僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~奈良 東大寺 金堂(大仏殿)~

2017-12-08 19:52:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 『あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり』の和歌は、平城京が栄えた時代の奈良の華やかな都の様子を伝えた歌だとされています。
華厳宗大本山の東大寺は聖武天皇が建立した寺院で、初代別当は良弁だったといいますから、まさしく日本の仏教の根本になる寺院の一つだと思います。

大仏建立と大仏を祀る巨大な寺院を造るという稀有壮大な構想の推進役として迎えられたのは大僧正・行基で、寺院巡りをしている時に何度も名前を聞く「聖武天皇・良弁・行基」の3人の名前がこの寺院には揃っています。
東大寺へは小学校以来の参拝となりますが、全てにおいてその巨大さに再び驚くこととなりました。



東大寺は大仏(盧舎那仏像)の鋳造が終わり、大仏殿が完成した752年に開眼供養会が実施されたといいます。
大仏と大仏殿は1180年と1567年の2度焼失しており、その都度再興されて現在は国宝建築物の指定を受けています。



東大寺で驚くのは、その大きさばかりではなく異常な数の観光客にも驚きます。
多種多様な国からの来訪者が非常に多く、日本人参拝者やそれに混じって修学旅行生の姿も見受けられ、日本は元より国際的な寺院であることが実感出来ます。



奈良公園を歩いている途中にすり寄ってくる鹿を振り切って東大寺へ向かうと、まず見えてくるのは南大門。
日本最大の山門といわれるそのサイズは横幅12m・高さ25mというビッグサイズの国宝建築物です。



南大門は天平時代に創建されたものの、1203年に再建上棟されたとされる東大寺の栄華が伺われる山門です。
また鎌倉時代の再建ではありますが、忠実に再現したかのように中国の天竺様の佇まいを感じる雰囲気に奈良文化の香りが漂います。

南大門でさらに驚くのは山門に安置されている金剛力士像ではないでしょうか。
1199年に上棟された山門に安置する金剛力士像が完成したのは1203年。像高8.4mという見たことも聞いたこともないような巨大な仁王様に思わず驚きの声が漏れてしまいます。





南大門を横から撮ると、参拝者のサイズと比較して如何に金剛力士像が大きいか分かると思います。
金剛力士像に関わらず、東大寺の仏像はどれもとにかく大きく、大きさゆえの迫力が凄い!



金堂(大仏殿)の前には中門があり、通り抜けが出来ないため迂回して大仏殿に向かうことになります。
中門は1716年頃の再建で重要文化財に指定された楼門です。



中門のすぐ右手には鏡池という天気が良ければ鏡のように中門・金堂を写すといわれる池があります。
曇天の空の下でしたので、弁天さんの祀られた宮を背景に鹿を撮って終了です。



さて、中門の回廊を進むといよいよ大仏殿が姿を現します。
大仏殿は752年に開眼供養された後、2度に渡って焼失してしまい、現在の大仏殿は1709年に落慶されたものだそうです。

再建の際には創建時に横幅86mあったものを57mに縮小して建てられたといいますが、それでも高さ47m・横幅57m・奥行50mという木造建築ではとてつもない大きさの堂宇になっています。
建物も如何にも中華風の雰囲気があり、古都 奈良の天平文化の名残が感じられます。





堂内に入るとやはり巨大な大仏様が鎮座しておられます。
大仏様(盧舎那仏)も当然ながら国宝で、その像高は何と15m近い。



15mの高さがピンときませんが、ビルなら4階くらいでしょうか?
まさしく富と権力を持って国家守護を祈願したこの大仏の姿を初めて見た当時の人はさぞやど肝を抜かれたことでしょう。



この大仏を観て豊臣秀吉が京都に大仏を建立しようとしたのは頷ける話で、大地震や炎上がなければ京都にも大仏様が残っていたかも知れないと考えると興味は付きません。
京都の大仏様(像高19m)は、奈良の大仏様(15m)を凌ぐ大きさでしたので、秀吉の富と権力を象徴するはずのものでしたが、灰塵に帰してしまったのはその後の豊臣家の行く末を暗示していたように受け取れます。

盧舎那仏の向かって左には「虚空蔵菩薩」が安置されていますが、この仏像もまた巨大さに驚きます。
1752年に完成した仏像とされ、高さは約7mを超える仏像で、脇侍とはいえ驚くべきサイズの仏像です。



堂内で大仏を守護するのは四天王で、大仏様の北西では「広目天」が守護しています。
四天王は江戸期1799年の造立とされており、像高5mというこれまた巨大な仏像です。



「増長天」と「持国天」はなぜか首だけが安置されていましたが、これはどういうことなのでしょうね。
予算が尽きたのか、仏師と折り合いが悪くなって中止されたのか、間に合わなかったのかなど訳がありそうです。



大仏様の北東を守護しているのは「多聞天」。
こちらも広目天と同じサイズで迫力満点のお姿の像で、このサイズの四天王像はさすがに見たことはありませんでしたね。



多聞天の横は大混雑しており、何事かと見てみると「大仏殿の柱くぐり」の柱がありました。
30cm×37cmの穴ですから大人が抜けるのはちょっと無理で、通り抜けられるのは子供だけかな。

大仏様の向かって左に安置されているのは脇侍の「如意輪観音坐像」でした。
こちらも「虚空蔵菩薩坐像」と同様に7mを超える仏像で、両脇侍ともに重要文化財の指定を受けています。



高度成長期の日本のチョコのCMに“大きいことはいいことだ!”というのがあったと記憶していますが、ここ東大寺金堂はまさしくその言葉が当てはまるような寺院です。
何もかもが大きいこの寺院には小さなことを全て吹き飛ばすようなパワーを授かることが出来るのではないでしょうか。

圧倒されるばかりで金堂から出てくると、若い牡鹿が待ち構えていました。
可愛らしいので“鹿せんべい”を買ってあげようとしたら、何頭もの鹿が寄ってきて後ろから横から当方のジャンバーに噛み付き裾を引っ張って鹿せんべいを求めてきます。
ジャンバーが鹿のヨダレと鹿せんべいの食べかすでベトベトになってしまったのには閉口してしまいましたよ。




コメント
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