goo blog サービス終了のお知らせ 

超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

発表の日

2009-04-14 23:07:40 | ヒーロー
我が家の息子甘辛はザリガニを取らせたらかなり上位にランキングされると思われるサッカー少年で今年小学校最上級生になる。
幼稚園からある教室でサッカーをやっていたが、色々あって自らお遊びサッカーに分かれを告げ、市内でもかなり強いチームに移った。
レギュラーすら危ぶまれたそのチームでがんばり、監督の推薦をいただいて5年生の市内選抜に選ばれたのだ。

5年生のトレーニングセンター(通称5トレ)は140人あまりの推薦選手が二日間にわたる選考会で45人ほど選ばれる。
5トレは戦術眼や高度な技術を学び、それを自チームに持ち帰って裾野を広げる役目もあり、各チーム一人ぐらいは選ばれていたものだ。
しかし、6年生になるといわゆるホントの「選抜」チームとなり、人数は半分の22人しか残れない厳しい世界だ。

今度の選考会は1日だけで、すべてが決まる。
5トレメンバーでなくても、転校してきた選手や5年生ですんごく伸びた選手もいるから、新たにチームからの推薦者も受け付け、総勢100名くらいの候補者が集まった。
甘辛もがんばっているが、やはり5人に一人じゃ難しいだろな。まあ、いい経験だ。

親子でたてた今年の目標は「選抜クラスに一つは合格すること。」
Jリーグ組織の選抜クラスのセレクションは万年一次落ちで今年もなかなか結果が出せないでいた。
しかし、カズのいるJ2チームのアドバンスクラスに見事合格!「やっとだよ~」と喜んでいた。

今度のやつは市のサッカー協会が主催する「選抜」だ。
同じ小学校やチームメイト、前にいたチームのメンバもいたので少し複雑な気分だったが、やっぱり正直残ってほしかった。

推薦を受けた候補どおしで「あいつは行ける、あいつはキツい」とか予想していたらしいが、コーチにも今年の厳しい実情を色々聞いたらしく、

「やっぱり選抜は厳しいや。。。」

珍しくおとなしくしていたようだ。
発表は市のサッカー協会4種委員会のHPに載るらしい。
会社でも閲覧してみたが、どうも夜、更新されるらしい。。。家に帰ってパソコンを上げたとき、自分の合格発表を見たときよりもドキドキした。

8時過ぎに「2009年度選抜メンバー」というページがアップされていて、恐る恐るクリックすると。。。

な、なーんと、この名前は。。。覚えありーっ!!(あたりまえだけど)

親が40年以上かかって、やっとインターネットデビューしたのに、息子甘辛はわずか11年あまりでその名を公の場に飾ったのであった。

しっかし、よくやったな。最近一番の感激だよ。。。ザリガニ捕ってる場合じゃないぞ。。。

「はじめの一歩」のお気に入りシーン

「努力したものが成功するとは限らぬ。しかし、成功した者はすべからく努力している」

という会長の言葉を思い出した。

「成功」というにはちょっと小さなドアだが、ともかくも開けば前に進めるもんな。
甘辛君、選抜合格おめでとう。今年は海辺の朝連、がんばろうぜ。

怒りのオーディション

2009-04-10 05:31:42 | ヒーロー
翌年度新入社員入社式の総合司会は緊張の中でも楽しんだ雰囲気で無事終わった。
実はこの話題には後日(年)談がある。

相方を務めた同期の女性と打ち上げに招待されるとこのイベント・企画に携わったスタッフ達がいた。
同期ながら見事な采配で「会社間違えたんじゃないの?」と思うほど「デキる」連中だった。

そんな経験も思い出としては忘れかけた3年後。。。
人事部の今度は別の課長から電話があり、相方のマナミちゃん(仮称)とまた来てほしいという。
「今度は何なんだ?」と待ち合わせて行くと、驚いたことにこれまで数年間の代々の総合司会が集められている。

担当が言うには・・・
次年度は今までよりも景気よく、凝ったイベントにしようとプロにも演出をお願いしている。
MC(マスターオブセレモニー)も今年の新人ではなく、これまでの経験者から選抜して起用したい。
今日はその説明と役割分担や協力体制の確認をしたい。

ふーん。ようするにオーディションか。。。入社5年目にもなるとそれなりに仕事もあるし、忙しいからこんなのやんなくていいんだけど・・・
台本みたいなものを渡されて次回テストをするから覚えてくるように言われた。
人のことを悪く言いたくないが、その担当はいかにも「キミ達にはセレクションに参加させてやる」という態度だった。

「どうしたものかねえ?」と相方に尋ねると、結構気の強い彼女は

「何か失礼しちゃうと思わない?別にやりたくて来たわけじゃないのにさ。。。」

新人のときは新鮮にいい経験だと思ったが、少し会社事情がわかってきた今では人事部の高圧的な態度が気に入らなかったようだ。
そしてしばらくたって、案内が来たが都内のスタジオ?に集合時間はなんと夜の8時。。。

我々は当時東京にいたから終業後中途半端に時間が余ってしまう。

「何なんだよ、この時間はよぉ。まあ、ゆっくり夕飯でも食って行くか」待ち合わせた我々は近くのサッポロ直営のLIONに入った。
台本を覚えてきたわけでもなく、いつもは顔を合わさない我々は久々に今の仕事の話をしているうちに。。。

「なあ、別に今回はどうでもいいから、飲んじゃうべーか?」と聞く私に、さすが私の相方は

「そうだねっ。もう仕事終わったんだもんね!」

大ジョッキを並べ出した。。。8時ぎりぎりに二人、赤い顔をしてスタジオに現れることになる。
別にそのことは何も言われなかったが、マイクの前に立って台本のセリフを二人でしゃべらされ、ずいぶんダメ出しされた。
セリフが棒読みとか、テンポが安定していないとか、噛み過ぎるとか。。。

他のペアも含めシーン1がひと通り終わってシーン2の審査?に移行しようとしたとき、私達は二人同時に立ち上がった。

「私達、帰ってよろしいですか?」と彼女が口火を切った。

「どういうこと?」ちょっと首を傾げて意味がわかっていないような担当者に

「帰るって言ったんだよ。別にやりたくて来てるんじゃないんだよ。『人事』の名前出しゃ皆ビビると思ったら大きな間違いだぜ」


「そうは言ったってキミら・・・」

「立候補したい方を差し置いてまで選考してほしいとは思いません」彼女は毅然と言い放った。

「その通り!」

私は「アタック25」の児玉清風にカッコよく振り向き様セリフを決めて留めを刺した。

その日、最も息のあったテンポでたたみかけ、あっけにとられる担当を尻目にとっととスタジオ出口のドアに向かった。

ビルの外に出たとき、ハイタッチして再びLIONに向かったのは言うまでもない。

ゴールデンコンビ

2009-04-06 07:06:42 | ヒーロー
「この二つが揃ったら最強よね」というコンビがよくあると思う。
歌系で行けば、以前取り上げたが水木一郎と堀江美津子、わが母校の校歌を作った山田耕筰と北原白秋。
野球で言えば王と長嶋、サッカーで言えばペレとベッケンバウワー。

仮面ライダーはいっぱいいるが、やはり1号と2号、実際には実現しなかったが武田信玄と上杉謙信。
食べ物で言えば、肉野菜炒めとギョーザ、コーヒーとニド(は違うかな?)
そして花と言えば、梅と桜だ。

以前こうなったらゴールデンコンビだと言ったようにホントになった。
春爛漫で満を持したように我が家の桜クンがぱっとその細腕に花を咲かせたのだ。
堂々たる大きな梅の木に比べて、私の投げ釣りロッドくらいの太さしかない桜だが、ムラ気の多い梅と違い、毎年必ず静かに自己主張する。

桜の木というよりは、枝が地面にささっているようなもので、夏になっても葉っぱをあまり茂らさないし、満開になってもちょぼちょぼだ。
ここに移り住む前からあったと思うが、5年たっても大きくなる気配はない。
しかし、甘辛はよじ登ってもびくともしない梅が何の気まぐれかつい先ごろドバっと咲いたこともあり、初めてゴールデンコンビが成り立ったのだ。


今回は桜ががんばったと言うよりは、梅が持ち堪えたというところか。
なかなか見られないシーンと思うんだが。いや結構当たり前にあることなのかな。
しっかし相変わらずの携帯ショボ写真でこれまたすみません。。。

息子甘辛にも「花を愛でる」心が育ってほしいものだ。
今、すぐそこの川沿いのハイキングロードは桜ですごいが、結構色んな花が植わっているから覚えてみるか。
家庭菜園というのも流行っているようだ。どちらかと言えば実利に走ってしまう私は食べられるものしか作ったことがないのだが。。。

よくみかけるきれいな花のアップ写真てのも撮ってみたい。
「美しい花が咲き、なおかつ食にも供する」、一粒で2度おいしいグリコのような作物を探してみよう。

フジテレビ開局50周年記念

2009-03-05 15:34:32 | ヒーロー
先日投稿したのはテレビ朝日だったが、やはり他も同じような時期に開局したようで、今度はフジテレビが開局50周年記念番組をやっていた。
音楽、バラエティ、事件の3テーマを扱った3部作だったようだ。

タケシの「オールナイトニッポン」とロイ・ジェームスの「不二家歌謡ベストテン」しかラジオを聞かなかった私はやはり生粋のテレビッ子だった。
この前のNETテレビ=テレビ朝日よりメジャーなイメージのあるフジテレビの50周年モノはすごく楽しみにしていたが、音楽編だけ見られなかった。。。

はじめて実家にステレオが来て聞いた研ナオコの「かもめはかもめ」、さとう宗幸の「青葉城恋唄」からアリス、ハウンドドッグ、浜ショーを横に怒涛のアイドル全盛を経ておニャン子12番、そのあとも20世紀の歌謡モノははずさなかった私にとってはどうもショックだ。

事件編は出張先のホテルで見た。
連合赤軍あさま山荘事件からはじまり、ほぼすべての衝撃ニュースをリアルタイムで見ていた。
今でもあの衝撃は思い浮かべられる。
すごかったのは「ホテルニュージャパン」の火災と羽田沖日航機逆噴射事件って連続した日だったのね。

でもやはーり、フジテレビと言えばバラエティだろな。これは家族で見た。
番組の編成自体は今のお笑いタレントがドタバタしているだけでイマイチだったが、ひょうきん族、ドリフの大爆笑、バカ殿など・・・数え上げたらキリがない。
ドタバタが好きな息子甘辛はむろんリアルタイムでは見ていないが、今でもこの手の番組放送があると必ず見ているから、よく知っていて大喜びだ。

笑いが最高潮になったのは。。。「のりおのにらめっこ」
のりおのアトムとオバQ/ダッコちゃんの半々顔(阿修羅男爵的な)が一瞬出たとき、家の壁にヒビが入るんじゃないかと思うくらいに皆で笑い転げた。
甘辛は笑いすぎて小さい時のようにおしっこ漏らしちゃうんじゃないかとも思った。

いやぁ、油断もしていたがあれにはやられた。
でも妻と意見が一致したのは・・・・

「たしか全オバQがいちばん笑えた。。。」


ALL FOR 2010!

2009-02-13 22:20:39 | ヒーロー
建国記念の日、息子甘辛のチームメイトからWカップ最終予選「オーストラリア戦」のファミリーチケットを入手していただき、寒空の中家族で応援に行った。
日産スタジアムでJリーグ観戦はあったが、日本代表の試合は初めてだ。
あの、ナマ俊輔が見られるのか。

国を挙げてのガチンコ対決はいつもと全然雰囲気が違う。
選手入場の際にオーストラリア応援団以外が全員ブルーのカードを図上に差し出してサムライブルー一色だ。
っと思えば正面スタンドでは白と赤のカードを差し上げて巨大な日の丸。。。


日本人の自覚はあまりない私も素直に感動したな。
両国国歌の独唱(日本は小学生の合唱)、山火事の犠牲者への黙祷など身が引き締まる思いだった。
ひいきのチームはもちろん、そうでないチームも何か自分との因縁を見つけ出し応援しだすと震える興奮が味わえるのはスポーツならではだろう。

社会人になってから、昔の同級生に誘われて早慶ラグビーを見に行ったことがある。
その女性は早稲田大学出身だったので、当然応援歌も含めて熱狂的に早稲田を応援していた。
私はサッカー派だから早慶戦はもちろんラグビーそのものにも正直興味はなく、「松尾雄治はいないの?」と聞くレベルだった。

しかし試合を見ているうちに、周りよりも熱くなり最後は早稲田がトライなんかするとその辺の人とあたり構わず抱き合う始末だった。。。
あれも寒い日だったが、気がついたら汗びっしょりになっていた。
(いっぱい女性もいたのでもう少し感触を覚えていればよかった)

さて、オーストラリア戦だが今ハマっている「ゲーテ」も言っているように、「どうせ情熱を注ぐなら一番いいもの。。。」というのはまさしくそうだ。
Wカップ出場を賭けているところもあり、プレーの質、気合そして荒っぽさも今見られる最高のものだったろう。
私達の後ろにいたチケットを手配してくれた家族は、甘辛とはチームメイトの女子選手の両親が熱かった。

パパはコーチなので、ひとつひとつのプレーを熱く説明する。背中をつつき「甘辛よ。今のはな・・・」
とかくサッカーの試合ではママのほうが過激なのはJリーグと同じだ。。。

「おらぁ、そこぉ!引っ張ってんじゃか!!なんでフエ吹かない!?」

「いやぁー、そこだめぇー、はずして・・・」なんかやばくない?

「ちょっとあいつぅ!アタシのタツヤに何すんだ!!」ちなみにタツヤとは日本代表のFW田中達也選手(11番)

「トゥーリオぅ!!あんたはいつも雑なんだ!!」

うーむ。。。後ろが熱すぎて全然寒くねえ・・・
試合は0-0で終わってしまい、ニュースでは色々物議をかもしていたが、日本代表の試合はカッコいい。
また行きたいもんだ。


いやぁ。載っちゃいました。

2009-01-27 23:04:49 | ヒーロー
フリーへの第一歩というところか。。。
かねてから編集されていた、我が社の新卒採用サイトコーナーに実名入りの写真が載ってしまった。
会社での人・仕事としてプロジェクトを紹介するコーナーで、来春就職する学生さん達に

「うちの会社、あんまりパッとしないけどこんないいこともやってんのよ」

と見てもらうため、限りなく見栄えよくしてあるはずなんだがな。
アップデートしたというメールをもらってドキドキしながら見ると。。。
うーむ。悪くない。。。いつもムスっとした顔をしてる私が少し微笑んでいる。

コラムも1000文字以上あるが、実際ページに飾られてみると、テキストで見るだけのときよりかなりサマになるもんだ。
なかなかのものだな。
ただカメラを意識してしきりにいじくり回したウルトラセブンのボールペンがチョビっとしか写ってなかった。。。

文章自体は学生さん相手に気を引くために、かなり着飾った表現にされてはいるが正直、私はあんな感じでしゃべったんだ。
ただ一緒にいた二人の話にはお見合い写真顔負けの修正が一部されてた。

「落ちてたものを拾っただけです。」

が、ルポライターの魔法にかかると。。。

「世の中で起きていることを上下左右くまなく目を光らせ、ちょっとしたきっかけも見逃さずにチャンスとし、謙虚な気持ちを忘れずにきちんと自分のモノにする。。。」

ホントにそう言ったわけではないが、こんなノリだった。

会社のHPトップから採用情報サイトへ飛び、プロジェクトストーリーを紹介するコーナーへ行くと、下のほうに小さく載っている。
目的からして学生はもちろん彼らにリコメンドしてくれるたくさんの人に見てもらうほうがいいんだろう。
恥ずかしいけどPV(ページビュー)は稼ぐべきなんだろな。

しかし、学生間で人気イマイチ企業と言っても名前だけは知られている。。。
公式HPともなるとかなりの人が訪れるんだろう。
その中には「あのHPに出ていた素敵なヒト誰?」という女性もいるんじゃないか?

何が興味を持たれるかわからない世の中だ。
コマーシャルとか火の用心のポスターとか。。。「あれに出ていたヒトのプロフィールが知りたい」なんてクチコミから有名になり芸能デビューする人もいたよな。
はてさてホームページの問合せ先に

「ホームページに出ていたナイスミドルっぽい磯辺という人のプロフィールを教えて!」

という方がだんだん増えてきて。。。
出るとすりゃ「ズーム・イン」だな。そこで西尾由佳理に取り上げられると話題が話題を読んで・・・
次は真面目なニュース番組への出演依頼だ。私は社員だから広報室を通してもらわなければならない。
女子高生がキャーキャー言うことはないと思うが、就職氷河期再来にかこつけて「プロジェクト」(うーむ。いい響きだ)を仕掛けたカリスマとして遂に独立!?

そこから先はお決まりのコースか?
まず本を出版して、ベストセラー。。。2作目、3作目もアタリ、印税収入だけで年間数億円へ。。。
若い駆け出しのタレントに目が眩んで妻と離婚。事業を立ち上げたがこれが大失敗。
とても返せない借金を溜め込んで、詐欺を働きスポーツ新聞の小さな欄を淋しく飾る。
いかにも転落人生まっしぐらだが、男は40を越してからとも言うもんな。

妄想はこれくらいにして子供にカッコイイとこ見せられたかな。
数々の武勇伝で私はかなり顔に傷が多いのだが、その辺はカバーされてるようだ。
私を知ってる人はちょっとだけ見てください。(恥ずかしいからすぐに去ってください)

コメント待ってるぜ。
わからない人は特別サービスでメールくれればURLを返信します。
hayapo21@mail.goo.ne.jp






天地人

2009-01-13 22:13:43 | ヒーロー
息子甘辛は幼稚園のときから、「戦国武将で誰が好きか?」と尋ねると「直江兼続」と答えた。
少年ジャンプに連載されていた「花の慶次 ―雲のかなたに―」が全巻我が家にあり、小さいときから読んでいたためだ。
主人公の前田慶次が惚れ込んだ人物が直江兼続だ。

風林火山にも篤姫にも興味を示さなかった彼が「天地人」は見るという。何の話かと思ったら直江兼続だったというわけだ。
我が家は息子甘辛が産まれた10年ほど前からビデオが故障して使えなかった。
それ以来(子供時代は全くのTVッ子だったが)あまりTVを見なかった私はビデオに残す習慣もなくなり、ホントに見たい番組は時間になるとテレビの前に座るだけだった。

「天地人」は前回が2回目だったが、このところ大河ドラマすら見なかった私が驚いたのは、樋口与六(5歳)=後の直江兼続をやっていた子役。。。
名前は知らないが恐るべき演技力(というか素のまま?)だった。
母親役の田中美佐子はもともと好きだったが、第1回目も2回目の母子の別れるシーンに涙がとまらなかった。

第2回の後半はそれから10数年たった設定になってしまい、たぶんあの子役はもう出ないが、妻夫木聡の兼続が色褪せてすら見えてしまった。。。
「パパと呼ばないで」の「チー坊」や筏にのった「おしん」に匹敵するんじゃないか。。。
実はあの子は息子のチームメイトK斗君の弟によく似ているんだ。

次回、母親(田中美佐子)が亡くなってしまうシーンも涙するだろう。
秀吉以来の大河ドラマだが、本物の前田慶次がでるかどうか・・・今後の楽しみだ。

箱根駅伝

2009-01-04 20:10:34 | ヒーロー
一人暮らしをしていた時期を除き、約30年私は正月恒例の箱根駅伝を歩いて応援しに行けるところに住んでいる。
しかし、サーフィンと同じく40歳を過ぎるまで正月に間近で応援しようなどと一度も思わなかった。
寒い中自分の母校でもない人が道路を走るのになぜ見に行かなくてはならないのかと。
沿道をいっぱいして旗を振る人達が不思議でしょうがなかった。。。

しかし、たまたま3日の日自宅で子供と駅伝を見ていると無邪気に聞かれた。
「これっていつもの海っぺりの道だろ?すぐ近くに来んのか」

「お前の通う小学校のすぐ横を通るよ。ちょっと見にいっか」

小さい息子を肩車しての応援だったが、なぜか興奮した。

それから息子甘辛が今のチームに入団し、そのチームはホームグランドの小学校がまさしく駅伝コースの沿道にあるので、毎年3日午前中に初蹴りを兼ねて声援を送る。
1年から6年までの団員が全員、私達ギャラリーの前で初蹴りとなるドリブルシュートを披露し、学年対抗ミニゲームで盛りあがる。
駅伝選手がやってくる11時頃になると、ゲームを中断し沿道にユニフォームのまま応援しに行くのだ。

私も選手達と一緒に反対側のガードレールの切れ目に陣取って駅伝が来るのを待っていた。こちらのほうが空いていて良く見えるのだ。
テレビで見るとあまり分からないが、実に多くの関係車両が通るものだ。
最初に通りすぎた白バイからパトカーが3台、続けてまた白バイ、広報車、しばらくして2代目の広報車がやってきて

「あと5分で先頭選手がやてきます。車道に出ないで応援してください」

ハァ?もうあと5分だってぇ?随分念の入った露払いだなあ。
考えてみれば反対車線は規制されてないんだから普通にチャリで走れば全選手とすれ違えるんじゃないか?

「ねえねえ、救急車が来てさ。この車線(駅伝コース)通んなきゃなんなくなったらどうすんのかな。やっぱり道あけんのかな?」

Oコーチは微妙な質問をする。教えてgooででも聞くか。。。

そのうちやっと装甲車両のような中継車1号車と先頭選手がやってきた。ややっ2人いるぞ。。。東洋大と早稲田大だった。
3人目は少しあいて日体大だ。同門のKとパパは大喜びだ。いいなあ・・・応援しがいがあって。

子供達はどの選手にも全力で声援を送っている、沿道はすごい盛りあがりだ。
そのうち反対車線を10台くらいの中年ハーレー軍団がやってきて、口々に選手に声援を送っている。
「かっちょええ!」子供達は騒いでいるがうーむ。。。これを暴走と言うべきか。。
その後、何人かの選手が走ってきたが、なんと目の前にどかぁっと神奈中バスが止まってしまった。。。
ガードレールの切れ目はバス停だったのだ。

「ちょっとぉ、おじさん早くどいてよぉ!見えねえじゃんか」

まあまあ、おじさんはお仕事なんだから・・・私もバスを蹴り飛ばしたい衝動を抑えて言った。
声援はその後も続き、広報車が

「これで駅伝選手はすべて走り過ぎました。応援ありがとうございました」

息子甘辛は今年6年生だからユニフォームを着て旗を振るのは次が最後だろう。
今度はハーレー軍団のうしろをチャリで着いていった応援すっか。






いやぁ。こんにちは。

2008-12-31 03:51:02 | ヒーロー
みなさんこんにちは。磯辺太郎です。

そろそろ再開しよかなと考えていたのだ。
せっかくなら2009年の門出を祝う1月1日にすればいいのに、もしかしてそんなことを予測してる輩がいるかもしれんと、大晦日から再開するヘソの曲がり方も超兵器並み。。。

このタイトルのモデルとなった「超兵器R1号」の数倍の威力をもつR2号は平和を願う防衛軍の反省から本編では幻となってしまったが、こちらは少し威力を下げて始めよう。。。

今年も色んなことがあった。10月まではほぼ毎日書いていたが、その後は。。。やっぱり与太話ばっか。

「5年ぶりの免許更新。あまりに暇なので入った献血車で見たものは!?」
「なんとその免許を翌日に紛失!?」
「業界でも『重たくて使いづら過ぎ』と悪評の我が社HPの採用欄になんと磯辺氏がプロジェクト紹介コーナーで爽やかに登場」
「とうとう親がサンタってばれちゃった。。。しかしプレゼントの欲しい息子甘辛は。。。」
「豪華絢爛!S南高校同期会。。。4次会まで14時間!最後まで仲良しだったのは!?」

まあこんなとこだ。

お休みに入ってから驚くほどたくさんの人に「もうやんないの?」と声をかけられた。
結構一杯見ていてくれたんだな。何か書いてくれればいいのにね。
ブロガホリックが再発しないように、毎日はやめよう。

ボリュームのこんなもんにしとこかな。

みなさんまたまたよろしく。


300回:今日の日はさようなら

2008-10-13 20:23:44 | ヒーロー
50回というのは結構早いもので今回で300回。。。
以前250回記念で書いたようにしばらく筆をおくこと(キーボードを伏せる?)にしよう。
なんとなく終わりたくない気もするが。。。

始めたのはたしか昨年の暮れ・・・脳トレのつもりだった。
土日はサッカーで忙しい息子甘辛につきあってばかり、平日は電車で会社を往復するだけの毎日で退屈しないように日常の審美眼?を鍛えるために書き出したのだ。
その気になってみると結構話題ってあるものだ。そのうち毎日書けるようになった。

初期のように思いついたときだけ適当に書いていればよかったのに、そのうち次から次に話題が浮かび面白くてしょうがなくなった。
だんだんやばいことになってきたかな。ランニング・ハイというかジョギング症候群というんだろうか、筆(指)が止まらなくなってきた。。。

ブロガホリックだ。このまま続けたいがやはり少し休むことにした。
今までは毎日何か書いていないと気が済まなかった。しばらく禁断症状がでるだろな。
もう十分脳トレーニングにはなり、かなり観察眼が鍛えられたような気がする。

これまで色々書き込んでくれたみなさん、ありがとうございました。

また会う日まで。