a journal of sociology

社会理論・現代思想を主に研究する今野晃のblog。業績については、右下にあるカテゴリーの「論文・業績」から

in this world

2005年10月03日 | 映画
 ビデオでウィンターボトム監督のin this worldを見る(かなり以前だが)。この映画の紹介は、次のサイトの紹介文を参照していただきたい(粉川哲夫の『シネマノート』)。

 この映画、アフガンの難民キャンプで生まれた少年が、厳しい生活しかできないキャンプを抜けだし、イギリスを目指すというもの。フィクションなのだが、そのドキュメンタリータッチがこの映画の持つリアリティーを・臨場感を否応なくふくらましてゆく。

 ……と、おそらくここまでが日本においてなされているこの映画の紹介。無論、この映画の評をネット上でいくつかしか見ていないのだが、しかし、日本の映画批評家の多くが、上のような批評で終わっているように思われる。せいぜい、「映画で描かれるようなこうした世界が、我々の世界の中に存在していることに、聴衆は驚かされる」云々と、付け加えるのが関の山。

 しかし、欧米で生活をしてみれば、「パキスタン北西のペシャールの難民キャンプからロンドンまで陸上をパスポートなしで移動する15歳の少年ジャマール(カマール・ウディン・トラビ)」のような人々を目にすることは、日常茶飯事である。試しに、主要都市にあるターミナル駅に行ってみればいい。パリであれば、名だたる観光地にでさえ、滞在許可証さえあやふやな家族、子供達を目にすることは容易い。

 そう、そうした状況においては、映画で描かれているような現実は、正に「身近な現実」なのだ。少なくとも、そうした場で目にする人々のすぐ先には、映画で描かれたような現実がある。この映画を見て驚かされるのはまさにこの事実、こうした現実が「日常のありふれた光景」のすぐ先にあることなのである。よって、この映画の臨場感を支えているのは、ウィンターボトムが用いるその手法のみでなく、街で良く目にする「ありふれた光景」なのだと考えることが出来る。こうした意味においてこそ、"in this world"というタイトルを理解することが出来るだろう。

 同じ映画であっても、見る人間が持つ経験によって、その映画は違ったように映る……。この映画は、はからずも、そうした事実を私に教えてくれた。無論、映画は、見る人間がそれぞれの仕方で見ればそれで十分だとも言える。そして、この映画はそうした見方においても、私たちに大きな問いかけをしているのは間違いない。

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