カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

ウクライナ問題

2014年06月30日 12時26分04秒 | 海外

 

ウクライナの問題も

 

ヨーロッパの歴史がわかっていないと本質に迫れそうにありません。

ただし歴史事実として残っている多くのことがらが、勝者の視点だけから書かれているのではないかという疑問を忘れることなく歴史に向き合うことが大切。

つまり歴史を知るのに必要なのは、2~3冊の歴史書を読めばいいという簡単な作業ではだめで、複数の視点で無数の資料を理解することなんでしょう。だからいとも簡単に歴史を断定的にとらえる人には注意したほうがいいと言えます。わかりやすいことが危ないとは、罪なものですね(笑)。

 

ただしいくら過去の歴史がどうだったとしても、現在の枠組みを平気で壊してもいいという根拠にはなりません。

第二次大戦後の秩序を破壊しているのが中国やロシアの為政者であるのに、かれらは自分たちの誤りを無視して常に相手のほうが「第二次大戦後の秩序を破壊している」と言い続けています。これには注意しなければなりません。この両者にとっては、歴史を主観的にゆがめるのが当たり前で、決して客観性が見られないことに注目しておきましょう。

 

今回の引用は、フランスのルモンド誌から。

 

この件について欧米メディアに見られる決まり文句を集めてみれば――ウクライナ危機の問題が始まってからだけでなく15年前から続いており――このけばけばしい色の伝説は、一般読者が今日のロシア連邦の政策について心に抱くものとほぼ同じだ。このように全くネガティブな認識は戯画化され、染みついた伝統の域にまで至っている。

こうしたネガティブな認識は、ロシアの文化の全体主義的で「虚偽の」心理的威迫を強調する分析に基づくこともあり(原注2)、またヨシフ・スターリンからウラジーミル・プーチンに至るまで一貫している継続性に基づくとされることもある。フランスの論説記者やアメリカの新保守主義のシンクタンクから好まれる発想である(原注3)こうした発想はルネサンス時代のヨーロッパ人の旅行記にまで遡ることができるもので、そのなかでもうすでに、「粗野な」ロシア人と凶暴な古代スキタイ人との間には類似性があるなどと書かれている(原注4)。
仏LeMONDEdiplomatique(2014年4月号より)

 

このなかでスキタイ人とは、2800年も前に今のウクライナあたりに住んでいた人のことらしく、複雑ですね。ほとんどの人にとって自分の国の歴史で精一杯、とても全世界の歴史を理解できるとは思いません。言い方を変えると、十分に理解できると思っている人には、きっと批判力が欠けている、すなわち少なくとも双方からの視点を欠いている、と思われます。

ただし付け加えておきたいのは、東欧諸国とちがい「粗野」なロシアから遠く離れているフランスには、ロシアの「粗野」さを理解する力が欠けているようで、しかも国旗デザインまで似せてしっぽを振っているロシアに対してフランス人にはあまり強い嫌露・反露の感情がないようです。Wikipediaによれば、フランス国旗は1794年、ロシア国旗は1993年に、それぞれ制定しています。

不思議なことにこれら3国が2014FIFA_WC(ブラジル)本大会に出場しており、ロシア以外は予選を突破し、しかもフランスとオランダは決勝トーナメントで勝っていて準々決勝進出を決めております。

Wikipediaが十分に信頼できるかどうか分りませんが、一応この点を理解した上で引用しておきます。

 

スキタイ(Scythae, Skythai)は紀元前8世紀~紀元前3世紀にかけて、ウクライナを中心に活動していた遊牧騎馬民族および遊牧国家。スキュタイ、スキュティア人、スキティア人ともいい、その地をスキュティア、スキティアと呼ぶ。「スキタイ」は古代ギリシア人によってこの地域の諸部族をまとめて指す際に使われた呼称でもあり、スキタイが滅んだ後も遊牧騎馬民族の代名詞として「スキタイ」の名は使われ続けた。:2014年06月29日 Wikipedia 「スキタイ」

 

スキタイ語(スキタイご)とは、紀元前8世紀から紀元前1世紀頃、現代のウクライナで用いられた言語。比較言語学的分類において、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスが当時のスキタイ語を記録した語彙や文法から、東インド・イラン語派の一言語だと広く考えられている。スキタイはギリシャ系(カッリピダイ人)、遊牧系(王族スキタイ人、遊牧スキタイ人、別種のスキタイ人)、農耕系(農耕スキタイ人、農民スキタイ人)の3つのスキタイに大きく分けられる。:2014年06月29日 Wikipedia 「スキタイ語」


ウクライナは、東ヨーロッパの国。東にロシア連邦、西にハンガリーやポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北にベラルーシ、南に黒海を挟みトルコが位置している。

歴史的・文化的には中央・東ヨーロッパの国々との関係も深い。キエフ大公国が13世紀にモンゴル帝国に滅ぼされた後は独自の国家を持たず、諸侯はリトアニア大公国やポーランド王国に属していた。17世紀から18世紀の間にはウクライナ・コサックの国家が興亡し、その後ロシア帝国の支配下に入った。第一次世界大戦後に独立を宣言するも、ロシア内戦を赤軍が制したことで、ソビエト連邦内の構成国となった。1991年ソ連崩壊に伴い独立した。

16世紀以来「ヨーロッパの穀倉」地帯として知られ、19世紀以後産業の中心地帯として大きく発展している。天然資源に恵まれ、鉄鉱石や石炭など資源立地指向の鉄鋼業を中心として重化学工業が発達している。:2014年06月29日 Wikipedia

 

こうした長い歪みの上で人は生活しています。しかし過去が歪んでいたから、現在もその歪みの延長上にあっていい、とは言えません。

以上は、決して「ロシアや中国の横暴を認める」意図から記したことではないことを、念のために申し上げておきます。

 

さて、ご参考になりましたでしょうか。

加筆修正:2014/07/01 03:40 

 

 

 

 

 


 


 

 

 

 


W杯予選通過国〔地図〕

2014年06月29日 06時55分25秒 | スポーツ

2014FIFA_WC(ブラジル)も

 

予選リーグが終わり、引分け狙いなどの計算ができない決勝トーナメントが始まっています。

現在のところ、決勝トーナメントの最初の試合では、ブラジルがチリにPKでなんとか勝ち進み、コロンビアも2-0でウルグアイに勝ちました。クロス→ヘッドなら相手に読まれているので、クロス→ヘッド→ボレーシュートという俊敏さがないと読みをはずせないらしい。ヘッドのあと一旦地面にボールを落とさないのが大切なのでしょうね。とにかく強いところは速度がちがうようです。

 

よくわかっている人は別として

世界のどこからどの国や地域が出場しているのか、なかなか分りにくいもの。

これを地図で見ておくのが理解を助けることでしょう。32カ国では多すぎるので、いまちょうど予選を終えて16カ国にしぼられていますので、これを地図にしてみました。

 

元となった無料の世界白地図


こちら「白地図のりぬり」から入手。ありがとうございました。

これを使って、国境を実線に変更して(これが邪魔くさかった)、16カ国を塗りつぶしました。

ではどうぞ。もうこれは時間が勝負。間違いはないと思いますが、すこしだけ不安(笑)。同じ地図を大きさによって3つ用意しましたので、見やすいものを御覧下さい。

 


加筆:2014/06/30 ウグルアイ→ウルグアイ

 



沖縄の「梅雨入り」と「梅雨明け」

2014年06月28日 14時06分15秒 | スポーツ

 

「梅雨入り」と「梅雨明け」、何の役にも立たないこの宣言。

 

単なる目安としての価値しかないように思われるのが、気象庁によって例年繰り返される「梅雨入り」と「梅雨明け」宣言で

~地方は梅雨入りしたとみられる

~地方は梅雨明けしたとみられる

などと毎年「みられる」で大いに笑わせてくれます。みなさん、見られているので注意しましょうね(笑)。

 

気象庁の「沖縄の梅雨入りと梅雨明け」に基づき、エクセルを使って描いてみました。

 

おおよそのことを言えば、沖縄では5月中旬~6月中旬が梅雨の季節。

ただし沖縄地域の幅は、直線距離でいえば、与那国島~与論島(鹿児島県)の南まで600kmもあり、東西幅が200km前後の関西地域などと比べると、地域限定の梅雨入りや梅雨明けに限界があるといえ、そもそも何の価値がなくても入りや明けの宣言をしなければならない気象庁の悲哀、さえ感じてしまうのです(笑)。

 

最後に、上記エクセルのグラフの作成方法ですが・・・・

  • 左端に、入りと明けの日付の列を作成
  • 上端に日付の行を作成
  • 日付欄に該当する列が、入りと明けの間にある行(横)のみを条件付き書式の機能を使って「梅雨入りと梅雨明けの間だけ塗りつぶした」
ものです。

このエクセルの「条件付き書式」は
 
その扱いがやや難しいので、あまり使う人が多いとは言えませんが、Excel2013になって機能が強化され、とても便利になっています。参照(相対参照・絶対参照)の知識を乗り越えなければならず、誰でも簡単に使える、とはいかないのが難点です。
 
私はこれを、独自の年表作成に使っています。
 
つまり左端にある人の生年と没年の列を作成し、上段には、西暦(例えば0~2100)の行を作成しておき、同じ作成方法でその人が生きた時代だけを塗りつぶし、生年の列で並べ替えることで、見やすい年表を作成でき、ブログ人で紹介したことがあります。これによると、ニュートン〔1642-1727〕と井原西鶴〔1642-1693〕が、数値ではなく塗り分けられた帯でもって「同時代を生きた」ことを簡単に知ることができます。生きた場所が違っても「同世代である」とわかるのは実に素晴らしいことです。

井原西鶴 辞世の句
「浮き世の月 見過ごしにけり 末二年」
当時人生50年とされていた時代ですから、52歳でなくなったのでなくなる直前に「2年ほど見過ごした」としたなら西鶴らしいですね。なお「見過ごす」とは今と江戸時代では意味が異なるかもしれませんが、なんとなくわかる気がします。それでいいのですね。
 
同様に、清少納言〔966-1025〕と、生没が不詳で不正確ながらも紫式部〔978?-1016?〕の2人が、確かに同時代に生きたのだと、数値ではなく直感で分ります。
 
清少納言と紫式部の関係。清少納言の方が10才年上で、清少納言は定子皇后(紫式部が仕える道長の敵対派)のお付きの女房で、兄の伊周と定子皇后に清少納言も加わって会話しそれを枕草子にこれ見よがしに書いている。ちょっとでも学問のある女にとって清少納言の行動は決定的に嫉妬の対象であった。しかし定子皇后は惨憺たるお産をして25才で死に、道長の謀略にかかって伊周は没落、当時の紫式部の側が勝ち組なのです。だから紫式部日記の中で、清少納言に徹底的に攻撃を加えている。:P.295 大野晋「光る源氏の物語(上)」中央公論社


このように、参照を使った条件付き書式では、ある数値の範囲だけを強調して塗りつぶせるので威力を発揮します
 
ただし参照などを使わないとても簡単な条件付き書式もありますので、いちど挑戦してみてください。

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 



2014FIFA_WC(ブラジル)

2014年06月28日 05時07分43秒 | スポーツ

 

まだまだ続いていますが

日本代表の「勝利なし予選敗退」によって一挙に熱が覚めたような状態。このような現状を大きく分けると次の二つになるでしょう。

 

肯定派 無限の将来へ夢を託す典型的な楽観派

 

  • 次回ロシア大会〔2018 FIFA_WCロシア〕を目指して頑張りましょう。
  • いやもしそれでもダメなら、次々回カタール大会〔2022 FIFA_WCカタール〕がある。「ドーハの悲劇」返上だ。

 

参考程度ですが、電車の発車を知らせる電光掲示板の表示内容に関西と関東の違いが見られます。関西では「次発」「次々発」、関東では「こんど」「つぎ」。どちらでもかまいませんが後者では場合によって注釈が必要になるかも。もし関東風に表現するならば、
 
今度のワールド・カップ_ロシア・・・・実際には2018年
つぎのワールド・カップ_カタール・・・・実際には2022年
 
となり、ややあいまいになって補足説明が必要でしょう。

 

否定派 アジアのサッカーレベルは低いという典型的な悲観派

 

  • 1勝もできなかった日本代表(1引分け2敗)。特に3戦目では2連勝のコロンビアが8人の2軍選手を出したにもかかわらず1-4で敗れた。これではプロ野球と高校野球の違いではないか。いやもっと言えば、甲子園大会に出られなかった(地区予選敗退)高校にさえ負けるに違いない、いわば中学校野球のレベルではなかったか。
  • ただし高校野球でも10年に一人くらいはそのままプロ野球でも通用する選手がでるものであり、やってみないと分らないという一面があるとしても、やってみてはやりダメだった、ということ。 

 

どちらにも言い分があるでしょうし、サッカーにはほとんど関心のない人さえお祭り気分に便乗して金儲けを企んでましたね(笑)。

 

各国、特にアジア地域代表では

 

オーストラリア(3敗)・イラン・日本・韓国(いずれも1引分け2敗)のどこも、1勝さえできえなかった深刻な事態ですから、各国で不毛な戦犯さがしに話題が集中することでしょうね(笑)。

 

その中でキラリと光る言葉もみられました。 

 

 「4年間、一緒に戦ってくれてありがとう。メンバーも戦術も私が決めたもの。責任はすべて私にある。私は日本代表と離れないといけない時期が来たのかと思う。だがもう一度、W杯のメンバー、スタッフを選べるとしても、私は同じメンバーを選ぶだろう
デイリースポーツ 2014年6月27日(金)6時59分配信

 

私は

「惨敗に終わったけれどもよく頑張った」

とは言いませんが、同様に日本代表のイタリア人監督が

「惨敗に終わったけれどもよく頑張った」

ではなく

「もう一度、W杯のメンバー、スタッフを選べるとしても、私は同じメンバーを選ぶだろう」

という言葉にもホロリとしたものです。責任の大半を受け取るべきなのが監督ですから、いくらでも不平不満をぶちまけることはできますが、この言葉は若手に「次にも選ばれたい」と思わせ、おそらく大きな励みになった

であろうと信じています。

これは大きな話題を提供しています。つまり

  • 善良な選手とスタッフに恵まれてワールド・カップ本大会へ出場できたけれども、予選リーグで惨敗に終わった。
  • 内紛が絶えない選手とスタッフではあったが、決勝トーナメントの8位以上に入る活躍をした。

のどちらがいいのか、というものです。

もちろん二者択一などは不毛な問いかけですが、暗に深刻な問いかけを発している、と私はそうとらえています。皆様はいかがでしょうか。

 

=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=+=

 

それにしても、気になるのが「次発・次々発」と「こんど・次」。

解国語辞典と広辞苑四で比較してみました。

 

Shin Meikai Kokugo Dictionary 〔三星堂〕 

 

こんど【今度】

1 何度か行われる物事のうち、現在行なっている(行なったばかりの)もの。
   用例・作例 ―に限った事ではない
2 ごく最近起こった事を取り上げて言うのに用いられる語。
   用例・作例 ―の大戦
3 近い将来に実現されると予想されることを取り上げて言う語。
   用例・作例
     ―アメリカに行くことになりました
     ―〔=この次〕こそは しっかりやろう 

つぎ【次】

1 あとにすぐ続く△こと(もの・所)。
   用例・作例 ―の世代 ―に控える この―
           ―から―へと続く
2 昔の宿場。宿駅。
   用例・作例 五十三―

 

こんど「近い将来」と、つぎ「あとにすぐ続く」の違いが微妙であり、やはり補足説明が必要となるでしょうか。 

  

広辞苑四〔岩波

 

こん‐ど【今度】

このたび。今回。史記抄「―の功を賞せらるるぞ」。「―の事件」

この次。「―行きます」「また―ね」

つぎ【次】 (「継ぐ」と同源)

後にすぐつづくこと。また、そのもの。順序がすぐあ と(のもの)。「―から―へ」

或るものより一段低い地位。すぐその下。劣ること。「二の―」

次の間。つぎのへや。

宿(シユク)。駅。「東海道五十三―」

つぎ【継ぎ・接ぎ】

つぐこと。つづきぐあい。万七「三諸のその山並に子 らが手を巻向山は―のよろしも」

着物または布地のやぶれに他のきれをあてて補いつづ ること。また、そのためのきれ。「―を当てる」

あとつぎ。よつぎ。また、単に子のこと。源若菜下「冷泉院の御―おはしまさぬを飽かず御心のうちにおぼす 」

囲碁で、断点を補う手。

やはり「こんど」と「つぎ」の差が明確ではありません。

 

次々 

国語明解辞典でも広辞苑四でも、扱っていませんでした。関西地域だけで通用している造語なのでしょうか。

しかし一般的ではないとはいえ、「次」と「次々」のほうが、「こんど」と「つぎ」に見られる混乱がないので、安心して乗ることができそうです。

「こんど」と「つぎ」を使ったほうが、混乱はするけれど、乗客と乗務員との会話が発生するのでいいではないか、などとのこじつけは止めませうね(笑)。 

 

 

 

 

 


野底林道

2014年06月23日 12時44分34秒 | 石垣島

撮影月日:2014/06/22
撮影場所:石垣島林道野底線

 

地図です。カシミール地図とGoogleMapで作成しております。

  

林道野底線の通過映像を御覧下さい。

 

かつてこの林道ができるまでは、西側(東シナ海側)からの登山道を利用しており、2回ほど登っております。

その特異な形状から、一目で登りたくなったしだいです。

林道は、この山の頂上のすぐ近くをまくような経路になっていて、新しい登山口から頂上までは10分程度と短くなりました。

しかし不思議なもので、林道が出来てしまえば、もう昔の登山道を利用する気がなくなったのです。この意味では林道を作るのは罪なものですね。

人によっては「林道など必要ない」とおっしゃるかたがいます。それにも一理あると思いますが、人間が手を入れても入れなくても、自然は必ず崩壊するものですから、「近くにある自然を大事にしながら手を加え続ける」のが妥当なところではないか、と思います。

近くではなくてずっと遠くにある場合でも、自然を知ることが人類にとって貴重だとするならば、自然崩壊を避ける意味で、手を加えながら保護する道を選びたいと思うのですが・・・・・・。

 

では野底林道の通過映像(ニコニコ動画)です。

ついでに野底林道の通過映像(YouTube)も入れておきました。

 

ほかの人たちによる野底岳情報へのリンクも、いくつか貼っておきます。

 

旧登山口への道(東シナ海側) 

野底岳の姿 

野底岳紹介ブログ 

 

肝心のカンムリワシの姿が見えませんでした。これが気がかりで、確かに10年前と比べて、少なくなっていますよ。私の直感的な減少原因は、カラスの異常繁殖です。誰かこれを立証していただけませんかね(笑)。

 

 

 

 



 

 

 

 



屋良部線が土砂崩れで通行不能

2014年06月22日 04時58分38秒 | 石垣島

 

撮影月日:2014/06/21
撮影場所:林道屋良部線(やらぶせん)

 

先日の豪雨の影響でしょうか

 

久しぶりに訪れた石垣島の西部にある林道屋良部線(やらぶせん)。

南側から入りしばらくして三叉路があり、真っ直ぐは行き止まりで、右が林道屋良部線ですが、入り口に「通行禁止(石垣市)」とありました。

ただし道路半分ほどだけの土砂崩れの場合、車の通行は出来ないけれども、歩行者やスクータなら通れることもあるので、だめなら引き返すつもりで先へ進んでみました。

 

林道屋良部線

 

ここはもう2~30回以上来ているところで、たまにカンムリワシも、まれに見かけますが多くの場合、突然あらわれて撮影する前に逃げてしまうため、撮影に適したところとは言えません。

1回だけチョウを採集しているグループに出会ったことがあります。数年まえのことでしたか。

今年2014年の林道屋良部線、2014/06/21現在まだクマゼミが聞こえません。石垣島の南では鳴き始めているので、やや遅れて鳴くのでしょう。

今回初めて遭遇しましたが、しばらく走ってたあとスクータの先に野生のイノシシ2頭を発見。薄暗い場所だったのではっきりしませんが、大きさに違いがあったので、ひょっとしたら親子かもしれません。野生動物の母親が子を連れている場合、子を守る母親の気性が荒いとされるので、両者とも体長は小さいものの、こちらはスクータですから少し緊張!

しかし相手はこちらの音に気づいたようで、すぐに茂みに隠れました。いくら小さいとはいえ体当たりをされたらこちらは転倒するかも知れず、慎重になりましたが、一安心です。

一瞬のできごとだったので撮影はできておりません(笑)。

 

土砂崩れの現場

 

林道屋良部線をかなり走ったので、おそらく崎枝小中学校近くの出口あたりかもしれませんが、沖縄県警の「通行規制」の標識のあと、右側の山側の土砂が崩れて、林道を封鎖していました。人さえ通行できないようです。

いつまで土砂を取り除かないまま放置されるか分りません。悪くすると半年以上かかるかも(笑)。

 

これでは通れませんね。

こんなところが多い林道ですが、鬱蒼とした木々が上を多う場所もあるので、たまにはカンムリワシを探しに来たいと思います。

 

地図で場所を確認

 

GoogleMap(GoogleEarth)を御覧下さい。 

半島の真ん中にくねくね見える林道が林道屋良部線。大崎牧場の近くから入り、東北方向へ向いました。

 

 

 



石垣島の深山幽谷?

2014年06月21日 21時55分23秒 | 石垣島

撮影月日:2014/06/21 08:10
撮影場所:石垣島名蔵湾

 

県道79号の名蔵湾岸道路の北側でみたこんな景色〔3倍速〕

  

300m前後とはいえ、どこかの山里深いところのように見えますが、撮影場所の後ろには県道があり、そのうしろは海(名蔵湾)。 

石垣島にも天候によってはこんなところもあるのです。地元の人でも知らない人が多いでしょうね。

 

もう一つ石垣島の山と霧を〔こちらは1倍速度〕 

 


 

 

 

 


中国から撤退

2014年06月21日 06時53分24秒 | アジア

 

中国からの企業撤退が加速しているようです。

 

もしも経済拡大を続けていた中国が、そのまま経済発展を続けたらなら間違いなく世界一の経済大国になっていたろうに、まことに残念ながら中国共産党は、ひた隠しにしていたその牙(きば)を剥(む)き始めました

金を蓄えたあとはそれに相応しい軍事力を、というわけで、空軍・海軍に金を注ぎ込み始め、例にもれず、軍備を強化するとそれを使う衝動にかられ、東アジアで問答無用の前近代的武力拡張主義を唱え始めました。

 

中国共産党の常套句は、御存知の通り誰もが笑う、議論の余地がない神聖な中国固有の領土」でしたね(笑)。 

西の方への領土拡張〔チベット地区や清朝時代からのウイグル地区〕に区切りをつけた中国は、今度は東へ目を向け始めたわけです。

 

しかし中国からの海外企業の撤退は結果として良かったのかも知れません。それは企業家たちが 

  • 中国の経済発展にともなって起るはずの国民間の経済格差が、近い将来の10年間くらいには解消される見通しがなくなったこと。
  • 労働者の賃上げ要求は、この経済格差を更に拡大する方向に向うだろうこと。つまり、低賃金を口実に富裕層が目減りした資産価値を上げようとしているからで、ど厚かましいことこの上ありません。
  • 工場を建設しても、不法労働・賃上げ暴動などの不法行為があとをたたず、当然ながら雇用が不安定になり、長期戦略をたてにくくなったこと。

など、中国自身に内在する汚染体質の改善に望みがなくなったことをいち早く感じ取ったからです。

 

ここで中国から、「撤退した」、「ほぼ撤退した」、「撤退を検討している」企業をまとめてみました。出来るだけ引用先をつけましたので、ご参考になれば幸いです。

 

中国からの撤退企業 一覧 

 

■グーグル(米国)

 

御存知 Internet 企業で、中国共産党による検閲があまりにもひど過ぎてやってられないと判断、中国大陸から撤退し香港から発信を続けるとのこと。同社の 2010年03月 抗議声明が有名です。

 

サーチナ 2010/03/23〔抗議声明全文

NHK  

 

そんなこと分っていたはずですが、最初は中国共産党が牙(きば)をむき出しにすることがなく、ささやかな希望があったのでしょう。

その後、技術を搾取し続けた中国政府は、国内産業が独り立ち出来るようになったころ、外国企業への締め付けを強化し始め、中国の国益ではなく中国共産党の党益を前面に出し始めたのです。

わかりきったことですが、中国共産党が中華人民共和国を建国した経緯により、共産党の指示が法律よりも優先され、もちろん裁判所などは 「民主国家を装う単なる飾り」 に過ぎません。


■高島屋、ヤマダ電機 ?


もともと国内でも心配された巨大企業ヤマダ電機でしたが、古いニュースながら、撤退がうわさされています。上海の高島屋にも客が来ないとのこと。

ダイヤモンド オンライン  

尖閣問題が表面化した頃の進出でしたか。中国共産党の本質を理解しないまま、「まじめ」が通用すると信じたアタシがバカだったのね ♪

日経新聞Web 三越伊勢丹も撤退 2013/05/31

 

■ロイヤルホスト  

 

ここでも中国人従業員が定着しなかったとのこと。高賃金を求めて次々と移り歩くようですが、これは中国でインフレが加速していることを意味しているのでしょう。

朝日新聞 2014/06/20

同紙では、台湾店の営業は続ける、としています。

  

■大林組 

  

建設業界でも、期待された規制緩和がなかなか進まないとのこと。それはそうで、中国では共産党の利益が減少するような仕組みは絶対といっていいほどあり得ません。

中国共産党一党支配の腐敗がもたらした談合癒着システムは、日本でいえば、まさに「お代官様へ袖の下を渡す越後屋」が暗躍した江戸時代そのものでした。

日本に対して「歴史に学べ」と上から目線で発言する中韓ですが、まことに残念がら歴史に学んでいないのは中国共産党なのでしたね。

産経新聞 2011/03/06 

 

■リーバイス(米国)

 

米ウォールストリートジャーナル誌の記事を環球網が引用して伝えたようですが、「リーバイス」と「グーグル」とには共通点があるとのこと。

 

レコードチャイナ 2010年1月16日 

2008年中国での生産を再開したとも伝えていますが、あまいニンジンをぶら下げられた様子がありありと見えますね。

 

ロイター  2014/01/23

「1993年に撤退したジーンズメーカー大手のリーバイスは、現地の人権状況への懸念から契約社員の採用を削減していた」が、「リーバイスは結局、中国での生産を再開し、グーグルは香港に拠点を移してサービスを続けている」としています。

 

■オペル(米GMの欧州ブランド名)

 

レスポンス 2014/03/31

「2015年1月をもって米国GMの欧州部門の「オペル」ブランドが、世界最大の新車マーケット、中国から撤退」


■楽天 

2年足らずでの撤退を表明しているようです。

Jcast 2014/06/21 

 

■生産/販売の規模を縮小

 

Jcast 2014/06/21 

洋服の青山 ユニクロ ゼロックス

 

これら中国13億市場から撤退した(しようとしている)企業には

  • 再進出の含みを残しながら取りあえず撤退
  • 期待はしているけれども、中国共産党に対する大きい不信感

という共通点があるということでしょうか。

 

だましあいが定着している中国社会では

まじめに企業活動をするならば中国でも通用するはず

という信念が、残念なことにまったく通用しなかった、というところでしょうね。

中国が悪質なのは当然ですが、企業は社会奉仕ではないのですから従業員を犠牲にした経営者の甘い脇とその善意もまた、非難されなくてはいけません・・・・・・。

 

これ以外にも中国からの撤退企業はたくさんありますが、もう今日はこれでおしまいにします(笑)。

 


 

 

 

 

 



石垣島の底原ダム小島

2014年06月20日 06時55分02秒 | 石垣島

 

撮影月日:2014/06/16  06:52
撮影場所:石垣島底原ダム(そこはら・スクバル)

 

早朝06:52です。とはいえ日の出から1時間が経過しております。

当地石垣島では来週にでも梅雨が明けると思われますが、梅雨の最中とは言っても1週間に1~2回ほどホンの少しだけ雲間から青い空が見えることがあり、そんなのが08時にあると陽光がきつすぎて木陰に入るしかない、といった状態でございます(笑)。

 

では金閣寺の、いや失礼、石垣島底原ダムの小島を動画で御覧下さい。音声は消しております。渡り鳥とみられるカモが泳いでいますね。

 

底原ダム(石垣島)の小島

 

2014FIFA_WC(ブラジル)日本の第2戦ギリシャ戦があと5分ほどで始まろうというけふこのごろでござりました(笑)。 

 

 

 




クマゼミが鳴く姿をとらえました

2014年06月18日 11時01分25秒 | 石垣島

 

石垣島でクマゼミの姿をとらえました。

梅雨の最中で鳴き始めたクマゼミですが、まだ遠慮がちであり、近づくと突然鳴くのをやめます。しかしこれも今のうちであり、やがて7月になれば、目の前で堂々と鳴く姿が見られることでしょう(笑)。

 

石垣島の新栄公園で鳴くクマゼミ(ニコニコ動画)

 

 

やがて日本中(とはいえ西日本が中心)で聞かれるはずの今年のクマゼミを、いち早く 2014FIFA_WC(ブラジル)の最中である本日 2014/06/18 の音声つき動画でお楽しみくださいませ(笑)。

聞くところによれば、6月に入り梅雨の晴れ間には毎年見られる光景であるとのことでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いよいよ「クマゼミ」が鳴き始めました

2014年06月17日 12時24分18秒 | 石垣島

 

梅雨の雨模様で外へ出られませんでしたが

 

昨日2014/06/16の朝6時頃にでかけ、於茂登岳(おもとだけ)の近くから名蔵をうろついていると、最初曇天でしたが、8時には青い空が見え始め気温もぐっと上がったことにもよるのでしょうが、クマゼミが鳴き始めました。

ただし10日ほど外へ出られなかっただけであり、もっと前から鳴いていた可能性があります。

おなじみの「シャォ シャォ シャォ シャォ」で、九州までの西日本では梅雨明けの真夏の風物詩として有名ですが、ここ石垣島ではなんと梅雨の最中(まだ梅雨明けしておりません)に聞こえ始めました。


石垣島のクマゼミ

 




市区町村名に「漢字以外を含む」例

2014年06月16日 04時44分07秒 | 社会

 

2014/06/16 現在のWikipedia「ひらがな・カタカナ地名」に疑問をもったので、自分で作り直してみました。

 

  • 元になる資料 日本郵便の郵便番号データ 2014/05/30更新版
  • 使った道具 MSアクセス・MSエクセル・スペースエディタ
  • 注意事項 郵便番号は数字のように見えて実は文字であり、「001-0010」は「北海道札幌市北区北十条西」あたりの郵便番号ですが、数字とみなしてしまって「10010」と読んでしまう恐れがあるので、これにさえ気をつけるならそのほかの道具でも大丈夫でしょう。
  • ただしエクセルではExcel2013のように100万行を扱えるバージョンでないとうまくいかない。なぜならば6万5000行程度しか一度に読めないバージョンならば、12万行の郵便番号データを一気には扱えないからです。日常生活で誰でもが使えるデータの量としては、この郵便番号が最大でしょうか。
 
エクセルそのものをアップロードするわけにはまいりませんので、結果のみを画像データでご紹介します。
 
同じ結果ですが、都道府県名で並べ替えたものと、市区町村名で並べ替えたものを両方用意しております。ただし都道府県名の最大桁数は「和歌山県」や「鹿児島県」などの4ですので、これに満たない都道府県の場合、「4-都道府県の桁数」分の全角スペースを入れて、MSゴシック表示で縦揺れのないようにしてから画像データを作成しました。
 

 

 

しかし増えましたね。

 

Wikipedia「むつ市」では1960年の市名「むつ市」が日本で最初の「ひらなが名」とのこと。ただし市名の途中に「の」などが入っている例も含めて「むつ市」が最初なのかまでは確認できておりません。

 

またカタカナ名では、南アルプス市やニセコ町が知られていますが、Wikipedia「マキノ町」によれば、カタカナ名としては「マキノ町(ちょう)」が初の名前でしたが、その後合併して高島市になったため厳密な意味での自治体としての「市区町村名」ではなくなっています。よって当時二番目(1964年改称)だったカタカナ自治体「ニセコ町(ちょう)」が2014年現在存在する最古のカタカナ市区町村名になっているようです。

現在の正式な名前は、北海道虻田(あぶた)郡ニセコ町でしょうか。

上と関連がありませんが、北海道にある「町」では、「森(もりまち)」だけが「まち」であり、重複を削除したあと129の自治体はすべて「町(ちょう)」になっております。森町は函館市のすぐ北にありますね。 

 

茅部郡森      かやべぐんもりまち

虻田郡ニセコ    あぶたぐんにせこちょう
奥尻郡奥尻     くしりぐんおくしりちょう
余市郡余市    よいちぐんよいちちょう
空知郡上富良野 そらちぐんかみふらのちょう

   ・・・・・・

道内唯一の「まち」である森町、スキーなどで有名なニセコ町・富良野町(ちょう)、津波被害で知られた奥尻町(ちょう)、ニッカウヰスキーや毛利宇宙飛行士で知る人も多い余市町(ちょう)など、話題は豊富ですね。

 

Wikipediaの 2014/06/16版 では、「ケ」や「ヶ」などの助詞系のカタカナを略していたので、これはまずいと思って作り直した次第です。また新しい 2014/05/30版 の郵便番号を使っているので、Wikipedia(2014/06/16版)で掲載されていない地名も加わっております。

 

 



 


2014FIFA_WC(ブラジル)

2014年06月13日 20時36分12秒 | スポーツ

 

いよいよ2014FIFA_WC(ブラジル)が始まりました。

オリンピック競技のテレビ中継では、日本代表が出場しない試合をみることは極めて少ないのですが、サッカーでは全ての試合を、一部録画とはいえ、生中継で放送しています。これが大きい違いですね。

日本では、多くを公共放送のNHKが、一部(例えば開幕戦など)を民放が、担当して放送しています。

試合数

出場32チームがチームごとのグループに分かれて、予選リーグ(総当たり)を戦い、上位2チーム、すなわち半分の16チームが決勝トーナメントへ出場し、あとは1回負けたら終わりの高校野球の仕組みと同じで、3位決定戦がこれに加わります。

予選リーグ:

1チーム3試合×4チーム/2=6試合で、全部では6×848試合が行なわれます。

決勝トーナメント:

16チームが勝ち抜く時の試合数は、例によって優勝1チームだけが負けないでその他は必ず1敗するので(16-1=)15試合があり、さらに特別に3位決定の1試合があり、結局(15+1=)16試合に。

ということで大会の全体では 48+16=64 試合が行なわれるといわけです。

開幕戦の結果 

御存知の通り、開幕戦は、ブラジル3-1クロアチア となりました。

私の印象では、大きく分けて

    • 体がぶつかり合うサッカー
    • 審判をごまかすサッカー

があり、開幕戦はこの両者の戦いとなったようで、ヨーロッパやアフリカは前者、中南米は後者であることが比較的多いようで、ブラジルは巧みにPKを得たようです。

私の個人的な好みとしては、審判を味方にする技術とはいえ、「相手の体が自分の体に触れて、なおかつ、そこで倒れたらPKが得られる」という判断力が発達した中南米のサッカーには幻滅します(笑)。

あきらかに審判をごまかそうとするシミュレーションという罰則が生まれたけれども、より一層、審判をだます技術は向上しているようです。

ひょっとしたら

    • 審判がPKと宣言せざるを得ないシミュレーションの巧みさ
    • 試合をおもしろくするために生まれたオフサイド罰則を利用して相手をひっかける巧みさ〔ホッケーでは相手ゴール近くのアタッキングゾーン以外では罰則がない〕

が原因でサッカー熱が冷めていくのではないか、と思われます。

クロアチア側は強硬に抗議しておりましたが、この巧みさが今回のネイマールのPKにつながったのでしょうか。

 

さて次は日曜日午前中の日本×コートジボアール戦ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アカショウビン(鳴かず)

2014年06月12日 09時21分52秒 | 野鳥(その他)

 

撮影月日:2014/06/02  07:40
撮影場所:石垣島林道嵩田線

 

カンムリワシを探していた時に見つけたアカショウビン。

 

林道を曲がった時、真正面の木の枝にとまっていたのを発見し、あわてました。

撮影準備をしていると20秒くらいで枝から飛び去り、近くの薮に入り込んだと思ったら、姿は見えないまま薮の中で鳴き始めました。ただし鳴き慣れていない素人っぽい「キロロロロ」ではありましたが(笑)。

その薮へ近づいて探してみると、幸運にも見える場所の枝にとまっていたので、すぐに撮影を開始。しかしついに鳴かないままで終わりました。

 


 

石垣島のアカショウビン(姿のみ:鳴かず):ニコニコ動画

 

 

 

 

 


江戸末期の消防隊

2014年06月12日 07時47分45秒 | 生き方

 

世界から入ってくるニュースをみていると、事件・災害が起れば、事件・災害の内容にもよるでしょうが、多くの場合略奪が発生します。

 

地震などの自然災害も例外ではなく、災害の直後から、周辺住民・近郊住民による商店・民家への略奪が始まります。通常の場合、多くの国では略奪行為は犯罪なのですぐに検挙されますが、災害時には、時折泣き崩れて「災害の被害者」を装うだけで、略奪という犯罪が誰にも邪魔をされることなく成立するのかも知れません。

その点、日本で発生した災害では、阪神淡路でも東北でも若干の奪略がみられたと聞いていますが、大規模なものではなかったようで、この点だけに関しては妙に安堵します。

この日本の「秩序を重視する姿勢」あるいは「秩序を維持しようとする姿勢」は一体いつからあったのかが気になりますが、私は江戸末期にその証拠をつかんでおります。

 

消防隊の組織

今度の場合、すべての配備が、実に見事に処理されたように思われた。公使館の周囲の門は即刻閉鎖され、武装した役人が警備した。消防隊員や実務を執行する人達は入門を許されたが、それ以外の者は厳重に拒絶された。門内はあっという間に、装備した人達でいっぱいになり、数百人もの人が四方に、庭や室内や廊下、そして出火現場から離れた建物の屋上に登ったりして駈けまわっていた。しかも、見張りの眼が彼らにしじゅう注がれていたので、品物は何一つ盗まれなかった。公使の卓は板張りで、客間には、内外のおびただしい興味のある貴重な品々が置かれていた。それらのものは人を誘惑したかも知れないが、何一つ紛失したものはなかった。私はこのような、十分に習練を横んだ団体の組織を全く見たことがない。シナでは、掠奪の機会をねらっている暴徒を制することは、非常に困難な問題である。

しかし、江戸ではすべての人びとは、十分な支配を受けているので、全く安心という話だ。

このような光景は、江戸では日常の出来事であった。火災は江戸の町のどこかで、ほとんど毎日のように発生している。家が木造であるために、火は非常な速度で広がる。幕府の役人や火消しの各組の人達は、常に演習を行なっている。これら消防隊の一糸乱れぬ組織の日頃の訓練が、公使館の火災に発揮された。すべての人びとの行動に感心したが、讃辞はこの辺で止めておく。

:P.114-115 ロバート・フォーチュン「幕末日本探訪記 江戸と北京」三宅馨訳 講談社学術文庫


この訳本の序文では、「1863年2月 ロンドンにて 著者」とあるので、江戸時代の末期、明治時代に移ろうとしているころだと思われます。著者はスコットランド出身の植物学者・商人のリバート・フォーチュン〔1812-1880〕で、本書の著述は51歳のころになり、実際に日本を訪問したのはもう少し前でしょう。

なによりも目をひくのは、150年前の日本では「英国公使館で発生した火災時にも略奪行為がなかった」こと。

シナでは、掠奪の機会をねらっている暴徒を制することは、非常に困難」という記述が正しいならば、150年後の今でも中国では、あいかわらず何かが起ったときには略奪行為がみられ、まったく変わっていないことに驚きます。

たぶん中国人は、それは昔の話だ、と反論するでしょうが、現在も150年前も何ら変わっていないのはなぜなのか、という思いに至るのが日本人で、中国人にはその「なぜか」がないので、歴史を繰り返しているわけです。

 

中国内では、何か日本関係で問題が発生すると、すぐに日系の商店・スーパー・百貨店が襲撃されます。これは「弾圧」と「経済格差」を特徴とする国家の姿で、中国は「国家」の体(態)を成していないよう思われます。

この暴力的な人たちをまとめていく立場にある中国共産党政府としては、強権を発動し、政府の方針に反する言動がみられたら厳罰に処する、これしか統治方法がないと考えているようです。それが更に大きい反発をうみ負の連鎖が続いているのを、やむを得ない中国の運命だと思い込んでいるかのように・・・・・・。

中国共産党政府の豪語「アジアにはアジアのやり方がある」「中国式の弾圧・人権無視がアジアのやりかた」だと受け取られるようになりました。そんなのに賛成するアジア人は中国人以外にはいない。でも中国人は中国人がアジアの代表だと信じて疑いません(笑)。

 

中国は、北朝鮮に似た近年の軍事的ちょっかいさえなければ、間違いなく世界をリードする経済大国になっていたろうに、いままでひた隠しにしていた中国共産党の醜い本質が頭をもたげ始め、世界中で暴力的言動を頻発させるに至りました。

まことに残念ながら、世界的な経済大国になる夢は、はかなく消えてしまいました。悲しいかな、それにさえまだ気づいていないのが、未熟な中国共産党のエリートたち・・・・・・。

   

江戸末期の略奪行為の著述をひもといてみて、あたらめて現代の中国に思いが至った次第です。

   

なお上で引用した末尾にある「讃辞はこの辺で止めておく」が秀逸で、いいところも悪いところも公平にみる扱う姿勢が感じられ、好感をもちます。

ワタクチメ「はと」は決して出版社のまわし者ではありませんが、興味のある人は、このあとを読んで下さいね(笑)。