僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~京都 伏見区 醍醐山 醍醐寺~

2018-01-12 18:38:18 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 豊臣秀吉の晩年、最期の花を咲かすように催されたのが「醍醐の花見」だったといいます。
「醍醐の花見」は、秀吉の近親者を初めとして諸大名の配下の女房女中衆約1300人を集めた花見の宴のことをいい、秀吉物のドラマではクライマックス近くに登場する華やかながらも秀吉が最期の輝きを見せる定番のシーンです。

その醍醐の花見が催されたのが京都伏見にある醍醐寺で、真言宗醍醐派の総本山であるとともに西国三十三所の第11番札所でもある寺院です。
醍醐寺は「上醍醐」と「下醍醐」の2つのエリアがありますが、今回は下醍醐への参拝となりました。



 

国宝・三宝院唐門を横目に見ながら入山しますが、この勅使門には「菊」と「五七の桐」の大きな紋に金箔が施されています。
天皇の御紋と豊臣秀吉の紋が並列に並べられてあるあたりに、秀吉の力が強大だったことが伺われますね。



入山は駐車場の関係で総門から入らず西大門(仁王門)から入ってしまいました。西大門は1605年豊臣秀頼によって再建されたものとされます。
醍醐寺には参拝客が多く、なかでも西国三十三所の札所であることから巡礼衣装の方の多さには少し驚きました。



西大門に安置されている金剛力士像は元は南大門にあったとされ、平安後期の1134年に造立された像だそうです。
重要文化財の指定を受けていますが、力感・迫力のある力士像というより何となく愛嬌のある子供力士のような愛嬌のある仁王様でした。





仁王門を前にして、まずは特別史跡・特別名勝になっている三宝院へと向かいます。
三宝院は醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊にあたることから格式高い寺院ということになります。
また三宝院は門跡寺院であることから、公家の出の身分の方が座主を務めた、世が世なら一般人は近づくことすら出来ない高貴な寺院だったのでしょう。

三宝院には国宝・唐門の他にも国宝・表書院があり、部屋は「葵の間」「秋草の間」「勅使の間」などに長谷川派の障壁画が描き込まれ、門跡寺院としての佇まいが満載されています。
庭園にはあまり関心を示さない当方ですが、この「三宝院庭園」は広くて美しい庭園だと惚れ惚れとしてしまい、しばらく縁側に腰掛けて落ち着いてしまった庭園でした。





醍醐寺の本堂となる金堂は醍醐天皇の御願により926年に創建された建物で、2度の焼失の後に豊臣秀吉の命により、紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀頼の時代の1600年に完成されたとされます。
現在の建築はその時代のもので国宝に指定された威風堂々とした建物です。



須弥壇には重要文化財の「薬師如来坐像(像高約132cm・鎌倉期)」、脇侍に「日光・月光菩薩(像高約145cm・鎌倉期)」の薬師三尊が祀られ、四隅を「四天王立像(像高200cm・平安期)」が守護しています。



醍醐寺(下醍醐)には鐘楼が2ヶ所あり、こちらは金堂の近くにある一つ目の鐘楼です。
寺院巡りをしているうちに、すっかり梵鐘好きになってしまいましたので鐘楼のまわりを一回りして眺めてしまいました。



醍醐寺で西国三十三所巡礼の札所になっているのは「観音堂」。
建物は1930年に建立され大講堂として使用されていたのですが、上醍醐にあった「准胝堂(本来の札所)」が2008年に落雷により焼失してしまったため、仮に札所が移されて仮「観音堂」となっているようです。

須弥壇には中央に「阿弥陀如来坐像(平安期?)」が祀られ、左の脇陣には智拳印を結んだ金剛界「大日如来坐像」が2躰。
右の脇陣には「地蔵菩薩坐像」が安置されています。好きな「大日如来像」が2躰同時に観られるのは非常にありがたいことです。



比較的新しい建築物の感のある「真如三昧耶堂」は建立されたのが1997年ですから最近のお堂ということになります。
もとは949年に創建された「法華三昧堂」が始まりだといいますが、1470年に焼失してしまったものが、近年になって生まれ変わったようです。
須弥壇には「釈迦涅槃像」が祀られており、真新しい感は拭えませんが涅槃像が祀られている寺院はそう多くはないので興味深いところがあります。



大きな不動明王の石仏の後方にあるのは「不動堂」。
内部には「矜伽羅」「制た伽」の2童子を従えた「不動明王立像」が祀られていました。



諸堂を歩いていくと2つ目の鐘楼が見えてきます。
梵鐘は2つとも撞くことは出来ませんので、こっちらの梵鐘もぐるりと一回りして眺めてみます。
こちらの梵鐘はお釈迦様?阿弥陀様?が彫られており、その下を撞木で撞くようになっている少し変わった彫り物になっていました。





醍醐寺の五重塔は951年に完成された京都府下で最も古い木造建築物だといわれます。
高さ38mの塔に対して相輪が約13メートルもあり、屋根も階が上がるに従って小さくなっているため、落ち着いた感じのする塔でした。
初層の内部には壁画が描かれ国宝になっていますが、五重塔自体も建築物として国宝に指定されている宝物になっています。





弁天池には弁財天を祀る「弁天堂」が建てられていました。
すでに紅葉は終わっている季節でしたが、僅かに残る紅葉が朱色の弁財堂に色を添えておりました。



さて、醍醐寺には「霊宝館」という国宝や重文だけで7万5千点以上、未指定の文化財を含めると約10万点以上に及ぶ寺宝を収蔵するとされる宝物館があります。
「霊宝館」は「平成館」「本館」「仏像棟」に分かれて膨大な文化財を所蔵していますが、これには醍醐寺が廃仏毀釈の影響を受けなかったことの影響があるようです。


  注)いただいた展示リストでは98の文化財が展示されています

「平成館」では「薬師三尊像(平安期・国宝)」、牛にまたがっている珍しい「閻魔天騎牛像(平安期・重文)」、半跏座で像にまたがる「帝釈天騎象像(平安期・重文)。
迫力のある「五大明王像(平安、江戸期・重文)」と素晴らしい仏像群が並びます。

「仏像棟」では入って右から「吉祥天立像(平安期・重文)」、古色が美しい「如意輪観音踏み下げ像(平安期)」、智拳印を結ぶ「大日如来坐像(平安期)」。
人を惹きつける「十一面観音立像(鎌倉期)」、もう一つの「五大明王像(平安期・5躰とも重文)」、金箔がわずかに残る「阿弥陀如来坐像(平安期・重文)」。
漆塗りの美しい「千手観音立像(平安期・重文)」など枚挙にいとまがない。

他にも「曼荼羅」「絵画」「書籍」「工芸品」などの膨大な文化財が展示されていたのには驚きます。
知らずに訪れたのですが、ちょうど特別展の期間だったのが幸いで本当に多くの寺宝を見ることが出来ました。


(境内にあった小さな滝)

西国三十三所の本来の札所である「准胝堂」は現時点で再建の情報がありませんが、再建の折には今回行けなかった上醍醐の拝観も兼ねて再訪したいと思います。
この巨大な寺院をそれこそ1日かけて参拝してみたいものですね。


コメント
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