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超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

金八ファイナル

2011-04-05 14:16:07 | ヒーロー
先々週末だったろうか、「3年B組金八先生」が32年(続いたわけではないけど)の幕を閉じた。
「金八先生が定年退職で桜中学を去る」という設定だと聞くので、第1回シリーズの年齢は28歳というところだろうか。。。
歳バレするのであまり詳しく語らぬが、我々はまさしく「リアル金八世代」である。トシちゃんもマッチもいたし(野村義男はいたかなー)、「顔はやばいよ。ボディやんな」の三原順子もいた。その次のシリーズにはシブガキ隊も出ていた。

当時「青春モノ」と言ったら圧倒的に高校が舞台で「剣道部」や「ラグビー部」のスポ根混じりの番組ばかりだった。「●●青春」とか「ゆうひがおかの総理大臣」、村野武範とか中村雅俊あたりは我々よりも微妙に(半世代くらい?)上で、どうもピンとこなかった。
「金八先生」も最初のほうはあまり見ていなかった。。。15歳の杉田かおるが妊娠したり、カトウが教室で大暴れしていてもあまり現実感が湧かなかったものだ。
ずばり我々を掴んだのは、多くの生徒の場合生まれて初めての試練?となる「受験」がシンクロしたからだと思う。

金八先生の都立高校とは異なり、我が県には中学2年生の終わり頃に受けるアチーブメント・テストという怪しげな試験の結果で1年先の公立高校志望が半分くらい決まってしまう、という悪夢のような制度があった。
終盤になるに従って、「受験」が物語の題材の中心になり、その心構えや微妙に不安定になる生徒の心理に共鳴し、何かと教室でも話題になるようになった。
まあ、こちらは当事者そのものだから、そもそもそんなテレビ見てる余裕すらなかったのも事実だが。

第1回シリーズ、第2回シリーズはたしか連続であったような。。。しばらく冬のシーズンになると再放送していた。
リアルだったか再放送だったか微妙だが、ホントの受験生だったので「最終回」以外はあまり見ていないからあまり記憶が定かではないが、金八シリーズで今でも覚えているのが「荒川土手の課外授業」だ。
確か「入試(何とか)前心得」とかいうタイトルだった。
15歳だった私にとって当時から不滅の輝きを持ち、今でもヤマトの「慌てず急いで正確に」と並んで、何か訓示をたれるときにパクるのが、「文化とはフグちりである」とかます、あの課外授業でのお説教である。

「フグという魚を知らずに食べて死ぬときに、「どうも○○が悪かったらしい」と言い残す。そんな何十何百の死んでいった祖先たちが残していった積み重ねで今、我々は安心してフグを食すことができる。だから我々も何か次の世代が幸せになるようなことを残す責任がある。だから君たちは勉強しなければならない。」
全然正確ではないが、こんなような話だ。。。そしてむろん当時は将来何になるのか見当さえしていなかった私にとって打った言葉は、それぞれを目指す生徒に向けて放った言葉だった。
「東大を出て大蔵省に勤めた者は困った人のために1円でも多く予算を分捕れ。酒屋を継ぐ者は客の気持ちが明るくなるような笑顔を、美容師になる者は客の心まで美しくなるような技術を、音楽家を志す者は聴く者の魂を揺さぶる音楽を・・・・・」
これまたうろ覚えだが、30年たった今でもこれだけ鮮明に覚えている。
我々もまさしく受験直前。。。校庭に出て志願する高校ごとにグループを作り、何とみんなで駅まで歩いて願書を取りにいった。共に同じ高校を受験する者どおし仲良く暗記モノの問題を出し合って歩いていたが、私は金八先生の土手の授業が頭から離れなかったのものである。

あれから32年たって・・・金八先生もさすがにヨレヨレになってしまったな。明るく噛みつくようなパワフルさが、かなりナリを潜め「好々爺」という感じだった。
奥さん(倍賞美津子)はいつの間にか亡くなってしまったのか。。。娘の結婚式も感動的だった。
ファイナルで「金八先生自身の卒業式」は実に1時間くらい続いていた。今から遡ること32年、歴代の出演生徒がそろって出席していた。
数年前に卒業した生徒は、まだまだ「生徒」と言っても何とかなるが、平成ひと桁あたりから急におじんおばん臭が増して(間が長かったからかなー)、「昭和」ときたときゃかなりドキッとした。
さすが今でも現役の俳優はキリっとしていたが、「カトウマサル」の変身した姿は衝撃的だった。。。

息子甘辛もそう遠くないうちに同じ年齢になるが、金八先生のような教師、3Bのようなクラスに恵まれて欲しいものだが、なかなか難しいかなー。
15歳はその昔で言えば元服の年齢、銀河鉄道999で言うと惑星「ヘビーメルダー」のような人生て初めて踏み込む分岐点だ。
また歴史上めったなことでは経験できない「未曽有の危機に直面した人間」を目の当たりにすることにもなる。

金八先生の課外授業では最後にこのように結ぶのだ。「そして、この川の流れ込んだ海の向こうでは、受験戦争どころか、本物の戦争で傷つき、肉親を失い、食べ物すらない、そんな少年少女がいることをおまえたちは忘れるな。そして・・・」
息子甘辛達の場合は「戦争」ではなく「災害」となるのだろうかな。

我々も「フグを食べられるように」100年以内にまた来るかもしれない大地震に耐えうる社会システムを作らなければならない。
そのための「大人」の責任のひとつは今度の大震災で気付いた日本の「リスク」「矛盾」「脆弱性」など災禍をもたらすものをあらん限り露呈させすことだろう。
変えるのは次々代くらいまでかかるかもしれない。「元あったモノに戻す」だけでは金八先生の雷撃にあうだろな。。。

深イイ話

2011-03-01 16:44:15 | ヒーロー
「限定300名様。年会費6000円で入会するとワンコインでスポーツ施設で汗を流した後、併設する日帰り温泉でゆっくりリラックスできます」コースがお気に入りで、月~木の夕方暇さえあれば通っていたのだが、肝心のスポーツ施設が潰れてしまった・・・
隣の温泉施設の通常入館料は平日830円、土休日は980円とお高めなのでかなりのお得感があったんだけどなー。
私が行くのは夜7時くらいだが、広々したマシンエリアとスタジオを持ちながら、あまり人を見たことがなく、いつもポツネンとエアロバイクを漕いでいたのだ。
「こんなんでやっていけるのか?」と何度か思ったものだが、やはりそうなっちゃった。。。

幸いにして、半年ほど前に体験・見学に回ったスポーツクラブの一つが今入会金無料キャンペーンをやっており、ハガキを送ってきたのでさっそく電話してみた。
午後5時から8時半まで施設利用できる「アフター5」という、私のためのコースがHPに掲載されており、電話で申し込んだらあいにく定員がいっぱいになってしまったという。。。
交渉ベタな私も「通ってたクラブが潰れてしまってジプシーなんですよ・・・」
「そこを何とか!」攻撃で支配人と話をつけ、特別に追加会員を認めてもらったのだ。

結構リーズナブルな月会費だし、施設やプログラムそしてリラクゼーションアイテムも充実している。
プログラムは「あまりガンガン過激なヤツはないんですよ」と言われたが、試してみたかったアクアエアロもあるし、ヨーガもある。
今月から新しいスポーツライフを楽しもう。

ということで、しばらく単身マンションに帰っても何もやることがなかったから、普段あまり見ないテレビ番組を見た。
夕食時にはBGM代わりにつけてあるのだが、あまり面白いのがないのでよくは見ていない。
昨日は「人生が変わる1分間の深イイ話」というのを見た。紳助とバード羽鳥がやっているヤツだ。
そこで約30年間「サザエさん」で共演した波平さん役の声優が亡くなったカツオ君役の人に贈った弔辞が放送された。

「カツオ、親より先に逝くやつがあるか!」締めくくりは
「カツオ、桜が咲いたよ。散歩にいかんか?」

「うーん」にしたのは紳助だけだった。私も深イイかどうか、と聞かれると「?」なんだが、すごく衝撃的だった。。。
私は子供の頃からサザエさんとともに育った(と、言うアニメや特撮モノがやまほどある。)からだ。
そして何十年前のモノでも深イイ話は必ず鮮明に覚えているものだ。

●宇宙海賊キャプテンハーロック(アニメ版)
「地球の海が死滅した時人々は言った。『人類の終わりの時が来た』と。頭上に広がる無限の海に何故か目をつぶり、人類の行く末をひたすら嘆いた。人類の輝かしい未来を信じて新しい無限の海=宇宙へ乗り出していった僅かばかりの男たちのことを、この人々は指差し嘲笑った。『儚い夢を追う無法者』と。
これはそういう時代の物語である。時に西暦2977年。 」
(我が家にVTRがやってきて初めて収録したのがハーロックだった。その後の再々放送で全話収録して今でも見ることがある。これがハーロックのオープニングナレーションである)

●ドラえもん(コミック版)
「ボクだけの力でキミに勝たないと、ドラえもんが安心して帰れないんだ!」
(未来の時代に帰らなければならなくなったドラえもんのために、のび太がジャイアンに一人で挑戦するところ。この後、涙とともに一旦お別れするが、USO800というドラえもんが残して行った謎の液体を飲んで「ドラえもんは二度と帰らないんだから」と呟くとあっけなく帰ってきてしまう。
なぜならUSO800は言ったことの反対が実現する、という最終兵器だった)

●さよなら銀河鉄道999(劇場版)
「若者はね、負けることは考えないものよ。一度や二度しくじっても最後には勝つと信じてる。それが本当の若者よ」
(機会化人で充満する惑星に敢えて999号から降車し、調査しようとする鉄郎に「(生きて)帰れないわ」と声をかけるメタルメナに対しメーテルが放つ言葉)

●エースをねらえ!(コミック)
「この一球は絶対無二の一球なり」
(以前、このサイトでも紹介した?宗方コーチが選手生命を絶たれてから人生にも試合にも終わりはあることを知り、心底骨身にしみたという言葉。「エースをねらえ」はコミックでしか読んだことがないが名言の宝庫だなー)

●北斗の拳(コミック)
「我が生涯に一点の悔いなし!」
(北斗神拳の長兄ラオウがケンシロウと闘い、伝承者である弟の力を認めて天に還って行くときの言葉。キャラクターとしては南斗水鳥拳のレイが好きだったのだが、最も存在感があり言葉に重みがあったのがラオウだったなー。他に「退かぬ、媚びぬ、省みぬ!」なんてのもあった。。。)

●ブラックジャック(コミック)
「一生かかってもどんなことをしても払います!きっと払いますとも」「それを聞きたかった・・・」
(母親は幼い我が子が重病に罹り、法外な治療費に対し「一生かかっても・・・」と宣言して数十年支払続ける。最後の支払いが終わり、脳溢血で倒れた老母を見てブラックジャックは「90%生命の保証はないが、助かったら3000万円・・・」と成人した息子に聞く。そのときその息子は叫んだ。ブラックジャックもほぼ全巻持っていた。母の愛についてふれ、深い話が実に多かった)

インターネットサイトにはブラックジャックの名言ってやまほどあるんだなー。
何となくうろ覚えでいたが、父から息子への手紙は今でも好きだ。

「昭吾へ
人の生きかたにはいろいろある。
お前えも大きくなった。
自分の道をすすむのもいい。
だが小さいころ運同会で二人三きゃくで走ったろ。
あのときのことが おとうさんにはわすれられないのだよ。
昭吾、人生は一人じゃない。
二人三きゃくで走らねばならんこともある。 」

そして有名は名言。本間先生のひとことだった。

「どんな医学だって、生命の不思議さにはかなわん。
人間が生き物の生き死にを自由にしようなんて、 おこがましいとは思わんかね・・・」

やばやば・・・仕事中だった。こういうことを書いていると夢中になってしまうのが困ったことだ。。。

2011の朝

2011-01-04 17:25:36 | ヒーロー
4人用の部屋だというのに一人ぼっちになってしまった。。。昨年の大晦日のことである。
はす向かいの男性は30日に退院、今年77歳になる隣人は同日主治医の外泊許可で帰宅した。正面の人は大晦日当日1泊2日で帰宅して行った。
私も彼らより症状が重いわけでもなし・・・回診時に院長を泣き落としても良かったのである。後数日で退院予定だし、今無理に帰る必要もなし、滅多に経験しない(またとない)という淡いワクワク感もあり、何となく居ついてしまったのだ。

最も心配だったのはもちろん「お●けが怖くて眠れない」ことだった。(場所が場所だけに洒落では済まぬ・・・)しかしこの病棟は入院以来、不思議と怖いと感じたことがない。
ナースステーションが同じフロアの中央にあり、静かだが絶えず「人の動き」があるからだ。
約10年前骨折で入院した病棟は看護師室が別のフロアにあり、世にも怖ろしい雰囲気だった。入院早々担当の女性看護師に恐る恐る聞いたものだ。「ねえ、ここ・・・出ないよねえ。。。?」
私を震え上がらせたのは返って来た言葉・・・「この階は大丈夫。。。」

今回はたぶん平気だよな、と思っていた大晦日前日、中堅と思われる女性看護師に呼び止められた。「ねえ、磯辺さんは年末ご自宅に帰らないの?」
「ううん。。帰らないよ。この部屋オレだけ居残り・・・でもどうして?」

「別に・・・元気そうだから帰るのかなーと思って。。。。」

うーむ。これでも2,3日前は痛みと戦い七転八倒していたのだが。。。隣人もよく感心していたが、この病棟のナースは実に親切でノリがよい。その気さくなナースの悪戯っぽい笑いにふと閃くものがあった。
「もしかして残ってるといいことある?」
大晦日に病室で過ごす人は「帰れない人」か「帰らない人」のどちらかである。
「帰らない人」は基本的に元気だから、もしかして「紅白終了後」みたいに秘密のパーティなんかがあるのかな。ナースステーションを囲んで「朝までナース」とか言って、(酒抜きだろうが)普段聞けない「看護こぼれ話」なんてのも聞けるのかも・・・
今年最後の「ひょんなこと」に遭遇できるかと妄想は膨らみ続けた。。。

「では、よいお年を」外来出口でなぜか周囲の笑いを取りながら、夕方妻と息子甘辛は母の待つ茅ヶ崎の実家へ向かって去った。
一人になった私は5インチのほとんどワンセグのような室内テレビをセットし、テレ番をチェックし始めた。
大晦日くらいそれらしい、「病院食」は出るんだろか・・・?普段と違うことがあったら面白いんだけどなー。(普段をよく知らんけど)
もはや今年は「ドリフの全員集合(『員』と『集』の下部が駆け足になっている)大晦日特番」と「紅白」を見たらお終いか・・・

   

傍から見られたら、いかにも虚しく不気味な姿だろうが、久々に見たドリフの恐るべきパワーに4人部屋で一人いることも忘れて、抱腹絶倒し時々ナースが様子を見に来たほどだ。
大好きな「松の廊下」が出てきたので、甘辛にメールしてやると「オレは今、あんびりばぼー見てる」と-返してきた。
うーむ。子供のくせに心霊恐怖ものばかり興味を持ちやがって・・・ここでそれ見たら洒落にならんだろ。
涙を流し、ベッドを叩いて笑い転げること2時間・・・ふと患部に手を当てると、何と!ガーゼに血が滲んでるじゃないか。。。こっ、これは何事か・・・?!
まさか傷口が開いたんじゃないだろうが・・・

消灯時間に看護師が検温、剣圧にやってきて「傷口に変わりはありませんか?」と必ず問うのである。
手術後の措置方法からして多少の出血は「あり」だったのだが、ようやく傷口が落ち着いて、ほとんど見られなかったのである。いかにも「悪化した」ようにも見えてしまう。
まさか「ドリフを見て笑い過ぎて出血・・・」とはとても言えないので、「風呂が熱くて血の巡りが良くなり過ぎたかも。あはあは・・・」とごまかした。
入院治療でこういう嘘は厳禁なのだが、大晦日だからこれぐらいは見逃してもらおう・・・

「紅白」も「ゆく年くる年」も終わり、わずかに期待していた「朝までナース」も当然その気配すらなく2010年も暮れて行った。。。
1時半頃だったろうか、ふと目を覚ますとフロアの反対側で騒がしい人の声がする。
起き上がってのそのそ歩いて行くと、ナースステーションには誰もいないようだ。
さらに暗い廊下をとことこ進んでいくと、ちょうど一番端の部屋だけこうこうと明かりが点き、がやがやと話し声が聞こえる。
もしかして「年越しパーティ、病室でやってんの?」
ずるいよー、オレだけ除け者にしてさー!何気なく部屋の前を通り過ぎ、中を除きこむと医師らしい男も交って部屋の中央で何か措置をしているぞ。。。

こりゃあ、何かトラブルがあったんだ!やばし、部屋へ帰るべ、と振り返ると私の担当看護師が立っていた。
「磯辺さん・・・?何やってんですか?」
不思議な顔して聞く彼女に「『朝までナース』の年越しパーティかと思った」とはとても言えずに、「へ?いっ、いやあ。。。痛み止めいただけないかと思って・・・」
ナースステーションが誰もいなかったのでこの供述により窮地を脱出。。
「はっ、初日の出はこの方角で見えるんですかねえ」
「デイ・ルーム正面から見えますよー。そちら側(私の部屋がある方)から富士山が見えるでしょ?」

再びベッドに着いた私は6時45分にピタリと跳ね起き、東側デイ・ルームへ向かった。
待つこと10分。うおーっ!これは見事な初日の出だぁ!
こんな綺麗な日の出久々に見た。一人入院してたって、いいことあるじゃんか。。。
反対側の富士山もナーイス!今年はなんだかんだ言って幸先いいぜー!

      

と、言う訳で皆様、無事に帰還して参りましたあ!(正直結構しんどかったー)
今年も「超兵器」をどうぞよろしくお願いします。

ウルフェス2010

2010-08-03 22:52:10 | ヒーロー
今年はそろそろ卒業かなー、と思っていた。今年で20周年を迎えるウルトラマンフェスティバル2010、息子甘辛が生まれた年以外は、全部巡礼に行っている聖地である。
その昔は東京ドームプリズムホールで開かれた期間もあったが、今は池袋サンシャインシティ文化会館に定着している。
駅からサンシャインシティまでの道のりは、風俗店が見えたりイマイチ品がなくプリズムホールのほうが好きだった。。。

「父ちゃん、日曜日まではいるんだろ?オレ、ウルフェス行きてえんだけど」

メビウス以来ここ数年ウルトラマンシリーズもやっていないし、データカードゲーム(大怪獣バトル)も最近やってないみたいだから、甘辛もそろそろ興味なくなったかな、と思っていた矢先だったので驚いた。
どうもTBSでやっていた紹介番組を見て、行きたくなったらしい。その日サッカーは合宿直後でオフだったそうだ。
前夜は30年ぶりの中学同窓会で、「ぽわーっ」とした状態だったが、毎年の巡礼を欠かすわけにはいかぬ。

湘南新宿ラインで1時間あまり、我が父子は(息子の年齢-1)回目のウルフェス会場に足を運んだ。
「終わりの時間までゆっくり見たいからな」TBS番組で何を見たのか息子はやけに張り切っている。開場1時間後くらいに到着したのだが、目玉のライブステージの指定席をとる列が長蛇に及んでいた。年々人気が高まってきたようだ。
考えてみれば私はその幼少年期と中年期にウルトラ戦士もののピークがあり(青年期は沈滞していた)息子と一緒にハマるにはあまりにも見事に波長(位相)があっていたのだ。

入口には1989年からの20回分(1992年は未開催)のウルフェスの歴史が連なっていた。
うーむ。社会人になった年からずーっとここに来ていたのか。。。友人と来たこともあるし、むろん妻と来たこともある。ここ10年あまりは息子とともに訪れている。
その年々に起きた事件や流行モノなどがずらりと並び、どのウルトラマンが活躍していたかの年表と照らすと実に面白い。甘辛が生まれた年は「ウルトラマンダイナ」だったのか・・・歴史を感じるなー。
ペーパークラフトやら「ウルトラ縁日」など幼児向けのアトラクションに夢中になっていたものだ。

ジオラマやセットはいつも私たちの期待を裏切らない。ウルトラ史上の名シーンなど故宮博物館の展示物のように「尽きることはない」し、ウルトラ超兵器の模型など展示されたときは、お約束のように「フェスティバル終わったらこれ売ってもらえませんか?」と係りの人を困らせてきた。
ウルトラデパートでは怪獣ジョッキシリーズ全6種をまとめ買いし、あまりの重さに帰りは悲惨な目にあったし、「正装」としている背中にでかでかとゾフィーの描かれたウルトラアロハを購入したのもここだ。

いつからか「夏はウルフェス」というキャッチコピーが登場し、TBSの番組でも夏休みのスペシャルもので紹介されるようになった。
何年かであったが「実物大●●」というのが毎年現われて、話題となったものだ。実物大「テイガ頭部」、実物大「コスモスの手のひら」(お釈迦様か?!)、極めつけが実物大「セブンのアイスラッガー」
「ウルトラ警備隊の作戦室」が復元されたときは、息子が一人でどこに行ったか忘れてしまうほど興奮した。「キリヤマ隊長」はどんな風にウルトラホーク1号搭乗のダン隊員に指示を出したのか・・・思いを馳せたものだ。



入口からメインステージまでは様々なジオラマとともに歴代の怪獣・宇宙人が惜しげもなく?登場する。
昨年の映画「大怪獣バトル」にちなんで、今年は100体の怪獣・宇宙人が展示されているそうだ。誰でも知っているメジャーな怪獣だけではない。むろんわが父子の知らないモノはほとんど無かったが・・・
「これ知ってたらハンパじゃねえぞ!」というのが天井に隅から小さく顔を出していた。(息子もここまでは知らなかった)
ウルトラセブンのある1シーンで宇宙ステーションV3のクラタ隊長の部下に化けた宇宙人が、その正体を見抜かれウルトラガンで撃たれた際に一瞬だけ見せた宇宙人である。
セブンに登場する宇宙人は不気味なものが多く、迷路の中で突如現れるとぞぞーっとするぞ。



そしてウルトラマンライブステージ、あの緻密な設定には実に感心する。遊園地でやっているショーとは格が全然違う。大人でも打ち震えるときがあるほどストーリーがよくできている。
甘辛が3つ、4つのときは、まだ家族3人で訪れていたが、ライブステージではがんばって前のほうの列をGETしていたのに、ザラブ星人が化けた「ニセウルトラマン」が目の前に登場したときに、場内を震わすほどの声で泣き叫んだ。。。
そして今年、我々は前から3列目の中央に陣取っていたが、「悪のウルトラマン(べリアル)」が暗闇から獣の咆哮とともに現れたときに、後ろの席で何人か小さな子の鳴き声が響き渡った。

「あーあ、あんな出方しちゃー泣くよな、父ちゃん。かわいそうだぜ」

キミだって、これの倍くらいの音量で泣いたんだぜ。
ウルトラマンライブステージの不滅の法則は、「ピンチになったウルトラ戦士を『がんばれー!』の大声援で勇気とパワーを与え、会場の人とともに悪を倒す」というものだ。20年来変わったことはない。。。
私も甘辛もさすがに無邪気に一喜一憂する年ではないのだが、どういうわけか気がつくとあらん限りの声で「がんばれー!」と叫んでいるから不思議だ。

私は今年のライブステージと年末に上映予定のウルトラシリーズ映画には特別な思いを持っていた。
私が愛してやまない「ウルトラセブンの息子」が主役として登場するのである。その名を「ウルトラマンゼロ」と言う。。。
我々も父子なので、やはり姿がダブって見えるのだろうか、私が「セブン」を愛するように息子甘辛は「ゼロ」に飛びついた。
実は昨年末の映画「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説」には後半登場してくるのだが、今回は最初からまさしく主役、父のセブンとともに悪のウルトラマンと戦うのである。




年末上映予定の劇場版「ウルトラマンゼロ」の予告篇でのセリフ
「オレはウルトラマンゼロ!セブンの息子だ!!」
を大画面スクリーンで見たときには、全身に鳥肌がたったぞ。父子アイテムが発売されたら全商品大人買い決定だ!
息子甘辛を「零」と改名するわけにはいかぬだろうがなー。



今回は普段はあまり見ない幼児向けのふれあいステージとか怪獣人形劇「ウルトラP」などバッチリ楽しみ、閉場時間近くまで遊んでいた。
おみやげにはハード本にもなっている「パパはウルトラセブン」のTシャツと扇子。
ウルトラ怪獣シリーズリアルフィギュアのクレーンゲームがあったが、甘辛はなんと3回連続GET!後ろに人だかりができていた。。。(まったくタダでは帰らないヤツ)

「向こうへ持って行って父ちゃんのデスクに飾れよ」 彼はGETして拍手喝采を浴びれば満足のようだ。

3つともか?確かに前の人が使っていたものだが、今度の職場は前よりも机がでかい。置き場所はいっぱいあるが、そもそも私よりも大先輩ばかりの職場で話題が通じるかなー。
ウルトラマンライブステージは夏休み中2部構成になっている。今回は第1部「親子の絆!灼熱のコンビネーション!!」という泣かせるタイトルだが、2部は「伝説の力!ウルトラパワー炸裂!!」も絶対見に来ると甘辛は気合を入れている。
彼の忙しさから言ってちょーっと難しい気もするが、いつまで一緒にいけるかわからぬから行けるときは行っとこうかなー。
そのときは、今回どうしても踏み切れなかった伝説のウルトラネクタイ(真赤な生地にウルトラ模様・・・こえはさすがに会社には。。。)を購入することにするか。

ドラえもん30周年

2010-04-20 06:31:26 | ヒーロー
ドラえもんが30周年を迎えたと特別番組が編成されていた。
ちょっと前にウルトラマンが40周年、仮面ライダーが35周年を迎え、私達が子供の頃のヒーローが色んな形で健在なのは喜ばしい。
息子に対してあまり大きな声で言えることではないのだが、私の知識(トリビア系)、スタイル、引用句などは多分に「アニメ・マンガ・特撮」に源泉とするものが多い。
こちらは先だっての「エースをねらえ!」とは異なりまさしく王道である。


大袈裟に言えば「生き方」そのものが何かしら、その昔のヒーローに影響されていると言ってもよい。
このサイトでも自分の考えなどを「例え」使って表すときに、色んなヒーローが持つ固有の逸話が出てくることが多いことが気付かれるだろう。
マンガのことをここであまり書いたことはないが、実家の私の部屋は何棟もの「少年ジャンプ」で埋め尽くされていたし、一人暮らししているときは、千冊以上のマンガを保有していた。

「何かに感動した」例として引用するのは、大半がマンガのワンシーンであるのはあまり感心できたことではないが、ストーリーといい、画そのものといい、日本のマンガのクオリティは間違いなく世界一だと思う。むろん最近のヒット作は「エースをねらえ!」
少女マンガシリーズで熱海保養所で読んだ「悪女(ワル)」も中々面白かった。(途中だけど)
日本マンガの優秀さは外国に旅行して(成田空港でもいいけど)マンガを見てみるとよくわかる。外国文学は名作が多数あるのに外国マンガが見られないのは一言「ヘボい」からだと思う。
15年ほど前、1週間ほどローマに滞在したときに、テレビで「ヤッターマン」をやっていたときは驚いた。

さてマンガ領域の話になるとそれだけで頁が無くなる(わけないけど)ので、まずはドラえもんだ。
のっけから周りの人間に言っても信じてもらえないのだが、このドラえもん、実は30周年ではなくもっと前からあったはずなのだ。
「大山のぶよ」のドラえもんの声を「久々に」聞き、多少の「違和感」を覚えた記憶。。。もっとのぼーっと太い声のドラえもんだった。
「ぼくのドラえもんが、まちをあるけば、みんなみんながふりかえるーよ。はぁドラドラ・・・」という歌だったはずなのだが、ご存じないだろうか・・・

まあいいや。子供の頃は自分の小遣いで好きなだけマンガを買えたわけではないので、もっぱら駅前の書店での「立ち読み」が情報源だった。
そのうち本屋はビニールカバーを付けるようになったが、私は世にも迷惑な「立ち読み王」で、書店でもかなりマークされていた。
ビッグコミックに出ていた「エリア88」という全23巻を1日かけて読破したこともある。。。

ドラえもんは低学年のときだったが、30数年たって今でも思い出せる(アニメではない)マンガ名場面はいくつかある。
テレビでもアニメ30周年の「心に残る名場面」をやっていたが、うっすらとした記憶ながら「まさしくこれ!」というのが多くあったのでうれしくなった。
驚くべきことに息子甘辛も「そうそう!」と同意したという名作選は・・・・もちろんストーリーはうろ覚え(タイトルも正確ではない)



1.おばあちゃんの思い出
小さい頃亡くなってしまった、大好きだったおばあちゃんにタイムマシンでのび太が会いにゆく。我ままでおばあちゃんを困らせるばかりの幼いのび太だったが、「のび太が小学校に行くまで生きていたい・・・」というおばあちゃんを見て、今ののび太は反対するドラえもんを振り切り、ランドセルを背負っておばあちゃんの前に現れる。
知るはずもない小学生ののび太の姿を見ておばあちゃんは「誰がのびちゃんの言うことを疑うものですか・・・」
たぶんドラえもんでは屈指の名作だと思う。。。

2.台風のふー子
結構マイナーだと思っていたが、個人的にはすごく好きだ。のび太は未来の卵を自分で温め、孵った台風(何故か疑問に思わない)に「ふー子」と名づけ育て始める。
のび太を親だと思ったのか仲良く暮らし成長していくが、「台風」だけに大きくなると皆に迷惑をかけることが多くなる。
ついにママから廃棄指令を受けてしまうが、どうしても別れられず、ある日やってきた大型台風と戦って消えていく。
「風が捲いていると、ふー子を思い出す・・・」とのび太がつぶやくエンディングが印象的だった。

3.ぞうとおじさん
空襲によって動物園から逃げ出すのを防ぐために毒殺?されそうになった象のはな子を助けるため、ドラえもんとのび太はタイムマシンで戦争中の日本に行く。のび太は「日本は負ける」と口を滑らせ、逮捕されそうになってしまう。
際どいところではな子は「スモールライ」トで小さくされて、「郵便ロケット」で生まれ故郷のインドに向けて飛び立つ。
探検家であるのび太のおじさん(というのはかなり設定に無理があるが)の話で、「インドのジャングルで遭難したところを象に助けられた」という話を聞き、無事にインドへ帰れたことを知って喜ぶドラえもんとのび太の姿が眼に焼き付いている。

「さようならドラえもん」は多くの人が知っていると思う。子供の頃読んだコミックがメジャーだと思うが、「未来に帰らなければならない」というドラえもんに最初は泣いて反対したのび太も両親の説得で納得。
一人のび太を置いて大丈夫かと心配するドラえもんを見て、のび太はジャイアンに喧嘩を挑む。
何度張り飛ばされても立ち上がり、「僕だけでキミに勝たないとドラえもんが安心して未来へ帰れないんだ」というセリフが泣かせた。迎えに来たドラえもんは二人で家に帰り、ふとんに入ったのび太を涙ながらに見守る。
翌日、朝日が入るとドラえもんが消えていて、机の引き出しもタイムマシンでなくなっている。

私はこのコミック6巻を持っていた。続く7巻の巻頭では、のび太が4月1日に「どうしても耐えられなかったら使え」と置いて行った「ウソエイトオーオー」を飲んで「ドラえもんは2度と帰って来ない」と言ったため、ドラえもんは再びやってくる。
私達の世代は色々な意味でドラえもんの影響を少なからず受けている。
30周年(ホントは絶対違う!)ということもあって、ドラえもんを取上げるところがすごく多くて面白い。

さすがに劇場版を見た記憶はほとんどないが、唯一「ピースケ」という首長竜が出てくる話を見た時は泣けた。
あまりストーリーは覚えていないが、息子甘辛に聞くとドラえもんシリーズでもあれは「反則」の域に入るという。。。
また彼の分析では劇場版になるに従って「ジャイアンがヒーローと言ってもいいほど妙にいいヤツになっている」ふーむ。なるほどな。

難問で有名な千葉大学の入試問題に「ドラえもんの タケコプターは実現可能か、その理由を道筋をたてて詳しく説明 しなさい」と言うのがあったらしい。
(もしかして都市伝説?!)こういう大学に行ってみたかったなー。。。
私が問題出すならもっと単純に「ドラえもんのタケコプター、またの名前を何と言うか?」


私の知識源「マンガ」からは一つのキャラクターだけでもこのサイトで二話連続くらい書けるのだ。。。
もうひとつ、マイナーでどのジャンルでも選ばれていないが、「よかん虫」というのがある。
何か予感をするとブルルンと震えて感応し、その人の頭の上に止まるとその予感通りのことがおきるシンプルなストーリーだ。

この虫、「悪い予感」がしてももちろん反応してしまう。
人間、気の持ちようによって同じ現象が良いことにも悪いことにもなる。。。
「Happy-Go-Lucky!」まさに深ーい話ではないか。

なりたいもの

2010-03-18 21:31:27 | ヒーロー
息子甘辛の小学校卒業式が近付いている。
先生に贈る手紙には超兵器203号でカッコよく撮れた選抜大会の1シーンをプリントして貼り付けていた。
「将来なりたいもの」を書くことになっているらしいが、「特になし」と書くそうだ。うーむ。。。

幼い頃「ウルトラしぇぶうぅーん」の映像を散々見せつけて洗脳したときには、「何になりたい?」と聞いたら「恐竜戦車」と答えた。
理由は「歩かなくてすむから」・・・これまたイマイチ意味不明であったが。イマドキの幼稚園児なのか鈍いだけなのか。。。
当人がないと言うのに促してもしょうがないから、あきらめながら警告した。

「もし文集として『残る』んだったら、大人になって同窓会なんかで開いたときに『なんてつまんねえヤツ』と思われるぞ」

「だってホントに今んところはねえんだもん。これは先生にあげるだけだよ」

「じゃあ、『なりたいものがない大人になりたい』ってぇのはどうだ?ちょっとひねり技だけど。。。」

「そんな変なのやだー」

このフレーズのマリアナ海溝ばりの深遠さはやはり彼にはわからなかったようだ。
ややこしいことになってしまうが、経験から言うと「なっちゃったものが実は前からなりたかったもの、と思いこむ」というのが最もお気楽で幸福なスタイルな気がする。
なろうと思ってなったものは「空想とは異なる幻滅」が付きまとい、100点満点から減点されていくだけだからだ。

その昔、「恋愛結婚(今は死語?)よりも見合結婚のほうが幸福だ」という友人の論理とほぼ同じである。
恋愛の果てに結婚するとその時点で相手は100点満点、しかしその後は減点しかない。見合結婚の時点では相手の点は未知数が多いから、二人の努力次第で減点ではなく加点もありえる、と言うのが彼の言い分だ。
なーるほどなー、と思って、職場の後輩に語ったら、えらく感心していた。

私は彼と同じくらいの年齢のとき、将来なりたいものは「理論物理学者」だった。
日曜日の「知られざる世界」でやっていた「音波の分析」に感動したのと、アインシュタインの本を読んだのがきっかけだった。
むろん何をやる職業なのはよく知らず一番の理由は「響きがなんとなくカッコいいから」だったのは言うまでもない。

母から聞いたのだが、幼稚園のときの夢は「サラリーマンになって大船駅で立喰いそばを食べる」
卒園式に母がそれを皆に紹介して大爆笑を得たそうだ。。。そう言えば何となく覚えている。
園児にしては限りなく具体的だったその奇妙な「夢」をなぜもつことになったのか・・・恐らくこういうことだ。

前回紹介した東海道線はその昔、戸塚駅には停まらなかった。
私は幼いころ両親に連れられて東京に行くことが年に数回あったのは既に書いた。当時、帰りの東海道線は横浜駅を出ると次は大船、時間にして20分近くかかる。
しかも大船では特急列車の待ち合わせ(追い抜かれる)のため、10分くらい停車していることが多くあった。

ホームには「大船軒」という立喰いそば屋があり、特急待ちの車内にまで実にいい香りがしてきたものだ。
コートを着て、アツアツのそばをすする「サラリーマン」なる人種に憧れを感じたのだと思う。父親も会社員だったが、幼い私にとって「サラリーマン」とは謎の職業だった。。。
身近で見る職業はすべて●●屋というもので、何をしているのか一目でわかる大人たちだった。
ラーメン屋に八百屋、魚屋に本屋、床屋・・・登校時に目にするのはそれぐらいだ。他に多少「エライんじゃないか?」と感じていたのが医者、おまわりさん、先生などである。

「サラリーマン」というのは何をしている職業なのかさっぱり分からなかった。。。
通勤電車に乗って会社というところに行くらしい。会社では「仕事」というものをするらしい。それは電話に出たり電卓を使ったりするものだ。
乗る電車は必ず「東京行き」、どこで降りるのかは「会社」のある場所による(新橋が多いと思っていた)。そして帰りは大船駅で立喰いそばを食べる。

「家でちゃんと茹でる麺のほうがおいしいのに・・・」

母親はブツクサ言っていたが、そこはあの雰囲気と香りにやられているのだ。「立喰いそば」とは夢のように美味しいものだと信じ込んでいた。
当然ながらこの夢の後半は間もなく実現することになる。それは高校の合格発表を見に行った帰りの「新月」という小さな立喰いそば屋だった。
その後通学で短いながら電車を使うようになり、実は憧れの「大船軒」は大船駅だけでなく、最寄の駅や乗換え駅にもあることに気がついた。

学校帰りは何かにつけて「かき揚げ天ぷらそば」を食ってから家で夕食を囲んだ。定期テストが終わった部活帰りは自分へのご褒美で卵をつける。。。
社会人になってそれこそ東海道線や小田急線駅の店はほとんど制覇しているが、どれも作り方は一緒なので同じようなものに見えながらかなり味は違う。
「赤ちょうちん」で一杯引っかけて帰ることがほとんどない私は「立喰いそば屋」にはうるさいのである。

「夢」の前半にあった「サラリーマン」なる謎の職業にもめでたく就くことができた。(なりたいわけじゃなかったが、立喰いそば屋には詳しくなった)
その昔は「電話をしたり、電卓を叩いたり」だったのが「パソコンでメールを見たり」に変わっただけで、どうもイメージはあまり変わらぬ。
自分は何も作っていないのに「会社」がどうして給料をくれるのかは、よくわからないところも多い。まあ、昔であれば植木等風に「気楽な稼業」だったろうが、経済が右肩上がりでなくなった今はそうもいかぬようだが。

息子甘辛は小学校を卒業し、進学だの受験だのと巻き込まれていくだろう。10年後「何になっているか」は想像もつかないほど、世の中の動きが速い。
10年後くらいはまだ高齢化対策だ、エコだと言ってるだろうが、約30年後今の私とほぼ同じ年齢になったときに、「これになってたらいいかも・・・」というお奨めをあえて言うなら、ハイテクを導入した農林水産業あたりかなー。
爆笑問題の番組(太田総理?)で辰巳琢郎 が「徴農制 」というマニュフェストを掲げていた。(そこしか見ていなかったが)

中学校を卒業したら1年間は農業従事を義務とする、というものだ。さっすが、食いしん坊万歳に出ていただけのことはある。
食べ物のありがたさや自然とのふれあい、自給自足の大切さを身につけさせるためと言っていたがそれだけではないと思う。
私が入社する少し前は日本中が熱にうなされ「24時間戦えますか?」とCMが流れ、山を切り崩し、潮干狩りができる海岸を埋め立て、レジャー開発などにあらゆる興味を集中していた。
夢から醒め、長い冬を迎えて少し頭を冷やして見ると、子供は減り老人が溢れる国となったことに気づいたら、着目するのは「食」に関してではないか。

食に関しては「安かろう悪かろう」があぶりだされ、値段は半分でも「かの地」から輸入したものは売れなくなった。(我が家も買わない)
安全で美味しく値段もそこそこの食物の自給率を上げる地味な取組みが受けるんじゃないかと思われる。むろん理系出身の私としてはテクノロジーもふんだんに駆使してほしい。
「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」小細工して楽に儲けようなんてのは時代遅れになるだろな。

写真はよく見るブログで「日本一おいしい蕎麦」と紹介されていた新潟十日町の妻有蕎麦。
以前は商品が先に送られてきて「請求書での後払い」でよかったところに生産者の誠意と自信が見られたらしい。(今は代引きだったけど)
妻の茹で加減も良かったと思うが、上品な感じがして実に美味しかった。(私はどちらかというと田舎蕎麦派だが)


年のテーマ

2010-01-10 18:14:37 | ヒーロー
毎年恒例でもなんでもないが、半世紀近く生きてきて今年はある「テーマ」が妙な存在感をもって光っている。
来年、このようなことがあるかもわからないが、今年のテーマは・・・

「ひょんなことを活かす」

年のテーマと意気込む割には何か拍子抜けしそうなものなんだが。。。
昨年は近年まれに見るほど、色々なものと出会った年であった。書籍や音楽、映像やその他趣味の世界に加え、それこそ「哲学」と言えるような学問的な事柄や、その辺にいる「鳥」や「魚」、風景なんてものにも新鮮に興味が持てた。
このサイトで記事を書くようになって、センシティビティが高くなったのもそうなんだが・・・

しかし思い返すとこれら新鮮な出会いはすべて「ひょんなこと」から始まっている。
昨年のマイブームを起こした「学びの発動」byU先生も単なる社内機関紙の巻末に記事が載ったのを紹介してもらったことからだし、ナツドク他読んだ書籍のほぼ全てが自ら選んだものではなく「ひょんなこと」をきっかけに選んだものばかりだ。
ウルトラサイダーを知ったのも(これは因果関係ありか・・・)たまたま全然違うニュースからだし、モーツアルト熱は図書館で時間つぶしに読んだマンガ「コブラ」から来ている。

さらにこれまで自分に起こったイベントを中年らしく思い出すと、すべからく「ひょんなこと」から始まっていることばかりなのに気付いた。
サーフィンを始めたのは隣のおばさんのニッコリ笑ったウェット姿を見て雷に打たれた結果だし、ずっと西方にいらっしゃるスーパーグルメ主婦さんがこのしょぼいサイトを訪れて下さるようになったのも、それこそ天文学的確率の「ひょんなこと」である。
そもそも自分日記を始めたこと自体がおおいに「ひょんなこと」なのである。

さらにさらに遡って自分の転機を思い返せば、大学選びもその先の進学、会社選びも「ひょんなこと」だし、海外旅行/出張はたまた留学、そして自分たちの家を建てようという気になったのも押しなべてきっかけは「ひょんなこと」である。
あらゆることが「ひょんなこと」から始まるというのはほぼ法則と言ってもよい。

私は「よい1年、よくない1年」という評価のしかたはあまりせずに、エキサイティングだったかどうかを物差しとすることが多いが、年の功かこの「ひょんなこと」さえ見逃さずにおればかなり退屈しない年が過ごせそうだ。
去年「これって『ドッキリ』だよね?」とやっていたフレーズが、今年は「これって『ひょんなこと』だよね?」と変わるであろう。。。
何か普段とちょっとでも違うことが起きると「これはもしかして私にとって『ひょんなことか?』」と自問自答することとする。

1年のテーマとしては類似品としてありそうなフレーズが次のように多々あると思われるが、似ていて非なるものが多い。

「チャンスをつかむ」・・・これは根本的に違う。リラックス、自然体、バランス、休みなどと言った言葉が装飾として背後に散りばめられる今年のテーマはこのように肩に力の入った向上心丸出しのものではない。

「出会いを大事に」・・・・これも似ているが違う。人や物と出会うのは何かの因果があった結果であって、今年のテーマはその前段に先駆的に横たわるものだからである。

「塞翁が馬」・・・・・・・・・かなりいいセンスしてるが(自分に言ってどうすんねん!)やはり違う。運命は予想することができないというあきらめムードでもなく、きっかけを意識しているからである。

「好奇心旺盛」・・・・・年の割にはそうありたいと思うがやはり違う。自分にとって「奇なるもの」を積極的に「好む」わけではないからである。この言葉から冒険心や起業精神などと言った拡大再生産期のギラギラしたエキスを取り除くと近いかも。。。

「アンテナを高く」・・・・信号をキャッチする、と言う意味では割りと近い。しかし「目をサラのようにして」常に最高感度で受信する準備をしているわけではなく、「些細なことがたまたま響く」ってな感じなので省エネな分だけ違う。

まあ、自分でも何を言っているのかわからなくなってきたが、今年のテーマの持つ意味はこんなところだ。
ただし種蒔きやコマセはなるべく面倒くさがらずに行い、あまり実利や合理的かどうかは考えないことにする。
また、「こうなるといいな」と思うことを「予言」しておくと結構、呪縛のようなパワーを発揮するのでいくつか挙げておくとしよう。

今年は「ひょんなこと」がきっかけで・・・

「テレビの仕事をする」 「秘密基地を建設する」 「新たな趣味にハマる」


働くということ

2009-12-30 19:13:08 | ヒーロー
今年一番のマイブームは、K女学館大学のU教授の著書から始まった「学び」節だ。
ひょんな社内機関紙の記事を紹介してくれた人がいて、その記事に思わず膝を打ったのがスタートだった。
このサイトでも色々な形でちょくちょく紹介してきたが、やはり最近「自分の言葉で書かないとダメだな」と思うようになった。

考えに考えて捻り出した彼が言いたい「学ぶということ」に関しての一貫した主張、それは・・・
「人間は多くを学んだ者ほど『イザ』というときに生き延びる可能性が高い」
その「イザ」というときはたまたま来ないかもしれない。どちらかと言うと人類学というか生物学に近いかもしれない。。。

U先生はブログで「来年はどういう年になりますか?」という質問に自分がそうなったらよいなと思う事柄を並べたという。
そのひとつが「贈与経済になる」というものだ。
さらに言うと「等価交換よりも贈与のほうが難しい」ということだ。。。
「贈ることは簡単だけど、同じ価値のものと交換するのは難しい」と誰でも思うと言われ、私もそう思っていた。

「全然逆である。」U先生はそのブログで言う。「4歳の子供でも千円札を持ってコンビニで買い物するのはわけないことだ。それは等価交換だからだ。しかし、千円相当のモノをもって、相手にそれを与え互恵的な関係を作り出すのはまずもって不可能だ」
今年最も私に響いた言葉だった。

経済が行き詰まり、人口が減少し、市場(π)が縮小していく中で、これから何が大切か、というと「贈与」だという。これが働くことの本質だと。。。
一つ逸話が紹介されていた。Uさんが経験したその師と仰ぐ人とご一緒したごく普通のものだ。
仕事で遅くなって深夜7人でレストランに行ったとき。。。

唐揚げを注文しようとしたが、1人前は3コだったので三人前頼もうとしたら、ウェイターが「大丈夫ですよ。二人前で7個にしてもらうようコックに頼みますから」
唐揚げを持って来られたときに、Uさんの師匠が「あなたは『うちで働きませんか?』と言われることない?」
驚くべきことに一月に一度は誘われると言う。。。

以上はU先生ご自身の話。これからは私が覚えている類似の話・・・

テレビの紳助がやっている「深い~話」にあったが・・・
何とかいうお笑いタレントが妻にお気に入りの帽子をプレゼントしようと日本橋高島屋を訪れたとき、たまたま売れてしまっていて本人ががっかりしていたら。。。

「店員が奥で何やら連絡を取った末に出てきて、ニッコリ「新宿伊勢丹さんにあるそうです。お取り置きをお願いしておきました」

心臓病で病室から出られない生活を続ける少年の夢、「大好きな江ノ電を運転したい」という投書を見て、社を上げてこれを検討しほんの数分でも実現した社員たち。当日、江ノ電では歴史上一度も無かった全駅に職員を配置し敬礼!

深夜のレストランのウェイター、百貨店帽子売場の店員、鉄道会社のスタッフ。。。やりがいが少ない職場とはもちろん言わないが、野心丸だしのセクションでもない。。。
そういうところに「働くこと」の本質があるような気がする。

普通であれば「ズバリ美談!」「思いやり」「人の暖かさ」「ボランティア」などと言われるだろう。上記のどれも「それはそうなんだけどね」というものなんだが。。。
しかしうまく言えないが互恵的社会=市民的成熟というのはこう言うことなんだろな、と思う。これから(来年から)の経済はこれだ!と。

贈与のほうが等価交換よりも難しいという話は、サッカーに例えられていたのが実にうれしかった。
贈与するというのは「パスを贈る」ということだからだ。
パスを出す人間は常にどこに誰がいて、どのスペースに蹴れば誰が届きそうかを考えている。
パスをもらってから「さあ、次にどうしようか?」と考えているプレーヤーはいない。。。

前回の「ふぐちり」論でいけば、次世代へのパスはどの方向へどの強さで出せばよいか考えることになるかな。
今年は色々な方から「パス」をいただいた。
これに対し、すべて「次につなげる」プレーをできたかどうか・・・

次回へまたまた続く。。。

★小夏さま
ウルトラサイダー半分あきらめていたところにホントありがとうございます。
年忘れ、今年一番の「キラーパス」でした!






歴女ブーム?!

2009-10-22 22:35:02 | ヒーロー
少し前になってしまうが、ズームインで「歴女」なる特集をしていた。
若い女性の中で、戦国時代が流行りでその昔は男子しかその名を知らなかった武将を「萌え」と称し、アイドルのように扱っているという。
もう30年近くにもなるが、私が自他共に認める「歴士」となったきっかけは、たしかTBSで放映していた「関ヶ原」がきっかけだった。

ウルトラ・特撮・アニメ&アイドルだけではないのである。
大河ドラマや昔あった年末時代劇など戦国や幕末実史を描いた番組が数ある中、「関ヶ原」ほど豪華絢爛なキャストを揃えた番組は見当たらない。
我が家では永久版として保存してあり、今でも何故か深酒して深夜帰宅すると見たくなる。

東軍
徳川家康(森繁久彌)、本田正信(三國連太郎)、加藤清正(藤岡弘)、福島正則(丹波哲郎)、鳥居元忠(芦田伸介)、本多忠勝(高松英郎)、細川忠興(竹脇無我)、山内一豊(千秋実)・・・
西軍
石田三成(加藤剛)、島左近(三船敏郎)、毛利輝元(金田龍之介)、宇喜多秀家(三浦友和)、上杉景勝(三沢慎吾)、大谷吉継(高橋幸治)、小西行長(川津祐介)、安国時恵瓊(神山繁)、直江兼続(細川俊之)、小早川秀秋(国広富之)
島津義弘(大友柳太郎)・・・
女性
北政所(杉村春子)、淀殿(三田佳子)、おまつ(沢村貞子)、阿茶局(京塚昌子)、お夏局(小手川祐子)、細川ガラシャ
(栗原小巻)、出雲阿国(木の実ナナ)、初芽局(松坂慶子)
その他
豊臣秀吉(宇野重吉)、前田利家(辰巳柳太郎)、原マルチノ(田中健)、国友寿斎(笠智衆)、北庵法印 ( 大滝秀治 )

ナレーションが石坂浩二である。「関が原」をよく知らない人でもいかに奇跡的なキャストかおわかりだろう。
原作が司馬遼太郎で、少年だった私はこの番組を見て以来、一気に司馬遼太郎シリーズに嵌り込み、あっと言う間にほぼすべての著書を読破することとなった。
「竜馬がいく」「国取物語」「坂の上の雲」は今でも手放さないMy名著である。

ただ弊害もあり、文庫本では歴史物小説しか興味を示さない、限りなく偏った読書家になってしまった。。。
今でこそ雑食系でどんなジャンルでも興味深く読めるが、当時は高校、大学から社会人になっても、その歴史偏重傾向は変わらず、戦国、幕末、そして中国古代史と比較的狭いワールドでひたすら読み尽くすこととなる。
最近でもたまに読むが、著者、作品ともそろそろネタが尽き、「どう考えても時代の脇役」や隠れキリシタンみたいな主人公を題材とした著書しか無くなってきた。

息子甘辛は「三国志」から見事に入ったが、戦国系は少年ジャンプの「花の慶次」にほれ込み大河ドラマが始まるはるか前から直江兼続のファンになっていった。
最近では戦国BASARAというゲームが出て、アニメにもなっているようで、どちらかというとキャラクターものとして扱い始めている。
まあ・・・「信長の野望」という有名なRPGみたいなのもあったし、似たようなものか。。。

ゲーム系はいざ知らず、このような歴史物とともに歩んできたと言ってもよい私だが、これまでの経験から言うと女性って不思議なことに全くと言っていいほど歴史には興味を示さなかった。
今でも妻を含め知ってる人はすべて例外なく歴史の話なんか全然乗ってこない。。。
ところが、ズームインで特集していた「歴女」なる人達は前述「関ヶ原」に出てくるような武将をあたかもお気に入りのアイドルのように慕っている。

「いざ京へ歴女上洛ツアー」なーんて冗談みたいな企画がホントにあるようだ。熟女3人組が参加し、殺人事件がおきるなら、まさしく「杉田かおる」の出番か?!
市内の戦国武将ゆかりの寺や史跡を巡るほか、右京区の東映太秦映画村で開催中の「太秦戦国祭り」に参加するそうだ。
太秦戦国祭りは、戦国時代をテーマにした映画やゲーム、コミックなどを一堂に紹介するイベントだって。うーむ。そんな香ばしいイベントがあったのか・・・今まで知らなかったとは。。。

しかし、テレビ画面に映ったのはほとんどコスプレ。。。ちょっとセクシー路線で自作の武器を引っさげ・・・うーむ。あのヒトたちはやはり何か勘違いしてないか?
リポーターがマイクを近づけてインタビューすると、どうも「戦国BASARA」のキャラクターとコスチュームをなぞっているらしい。
しかし史実など関係ない単なるアイドル好きか、というと意外にその武将の生涯や歴史における位置づけ、人物像などを熱く語っているではないか。

「石田三成」のファンである女性が多いという。
武芸に長じいかにも戦国武者というスタイルの「伊達政宗」や「前田慶次」、「真田幸村」というものではなく、ゲームキャラとしてはイマイチ冴えない「石田三成」が人気、というとことが女性の好みとして面白い。
明らかに「天地人」の小栗旬効果だと思っていたが、あの巨大な「栓抜きのお化け」みたいな髪型はカッコいいとは言えなかったよなあ。

私が最初に出会った司馬遼太郎の「関ヶ原」はもともと史実を冷静にと言うか、石田三成が主人公みたいなものだった。
「徳川家康に負けた人」ではなく、「豊臣家への忠義に熱い正義の人」みたいな描かれ方をしていた。
石田三成を語るコミュニティにも、「意思を曲げない真っ直ぐなところや、真面目で義を大切にしているところが大好き」「義に生き、死ぬ。文字では簡単だけど、そんな風に生きられるものは三成しか見当たりません」などと熱く、書き込まれていたそうだ。

そんなところをちゃんと反映しての「三成ファン」であったら、かなり侮れないしむしろ一度語り明かしてみたいものだ。
さらに私見を言うなら彼の周りには「男気が素晴らしい輩」が多い。直江兼続もそうだし大谷吉継、島左近なども見事な武将だ。
それにしても10月最初の土日にあったという「太秦戦国祭り」というのは楽しそうだ。コスプレも嫌いではないし、時代モノなら抵抗感もないだろう。
息子甘辛も七五三の記念撮影には特別に頼みこんで「鎧武者」をやらせてもらったのだ。兜が重すぎて傾いでいたので後ろから私が支えている写真が今でも飾られている。

私は戦国武将を衣装で演じるとしたら「織田信長」がやりたい。個人が好き、と言うよりはマントが好きなのだ。戦国武将の中では際立って傾奇者だったはずだ。
来年は仲間を見つけて、しっかりスケジュールを組み、台風で新幹線が止まってもいいように江の島タコせんべいを携帯し颯爽と「上洛」するとするか。
ちなみに写真はご存知約30年前、息子甘辛と同じ修学旅行先日光で買った伝説の掛け軸である。

「母」あり西方より来たる!

2009-09-22 23:40:31 | ヒーロー
天気にはかなり恵まれたが、さすが「シルバー・・・」どうもイマイチノリ切れない我が家に、西から感激としか言いようがない「ウルトラ活動支援物資(贈り主命名:ウル銀へ)」が届いた。
このサイトにいつも遊びにきてくれて、小気味よいコメントをいただく、ご自身も素敵なブログをもつ、スーパーグルメ主婦の小夏さんが、激レアと評判のウルトラサイダー「母」を贈ってくださったのだ。
驚く事にサイダーだけでなく、憧れの「ワニタンカレー」まで!

うーむ。日夜捜索を続ける我が父子のために数百キロ離れたところから、わざわざ送ってくださるとは・・・なんと、ありがたいことだろう。
ウルトラサイダー、実は「味はイマイチ」と言い続けながらも、氷を入れてジョッキで飲むのに結構ハマってきてしまい、晩酌をしない日はウルトラジョッキ片手にここの記事を綴っているのだ。
息子甘辛も同様に私が食卓にいる限り毎回近所の自販機から1本づつ買ってくる。

山のように積み上げたウルトラサイダー缶だが、「父」の存在は発見したものの「母」にはめぐり合えず、「たずねて3000里状態・・・」
ある正規なルートで手に入れた箱にたまたま1缶だけあったのを紹介してくださったのだ。
普通の人にはただのサイダーにも、我々にとっては値千金!遥か西方から連絡くださる気持ちがホントにうれしく感じた。

彼岸なので墓参りの際に早速御供え物として亡き父の好きだったウィスキーのミニボトルと墓前に置く。
食事をした後でショーケースの上に積み上げ記念写真だ。
Dydo復刻堂のサイトにはウルトラサイダー第2弾他、いくつかのゲームが紹介されている。

http://www2.dydo.co.jp/product/hukkokudo/top.html

このサイトにあるウルトラパークに「ウルトラ缶くずし」というゲームがあり、まさしく写真のように積み上がったウルトラ缶の同じ種類が接している部分をクリックして消していくゲームだ。
600点以上でプレゼントがもらえるとあるが、どんなにやっても450点くらいまでしかいかないのだ。。。
息子甘辛も同様にクリアしたことがない。誰かコツを教えてもらえないだろうか・・・

そして同封いただいたのが「ワニタンカレー」。
どうも地元でも結構レアモノらしい。。。小池ワニ総本舗というワニの養殖や食肉販売を扱っているところらしい。
ホームページはここ数年アップデートされていないようだが、浜名湖の近くにあるらしい。
伊豆熱川バナナワニ園みたいなものかな。こういうの大好きな私は「一度は訪れるメモ」に記録する。

な、なーんとワニタンカレーには本物のワニ舌が入っているらしい。。。
我が家の興味の中核を衝くナーイスな一品だ。これに釣られ家族の誰が誘拐されてもおかしくない!?
厚紙ケースは食した後、お面にして遊べるという優れもの!

うーむ。うらやましい。。。我が地方にこれほど素晴らしい土産はあっただろうか・・・
さっすが、日本の中心地。目の付け所がだいぶ違うようだ。。。
どこにも行けなかった私にとって、このシルバーウィークで一番嬉しい思いでとなった。
明日から息子甘辛は修学旅行で日光だ。連休最後は「刺激的な辛さ」で締めくくるとするか。

「『母』あり西方より来たる。亦うれしからずや」西に向けて合掌!

「不連続な湘南の波とかけて、何回買っても欲しい缶が出ないウルトラサイダー第2弾ととく。そのココロは・・・『ママナラヌ』のが常なんです。」