色が…。



いろいろと設定や角度を変えて撮ってみるものの、結果は変わらない。



羊歯を取り入れてみたりもするが…。



部分的に補修が行われたようで、一部、木の色が新しくなっている。



それにしても色が濁る。
思うに、常緑広葉樹が多いところは、特に直射日光が当たっている時は色が濁るような気がする。
常緑広葉樹は、言い換えれば照葉樹で、その名の通り光を照り返す。
落葉樹の葉は光を含んで輝く感じだし、針葉樹は光の強弱に対して素直に明るくなったり暗くなったりするだけのようなのに、常緑広葉樹は、あらゆる方向を向いた葉が、あらゆる方向に光を跳ね返すから、カメラのほうも上手く処理できないのではなかろうか。
尤も、私のカメラが古くて安物であるからかも知れないし、それ以前に腕の問題である可能性が大きいから、あまり考えても仕方ない。



本殿と拝所を右側から。



左側からは光輝いて神々しくあるのだが、写真ではそうもいかない。
境内ではハルゼミが鳴いている。
春に鳴く蝉がいるのか、と思われる方もいらっしゃるだろうが、夏のそれが、うるさくとも夏の風情を感じさせるのに対し、ハルゼミはべつに春らしいわけでもないし、どちらかと言えば汚い声で鳴く。






本殿。
大龍神社という名前からか、小さな龍の彫刻が心なしか雄雄しく見える。



境内社は幾つかあるが、本殿左側にあるものは、あまりに光が強かったので、本殿右側にある稲荷社を中心に。






掲載はしていないけれど、長床というか舞台の写真を本殿側から撮っていると、突然、非常ベルが鳴り出した。
四枚目の写真を見てもらえば、辛うじて非常ベルの赤い点が見えると思うが、つまりこれが作動して、静かな境内に鳴り響いたわけである。
当然、飛び上がるほどに驚く。
とはいえ、ここでそそくさと神社から出れば、余計に怪しまれる気もするし、近隣の方が駆けつけたとしても堂々としていようと決める。
好きでやっていることとはいえ、神社巡りも楽ではないのである。
それにしても、何故、非常ベルが鳴り出したのだろう?
センサーのようなものは無いし、建物の中に入ったわけでも無い。
ふと時刻を確認すると、9時59分だった。
もしかしたら、10時を知らせる時報のようなものかも知れない。
結局、誰も駆けつけては来なかったし、ベルも一分ほどで鳴り止んだ。



あまり満足できるような写真は撮れなかったけれど、まあ色々あって楽しくはあった。
ちょっと軽薄ではあるが、駅から徒歩15分以内で行ける駅近物件神社、なんて本があれば、意外と需要があるのでは、などと考えたりすると、この神社は是非とも掲載したいなぁ、と思う。


撮影日時 150526 9時15分~10時10分
地図


春日神社

2013年12月06日 | 再訪

兵庫県篠山市後川上


丸山稲荷神社から自宅方面への道に入り、中途半端な紅葉状態でもあるからそのまま帰ろうかと思ったのだが、途中で横道に逸れてこの春日神社に立ち寄ることにした。
随分と前に掲載したことがあるけれど、参拝自体は十回近くになるお気に入りの場所である。



実は一ヶ月ほど前にも来たばかりなのだが、一応は秋の装いに表情を変えて迎えてくれた。



朝に来ることが多いので、いつもは暗い印象の参道。
今日はお昼だから、ちょっと柔らかい印象だ。



左の高みに本殿覆屋が見えてくる。






紅葉はイマイチでも、足許で秋の賑わい。



さて、私の好きな「くぐる」建物です。



くぐりながら本殿覆屋。



振り返る。
やっぱりこういう建物は楽しい。



ぱっ、と明るい場所に出て建物の全体像を。
ここの紅葉はなかなか綺麗だった。



色付く前のモミジも捨て難い。






光が差し込むと、静まっていた空気が俄に騒ぎ出すような気がする。



本殿右手に境内社。
その上方に小さな祠があって、何故かそこが中心であるかのように、いつも「すっ」と視線が吸い込まれる。



本殿覆屋と紅葉。



覆屋の中にお邪魔する。
本殿は結構大きく立派なものだ。
覆屋の壁には啄木鳥が開けたらしい穴が無数にあって、柔らかい光に満ちていた。


撮影日時 131114 12時10分~13時
地形図
道路地図
駐車場 あり