何でも2つしかない韓民族。
- 相手が「言うことを聞くならば、満足」。
- しかし相手が「言うことを聞かないなら屈辱」(相手が中国・北朝鮮でない場合)。
要するに「満足」か「屈辱」しかなく、中間がないのですね。
関係のないところで「屈辱」だと言い放っても平気なんですが、直接自分に対して「屈辱」と言われると「何か悪いことをしたのかな」と錯覚してしまいます。
「韓国 屈辱」で検索すれば、無数に出てくるでしょう。
しかも悪いことに、自分にとって不都合なことならば何でも「屈辱」と捉えるためか、相手にとって不都合ならば「屈辱」と捉えたがるようです。
例えば、相手が負けると必ずと言っていいほど題名に「屈辱」の文字が踊ります。
この「屈辱」は、「うぬぼれ」に関係しています。
うぬぼれがないと、少々負けたところで別に「屈辱」でもなんでもないのです。うぬぼれていて、必ず勝つと思っているからこそ、負けたときに「屈辱」を感じるのでしょう。
韓国では「己に勝つ」なんてことは、考えもしないことなんでしょう。
我が家の古代遺跡から「屈辱」を検索してみました。
ムッソリーニもヒトラーもそうだけど、あのころのスローガンというか、綱領を見ると、アメとムチの2面性をもっていて、ムチの部分がかなりこわおもてなんですよね。大衆をしかり飛ばすというところがあって、一方で共通の敵をつくって攻めていく。結局、人の心の中に潜んでいる被害者意識とか劣等意識とか屈辱感とかを、ファシズムというのは組織化していく。:P.36 田中秀征 武村正義共著「さきがけの志」東洋経済新報社
なるほど、そうですか。
韓国もまだ軍事政権を脱して30年ほどですから、まだまだ全体主義の名残があるのでしょう。
被害者意識・劣等意識、など韓国を見ていると、ぴったりでして、よく理解できますね。
そういった韓国だからこそ、圧倒的に「悪口」の表現が豊かなんでしょう。
だいたい言えますが、表現が豊かなものに関して、その民族では微妙に区別しているものです。同じ「黒」としか見えないのに、10何種類もあるのは、その国の言語で「黒」を大切にしており微妙に使い分けているのでしょう。
韓国で「悪口」が発達していることは、社会が「対立」したままだったことを暗示しています。
西欧諸国が清国に対して通商要求をするときに、どうしても耐えられなかったのはあの屈辱的な「三脆九叩」の礼をさせられることである。
アヘン戦争終結後の1842年、外国人を夷狄あつかいする清国に対し、イギリスは南京条約第17条でわざわざ英国を「英夷」と呼ばないように規定した。それでも中国が守らないので、1858年、アロー号事件後の天津条約の締結のさいに「夷狄」呼ばわりしないことを再度明文化させている。
清末に中国人と接した外国人のほとんどがその傲慢さに苛立ち、イギリス通商特使として北京に派遣されたマカートニーは逆に中国人を「半野蛮人」と呼んだ。イギリス公使兼香港総督J・F・デビスは中国文明を「半文明人とみなし、初代総税務司のN・レイに至っては「アジアの野蛮人」と呼んで軽蔑した。こうなると、中国人とイギリス人のジコチューくらべである。:黄文雄 2005.05.01
清国(1636~1912)が末期1842年になってもまだ
「三脆九叩」の礼を西欧列国に要求していたことを考えると、それを引き継いだ今の中国共産党が「うぬぼれ」ているとみられるのは、やむを得ないのでしょうか(笑)。
日本・韓国の経済発展が気に入らない中華主義
(黄)日本は近代以来、ずっと中国より豊かな発展を遂げてきました。劣位にある日本が優位にある中国の上を行くということが、中国というか中華主義中国人には韓国よりもっと許せないんです。アメリカについては、あれは巨大なる他者だと認めるのにね。しかし日本は、かつて我が中華圏の中のちっぽけな国だった、だから経済発展したからといってもその優位性を認めたくはない。
(石)韓国人に対してもそれはあります。広東省に広い工場をつくったある韓国企業が、社員に対して間違った軍隊式教育をするというんです。その工場で、中国人社員が間違いをして韓国人の幹部社員に殴られたという事件がありました。それで中国人の労働者たちが、「なんで韓国人が中国人を殴るんだ」とすさまじい勢いで怒り出したわけです。中国人の上司に叱られたり、殴られたりしたのであれば、それほどの屈辱は感じない。しかし韓国人に殴られるのは耐え難い屈辱となる。そこで、わーつと吹き上がってしまうんです。: P.18-21 黄文雄・呉善花・石平共著「売国奴」ビジネス社2007年11月2日第2刷発行
目くそ鼻くそを笑う、のたぐいですね(笑)。
微妙な中国人と韓国人の関係が、分かってきましたか。
さてさて、皆様はどう思われますか。