誰にも醜聞があります。たとえそれが、事実であろうが、なかろうが(笑)。
「自分たちが常に差別されている」とのなりふり構わぬ叫びは「自分たちが常に差別している」ことの裏返し。韓国人為政者などの発言を聞いていると、自分の考えを無意識で吐露したり、自意識を他者に投影することが、しばしばみられます。
地域差別・職業差別を韓国人から取り去ることは、和食から「生臭い鰹節・鮪節」だしを取り去る以上に難しいのでしょうか。
ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。疑惑を感じた方は、リンクをたどってくださいね。
ヨーロッパでは難民問題でもめていますね。
韓国ではどうか。かなり古くなりますが・・・・
百済(くだら / ひゃくさい)は、古代の朝鮮半島南西部にあった国家(346年? - 660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅、半島南部の伽耶諸国とあわせて百済の存在した時代を朝鮮半島における、三国時代という。新羅を支援した唐によって滅ぼされ、故地は最終的に新羅に組み入れられた。:Wikipedia
新羅(しらぎ)は、中国(唐)を利用して
百済(くだら)を地域差別するにとどまらず、ついに国家そのものを滅ぼしました。国土は新羅に占領され、当時の百済人たちの一部は虐殺を逃れて難民として日本へ押し寄せたようです。
難民としてやってきた百済高官たちは日本各地に住むことを許され、一部は朝廷にもつかえ、今でもその伝統を保っているところがある、と聞いています。
現代の韓国人は
自分たちが滅亡させた百済の人が日本に渡って技術を伝えることを知るや「日本に文化を教えてやった」と平気で尊大に言うのですが、百済が邪魔だったからこそ唐を利用して虐殺・滅亡させたのであり、一転して自分の利になりそうと判断すれば平気で「教えてやった」と歴史を書き換えるその頭脳構造には、さすがに笑いがこみ上げてしまいます。
利用価値がないとして百済国を滅ぼした結果、一部の百済人が朝鮮半島を脱出して難民として日本へ渡ったのに、その百済民族が、日本へ技術を伝えたと知るや、ころりと態度をひるがえし、日本へ技術を教えてやったと、まるで百済人が自分と同一の国家・民族であるかのように振る舞うその狡猾(こうかつ:悪賢しこ)さには、呆れてしまいます。カラスよりもひどいか。
自分の利益になりそうなら、なんとでも屁理屈をこねるところが正調韓国節というところ。
ただし、それは
自分たち朝鮮半島人(新羅人~現代まで)が中国(唐~現代まで)の暴力に屈していた腹いせとして、今になって発言した「こじつけ(屁理屈)」なのでしょう。
現在の韓国を見る場合、この中国の伝統的な暴力を忘れてはいけません。
朝鮮半島人が日本に対して尊大に振る舞うのも、実は「暴力的な中国に恐怖を感じる」という悲しい民族性の反動であって、やむを得ず「中華の恩恵を受けていない野蛮な地域」として昔から日本を見下してきたことに留意しなければならないでしょう。
ヨーロッパの東欧地区では
ソ連の暴力に苦しみ、あまりの弾圧に耐えかねて西側へ難民を出した国がたくさんありました。受け入れ側もやむを得ないと見なしたのでしょう。
ソ連が崩壊して、ソ連の西外れにあった東欧の国のいくつもが独立をはたし、問題はあるもののEUに加入しEUを拡大させたのは御承知の通りです。
しかし残念ながら、中東やアフリカでの弾圧に耐えかねてものすごい数の難民がヨーロッパへ押し寄せるようになった昨今、多くのEUで異論があるものの数の割り当てに従って難民を受け入れようとしているのに、この東欧諸国の中には、難民受け入れに難色を示しているところがあるらしい。外国人を差別してきた国ゆえに難民を受け入れられないことを理解しているからでしょうか。
難民を出しておきながら、後日、難民を受け入れない、のですね。
ひるがえって韓国をみると
自分の国から百済難民を出しておきながら、世界に希なほど単一民族性を維持しているようで、今では華僑を追出すやら外国人を相当レベルで差別しています。
日本やアメリカにも差別があるではないか、とがんばるかたに申し上げます。そんなレベルではありません、と(笑)。「どこにも差別がある」と「賢そうに振る舞う」のを認めても、です。そんな朝鮮半島へ難民が押し寄せるはずはない、のですね。
つまり朝鮮半島で、難民をだしながら難民を受け付けないのが、東欧諸国とそっくりなのです。
まとめると
ソ連という暴力弾圧国家におびえてきた東欧諸国だから、今は独立国家となっても、民族の単一性から難民を受け入れられないのでしょう。
同様に、中国という暴力弾圧国家におびえてきた朝鮮半島だから、今は独立国家となっても、民族の単一性から難民を受け入れられないのでしょう。
なのに、いや、似ていない、とがんばりますか(笑)。
朝鮮半島や旧東欧などの国々を見るときには
彼らが見せる特有の閉鎖性や民族性の裏に、大国の暴力に翻弄(ほんろう)された歴史をふり返っておくのがいいようです。
そうすれば朝鮮半島で2000年来つづいてきた日本への蔑視や近年の反日・嫌日の受け止め方にも、別の視点が生まれるはずです。
ものごとをより確かに理解するためには、膨大な量の知識と、そして健康的な判断力、この2つが必要なのでしょうか。
いくら朝鮮半島が低レベルだと映り幼児っぽく見えても、より大きく受け止める器量を発揮して、ここは冷静に判断する必要がありそうです。
こんなことを言うと、ますますつけあがる朝鮮半島人でしょうが、日本の知性豊かな人ならば、確かな歴史の指摘をしながらも、「つけあがるくらいなら、それも良し」としますか(笑)。