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一騎当千、リアル「なんちゃら無双」 (虚実の巴御前)

2009年02月15日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
さて、いきなりですが…日本史最強の女性は…やっぱりひでるのアイドル「北条政子」さまだと思うんですね。たぶん。
政治家として優秀ですし、彼女の背中には鎌倉の最強武士団が控えてますから。
天皇家だってへっちゃらです。
しかし、”直接対決で実際に強そうな方”と言って真っ先に思い出すのは…こちらの「巴御前(ともえ・ごぜん)」でしょう。
そんな訳で、本日は「木曾義仲(きそ・よしなか)」の愛妾として有名な「巴御前」です。

巴さまは信濃国の豪族「中原兼遠(なかはら・かねとう)」の娘。
久寿二年(1155)、”悪源太”と有名な「源義平(みなもとの・よしひら)」が大活躍した「大蔵館合戦」
そこで「源義賢(みなもとの・よしかた)」は義平によって討ち取られてしまうのでした。

その当時はわずかニ、三歳だった「駒王丸(木曾義仲)」
守られて信濃国まで逃れた彼が身を寄せたのが、豪族「中原兼遠(なかはらの・かねとお)」だったのです。
なお、兼遠には二人の息子と娘がおりました。
後に義仲に従って活躍する兄「樋口兼光(ひぐち・かねみつ)」、弟「今井兼平(いまい・かねひら)」、そして娘こそが「巴御前」だったのです。

要するに、彼らは”仲良し四人組”で、義仲と巴は”幼馴染みカップル”なのでした。
…どうよ、ラブコメみたいでしょ(笑)
まぶたを閉じれは、懐かしき幼き日々が蘇ったことでしょう…。たぶん。

その中原家の庇護により、すくすくと成長した義仲。
やがて挙兵した彼は平家の軍勢を駆逐し、上洛することとなるのでした。
「樋口兼光」、「今井兼平」という兄弟は無論平氏討伐に従軍し、木曾四天王と呼称されるほどの活躍をしております。
(※木曾四天王:樋口兼光 今井兼平 根井行親 楯親忠 の四名)

兄とともに、従軍していたとされる巴さま。
単純に彼の傍で控えていた訳でなく、実際に大将の一人として戦場に出ていたようなのです!

”武勇は世の知る所なり”

とかなんとか、この方は冗談でなく、本気で強かった女性なのです。
リアル「なんちゃら無双」なのよ。

「強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」とまで記された彼女は、「色白く髪長くして容顔誠に美麗なり(平家物語)」とも評されておりました。
強いだけでなく美形でもあったようなのです。
すごいですね!

……と、調子良くさんざん書いてきましたが…伝承のほとんどは後世の創作なんだそうな。
どひゃー、と驚いたところで、次回「真実の巴御前」をお楽しみに。



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※実は持っているこちらの本。
 かなり情報量ありますが、できればもうひといき欲しかったなぁ。