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“男のためのガーデニング”改め

湖東地方の勧請縄2(五芒星のトリクグラズ)~川合・大森・大塚・多賀大社~

2022-01-21 06:12:12 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県の湖東・湖南地方には年明けに勧請縄という豊作と疫病退散を祈願する民俗行事が行われますが、年々縮小されたり廃止されたりする集落もあるようです。
湖北地方にあるオコナイ神事は当方はTVで見たことがある程度なので詳しいことはいえませんが、「湖東の勧請縄」に対して「湖北のオコナイ」という分け方もあるともいわれます。

勧請縄を探して東近江市まで来たので旧蒲生郡界隈の勧請縄を探してみましたが、感じたのは蒲生野はかなり勧請縄の文化が色濃い地域だということ。
田園地帯ですから歩けば遭遇するという意味ではないものの、広い田園地帯に点在する集落の幾つかに勧請縄を観ることができました。



川合町の玉緒神社は御祭神に素盞鳴尊を祀る神社で、鳥居を抜けた参道の杉の木に勧請縄が吊るされている。
主縄は頭と尾がある形式ではなく、両頭になっており、12本の小縄と小幣が上下に付けられ、中央にはトリクグラズが吊るされている。
勧請縄は正月過ぎに吊るされて12月頃に外されるケースが多いと聞きますが、小縄の束に付けられた葉が緑なのは1~2月にしか見られない光景です。



トリクグラズはヒノキで造られた丸に十のオーソドックスな形式ですが、勧請縄を造る技術は毎年受け継いでいかないと、いづれ継承できなくなりそうに思います。
集落に受け継がれてきた型や決め事が一律ではなく、集落ごとに違うのは実に興味深いと思います。



竹囲いの中に祀られているのは祓処の石碑です。
竹囲いは忌竹の意味があるのかと思われ、ここが罪や穢れや不浄を祓う玉緒神社の斎場になっているのでしょう。



玉緒神社は飛鳥時代の大宝年間に勧請されたと社伝にある神社ですが、本殿は滋賀の村社の例にもれず立派な建築となっています。
村で神社をお守りしている方々はいろいろな意味で大変かと思いつつも、信仰の篤さには頭が下がります。



神社に到着した時には3~4名の方が作業されており、神社の整備をされていました。
ちょうど入れ違いになったのですが、参道や拝殿前の砂の砂紋が綺麗に整った状態で。ソトの人間が砂紋を崩してしまうのが申し訳なく思いつつ歩かせて頂きました。



次に大森町の勧請縄に向かいましたが、ここの勧請縄は道切りのようにして吊るされていました。
主縄は両頭で、12本の小縄と小幣が吊るされ、小縄に付けられた葉の下にも小縄があり葉が付けられている2段の小縄です。



小縄の上段と下段に付けられた葉は、杉とおそらく榊の2種類の葉が付けられているようです。
勧請縄はトリクグラズだけでなく、小縄にも個性がありその多様な個性ゆえに関心を惹くのでしょう。



危うく見落としそうになったトリクグラズは何と垂直方向ではなく、天と並行になっている。
下から見上げてみると、その形は五芒星(セーマン)を模っており、陰陽道との関わりを思い浮かべてしまいます。

五芒星は安倍晴明に由来して「晴明桔梗」という呼び方があるといい、陰陽道では魔除けの呪符として用いられたといいます。
魔除けとしての勧請縄に陰陽道の魔除けの呪符が使われているのは単なる偶然ではないように思います。



蒲生野を無計画に移動したので行ったり来たりしながら、次に訪れたのは大塚町の勧請縄です。
勧請縄は八幡神社の鳥居の外側に吊るされており、主縄はオーソドックスな形ですが、ここもトリクグラズは五芒星(セーマン)でした。



旧蒲生町のトリクグラズに五芒星(セーマン)を使ったものが多いそうですが、もう勧請縄自体が廃止になっている集落や行ってみたけど確認できなかった集落などがありました。
時代や世代によって失われつつある文化であると思いますが、コロナ渦で一時的に自粛されている集落もあるのかと思います。



五芒星(セーマン)のトリクグラズは、藤の蔦で造られていることから少し歪な形にはなっているものの、まぎれもなく五芒星です。
明治維新によって陰陽道は迷信として廃止させたといいますが、スピリチャルなものや民俗的なものは今も脈々と残ります。



昨年から探し始めた勧請縄ですが、今まで見た中で一つとして同じものはなく、それぞれの集落の伝統を受け継いだ形に興味は増すばかりです。
その後に立ち寄った集落には勧請縄が確認出来ませんでしたので、打ち切りにして遅ればせながら多賀大社に参拝に向かいました。



多賀大社の鳥居前の絵馬通りに入ると街道沿いに数軒の露店が並び、お店の方が声をかけてくる。
コロナ渦以降、露店が自粛されることが多く、大勢の人が集まる場所を避けていたこともあって、何とも懐かしいにぎやかさに高揚した気持ちになる。

にぎやかな光景を見ることがなくなって、もう3年目ですから懐かしく感じたりもする。
手水も感染防止により尺で水を受けることがなくなって、流れ出る水で清める手水が多くなった。井戸に花が浮かべられていることも多くなりましたね。



参拝者はさすがに少なくはなっているものの、人が途切れることはない。
分散参拝もあるでしょうけど、当方と同様に松の内の間に多賀大社にお参りしておきたいと思う人も多いのかと思います。
ただし、本殿で行われる祈祷には大勢の方が座っておられたのは、さすが多賀大社は信仰する方の多い神社だなぁと感じます。



拝殿の賽銭入れは広く囲われていましたが、正月三ヶ日には人の波がさぞや凄かったことでしょう。
時々屋根から雪がなだれ落ちて大きな音がしており、多賀町の雪の多さを実感します。



「さざれ石」は雪の中。
白い帽子のように雪を乗せて雪の中に立っています。



延命の霊験があるという「寿命石」も雪の中。
祈願の言葉を書いた「白石」も半分雪に埋まったものや雪の上にあるものがありますが、雪が消えたらかなりの数の白石が出てくるのでしょう。



おまけは縁起の良い福神の大黒さんと恵比寿の奉納額です。
松の内が終わって気分良く令和4年を過ごせそうかな?





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