エコでピースな市民のひろば

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二つとして不らず

2020年12月12日 | ライフワーク



これ以上高い山はないとして富士山を
「不二山」
と表記している古文献もあります。


人名などには

赤塚不二夫
峰不二子
不二家のペコちゃん


など
「不二」はわりと頻繁に目にします。


不二とは
二つとして不らず


私たちは
もともとひとつだったものを
様々な都合で分離させています。
最近特に違和感を感じるのは
〇〇県は〇名の感染者
などのマスコミ報道。
ウイルスは県境を知っているのかい?
県境を作っていることも
国境を作っていることも
人の都合でしかありません。



目の前の出来事は
すべて「不二」
二つとしてないあるがままの事実のみ。
悲しいかな人は
分離していることしか
認識することはできないと
思い込んでいます。



さて
「鬼滅の刃」のなかで
藤の花の咲く場所には
鬼は立ち入ることができないとあります。

藤=不二


つまり
鬼とは
分離していることしか
認識できないと
思い込んでいる
今ここの私たちのこと。




ワンネス
本当は
ひとつである私たちを
今ここで思い出すこと。
映画「鬼滅の刃」のヒットを受けて思うのは
深遠なメッセージを感じ取っている
ひとりひとりの魂の叫びなのかも知れません。



▲YouTube◆『鬼滅の刃』と「ノンデュアリティー」。鬼が藤の花を嫌う理由とは?





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