のんびり気軽にさんぽがてら。
さて、いきなりですが…日本史最強の女性は…やっぱりひでるのアイドル「北条政子」さまだと思うんですね。たぶん。
政治家として優秀ですし、彼女の背中には鎌倉の最強武士団が控えてますから。
天皇家だってへっちゃらです。
しかし、”直接対決で実際に強そうな方”と言って真っ先に思い出すのは…こちらの「巴御前(ともえ・ごぜん)」でしょう。
そんな訳で、本日は「木曾義仲(きそ・よしなか)」の愛妾として有名な「巴御前」です。
巴さまは信濃国の豪族「中原兼遠(なかはら・かねとう)」の娘。
久寿二年(1155)、”悪源太”と有名な「源義平(みなもとの・よしひら)」が大活躍した「大蔵館合戦」
そこで「源義賢(みなもとの・よしかた)」は義平によって討ち取られてしまうのでした。
その当時はわずかニ、三歳だった「駒王丸(木曾義仲)」
守られて信濃国まで逃れた彼が身を寄せたのが、豪族「中原兼遠(なかはらの・かねとお)」だったのです。
なお、兼遠には二人の息子と娘がおりました。
後に義仲に従って活躍する兄「樋口兼光(ひぐち・かねみつ)」、弟「今井兼平(いまい・かねひら)」、そして娘こそが「巴御前」だったのです。
要するに、彼らは”仲良し四人組”で、義仲と巴は”幼馴染みカップル”なのでした。
…どうよ、ラブコメみたいでしょ(笑)
まぶたを閉じれは、懐かしき幼き日々が蘇ったことでしょう…。たぶん。
その中原家の庇護により、すくすくと成長した義仲。
やがて挙兵した彼は平家の軍勢を駆逐し、上洛することとなるのでした。
「樋口兼光」、「今井兼平」という兄弟は無論平氏討伐に従軍し、木曾四天王と呼称されるほどの活躍をしております。
(※木曾四天王:樋口兼光 今井兼平 根井行親 楯親忠 の四名)
兄とともに、従軍していたとされる巴さま。
単純に彼の傍で控えていた訳でなく、実際に大将の一人として戦場に出ていたようなのです!
”武勇は世の知る所なり”
とかなんとか、この方は冗談でなく、本気で強かった女性なのです。
リアル「なんちゃら無双」なのよ。
「強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」とまで記された彼女は、「色白く髪長くして容顔誠に美麗なり(平家物語)」とも評されておりました。
強いだけでなく美形でもあったようなのです。
すごいですね!
……と、調子良くさんざん書いてきましたが…伝承のほとんどは後世の創作なんだそうな。
どひゃー、と驚いたところで、次回「真実の巴御前」をお楽しみに。
[関連記事] 【 源平合戦 祭り 】
⇒ 武家の名門「清和源氏」とは?
⇒ 源頼光と四天王 <前編> 実際の頼光さま
⇒ 源頼光と四天王 <中編> 虚像の頼光さま
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⇒ 八幡太郎の真実 「源義家はすごかった」
⇒ 八幡太郎の活躍 「前九年の役」
⇒ 名を上げた源家と奥州藤原氏の祖 「後三年の役」 前編 後編
⇒ 棟梁をねらえ! 新羅三郎「源義光」
⇒ 伊勢平氏 (平正盛) 前編 後編
⇒ 人呼んで”悪源太”こと「源義平」 「大蔵館合戦」[1 2]
⇒ 欲望渦巻く天皇家 (鳥羽院・平安時代末期)
⇒ 源平激突!白河殿 「保元の乱」[1 2 3]
⇒ 源氏衰退、平家政権樹立 (平治の乱)[1 2 3 4]
⇒ 直接対決!鎌倉幕府vs朝廷 「承久の乱」[ 1 2 3 4 5 6 ]
⇒ 義仲寺 (滋賀)
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※実は持っているこちらの本。
かなり情報量ありますが、できればもうひといき欲しかったなぁ。
さて、いきなりですが…日本史最強の女性は…やっぱりひでるのアイドル「北条政子」さまだと思うんですね。たぶん。
政治家として優秀ですし、彼女の背中には鎌倉の最強武士団が控えてますから。
天皇家だってへっちゃらです。
しかし、”直接対決で実際に強そうな方”と言って真っ先に思い出すのは…こちらの「巴御前(ともえ・ごぜん)」でしょう。
そんな訳で、本日は「木曾義仲(きそ・よしなか)」の愛妾として有名な「巴御前」です。
巴さまは信濃国の豪族「中原兼遠(なかはら・かねとう)」の娘。
久寿二年(1155)、”悪源太”と有名な「源義平(みなもとの・よしひら)」が大活躍した「大蔵館合戦」
そこで「源義賢(みなもとの・よしかた)」は義平によって討ち取られてしまうのでした。
その当時はわずかニ、三歳だった「駒王丸(木曾義仲)」
守られて信濃国まで逃れた彼が身を寄せたのが、豪族「中原兼遠(なかはらの・かねとお)」だったのです。
なお、兼遠には二人の息子と娘がおりました。
後に義仲に従って活躍する兄「樋口兼光(ひぐち・かねみつ)」、弟「今井兼平(いまい・かねひら)」、そして娘こそが「巴御前」だったのです。
要するに、彼らは”仲良し四人組”で、義仲と巴は”幼馴染みカップル”なのでした。
…どうよ、ラブコメみたいでしょ(笑)
まぶたを閉じれは、懐かしき幼き日々が蘇ったことでしょう…。たぶん。
その中原家の庇護により、すくすくと成長した義仲。
やがて挙兵した彼は平家の軍勢を駆逐し、上洛することとなるのでした。
「樋口兼光」、「今井兼平」という兄弟は無論平氏討伐に従軍し、木曾四天王と呼称されるほどの活躍をしております。
(※木曾四天王:樋口兼光 今井兼平 根井行親 楯親忠 の四名)
兄とともに、従軍していたとされる巴さま。
単純に彼の傍で控えていた訳でなく、実際に大将の一人として戦場に出ていたようなのです!
”武勇は世の知る所なり”
とかなんとか、この方は冗談でなく、本気で強かった女性なのです。
リアル「なんちゃら無双」なのよ。
「強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」とまで記された彼女は、「色白く髪長くして容顔誠に美麗なり(平家物語)」とも評されておりました。
強いだけでなく美形でもあったようなのです。
すごいですね!
……と、調子良くさんざん書いてきましたが…伝承のほとんどは後世の創作なんだそうな。
どひゃー、と驚いたところで、次回「真実の巴御前」をお楽しみに。
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かなり情報量ありますが、できればもうひといき欲しかったなぁ。