誰にも醜聞があります。たとえそれが、事実であろうが、なかろうが(笑)。
「自分たちが常に差別されている」とのなりふり構わぬ叫びは「自分たちが常に差別している」ことの裏返しでした。
ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。疑惑を感じた方は、リンクをたどってくださいね。
池上彰氏「韓国人には良識ない」侮辱発言で物議―韓国メディアが報道
韓国紙・朝鮮日報は10日、日本のジャーナリストでNHK出身の池上彰氏がフジテレビの特別番組内で韓国を辱める発言を発し、物議を醸していると報じた。中国・環球網が11日伝えた。
報道では池上氏が番組内で、「韓国は日本が戦争に負けて朝鮮半島を捨てた後、棚からぼた餅式にできた国だ」、「韓国人には良識がないので日本の謝罪を受け入れる寛容な心を持たない」などと発言したと紹介。
また歴史問題をめぐり、「米国議会は日本がアジア各国に謝罪するべきだと促しているが、日本が韓国に謝罪する必要はない。韓国人には良識がないので、謝罪を受け入れない。ドイツ周辺の国の人々は良識があったので、ドイツの謝罪を受け入れた」などと指摘したと伝えた。
さらに、「池上氏は韓流ドラマで財閥が美化されている現象を嘲笑し、韓国政府が産経新聞の前ソウル支局長を出国禁止としたことを批判した」と報じている。(編集翻訳 恩田有紀):FOCUS-ASIA.COM 2015〔平成27〕年6月12日(金)16時32分配信
「何でもかんでも反対」の韓国為政者の姿を見ていると、かつての日本社会党を思い出します。「韓国を辱める発言」にはそんな世論を喚起しようとする意図がみられます。
「何でもかんでも反対」は、じつは「何でもかんでも賛成」を意味し、「ふんぞり返る人は、別の場面で必ずペコペコするもの」なのです。
「ふんぞり返るのが美徳」である国では、いつも「ペコペコ謝罪を要求」するものです。
まさに韓国社会を言い得ています(笑)。
韓国社会の実体は残念ながら
- いつも自分が正しいと思うため、偉そうにふんぞり返り相手側に卑屈を要求します。こうしなければ「正しい」とも、勝者とも、言えないのです。自分自身に生来の卑屈さが備わっているから、常に相手に卑屈を要求し、したがってそれが尊大に見える、ただそれだけのことでした。
- もしも自分に非があっても、絶対に謝罪しない。謝罪などしたら何を言われるか分らないし、金をぼったくられてしまう。
というところ。
韓国がいつも
「相手を侮辱」しておきながら、「侮辱された」と叫ぶ姿は、もうまともな大人とは言えず、小学生に近い(笑)。
もちろん「自分は相手を侮辱してはいない」のであり、「自分が相手から侮辱された」と言うでしょう。
中国そっくりですね!
韓国人が「侮辱された」「差別された」と受け取る基準に、そもそも問題があるようです。
自分だけに正義があり、他人はすべて間違っている、という信念に近い基準があるからこそ、自分と異なる意見を聞くと、「侮辱された」「辱められた」「差別された」となるのでしょうか。あ~ぁ、もう世も末ぢゃ。
■もしも池上彰が「韓国人には良識がない」と言うなら
- 「いや韓国人にはちゃんと良識がある」ことを堂々と根拠をもって述べるのがよろしい。
- 「一番正しい自分」のはずなのに、それを否定するとはけしからん、すなわち「辱められた」、と判断するならば、その判断の仕組みに重大な欠陥がある、ということです。
■もしも池上彰が「韓国人には寛容性がない」と言うなら
- 「いや韓国人には、こうこうの理由で寛容性がある」と述べるのがいいのであり、ただ情緒的に「侮辱」とか「物議」と反発するだけではいけません。
■もしも池上彰が「韓国は棚ぼた式に生まれた」と言うなら
- 「いや、こうこうの歴史的理由があり、決して棚ぼた式ではない」、という論陣をはればよろしい。
こういうように
論理性を欠き、ひたすら情緒的に反発するだけで多くの人を納得させる論陣を張れないからこそ、指摘されることの真実性がいっそう増すのでした。
いったん情緒的に叫び始めるとかれらの増長はとどまるところを知りません。
ただそれだけのことです。
異なる意見を聞いたら怒り心頭に発し、侮辱された、と叫ぶのが正調韓国節。
これが韓国マスメディアの実体でもあります。
ここが「韓国には言論の自由がない」とするゆえんです。
まあ客観性など皆無の韓国ですから、やむを得ませんか。
「客観性」は「言論の自由」の手前で、両方とも韓国には存在しない、これは、火を見るよりも明らかですね。
ただし妙な世論喚起が目的ではなく、坦々と孫引きするだけの記事ならば、それはそれで充分価値があると言えます。
しかし意図的な翻訳の間違いがないとすれば、題名の「侮辱発言で物議」は、「それはない」と思うのですが、自分にだけ正義があるという宗教があるかぎり、「当然」なのでしょうね(笑)。
幽霊の 正体見たり 枯れ尾花
- 驚いていたけれど、自分の影に驚いていただけだった、こういう経験は誰にもあるもの。
- 韓国が日本や日本人を憎み恐れているようですが、ひょっとしたら、それは単なる「自分の影」ではありませんか。
- 「憎しみ」という名の「自分の影」は、それが「自分の影」であると気付くまで、おびえ憎しむ対象であり続けるでしょう。