神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

戯言

2013年01月25日 | その他

更新したいのだけど、このところ写真も撮りに行けてないし、かといって放置するのもなぁ、という感じなので、戯言というか雑文を。
と言っても、こんな更新は誰も望んで無いだろうなぁ・・・すみません。

神社を紹介しているブログにしては、あまり神社のことを詳しく書いてないし、気儘に感想のような文を添えているに過ぎないけれど、それでも一般のブログに比べれば堅苦しく思われるかも知れない。
私自身、もっとざっくばらんな文体にすれば良かったかな、と思わないでもないので、カミングアウトするわけではないけれど、ちょっと日常の趣味嗜好をぶっちゃけてみようかと思う。
最近、友人の影響もあって、結構マンガを読む。
もちろん小説も好きなので、いままで数百冊の小説を読んできたが、だからといってマンガは馬鹿に出来ない。
更にぶっちゃけて言うと、私は涙もろくて、すぐに落涙する。
小説や音楽でもそうだけど、マンガの方が泣く比率が高い。
マンガとかで簡単に泣くと、人生経験が足りないんじゃね? なんて意見をネットでよく見かけるけど、私の場合は逆だ。
いろんな経験をするほど、些細なことで泣いてしまう。
もちろん、人前で泣くわけではないが、自分の知った痛みや悲しみから、容易にその辛さが想像できてしまうから、簡単に感情移入してしまう。

最近ハマっているマンガは「夏目友人帳」だ。
カテゴリとしては少女マンガになるのだけど、いわゆる少女マンガとは違って、恋愛ではなく妖を題材にしたマンガだ。

幼い頃に両親を亡くし親戚中をたらい回しにされる少年。
生まれつき妖が見える彼は、虚言癖がある子供として周りから疎まれ、「早くひとりになりたいなぁ、ひとりで生きていたいなぁ」と思うようになる。
やがて彼は、心優しい夫婦に引き取られる。
成長して、誤魔化す術も身に着けて、新たな両親に心労を与えぬよう気遣いながら、人と、妖との触れ合いを繰り返して、そのどちらともかけがえの無い繋がりを紡いでいく。
人の脆さと儚さを小馬鹿にしながら、自覚せずに慈しむように彼との時を過ごす妖達。
妖であっても、それぞれが抱く「想い」を汲み取って接する彼。
そんな彼には、祖母の遺品である夏目友人帳があった。
彼と同じように妖が見え、人から疎まれ続けた祖母が、妖に勝負を挑み、勝った相手の名前を記したもので、そこに名前を記された者は、名前を呼ばれると逆らえぬという。
ただ使役させられるだけのものではない。
何故なら、名を呼ばれることを焦がれている妖もいた。
何故ならそれは、友人帳と銘打っているのだから。
そんな内容。

夜に山を歩いたりすると、その賑やかさに驚くことがある。
虫の声、動物の気配、満天の星空、風の音、木々のざわめき。
不安と喜びに満ちた空気。
そこに、妖がいても不思議じゃないかな、なんて思ったりする。
昔の人が描いた存在が、その暗闇の中で息づいているんじゃないかと思ったりする。
緑の深いこの国に、まだそういった存在が残っていればいいなぁ、と思う。

子供の頃、伯父と一緒に山を歩いた。
父とサワガニ獲りに山に入ったりした。
日本人は無神論で無宗教なんて言われたりするけれど、或いはそれは、普遍的すぎるからではないかと思うこともある。
「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」「もったいない」「おかえり」「ただいま」
僕の好きな言葉ではあるけれど、それらは生まれるべくして生まれた言葉だと思う。
山と海と川と、自然と共に暮らしてきた。
地震や台風、自然災害と共に暮らしてきた。
自然に畏怖と感謝を抱くのは必然で、僕は山に入ることで、それを感受してきた。
無意識のうちに、それは心に宿っているのではないか。
当たり前すぎて意識しないくらいに。

───って、マンガの話の筈が、やっぱりちょっと堅苦しくなってしまったかも知れない。
普段、日常の私はアホ話ばかりしているのだが。
他に好きなマンガを挙げておくと、「ヒカルの碁」「バクマン」「めぞん一刻」「岳 みんなの山」「3月のライオン」「寄生獣」「H2」「砂時計」「となりの怪物くん」「君に届け」「7SEEDS」などなど。
もちろん、「スラムダンク」や「ドラゴンボール」「幽遊白書」とかの超有名どころも読んでるが、なぜか「ワンピース」は合わなかった。

ついでに言うと、最近KOKIAというアーティストの音楽にハマっている。
youtubeででも聴いていただければと思うが、CDよりもライブの方が歌唱力が際立つ数少ない人で、日本よりも海外で高く評価されているようだ。
歌唱力に関しては「Ave Maria」を聴いてもらうと判りやすいが、代表曲は「ありがとう」だろうか。
ただ、マンガの夏目友人帳を読みながら、「花宴」を聴くと、個人的には凄くハマる。
べつに妖に関係した歌詞ではないが、どちらも日本人の心の底辺に共通するものがあると思う。
他には「覚醒」や「0からの始まり」、「大事なものは目蓋の裏」とかが好きだ。

更に音楽繋がりで言うと、youtubeで辻井伸行さんの演奏するラ・カンパネラを聴いて感動した。
べつに特に好きな曲というわけではなく、ただこんな曲が弾けるのは人間技ではないというイメージだったのだが、ちょっと認識を新たにした。
他にもいろんな人の演奏を聴いたけれど、この人の奏でる音色がいちばん私の感性を揺さぶった。

小説とマンガに優劣をつけるつもりが無いのと同じように、音楽もあらゆるジャンルがあって、それらに優劣をつけるつもりは無い。
PerfumeとかTommy heavenly6とかも好きだし、昔はB'zなんかもよく聴いたし、黒夢やラルク、浜崎や宇多田やサザンや小室系だとか、それに洋楽もよく聴いた。
きゃりーだって、これはこれでいいんじゃないかと思うんだが、周りには顔を顰める人が多い。
友人にはAKB好きもいるし、私は聴こうとは思わないけれど、それもまたよしと思う。
ゲーム音楽でも素晴らしいものがあるし、ジブリアニメで有名な久石譲の音楽も好きだ。
最近の流行には疎いけれど、いつの時代も、どんなジャンルであっても良いものはあると思う。
何にせよ、感動は割と身近なところにあって、それらを感じる心を失わずにいたいなぁと思う。


写真が無いのも寂しいので、前回、玉依神社に行ったときに立ち寄った他の神社の写真を。 








京都府亀岡市東本梅町中野 八幡神社
 


玉依神社

2013年01月04日 | 京都府

京都府亀岡市東別院町湯谷


初詣は殆どの人にとって何か一つのイベントのようになっているけれど、普段から割と普通に神社を訪れている私としては、ただ単にその年の最初に行った神社というだけで、特に気合を入れるわけでもなければ、いつもと違ったことをするわけでもない。
今回、訪れたこの玉依神社も、いつも通りに山里の良さそうな神社を訪ねただけである。
正月三日の参拝ではあるものの、二時間以上の滞在で誰一人出会わなかった。
小さな集落の地元の人達は、当然、一日に済ましているだろうし、それが終わればあとは余所から人が来ることは滅多にないだろうから、きっと二日だろうと三日だろうと元日以外はいつもと一緒なのだろう。
ただ、正月飾りはあったから、普段とは違う装いではあるようだ。

玉依神社のある湯谷集落は標高400mほどの高地にあって、亀岡でも最も山深い場所の一つ。
大阪府境のすぐ近くだが、大阪方面はもちろん、亀岡市街に出るのも不便なところだ。
当然、凍結が心配なので、注意しながら運転。
集落内は狭く駐車スペースも無さそうなので、集落に入る手前の道路が広くなっているところに駐車。
風が冷たく寒い。気温はマイナス1度ほど。



集落に入ると冬の田畑の風景が広がる。
棚田と言われればそうなのだが、整備されて棚田の情緒は無くなっている。
空は快晴で月も見えている。
神社のある位置と向きを考えると、この陽射しではコントラストが強くて写真にならないかも知れない。






神社までは10分ほど歩かねばならないが、歩いたおかげでこういった道端での出逢いがある。



青空は綺麗だけど、これは杜に入れば光と影の斑模様に違いない・・・。



案の定、どうやってもまともな写真が撮れない。
この日、朝は快晴だったが午後からは天気予報通りに曇りだった。
というわけで、この日は午後にもう一度ここを訪ね、朝に撮れなかったところを撮り直した。
この鳥居もそうで、以後、朝と昼の写真が入り混じってます。






氷が張るほど寒くても、苔の緑は鮮やかだ。



深くていい参道ではあるが、竹林がかなり荒れているのが残念。
雑然とした印象になってしまう。



振り返れば───って、光線状態が違いすぎて違和感が拭えないし説明もし辛いけど、逆光の場合はまだ何とか写真になる。



カーブした参道を上って行くと石灯籠が見えてくる。



この石段の先には空間が広がっている気配があって、何か期待させられるところだ。






石段を上り切れば、広場とその先の高みに本殿の覆屋が見える。
ここの広がりと、高みへと続く石段、杉の大木、それらが作り上げる気配には、歩みを止めて浸ってしまうものがある。



右下隅に服の袖が写り込んでしまった・・・。









苔も豊かなので、梅雨明け頃にもう一度来てみたい。



とにかく居心地の良い空間。



さて、本殿に向かうが、石段の手前に何かある。



よく判らないけれど、反対側にまわってみると、光の加減か妙に印象的な構造物に見える。



いい。



なんか凄くいい。
えらく気に入ってしまった。



何だか神秘的なオブジェに見えてきた。
この神社を紹介しているサイトはあるし、他にも神社の写真を撮りに来た人はいるだろうけれど、こんな必死にここにレンズを向けたのは僕だけだろうなぁ、なんて考えると可笑しくなってきた。



石段の途中から見下ろせば、広場で光と緑が戯れているようだ。



日が翳っていれば、また違った何かの息遣いのようなものが湛えられている。






石段もまた様々な表情を見せてくれて楽しい。



拝殿は無く、石段の先にはいきなり本殿覆屋がある。



ここまで来て「ん?」と思う。
正面に「学業成就」の文字が見えるではないか。
今日はちょうどそっち方面のお願いもするつもりだったので、何だか迎えてもらえたような気分になる。



では、ご利益がありますよう。



本殿はなかなか立派なもので、きっちり手入れ修繕がなされているようだ。



本殿背後には磐座と思われる大きな岩がある。 


最後に本殿前から振り返って。


撮影日時 130103  9時10分~10時40分  13時~13時50分
駐車場 本文に書いた場所が無難。
地形図
道路地図 


明けましておめでとうございます

2013年01月02日 | その他

いつも不定期の気まぐれ更新なブログに付き合ってくださってありがとうございます。
今年はもう少し更新を頑張ろうと思いますので、またお付き合いください。

過去記事を見ると、去年も一昨年も新年の挨拶記事を書いていない。
大晦日も元日も仕事だったし、新年に相応しい写真も無いし、今年も改まって書く必要もないか、などと考えていた。
だが、ふと気付けばあと一ヶ月でブログ開設5年。
今年から6年目に入るとなると、ちょっと感慨深いものがあるし、ここまで続けられたことに対して、やはり多くの人に感謝したい。

見に来てくださる方、相互リンクしてくださっている方、コメントをくださった方、それから、ツイッターでつぶやいていただいたり、写真を気に入ってここにリンクを貼ってくださる方もいらっしゃるようで、いつもありがたく嬉しく思っています。
出掛けるのは好きだけど出不精で、文章を書くのは好きだけど筆不精で、飽き性で堪え性が無くて投げやりな私が、よくもまあここまで続いたものだと思うと、ほんの少しだけ自分を誉めつつ、やはりみなさんに感謝です。
みなさんにとって、いい年になりますよう。