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神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

小野神社

2017年08月22日 | 滋賀県

滋賀県大津市小野

和邇駅から、緩い上り坂の道を歩く。
新旧の住宅が入り混じった郊外の平凡な風景だけど、道路脇の溝には透明な水が勢いよく流れていて、少しばかりの涼しさを伝えてきた。
それでも、目指す病院が見えてくる頃には、汗が服に纏わり付いて落ち着けなくなっていた。
病院の中に入っても、さして涼しくはない。
小野神社はこの病院の近くにあるから、帰りにでも寄ろうと思っていた。
けれど僕は、叔父の病室に七時間ほどもいたので、立ち寄る時間は無くなってしまった。
会話が弾んだわけではなくて、寧ろ叔父は殆ど眠っていたのだけど、何故だか病室は落ち着けた。
考えてみれば、叔父の家や、叔父と話すことは、昔から落ち着けることではあった。
それは、叔父が眠っていたとしても同じことなのだろう。
ただ、虚ろに目を開いているときに、話しかけるべきなのかは随分と迷った。
話すことは疲れることであろうし、かといって黙っていることは、気疲れさせてしまうのでは、と考えたりした。
それに、話したいことは山ほどあるようでいて、何を話せばいいのか判らなくもなっていた。
同じ姿勢でいるのは辛いらしく、時おりベッドの角度を変えたり、叔父の身体を支えて向きを変えたりした。
少しでも叔父の役に立てるのは、嬉しいことだった。

次の休みの日も、僕は同じ駅に降り立った。
この日は遅い時間に家を出たので、夕暮れ時の小野神社に立ち寄ってから、なんて考えたりもしたけれど、結局は真っ直ぐに病院に向かった。
叔父は先日よりも意識がはっきりしており、途中から叔父の息子さん二人が加わって、夜の十一時前まで楽しく会話することができた。
よし、これからは休日の度にお見舞いに来よう、写真好きの叔父に、小野神社の写真を見せるのもいいかも知れない、そんな風に考えた。
なのに、次の休日の一日前に、叔父は亡くなってしまった。
写真も、音楽も、山にも宇宙にも造詣の深い人で、僕は大好きで尊敬していた。
いつだって穏やかに話すその声を、僕はもう聞けなくなってしまった。

山や自然が好きだ。写真を撮るのも好きだ。
叔父のような知識は無いけれど、星を見るのも好きだし、叔父のようにモーツァルトに傾倒してるわけではなくても音楽は好きだ。
叔父と同じ血が、僕にも流れているんだ。
だから、どうか死なないでと願ったのに。
もっともっと、いろんな話がしたかったのに。


そんなことがあって、少し間が空いてしまったけれど、行けずにいた小野神社に向かうことにする。
湖西線の車窓から、比良山系が見えてくる。
高校生のとき、叔父夫婦と一緒に登った。
ここで掲載したことのある小椋神社は、叔父に連れて行ってもらった場所だ。
───休日が訪れる度に、病院に行かなきゃ、という思いに捉われる。
たぶん、叔父の家族は、叔父のいなくなってしまった日常を実感しているだろうけれど、中途半端な距離にいた僕は、病院や、叔父の家に行けば、また会えるのではないかと思ってしまう。

叔父の最寄り駅を、どこか落ち着かない思いで通過して和邇駅で降りる。
病院への道を右に見送って、初めての道を歩く。
ほどなく小野神社前に辿り着く。
丘陵の懐に抱かれた、鬱蒼とした環境にあるかと思っていたけれど、意外と明るく人家も近い。
少しく残念に思いながら、それでも落ち着いた佇まいに心惹かれる。



人の気配や生活音が感じ取れるような場所ではあるが、鳥居の先は「杜」といっていい気配がある。



真正面に本殿、と思ってしまうが、これは境内社の小野篁神社である。






境内社とはいえ、美しい佇まいだ。



左手に「順路」と書かれた看板が無ければ、このまま真っ直ぐ進んでしまうだろう。



横道に逸れるような感じで小野神社への参道に入る。



全体的に明るめの杜ではあるが、この辺りだけはやや木々が深くなっている。






小野神社の方が少しばかり高い位置にあるし、瑞垣に囲われているとはいえ、境内社の小野篁神社の方が立派な社殿であるのが不思議だ。
そういえば、小椋神社もこれに近い形態かも知れない。



参道横の小道から。






小振りな社殿ではあるけれど、やはり惹かれる気配がある。



小野篁神社の方へ。



ちょっと変わったタイプの建築様式で、重要文化財にも指定されている。






建築物としての価値はともかく、精緻な陰翳を描いて美しいなぁ、と思う。



参道横には神田らしきものもあった。



さて、帰ることにする。
今日はここ以外、どこにも寄るつもりはない。
初めて訪れた場所であるけれど、色んな想いや思い出に浸れる場所だった。


撮影日時 170817 9時10分~9時50分
地図 


天満宮・樹下神社

2015年12月08日 | 滋賀県

滋賀県大津市北比良・南比良


蓬莱駅から比良駅までの二駅の距離を、なるべく湖岸に近い道を選んで歩いてきた。
水切り遊びをしたり、シジミはいないかと砂浜を掘ったり、流れ込む小川に手を浸し、その冷たさを楽しんだりして、やっぱり琵琶湖っていいなぁ、と再認識。
あまり一人では出来ないことでもあるので、同行者のO君にも感謝だ。
出来れば、この先も湖岸に沿って、近江舞子か北小松まで歩いてみたかったが、午後の天気は雨で間違い無さそうだし、ここから山側へ少し行ったところに、以前から行きたかった神社があるのでそちらに立ち寄り、比良駅から帰ることにする。

左手に比良駅を見て、湖岸から山の方へと一直線に向かう道に入るところで、湖岸に面して鳥居が立っている。



天気が悪くて、写真では空と琵琶湖の境界さえ判らない状態になってしまった。
ここは、これから向かう神社の御旅所のあるところだ。
天気が良ければ、青い空と琵琶湖に鳥居が映えることだろう。
ここからは退屈な直線道をテクテク歩く。
神社の杜は早くから見えているものの、景色は遅々として進まない。
湖岸から800m弱の距離だが、この日、最も退屈な道のりだ。
正面には比良山系が聳えているが、その斜面の紅葉は全く冴えず、濁った色で曇天の下でくすんでいる。
私にとって、今までで一番美しい紅葉を見たのは比良山だった。
中学三年の秋のことで、それはそれは鮮やかで、息を呑むとはこういうことかと思うほど、圧倒的な美しさだった。
今日は多少は時期を外しているかも知れないが、そうであっても通常なら点々と鮮やかに色付いた木々が散見される筈である。
それが一本も見当たらない。
やはり今年の紅葉は色付きが悪いのだろう。
ただ、蓬莱駅から7キロほど歩いてきたが、さすがに若いO君は全く疲れた様子も無くて心強い。



国道161号線と出会うT字路の正面に神社はある。
タイトルで二つの神社名、住所は北比良と南比良の二箇所を書いた。
写真をよく見てもらえば判るのだが、正面の鳥居の左側にも常夜灯が見えていて、何やら参道のような気配が窺える。
正面の鳥居が北比良の天満宮のもので、左側に少し見えている参道は、南比良の樹下神社のものだ。
つまり、地区の境界の南北に、それぞれの地区の神社があって、前回の八所神社と似た状態ではあるのだが、こちらは八所神社と違って神社名は別々である。



両神社の間にある大木はかなりの存在感。
幹の殆どは空洞になってしまっているが、まだ緑の葉を沢山つけている。
目の前は国道で、湖西道路が出来る前は交通量がもっと多かったし、長い間、排気ガスに晒されてきたわけであるが、今は少しばかり過ごしやすくなっているだろうか。
とはいえ、国道が通じる前の風景を見てみたかったと強く思う。
 


天満宮の鳥居。
左奥には樹下神社の鳥居も見えている。
こういった細かな違いはあるが、この二社は瓜二つと言っていい。



参道の途中で隣に別の参道と鳥居がある。
とても不思議な感覚だ。



こちらは樹下神社の鳥居。



天満宮の拝殿。



両社の参道の間から。



こちらは樹下神社の拝殿。
瓜二つとは言っても、よく見れば拝殿も中門も、それぞれ微妙に作りが違う。
何だかいい意味で競い合っているかのようにも感じられて、それを見る私としては贅沢な眺めを享受させてもらっている気分だ。






面白いなぁ、と思う。



元々は一つの神社が、地域の争いで二つに分かれた、という話もあるようだけど、今は仲良く並んでいるようで、ここの神様達は、日々、楽しんでらっしゃるのでは、なんて考えたりする。
どんな会話を交わされるのか、想像すると豊かな気持ちになれる。






こういった神社は、他にも例があるのだろうか。
前回の八所神社も似たような事例だけど、ここは更に特異さが際立つ。



樹下神社本殿前から鳥居方向。



こちらは天満宮。
どちらも湯立竈らしきものがある。



天満宮本殿。
この位置から見た本殿の陰翳が、最も美しかった。



残念な天気のせいもあって、納得のいく写真は撮れなかったけれど、楽しい一日だったので、まあ良しとしよう。

 
撮影日時 12時~12時50分
地図


八所神社

2015年11月25日 | 滋賀県

滋賀県大津市八屋戸・南船路


紅葉の写真を撮りに行きたいと思いつつ、天気、その他諸々うまく噛み合わず、なかなか出掛けられずにいた。
と言うより、こんなブログをやっていながら、実のところ私は出不精である。
出掛けたい出掛けたいと常々思っていながら、当日になると「メンドクサイ」となって、休日を無駄にしてしまうことが度々ある。
ここは一つ、誰かに犠牲になってもらわなければならない。
一人で出掛ける予定を立てるから、ついついサボってしまうのであって、誰かと約束してしまえば、すっぽかすわけにはいかないのである。 
というわけで、今回は珍しく同行者がいる。
親子ほど歳の離れた高校生のO君だ。
彼はなかなかに思慮深く、洞察力があって、大人と会話が出来る逸材である。

早朝に最寄り駅で待ち合わせ、湖西線の蓬莱駅で下車する。
あまり神社ばかりを訪ねるのもどうかと思ったので、琵琶湖を見たりしつつ、ちょっと神社にも立ち寄ろうというプランだ。
とはいえ、蓬莱駅のすぐそばには八所神社があるので、まずはそこに向かう。



駅から100メートル程で神社前。
神社前は旧国道161号線で、湖西道路が出来て県道に格下げになったが、それでもそれなりの交通量があって、長閑さや静寂といった環境には無い。
ただまあ、駅の直ぐ近くに、こんな環境があるのは「いいなぁ」と思う。 



拝殿は滋賀県によくあるタイプ。



O君はというと、特に関心のある様子も無ければ、退屈というわけでも無さそうだ。



本殿の佇まいは質素でもあり、味わい深くもある。

ところで、左手の木々を透かし見ると、何やら社殿のようなものが見える。
住所表記を、滋賀県大津市八屋戸・南船路としたのはこのためで、ここまでは八屋戸の八所神社、隣接して南船路に、同名の神社がある。
仕切りがあるわけで無く、同一の社域に存在するかのような二社だが、道が繋がっているわけでもないので、一旦、鳥居の外に出る。



南船路の八所神社の鳥居前へ。
空は曇っているが、ちょうど朝陽の方向に面しているのでコントラストが強く、撮りにくい。



こちらも拝殿の形状は似たようなタイプだが、やや新しいようだ。
木々は疎らなので、こちらの境内の方が明るい。



こちらは中門は無いが、やはり似た印象の本殿。
鳥居から本殿まで、全て八屋戸のものよりも簡素に感じられ、境内もこちらの方が狭い。
どういった経緯で同じ敷地内に同名の神社が存在することになったのか興味深いが、ネットで調べてみても詳しいことは判らなかった。

と、まあ、ざっと簡単に撮影を済ましてしまったけれど、今回は同行者もいることだし、一応は琵琶湖を見ながらのんびり歩くのが主目的である。
撮影時間は二社を合わせて僅か10分足らず…。



神社から湖岸までも100メートルほど。
天気は曇りで空気の透明度が低く、立体感の無い茫漠とした風景になっていて詰まらない。



綺麗な紅葉も見当たらないし、琵琶湖も絵にならないし、何を撮ればいいのかと思いつつ、取り敢えずは北に向かって歩く。
O君は琵琶湖に来るのは初めてのようなので、もっと美しい琵琶湖を見せたかったとも思うが、それなりに楽しんでくれているようだ。






時々、こういった小さい流れが琵琶湖に注ぎ込む。
湖西は山が近いので、どの流れも澄んでいて綺麗だ。



湖岸には桜も多い。
満開の姿は、さぞかし美しいだろうなと思う。



私は高校時代よくこの辺りに遊びに来たが、当時と比べると湖岸付近の建物は派手な洋風の別荘のようなものが増えて、鄙びた風景はあまり見られなくなった。
それでも、水や砂浜は、当時と変わらず綺麗なままなのが嬉しい。



紅葉らしい紅葉も無いので、こういったところに秋を見出す。



ちょっと荒んだ雰囲気になったりもするが、ミスマッチな洋館が立ち並ぶ風景よりかは味わいがある。









どこかの寂れた漁村みたいにも見えて、もっとあちこちの湖岸の表情を見てみたくなる。
ただ、今回は夕方までには雨が降り出しそうなので、比良駅まで。
この少し先で、コンビニで買ったおにぎりで昼食を摂ったが、何故かそこで水切り遊びが始まる。
O君はあまり経験が無いようで、最初は不器用に石を水没させていたが、すぐにコツを掴み、私といい勝負になってきた。
お陰で私は今も右腕が痛いのだが、O君は当日のうちに治ったらしい…。

この後、比良駅近くの神社に寄ってから帰ることにする。


撮影日時 151123 8時50分~9時(神社) 9時5分~10時50分(琵琶湖)
地図(神社)


若宮神社

2015年08月07日 | 滋賀県

滋賀県大津市仰木町


小椋神社からは鳥居を出ずに、折り返すような形でついている道に入る。
覚性律庵というお寺への看板が立っている。
橋を渡り、右へ分かれる小道に入る。
直ぐに動物避けの柵があって、扉が紐で結ばれているので解いて先へと進む。
あくまで動物避けであって進入禁止ではないが、帰りには必ず元通りに扉を閉じる必要がある。
小道は地形に沿う形で大きく右へと弧を描き、その先の木々が繁ったところで鳥居が見えてくる。
小椋神社からは500メートルも無い。



地形図に神社記号は無いが、思いのほか立派な鳥居が出迎えてくれる。
どういうわけか、頭上をヘリコプターが何度も通り過ぎて騒々しい。
饗庭野へ向かう自衛隊のヘリだろうか?



光線状態は悪く、鳥居周りの雰囲気が上手く撮れない。
特にどこがどうというわけではなく、雰囲気がいいなぁ、と思うようなところだけに、望む光が得られないのはちょっと残念だ。



参道という程のものは無く、左へと曲がれば直ぐに本殿が見える。



手水鉢も無ければ拝殿も無い。
大木があるわけでも無いし、平凡な木々と、ウラジロシダの茂る斜面、それから、ある程度は手入れされているからであろう、背の低い雑草に覆われた小空間。



比較的新しい狛犬に、簡素な社殿。
小椋神社くらいの規模になるとちょっと畏まってしまうけれど、ここでは何となく、「お隣失礼します」といった感じで、寄り添う、と言っては失礼かもだが、凭れ掛かるような感覚で寛げる。



もし、この近所に住んでいたなら、写真撮影には小椋神社に何度も通うだろうけど、無目的にぼーっとするならば、ここへと足を運ぶだろうと思う。



とは言え、滝壺神社や小椋神社では被害に遭わなかったが、ここでは蚊の襲来を受ける。
ペットボトルに残った少しばかりのお茶を飲み干し、来た道を戻ることにする。

小椋神社前を通り、四つ角のところで再び山地神社に来る。


横に伸びる木の幹やら、藤の木が絡み合う狭い空間に祠がある。
ここから四つ角を南東に進んで家並の中に入ると、前回の小椋神社の記事に載せた小椋神社一の鳥居が現れる。
山地神社は小椋神社の一の鳥居より内側にあるわけだが、関連する摂末社というわけでもないようだ。
鳥居を過ぎ、坂を上りきったところで右へと分岐する道の先に、やっと自動販売機を見つけた。
お茶と栄養ドリンクの二本のペットボトルを買い、少し足取りも軽くなる。



あとは下り坂ばかりだ。



こんな感じの、辛うじて軽自動車が走れるような道を下っていく。






琵琶湖が望め、日の出の時間帯には美しい光景に出逢えそうな小道を下る。
いつか、こういった風景も、最高の状況で一眼で撮ってみたいと思う。
やがて退屈な広い道に出て、駅に近づく頃には空からポツリと雨が落ちてきた。
最後の最後で使い果たした体力を振り絞り、駆け足で駅へと逃げ込む。
息を切らせてホームへの階段を上がれば、もう雨は降っていないようだった。

この日の大津の最高気温は32度ほど。
予報の35度より低かったのに、さすがに35度は厳しいなぁ、などと思いながら歩いていた。
この日からどこにも出掛けていないし、最近は実際に35度以上になる日が続いている。
ちょっと出掛けるには躊躇する暑さなので、次の撮影には間が空くかも知れません。


撮影日時 150721 14時10分~14時半
地図


小椋神社

2015年07月31日 | 滋賀県

滋賀県大津市仰木4丁目


滝壺神社を後にして、次は小椋神社に向かう。
小椋神社は、私が神社巡りをしようかと考え出した頃に訪ねたことがある。
この近所に住んでいる親戚に、「この辺りにいい神社はありませんか?」と訊ねると、ここへ案内してくれたのだった。 
当時の私は今以上に神社の知識も何も無く、ただ漠然と境内を歩き回っただけで記憶も朧気なのだが、いいところだなぁ、という印象だけは残っていて、いずれ再訪せねばと思い続けていた。

幸神社までは同じ道を引き返す。
暑さは変わらないが、今度は下りなので幾分かは楽になる。 
それにしても…家並の中を行くようになったのに、未だ自動販売機が見当たらない。
持参のペットボトルのお茶は残り半分ほどだ。
都市部に住んでいると、見回せば視界のどこかに自販機があるのが当たり前になっているが、いざ欲しい時に無いというのは皮肉なものだ。
とはいえ、私の子供の頃の風景は、こんな風だったな、とも思う。
ジュースなんて滅多に飲まなかったし、夏の炎天下、一日中走り回ってた。

幸神社から300メートル程で四つ角に出て、そこに山地神社というのがある。
幸神社よりも更に小さく、それでいて緑に覆われた小さな小さな空間に祠がある。
写真にするには難しいし、ここからは既に小椋神社の鳥居が見えているので、 そちらに向かう。



奥比叡ドライブウェイを渡ると直ぐに鳥居。
手前左手に参拝者用駐車場があるが、確か前回は無くて鳥居前に車を駐車した記憶がある。



鳥居前の風景はそんなに惹かれないけれど、赤い欄干の橋と拝殿が見えてくると、予想外に規模の大きな神社であることに気付く。



日が翳って赤と緑が静かになる。



手水鉢に蛙の置物、と思ったら本物の蛙だった。
もう少し近寄って撮ろうと思ったら逃げられてしまった。



拝殿の手前には数本の杉の大木があって、開けて明るい空間なのに、空気は厳かに感じられる。



左手に社務所があって、恐らくは神職の方が常駐されているようで、こういった場所は落ち着けないのが常だが、ここは何故か落ち着く。



拝殿は滋賀県でよく見かけるタイプのもので立派だ。



拝殿の先は同じ規模の社殿が並んでいて、小椋神社の主祭神は二柱なのかな、と思わされる。
左に見えているのは、初代一の鳥居とのこと。



右が大宮神社、左が若宮神社ということで、これらは本殿ではないようだ。
手前にあるのは湯立竃であるらしく、湯立神事が行われるのだろう。



社殿には、このような木製の狛犬が置かれている。
本殿を含め、大きめの摂社には全てあったと思う。



拝殿越しに鳥居方向を見る。



人が作ったものと、優勢な緑と大木の幹が融合するかのようで、本来、人は自然の中に溶け込んで生きていたのだ、なんて大袈裟なことを思う。
でも、人と自然が寄り添って創り上げられるものは間違いなく美しい。



目を転じれば、もっと緑優勢な一画が目に入る。
比較的新しい狛犬にはあまり惹かれないので、最初は摂末社の一つだろうなんて思った。



が、その先にある建築物を見れば、そこが本殿のある場所だと理解できる。



豊かな緑に包まれて、その格式を感じさせる建物はそこにある。



モミジの木が多くて、紅葉の時期はさぞかし美しいだろうと思う。



明かりの灯った石灯籠には「田所神社」の文字が見える。
小椋神社の社名は祭神である「クラオカミ」が訛ったものとも言われているが、いつしか田所神社と呼ばれるようになり、昭和20年に元の小椋神社に戻されたのだという。



瑞垣も美しい。
が、その外側に石造瑞垣という重要美術品に指定されたものがあることは、家に帰ってから知った…。



本殿は華美ではなく端正なものだ。



本殿への参道と平行する形で左右に道が続いているので、まずは本殿に向かって右側の道に入ってみる。
左に見える祠があるのみで、この先は水溜りのような池と、右に分かれて田畑の方へ出る道になっていた。



次に左側の道へ。



こちらは参道らしい趣で、摂末社が並んでいる。



緑深く、それでいてよく手入れされている。









変化に富んでいて、庭園のようなところもある。



奥宮である前回の滝壺神社には地蔵尊があったが、こちらもお地蔵さんや賽の河原まである。



参道奥には、最初に見た、大宮神社、若宮神社と同じような社殿がある。



こちらも同じように二社が並んでいる。
右が新宮神社、左が今宮神社らしい。
規模の大きな摂社は全て「宮」が付いているのには、何か意味があるのだろうか?



石段を上り切ると、この二社の隣に神明神社もあった。



ここもモミジが美しい。



参道を引き返す。
とても表情が多彩で、四季の変化も大きそうで、何度も訪れたくなるような神社だった。

この日の予定は、ここからあと二社訪ねるつもりだったが、暑さと体力的に厳しい。
それに、予定より時間が押しているので、二社回ると帰りの電車は夕方のラッシュに巻き込まれそうだ。
ちょっと勿体無い気もするが、ここから近い一社のみ立ち寄ることにする。



これは、その最後の一社に寄った後、再び小椋神社の前を通り、集落内の狭い道に入ってから現れた鳥居で、これが小椋神社の一の鳥居であるようだ。


撮影日時 150721 12時45分~14時
地図


滝壺神社

2015年07月23日 | 滋賀県

滋賀県大津市仰木町


この一ヶ月ほど、仕事が休みの日は殆ど雨だった。
車で出掛けていたときは、少々の雨なら寧ろ撮影日和などと思うこともあったし、実際に何度か雨の中で神社の撮影をした。
しかし、電車と徒歩でとなると、とても出掛ける気にはなれない。
行き先はとっくに決めていたので、悶々とした日々を過ごした。

今日の天気予報は概ね晴れで、夕方には所により雷雨。
夕方までには帰りの電車に乗っているだろうし、問題ないので出掛けることにするが、予想最高気温は35度となっている。
滋賀県南部の天気予報だ。
前回、滋賀県に行ったのは2009年の12月のことだから、5年以上も前のことになる。

新快速電車に乗って、京都を過ぎ、湖西線に入ると琵琶湖が見えてくる。
新快速に乗るのも湖西線に乗るのも恐らく10年ぶりくらいではなかろうか。
最近、何でもないようなことでも、改めて振り返ってみると、5年ぶりとか10年ぶりのことが当たり前のようにあって、ちょっと愕然としてしまう。
それはともかく、過去にコメント欄でちょっと書いたことがあるので知っている人もいるかもだが、私は車ばかり乗ってきたくせに鉄道オタク的要素も持っているので、223系新快速に乗るとき、ああ、225系に乗ってみたかったなぁ、などと思うのであった。

比叡山坂本駅で普通電車(どうでもいいが懐かしい117系だった)に乗り換え、次のおごと温泉駅で降りる。
おごと温泉駅は以前は雄琴だったし、比叡山坂本は叡山だった。その手前の大津京も西大津という駅名だった。
駅名に限らず、最近は何かと改名されるものが多いが、殆どの場合、私は元の名称の方がいいと思ってしまう。
駅名は変わっても駅前は以前と変わりない。
と知った風なことを書くのは、この近所に親戚が住んでいて、過去に何度かこの駅を利用しているからである。

天気は曇りがちで、予報とはちょっと違うが、気温は高いのでそのほうが助かる。
暫くは比較的新しい住宅地に沿って歩くので退屈だ。
神社までの距離も長く、しかも殆どずっと緩い上り坂である。
昔からの仰木の集落に入ると、やっと歩く楽しさが出てくるが暑い。
ペットボトルのお茶を一本持参しているものの、これだけでは心許無いので、自販機があればスポーツドリンクでも買おう思うが、その自販機が全く見当たらない。



坂の多い集落で、時おり琵琶湖方面が望まれる。
今回からスマホの写真を一回り大きくした。



車の入り込めないこんな道も多い。
ああ、いい感じだな、と思いつつ、こんなところに自販機は無いよなぁ、とも思う。

やや広い道に出て、その道を進めば滝壺神社へと行けるのだが、近くに幸神社というのがあるので、遠回りになるが立ち寄っておく。



民家に近く、小さな鎮守の杜といった風情で木々が繁っている。
光線状態も悪くなかったので、一眼で撮っておこうかなと思った矢先、スズメバチが飛んできたので一目散に逃げる。
私はスズメバチ恐怖症と言っていいくらいにスズメバチが苦手で、もし友人と一緒にいても、スズメバチが来たなら友人を放って逃げる自信がある。
というか、ここに至るまで、神社のことに全く触れていなかったことに驚愕する。
果たしてこれは神社ブログなのだろうか?
神社と関係の無い長ったらしい前置きからここまでを、ちゃんと読んでいる人がいらっしゃるなら是非コメントしてください(笑



幸神社からは、先程のやや広い道まで戻らず、神社に面した道を進む。
地図で見る限り、さっきのところまで戻るよりは近道だし、やがて川沿いの道になって、さっきの道と合流する筈だ。
道は砂利道の農道になって、地図の通り川に沿う。
川と言ってもコンクリート護岸されたもので味気ないが、こんな風に花が咲いているのでさほど退屈はしない。


川の左岸を進む。
が、奥比叡ドライブウェイの下をくぐって直ぐに、動物避けの柵が道を塞いでいる。
もしかしたら扉があって開けられるのかも知れないが、あったとしても大抵は紐で結ばれていたりするし、あまりこういうところでゴソゴソとするのも嫌なので、ちょっと引き返して橋を渡り、右岸の道を進むことにする。
対岸に先ほどの引き返し地点を見て暫くで再び左岸に渡り、のんびりと歩く。
が、前方に民家が見えてきた辺りでまたもや動物避けの柵に行く手を阻まれる。
此は如何に、という中学時代に国語の時間に習ったフレーズが頭に浮かぶ。
道は確かに地図通りなのだろうが、歩けなければ意味は無い。
あまり書くのもどうかと思ったので一度しか書いていないが、相当暑い。とにかく暑い。
汗はダラダラだし足は重くて、ちょっと挫けそうになる。
地図を確認すると、どうやら幸神社に向かう手前の、やや広い道、まで戻らねばならぬようだ。
1.5キロ程を無駄にしてしまったが、挫けそうになる心を奮い立たせて歩き出す。



やや広い道に戻ってトボトボと歩く。
棚田があったり琵琶湖が見えたりするが、写真にはしにくい。
時々、太陽が顔を出し、暑さが厳しさを増す。
汗が滴って、目に入りそうになる。
やがて、やや広い道は林道のようになり、谷間に入っていく。
砂防ダムが見えてくる辺りから谷川に沿うようになると、上流から吹いてくる風が、まさに冷気と言っていい涼しさを運んでくる。
谷間の風はこんなにも涼しいのかと、何度も経験している筈のことを新鮮な思いで感じ取る。
滝壺神社までは、あと少しだ。



前方が少し開けて、モミジの木が目に入ると、そこが社頭だ。
ここに至るまで何の変哲も無い野山の風景だったが、鳥居が見えた瞬間、嵐気が立ち込める。
しかし………無粋な看板は、どうにかならぬものか。 



看板が入らぬよう縦で撮ってみるが、モミジの緑が切れてしまうので、やはり横向きがいい。



一瞬、かなり奥行きがあるように思えたが、本殿は直ぐそこに見えているし、とても小さな神社である。



鳥居の扁額は滝壺神社ではなく、「くらおかみのおおかみ」だ。
当初、今回の神社巡りに、この神社は予定に入っていなかった。
ここから東に2キロ程のところにある小椋神社が一番の目的で、数日前に地図を見ていて、ここの神社記号に気付いた。
調べてみると、小椋神社の旧社地であり、現在は奥宮の位置づけであるという。
これは是非とも行かねばなるまいと、駅から結構な距離があるのに立ち寄ることにした次第。
ただ、滝壺神社という名称の由来は判らなかった。
付近は、三本の谷川が合流する場所でもあるが、滝や滝壺は見当たらない。
社頭には打たせ滝のような、樋状のところから人工の小さな池に水を落としている場所があるけれど、仮にこれを滝壺と見立てたとしても後付に違いないものだ。



本殿、といっても祠のような小さなもの。
右側は地蔵尊と書かれていて、神社としては珍しい並びだ。



地蔵尊の中は見えないが、建物に涎掛けがしてあって、ここにお地蔵さんがいらっしゃるのだな、ということが判る。



二つの建物の間に、決して大きくは無い杉の木が立っていて、別に御神木ではないのだけど、どこか神聖なものを感じた。


撮影日時 150721 11時半~12時(滝壺神社のみの撮影時間)
地図


田村神社

2010年06月26日 | 滋賀県
滋賀県甲賀市土山町北土山


最近どこにも出掛けていないので、アップする画像が無い。
来週には遠出をする予定なので、それまでは更新を休もうかとも思ったが、過去に撮ったものの中から何とか使えそうなものを探してみて、この田村神社を掲載することにした。
比較的、規模の大きい神社で、全体像を紹介するには結構な枚数の写真がいると思うけれど、撮影時はコントラストが強く、掲載できそうな写真があまり撮れなかった。
そのため、ちょっと断片的になってしまい、しかも季節外れの紅葉の写真である。

ここへは20年近く前にも訪れた記憶があって、確かこの付近の山を友人と歩いた帰りに、バス待ちの時間に立ち寄ったと思うのだけど、随分と曖昧な記憶で、長い参道があったことくらいしか思い出せない。
夕暮れ時でひっそりとしていた印象が強いが、今回訪れた時には10人以上の方に出会ったから、かなり参拝者の多い神社といえるだろう。
社務所などの建造物も思いのほか立派で、ひっそりとした風情が好きな者にはちょっとうるさく感じられるが、それらを取り巻く「杜」の立派さも記憶を上回っており、川沿いの立地も活かされていて、なかなかに奥深い環境が味わえた。



国道1号線に面した鳥居。
周囲は町中といった感じではないけれど、交通量、民家ともそれなりに多く、落ち着いた雰囲気は無い。





ただ、鳥居を一歩くぐれば別世界で、木々に包まれた落ち着きのある空間になる。
振り返って1号線方向を見る。



参道なかほどにある鳥居。
ここで道が横切っており、左手に行けば池と駐車場、右手に行けば田村川を渡る橋がある。
他にも杜の中につけられた小道があったりして、丁寧にあちこち歩くと楽しい。



再び参道を振り返る。
曖昧な記憶の中では杉と檜ばかりの参道だったのだが、予想外の鮮やかさだ。



もう一つ鳥居をくぐると広い空間に出て、社務所などが建ち並んでいる。
その横に拝殿もあるが、風景的にも光線状態的にも撮る気になれないので割愛。
拝殿横から神明鳥居をくぐると水路があって、水辺へと降りる石段がモミジの落ち葉で染まっていた。
石段の反対側にも道があり、田村川の川辺に出られるようになっている。



本殿前の階段から振り返る。
橋の手前、右手が先ほどの石段、左手が田村川への道である。



これは本殿前から振り返ったもの。



本殿。



本殿からは水路の向こう側につけられた道を辿る。
田村神社では厄除祭が有名らしく、建ち並んだ授与所からその賑わいが察せられる。



ちょっと横道に逸れて、杜の中の小道を歩いてみることにする。



参道沿いよりも樹種は豊かになって賑やかだ。
黄色から赤にかけてのグラデーションを描くモミジ、白に近いのはコシアブラだろうか。





林間に差し込む光に輝く紅葉は、ちょっと相応しくない表現かも知れないけれど、ステンドグラスのような美しさがあった。


2万5千分1地形図 土山
撮影日時 091204 11時~12時40分

駐車場 あり(神社西側)
地図


花枝神社

2010年02月26日 | 滋賀県

滋賀県甲賀市土山町大野


まずは名前に惹かれた。
こういう優しく温かい印象を受ける名前の神社は珍しい。
次に、航空写真を見て、その鎮守の杜の大きさに惹かれた。
国道1号線に接した場所ではあるが、清澄な空気に触れられそうだ。
それに、これだけの社域を持っていながらネット上での情報が少なく、どんな場所であるのか気になった。

夜明け前の国道1号線を東に向かって走る。
雨が降ったり止んだりの天気で、まだ空も暗い状態だから、神社を見過ごすのではと思ったが、広大な杜は、夜でもはっきりそれと判る存在感で左手に黒く横たわっていた。
空が白み始めるのを待って、鳥居をくぐる。
杜の中は夜にも等しい暗さだが、雨の上がった空は、思いのほか高くにある。
左右は10メートル先も見通せない闇で、子供の頃は畏れや怖さの対象であった筈なのに、今は安息の方が強く感じられるのは何故だろう。
前方は木々がやや開け、社殿が淡い光に浮かび上がっている。







辺りをうろうろしながら時間をつぶし、少し明るくなってから撮影。
鳥居は1号線に面しているので早朝であっても通行量が多く、撮影しなかった。



雨上がりのせいもあるが、朝の杜の空気は澄んでおり、背後を行き交う車も気にならない。



鳥居を振り返る。
ひっきりなしに車が横切る鳥居の向こうとは、隔絶された世界のようだ。





色褪せたモミジは雨に濡れそぼって、見る影も無いようにも思えるが───



何ともいえぬ深い味わいを持っているようにも見える。



本殿。



本殿右後方の御神木。



社域に対して、参道や社殿はかなり西寄りにあるので、東側の杜の奥行きはかなりのものだ。
辛うじてまだ鮮やかさを残したモミジもあった。





そのモミジが朝の光を浴びて、杉主体の杜が華やぐ。





やがて杜の向こうで太陽が顔を出す。
ひっそりと息づいていたものが、一気に目覚めて弾けるような瞬間だ。





大木といえるほどのものは無く、決して豊かな森といった環境でも無いかも知れないが、平地にあって、これだけの奥行きのある木々の広がりは貴重だろう。
花枝神社という名前から受ける印象に比べれば、杉ばかりの森はやや味気ないが、朝の優しい気配には満ちていた。


2万5千分1地形図 水口
撮影日時 091204 6時半~8時

駐車場 神社前がチェーン装着スペースになっている。神社の西側からは車で境内に入れる。
地図


瀧樹神社

2010年01月19日 | 滋賀県
滋賀県甲賀市土山町前野


野洲川に沿った地域の神社に行くのは楽しい。
車の多い1号線を走らなければならないのはアレだけれど、昔も今も、東海道という大動脈であり、人の往来が多く歴史もある、ということで、ある程度の規模や、落ち着いた佇まいを有する神社が多いように思う。
街の中心部や国道沿いを除けば、景色も田畑と低山を主体とした長閑な場所が多いし、特に目的を定めず、地図を見て付近の神社記号を周るだけで、何だか充実した一日を過ごせる。
この瀧樹神社も、そうやって訪れた神社の一つで、近くを走る1号線の騒々しさとは対照的に静かで心地よい環境であった。



民家や小規模な茶畑が点在する明るい場所に参道入り口がある。
木々に包まれているので、周りの明るさに比してその暗さはとても深く感じられる。



鳥居は見当たらないし、参道の始まり方がどうもいきなりすぎるような気もする。
石灯籠の立ち並ぶ様は雰囲気があるが、別に入り口があるのかも知れない。



参道を振り返る。何となく夕暮れ時に来てみたい気がした。
本殿へ向かうのに下り道というのも珍しいと思ったら、本殿の斜め後ろが見えてくる。
やはり本来の参道は別にあるのだろう。





社務所などがある広いところに出て、拝殿に向かわずに、まずは本来の入り口へと進むと、やはり鳥居があった。
野洲川に面したところで、気持ちの良い場所だ。
ここから更に西に進んだ集落内には一の鳥居がある。



川に沿った参道は、鬱蒼としているわけではないが、写真右手にある椋の大木や、御神木である杉の大木もある。



鳥居をくぐって左手の階段を上ると社務所などのある広い空間で、正面に拝殿が見える。



拝殿右手から本殿方向。
社殿は建て替えられてからそれほど歳月は経っていないようだ。



手前が瀧樹神社で、奥の社殿は天満宮とあった。
社殿が味わいを持つにはもう少し年月がかかりそうだが、国道の喧騒も届かず静かな時間が流れていた。


2万5千分1地形図 土山
撮影日時 091204 9時20分~10時10分

駐車場 裏参道から入って境内に停めるか、表参道の川沿い鳥居手前付近にスペースあり。
地図


油日神社

2009年12月11日 | 滋賀県

滋賀県甲賀市甲賀町油日


鈴鹿山脈の最南端に、油日岳という山がある。
標高700メートル足らずの低山ではあるが、油日神社の御神体とされ、山頂には「岳明神」と呼ばれる祠がある。
高校生の頃から数年間、近畿の山のガイドブックを片っ端から買っていくほど山が好きな時期があって、それらの中に、この油日岳と油日神社に関する記述があった。
そこに「油の祖神」と書かれているのを見て、「へぇ、油の神様なんているんだ」と感心したものだから、神社に興味を持つよりずっと以前から、この油日神社の名前は頭に焼き付いた。
また、その本には、油日の名の起源や、神事の形態から本来農耕神であったこと、甲賀忍者との関わりなど、山の本でありながら広範な内容が取り上げられていて、単純に山の自然が好きだっただけの私の視野を広げてくれた。
ところが、と言うか、やっぱりと言うべきか、多少の関心は抱いても、結局のところ単純に自然が好きという本質は変わらなかったので、神社に興味を持つようになってからも緑豊かな場所ばかり求めてしまう傾向にあり、ネットなどで見た油日神社の写真からは、あまり惹かれるものがなかった。
わざわざ行くのも・・・と思いつつ、昔から名前だけには馴染みがあるこの場所に、やっぱり一度は行っておきたいという思いもあって、ずっと心に引っ掛かっていた。
今回、甲賀市周辺の神社を廻る機会があって、ちょっとついでみたいな形ではあったけれど、やっとこの油日神社に参拝することが出来た。
予想通り、やや開放的で明るい神社であり、本来の私ならあまり落ち着けない気分になりそうな場所なのだが、思いのほかその空間に浸ることができ、行って良かったと思えたのである。



残念ながら参道のモミジは殆ど散っていたが、小春日和と言っていい気持ちの良い天気。
背後はすぐ民家だけれど、周囲は古く味わいある佇まいで落ち着きがある。



左手は公園のような広場。前方には楼門。



油日神社と言えばこの楼門が頭に浮かぶくらい写真でよく見かける。
回廊と一体になった、堂々たる、それでいて秀麗な建築だと思う。



陽射しが強く、コントラストが激しいが、描かれる陰影は重厚感があって見事だ。



神社の入口は南側だが、西側にも入口があって鳥居が立っているのが見える。
駐車場が少し離れたところにあり、そこから歩いてくると、この西側の鳥居前に出る。



この鳥居傍には、かつての神仏混淆の名残の鐘楼がある。



楼門越しに拝殿。



拝殿。
その奥の瑞垣内の左手には、天然記念物に指定されているコウヤマキの大木が聳えている。



楼門を振り返る。
この境内に落ち着きを感じるのは、この回廊に囲まれていることが大きいかも知れない。



拝殿を右手から見る。
格子戸が美しい。殆どの建物が桧皮葺の贅沢な造りだ。



中門と瑞垣。
本殿をはっきりと見ることは出来ないが、この瑞垣にはとても繊細な気品が感じられる。



中門前から拝殿越しに楼門。
やはり格子が美しい。南向きの境内ということから、光と影が織り成す精緻な佇まいを計算して作ったのではないかとさえ思える。



柱の榊も瑞々しく輝く。



境内右手には、何やらお堂のような建物も。

とにかく天気が良くて苦労した。神社を撮影される方ならお判り頂けると思うが、晴天の日の撮影は難しい・・・。


2万5千分1地形図 甲賀
撮影日時 091204 13時20分~14時

駐車場 神社から離れた西側の広い道路に面してある。
地図