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しかし、江戸時代になると幕府の命により秀吉を祀ることが禁止され、恵比須神(事代主)を祀る神社として再興して本殿の奥で密かに秀吉を祀り続けたという。
豊国神社は江戸時代には「蛭子神社」と呼ばれ、恵比須神(事代主)を祀ることから「十日戎」が開催されてきており、かつて商店街では「えびす講」と称する大売出しが行われて大変な盛況ぶりだったといいます。
長浜の開町は、秀吉が長浜城主となった1573年とされており、今年が450年となることから長浜十日戎は「長浜開町450年記念 復活58年祭」と銘打ち開催されています。
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長浜は、秀吉によって長浜の町を年貢300石の朱印地(免税地)に定められ、江戸時代に彦根藩となった後も継続されたこともあって太閤秀吉に対する信仰が残ります。
「長浜曳山祭り」は秀吉が男子出生を祝って町民に砂金を振る舞い、それをもとに曳山を造ったことが始まりとされており、徳川四天王の井伊家が治める彦根藩にあって独自のお祭りが続けられてきています。
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「十日戎」へは宵戎に参拝しましたが、例年なら長浜駅に来ると聞こえるお囃子の音が全く聞こえてきません。
何か寂しい感じだなぁと思いつつ神社へ入ると、甘酒の接待や福餅まきが行われており、境内はにぎやかで本殿にお参りすると参拝している間中、横で福娘が神楽鈴を鳴らしてくれます。
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境内の真ん中あたりではお焚き上げをされていて宵戎から古札や福笹を納めにきた人が多かったことが伺われます。
夜間は消火されると思いますが、残戎の終わる夕刻まで燃やされる火です。
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十日戎は商売繁盛を祈願する祭礼行事ですから、商売をされている方々から奉納された提灯もところ狭しと吊るされています。
みなさん景気回復を祈念して奉納されていると思われ、当方も本殿で神さまにお願いしましたが、なかなか懐は暖かくなりそうな気配はないですね。
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「稲荷社」の朱の鳥居も数が増えたのでしょうか?
拝殿まで鳥居がずら~と続いています。
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いろ種類の福笹が売られていますが、購入は見送って豪華な福笹を眺めるだけで帰ります。
いったい値段はおいくらなのでしょうと気になるものの、買う気もないのに値段を聞くにも聞けずです。
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ところで人の気配は多いのに参拝している人が少ないのはなぜか。それは皆さん福餅まきの場所取りに集まっているからです。
福餅まきは「散餅の儀」という神事に基づくとされていますが、餅がたくさん落ちてくる密集場所などでは押されて泣く子供もいるくらいの混乱ぶり。
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長浜では新春の風物詩「長浜盆梅展」、春には長浜開町450年を祝って13基全ての曳山が揃う「曳山勢揃(ぞろ)い」が行われるようです。
春らしいといえば春らしい行事が続きますが、今年は平地では全く雪が降っておりませんのでいまいち新春の気分にはなりませんね。
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