今年は西国三十三所草創1300年を記念してイベントや特別開帳が行われていますが、昨年より始めた御朱印巡礼も西国三十三所巡礼に限ってはまだ6寺に参拝したのみです。
しかも現在まで滋賀県と岐阜県の寺院にしか参拝出来ておらず、満願になるのはいつの日になるやらという状態です。
西国三十三所巡りを目的にしているわけではないとはいえ、まずは滋賀ゾーンだけでも全て参詣しておきたいということで、まだ参拝していなかった岩間山・正法寺へ参拝してきました。
正法寺は岩間山の山頂(445m)にありますので、林道を登っていくことになりますが、久しぶりの林道ドライブに何ともワクワクとした気分になり楽しくなってきます。
正法寺は真言宗醍醐派の寺院で、開基は白山修験道の開山者・泰澄で722年に創建されたと伝わります。
滋賀で神社仏閣へ参拝すると、開基に泰澄の名があったり、白山信仰を紀元に持つ神社や仏閣が多くあるように思います。
泰澄や白山信仰の影響は、白山に連なる加賀・越前・美濃の国に隣接する滋賀県へもその影響をおよぼしてきたように感じられます。
燈籠が並ぶ参道を進んでいくと、まずぼけ封じ観音があり、ブロンズの金剛力士像を抜けて参道を進んでいくと境内に到着します。
最初に目をひくのは「火伏の銀杏」といわれる大木で、幹周り3.68m・樹高26mの樹齢は450年とされています。
前に建てられている祠は「稲妻龍王社」で、当山(岩間山)の護法善神として祀られていました。
本堂に着いた時はまだ受付開始前でしたが、すでに続々と参拝者が訪れられていて少々驚いてしまいます。
西国三十三所巡礼の札所ですから、巡礼衣装の方の姿もあり、西国三十三所巡礼の寺院の雰囲気が堂内に漂っています。
ただ参拝されていた方々の滞在時間は短く、次々と人が入れ替わっていくようでしたので、参拝してすぐに山を降りられ、次の巡礼寺院へ向かわれる方が多いのかもしれません。
本堂は1577年に再建され、寛永年間(1624年~1645年)に解体修理されたとされていますが、観音巡礼の寺院特有の拝所のこういう雰囲気は好きな雰囲気です。
巡礼衣装の方はここで正座をしてお経を唱えられていましたので、巡礼の方の信仰の深さを感じました。
外陣にも入れましたので堂内で拝ませていただきました。
ご本尊の「千手観音立像」は秘仏ですので厨子の中にあり、お前立ちの仏像が祀られています。
お前立ち・・・西国三十三所 パンフレット
しかし、本尊の厨子の左右にある脇侍の仏像がよく分かりません。
僧侶の方に聞いてみると、右に祀られている役行者のような方は「婆藪仙人立像」で、左に祀られているのは「吉祥天立像」ということでした。
「婆藪仙人立像」は京都・三十三間堂にも祀られていましたので、今のところ2躰目の婆藪仙人拝観ということになります。
本堂からは廊下を渡って不動堂まで行くことができ、その廊下の途中には「芭蕉池」という池があります。
松尾芭蕉の有名な俳句の「古池や蛙とびこむ水の音」が岩間寺に参籠したときに詠んだとした石碑がありましたが、そういった話は他の寺院でもありますから本当の話かどうかは不明です。
しかし季節柄カエルの声はよく聞こえていましたよ。
また、廊下には西国三十三所の各寺の観音様が祀られていて、ショートカット版の三十三所観音巡礼が出来るようになっていました。
不動堂には鎌倉期の「木造不動明王と二童子立像」が安置されているようでしたが、こちらも厨子の中に収められていて拝観することは出来ません。
不動堂の三尊は、中央に不動明王が祀られ、脇侍として右に「阿弥陀如来坐像」左に「薬師如来坐像」と安置されています。本堂の三尊といい、正法寺の三尊は少し変わった三尊になっているようですね。
正法寺で頂いた御朱印は、西国三十三所の御朱印ともう一つは「白姫(白山比咩)龍神」の「美心」の御朱印になります。
「白山龍神」は、開山泰澄大師が加賀・白山で修行中に「白山妙理大権現」に出会い、岩間山に白姫龍を勧請されたのが始まりとされていて、女人がこの白山龍神を崇めると美女になると伝承されているそうですよ。
寺院で時々見ることのある釈迦の足跡を刻んだ仏足石が、ぼけ封じ観音の前にありました。
扁平な足に刻まれている模様は瑞相と呼ばれて、それぞれの模様に意味があるようです。
岩間山・正法寺は本堂・不動堂や他の諸堂が比較的近くに集まって建てられていますが、山道をさらに奥へ歩いていくと他にもお堂や名木があるようです。
桂の大樹もあるようでしたが、そこまでは行きませんでしたので本堂前の「夫婦桂」(御本尊出現之霊木、木は第3代目)を見て終わりとしました。
西国三十三所草創1300年記念として各寺院では御朱印に特別印の授与があります。
特別印には各寺院の由来などが織り込まれていますが、正法寺(岩間寺)の特別印は“鬼が千手観音にひれ伏している”という面白い図柄になっていました。
これは『泰澄大師が当地に伽藍建立の際、たびたび落ちる雷に困り果て、ご自分の法力で雷を封じ込め、落ちる訳を尋ねられたところ、雷は大師の弟子になりたいのだと申し出た。』
との逸話によるものだそうです。
しかも現在まで滋賀県と岐阜県の寺院にしか参拝出来ておらず、満願になるのはいつの日になるやらという状態です。
西国三十三所巡りを目的にしているわけではないとはいえ、まずは滋賀ゾーンだけでも全て参詣しておきたいということで、まだ参拝していなかった岩間山・正法寺へ参拝してきました。
正法寺は岩間山の山頂(445m)にありますので、林道を登っていくことになりますが、久しぶりの林道ドライブに何ともワクワクとした気分になり楽しくなってきます。
正法寺は真言宗醍醐派の寺院で、開基は白山修験道の開山者・泰澄で722年に創建されたと伝わります。
滋賀で神社仏閣へ参拝すると、開基に泰澄の名があったり、白山信仰を紀元に持つ神社や仏閣が多くあるように思います。
泰澄や白山信仰の影響は、白山に連なる加賀・越前・美濃の国に隣接する滋賀県へもその影響をおよぼしてきたように感じられます。
燈籠が並ぶ参道を進んでいくと、まずぼけ封じ観音があり、ブロンズの金剛力士像を抜けて参道を進んでいくと境内に到着します。
最初に目をひくのは「火伏の銀杏」といわれる大木で、幹周り3.68m・樹高26mの樹齢は450年とされています。
前に建てられている祠は「稲妻龍王社」で、当山(岩間山)の護法善神として祀られていました。
本堂に着いた時はまだ受付開始前でしたが、すでに続々と参拝者が訪れられていて少々驚いてしまいます。
西国三十三所巡礼の札所ですから、巡礼衣装の方の姿もあり、西国三十三所巡礼の寺院の雰囲気が堂内に漂っています。
ただ参拝されていた方々の滞在時間は短く、次々と人が入れ替わっていくようでしたので、参拝してすぐに山を降りられ、次の巡礼寺院へ向かわれる方が多いのかもしれません。
本堂は1577年に再建され、寛永年間(1624年~1645年)に解体修理されたとされていますが、観音巡礼の寺院特有の拝所のこういう雰囲気は好きな雰囲気です。
巡礼衣装の方はここで正座をしてお経を唱えられていましたので、巡礼の方の信仰の深さを感じました。
外陣にも入れましたので堂内で拝ませていただきました。
ご本尊の「千手観音立像」は秘仏ですので厨子の中にあり、お前立ちの仏像が祀られています。
お前立ち・・・西国三十三所 パンフレット
しかし、本尊の厨子の左右にある脇侍の仏像がよく分かりません。
僧侶の方に聞いてみると、右に祀られている役行者のような方は「婆藪仙人立像」で、左に祀られているのは「吉祥天立像」ということでした。
「婆藪仙人立像」は京都・三十三間堂にも祀られていましたので、今のところ2躰目の婆藪仙人拝観ということになります。
本堂からは廊下を渡って不動堂まで行くことができ、その廊下の途中には「芭蕉池」という池があります。
松尾芭蕉の有名な俳句の「古池や蛙とびこむ水の音」が岩間寺に参籠したときに詠んだとした石碑がありましたが、そういった話は他の寺院でもありますから本当の話かどうかは不明です。
しかし季節柄カエルの声はよく聞こえていましたよ。
また、廊下には西国三十三所の各寺の観音様が祀られていて、ショートカット版の三十三所観音巡礼が出来るようになっていました。
不動堂には鎌倉期の「木造不動明王と二童子立像」が安置されているようでしたが、こちらも厨子の中に収められていて拝観することは出来ません。
不動堂の三尊は、中央に不動明王が祀られ、脇侍として右に「阿弥陀如来坐像」左に「薬師如来坐像」と安置されています。本堂の三尊といい、正法寺の三尊は少し変わった三尊になっているようですね。
正法寺で頂いた御朱印は、西国三十三所の御朱印ともう一つは「白姫(白山比咩)龍神」の「美心」の御朱印になります。
「白山龍神」は、開山泰澄大師が加賀・白山で修行中に「白山妙理大権現」に出会い、岩間山に白姫龍を勧請されたのが始まりとされていて、女人がこの白山龍神を崇めると美女になると伝承されているそうですよ。
寺院で時々見ることのある釈迦の足跡を刻んだ仏足石が、ぼけ封じ観音の前にありました。
扁平な足に刻まれている模様は瑞相と呼ばれて、それぞれの模様に意味があるようです。
岩間山・正法寺は本堂・不動堂や他の諸堂が比較的近くに集まって建てられていますが、山道をさらに奥へ歩いていくと他にもお堂や名木があるようです。
桂の大樹もあるようでしたが、そこまでは行きませんでしたので本堂前の「夫婦桂」(御本尊出現之霊木、木は第3代目)を見て終わりとしました。
西国三十三所草創1300年記念として各寺院では御朱印に特別印の授与があります。
特別印には各寺院の由来などが織り込まれていますが、正法寺(岩間寺)の特別印は“鬼が千手観音にひれ伏している”という面白い図柄になっていました。
これは『泰澄大師が当地に伽藍建立の際、たびたび落ちる雷に困り果て、ご自分の法力で雷を封じ込め、落ちる訳を尋ねられたところ、雷は大師の弟子になりたいのだと申し出た。』
との逸話によるものだそうです。