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“男のためのガーデニング”改め

勝堂古墳群「赤塚古墳」と「弁天塚古墳」~滋賀県東近江市~

2020-03-12 18:07:07 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 史跡や遺跡などを探している時に、どうしても現地に辿り着けないことがあります。
場所が大まかにしか分かってなかったり、聞ける人の姿が見当たらなかったりすると散々迷ったあげくに辿り着ずということになります。

そういった場所というのはカーナビの設定のしようがない場所ですが、この日も目的の場所には辿り着けず、道中に偶然見つけた古墳に立ち寄ることになりました。
古墳の周囲はほとんど田圃に囲まれ“古墳公園”と名前は付いているものの、看板も何もなく現地にいた時は“不明の古墳”として古墳を見て回る。



帰宅してから調べてみるとこの古墳は「勝堂古墳群」の一つである「赤塚古墳」といい、6世紀後半に築造された古墳だといいます。
「勝堂古墳群」は江戸時代には48基が確認されていたといい、現在は8基が現存していて「赤塚古墳」はその中の1基になるようです。
「赤塚古墳」は直径約32m、高さ5.2mの横穴式石室を内部主体とする円墳とされており、田圃の真ん中にある小山といった姿をした古墳です。



古墳の周囲を歩いてみると石室の開口部を見つけたので回り込んで近づいてみる。
湖東地方(愛知郡周辺)は渡来人系氏族の「依智秦氏」が権力を誇っていた地だとされており「依智秦氏」は秦河勝を輩出した秦氏の一族とする説があります。

勝堂古墳群の被葬者は、百済を救済するため白村江の戦いで唐・新羅連合軍と戦った“朴市秦造田来津”の一族の可能性が高いとの指摘があり、弁天塚古墳の被葬者は朴市秦造田来津である可能性もあります。
(滋賀県文化財保護協会HP)





羨道の長さは2.4m以上あり、奥にある玄室の長さは約4m・幅約2m・高さ1.6m以上あるといい、両袖式横穴石室を主体部とする円墳だとされています。
石室入口から羨道をのぞき込んでみたものの、土が溜まってしまっていて這い蹲らないと入れない状態であり、ここで諦める。



ところで、赤塚古墳の至近距離(40m)の所にももう一つ古墳があり、その古墳は「弁天塚古墳」と呼ばれ、これら2つの古墳を合わせて古墳公園として整備されています。
弁天塚古墳は直径約20m・高さ4.3mの円墳で、古墳の周囲にははっきりとは見えないものの濠がめぐり、外周に造られた堤は現在も確認が出来る。



弁天塚古墳は内部主体の構造は未調査のため不明だといい、古墳の上には小さな祠が祀られてありました。
将来、この古墳が調査されることがあったとしたら、何が埋葬されているのかと興味深く思います。



「勝堂古墳群」は東近江市と愛荘町の境に位置しますが、愛荘町には298基にも及んだ「金剛寺野古墳群(上蚊野古墳群)」があり、勝堂古墳群は同じ墓域だとされています。
その古墳群は共に依知秦氏が開発を主導した地だとされ、渡来人系氏族・依知秦氏とのつながりは深く、それは近江と渡来人の関係へとつながります。
古墳自体に大きな興味があった訳ではありませんが、見て回ると興味が高まってくるものです。


コメント
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