お寺さんぽ Ver.03

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美濃の蝮 「斎藤道三」 (1)道三、坊主になる

2006年06月15日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は戦国三梟雄の一人、斎藤道三です。
三名のうち二人までは紹介しております(※下↓の関連記事からどうぞ)んで、最後の一人をば。

この道三は運よくというか、地理的にも人気ナンバーワンの「織田信長」と深く関わり、かつ影響を与えた人物です。
そんな訳でおそらく三名の中で最も有名な方ではないでしょうか?

うつけと呼ばれていた信長の才能をいち早く見抜き、最大の支援者となる、「蝮」の異名をもつ道三。有名な「聖徳寺の会見」のお茶目なエピソードもあって、どことなく可愛らしいイメージさえありますが、実際はどうだったんでしょう?

兵は詭道なり 斎藤道三〈1〉

学習研究社

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※今回は関連した写真がまっったくなかったので、本で代用しますね。


まずは出自ですが、他の二名同様に不確かで、実際は二人であったなど、珍妙な憶測まで流れています。(※実は二人という説は結構信憑性も高いっぽい…)とりあえず基本的な線ですすめますね。

本来は武士の生まれだったとも言われる道三。(※当時は峯丸という名前でしたが、この人コロコロ名前変わってややこしいので道三で統一します)
若い頃に京都は妙覚寺に入れられ、まずは僧となりました。
当時の寺というのは知識・教養を身に付けることのできる数少ない施設であり、また武家にて世継ぎでない男子が僧とされることはよくありました。ちなみに最後の将軍「足利義昭」も次男であるため、「覚慶」として僧になっていましたよね。

さて、道三は妙覚寺(日蓮宗)で大いに学び、様々な教養と弁舌を会得します。
日蓮宗といえば「法華経」で有名なんですが、これがとかく排他的で法華経絶対主義な困ったちゃんなんです。自分が絶対に正しいと思っていて、お節介にも相手(他宗教)を論破して日蓮宗へ引き入れよう(間違いを正してあげよう)としているのでした。
そんな訳で宗論(※1)の際に折伏(※2)できるよう、話術に関しては得意としている宗派だったそうです。
この技術は彼の後の人生にとって大いに助けとなるのでした。

若い時分より才気煥発であった彼はここでも大いにその才を発揮し、果ては名僧かと言われるほどに優秀であったそうです。
このように僧として将来を嘱望されていた道三ですが、あるとき油商の娘と結婚し、あっさり還俗して油問屋となりました。
ここで名を「山崎屋庄五郎」と改め、商人となるのです。

一見、寺と油商は無関係に感じますが、当時の高級品である油は城や寺院などが主な取り引き先(※なにしろ庶民は別段夜を明るくする必要がない)でしたから、なんらかの面識があったのだと想像できます。
道三はああ見えて、容貌も優れていたらしいですから。本当かどうかしらんけど。
商人となった道三に何が待ち受けているのか…こうご期待。


(※1)宗論(しゅうろん)
 宗派や教義上の優劣・真偽を決める議論。宗派間の論争。法論。[goo辞書]

(※2)折伏(しゃくぶく)
 相手の悪や誤りを打破することによって、真実の教えに帰服させる教化法。[goo辞書]
 仏の教えを広めるために、悪人・悪法をくじくこと。[三省堂国語辞典]


[関連記事]
⇒ 信長の正妻「濃姫」(京都・総見院)
⇒ 北条早雲 <前編> <後編>
⇒ 松永久秀 (1) (2) (3) (4)
⇒ 室町時代(歴史さんぽ)
⇒ 「両・分・朱」の貨幣制度(歴史さんぽ)


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