お寺さんぽ Ver.03

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日本三大奇襲戦の一つ「河越城夜戦」 <後編>

2006年06月02日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は”日本三大奇襲戦”の一つ、「河越城夜戦」についてです。
色々多くて三分割する羽目となってしまいました。
(↑一回目は地味だのなんだのって悪口満載でしたが…)
今回が最終回です。氏康の活躍に声援を送りつつ見てください。
さぁ、はりきっていきましょう!


前回のあらすじ。
連戦連勝で領地を拡大し、調子ぶっこいていた北条家をいまいましく思っていた山内・扇谷の両上杉はとりあえず仲直りをして共同戦線をはり、北条家の拠点河越城を包囲しました。
北条氏康は過去の偉い人「関東公方」へ調停を依頼しますが、なんとこちらにも嫌われていたらしく、逆に包囲側へと加わってしまうのでした。
総勢十万とも言われる敵の大軍に対し、せいぜい十分の一程度しか兵がおりません。
どうする?北条氏康??


さて、そんな冗談はあらすじだけとして、続きをば。

河越城を包囲する軍勢は十万とも、十二万とも言われる大軍でした。なにしろ、関東の武将で参加しない者はほとんどいないだろう、というような大軍勢だったようです。

その攻撃側は関東管領「山内上杉憲政」、その同族「扇谷上杉朝定」、さらには途中参戦の関東公方「足利晴氏」を加えた、室町時代・関東お偉方の混合軍です。

視点をちょっと変えると、この合戦ってのは「戦国期の新興勢力北条氏」と「室町時代の旧勢力」の、新旧権力闘争なのです。
この争いに勝利したものこそが関東の支配者になる…という、運命の一戦となっていたんですね。
まぁ、当事者らにそこまでの考えはなかったかもしれませんが。

さて、公方を利用した調停に失敗した「北条氏康」は、後方は駿河の今川氏に目を向けます。
今川氏は連合軍の求めに応じ、駿河に残る北条領へと侵攻していたのです。
北条は挟撃作戦をやられていたんですね。

この事態に河越城の戦いに専念することを決めた氏康は、武田の仲介で今川との和睦に成功します。
これで後顧の憂いはなくなりました。

さて、ここからが北条氏康の本領発揮です。
未曾有の大軍へ挑むため、氏康は考えうる様々な策を使います。

たとえば、不戦協定を結ぶよう、辞を低くして持ち掛けています。勝利を確信した連合軍は当然この申し出を一蹴するんですが、これによって氏康を侮るようになります。
あるいは、ちょこっと攻撃してはすぐさま退却するという、凝ったこともやったようです。
なにしろ、戦力差としては圧倒的なのです。
「さすがの北条家も、この大軍ではどうにも策に窮しているのだろう」
そういった心理になるよう、細かい罠を張り巡らすのです。

さらに、配下の風魔一族(※)を使って、芸人や遊女などあそび人(ドラクエ?)を陣へ入れさせ、さらには酒などまでを持ち込みあちこちで酒宴をひらかせました。


どんちゃん、どんちゃん…
ちき、ちき、ちきちき…
どわはははははは……     (※めぞん一刻)


必死に抵抗する川越城によって予想外に陣が長引いていたところに、噂と違って、弱気でテンでだらしがない北条軍。
次の支配者にと次々に列を成して挨拶に現れる地元の有力者、民衆たち…。
陣のあちこちから響くようになった楽しげな声。

着々と、一か八かの奇襲の機会を窺う追い詰められた北条軍に対し、揺ぎ無い勝利を確信した連合軍。
その士気の差たるや歴然としていました。

ここはひでるさんの考えですが。
それら↑に加えて、次のような要素もあったのでは?と思うのです。
ほら、連合軍ってーのはあちこちから命令が飛ぶじゃないですか。コイツが一番偉い、この人の指示に従おうっていうような、絶対的な人がいない限り。
そんななので、ぴしっと統一感がなくなるんですよ。
それが弱点一つ。烏合の衆とかよく言いますよね?そんなんだと。
ほら、えーっと関ヶ原の西軍みたいなの。
軍のどこかが気を緩ませて酒宴なんぞやっちゃったら、真面目にやってた軍だって馬鹿馬鹿しくなるに決まってます。それに流されて、あちこちでも気が緩んでしまうのだと思います。


氏康は城内へ密使をたて、内外呼応して攻める手筈を整えます。
↑ほらね、城攻めってのは孤立させて不安感を与えないといけないのに、密使があっさり城内までたどり着いてるんですもの。
この時点で勝敗はもう決まっていたのだと思います。

北条氏康は全軍に松明を使わずに印をつけて、合言葉を定めます。
さらに、「首を取ることの禁止」を徹底させ、全軍・全兵士に縦横無尽に動くよう指示を出すと、上杉軍の本陣を目掛け、一気に夜襲をかけました。

手筈どおり、沈黙していた城内からも「北条綱成」の軍が一斉に「勝った!」という声と共に殺到しました。
(※北条綱成は戦の際には必ず「勝った!」と叫んで突っ込んでいったと記憶してます)

氏康を侮って油断しきっていた連合軍は不意な敵襲で瞬く間に大混乱に陥り、なんと大将の一人、「扇谷上杉朝定」はここで討死。
山内上杉憲政、足利晴氏の両名はかろうじて助かり、ほうほうの体で領国へと逃げ帰ったのでした。
駆け回った北条軍は総崩れとなった敵軍を思うがままに追い回しました。
北条軍の大逆転勝利です!


この一戦により、当主を失った扇谷上杉は事実上滅亡。
関東管領山内上杉はその権威を大きく失墜し、後には長尾景虎(上杉謙信ね)を頼ることとなるのです。
また、古河公方「足利晴氏」も同様にその権威を大きく失墜、数年後には北条に本拠の古河を攻められ、敗北。幽閉されてしまうのでした。
その他の豪族、武将らは次々と降り、北条家は勢力を大いに拡張することとなるのです。

すごいですねー、かっちょえーですねー。
北条サイコー!!
…でしょ?
これで北条ファンクラブが拡大すればいいんですが…。



(※)風魔一族(ふうまいちぞく)
頭首は代々小太郎の名乗りなんだって。
徳川家は「服部半蔵」と同じで、小説・漫画だけではない実在人物です。主に後方かく乱とか、情報収集のような役目をしていたようです。当然ながら忍術使ったりととか、ニンニンとか語尾につけたりってーのはありません。車田正美とも無関係。

 ※今回写真は早雲寺は北条五代の墓です。
  ぜひ、名将氏康さまに会いに行って下さい。
  全然関係ないですが、ひでるさんは犬の案内で早雲寺まで行きました(本当)


[関連記事]
⇒ 北条早雲 ( ・ 
⇒ 関東公方と関東管領


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 ひでるさんもこの手の本を複数所持しています。
 いいよね、戦国。

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