カンムリワシ、名ばかり はばかり、言うばかり

カンムリワシは20年ほどで激減。

冒涜とはヨイショせざることなり

2014年11月30日 09時27分54秒 | アジア

未成熟国家ではよく見られることですが

  • 政府と異なる意見をもった人を「冒涜(ぼうとく)罪」で逮捕
  • これは「国民全体がヨイショ状態なのに、なぜ一緒になってヨイショしないのか」という素朴な感情

私は、米映画「金正恩暗殺」を、産経新聞ソウル支局長起訴と並べて観賞したい衝動に駆られました。

  • 映画「金正恩暗殺」は名誉毀損に当たるかどうか
  • 産経新聞の「記事」は名誉毀損に当たるかどうか

「冒涜」を振りかざして怒り狂った北朝鮮韓国

安易に「冒涜(ぼうとく)」をふりかざすものではありません!

人権などほとんど存在しない韓国と北朝鮮が、そろって「名誉毀損」と叫ぶのは「をかしきこそもの狂ほしけれ」というところ(笑)。

まだ公開されていないこの映画を私が見ていないのは確かなことで、公開されても見ることはないでしょうが、想像では「金正恩暗殺」を

  • 北朝鮮の為政者は、許せない冒涜と見る
  • 北朝鮮の国民なら、痛快な喜劇と見る

でしょうね。

北朝鮮の国民がこの映画を見ることは、ここ数年以内には困難かも知れませんが、北朝鮮が崩壊したあかつきには「なるほど、たしかに」と受け取るかも。

尤も結論は、その映画のでき次第であり、見ないまま何らかの反応を示すのは適切ではないとしておきましょう。

一般的に弾圧国家がでっち上げる罪状としては、次のようなものがあります。実際にそのようなことが行なわれたかどうかは、まったく問題ではありません。国家が型どおりに「でっちあげたかどうか」が重要なのです。

  • 国家反逆罪・・・・なぜ政府と異なる意見をもつのだらう
  • 国家機密漏洩罪・・・・真実は国家機密ゆえ決して口外してはならない
  • 国家転覆罪・・・・多数の人が集まると危険な臭いがするらしい
  • 名誉毀損罪・・・・失政を指摘するなどもってのほか
  • 公共の秩序を乱した・・・・「武力鎮圧時の抵抗」は公共秩序を乱したことになる

香港では、私の「予言」どおり、中国でのAPEC首脳会議が終わったいま、近々強制排除・武力行使が始まりますが、

「香港デモ派が警察の強制排除に抵抗すれば、それが公共の秩序を乱したことになる」

のでした。


念のため、この映画についての引用をしておきます。

「金正恩暗殺」映画公開へ=北朝鮮は「懲罰」警告 

 【ソウル時事】北朝鮮の金正恩第1書記の暗殺計画を描いた米コメディー映画「ザ・インタビュー」が12月下旬以降、米国など63カ国で公開される見通しだ。北朝鮮は「わが人民への耐え難い冒涜(ぼうとく)」と猛反発している。 

 米政府系放送ボイス・オブ・アメリカによると、金第1書記のインタビューを目指すトーク番組司会者らが米中央情報局(CIA)の指示で暗殺を試みる内容。

 北朝鮮祖国平和統一委員会のウェブサイト「わが民族同士」は28日、「完全な現実歪曲(わいきょく)で作られた謀略映画の上映は、わが共和国に対する極悪な挑発行為」と非難。映画関係者への「断固たる懲罰」を警告した。時事通信(2014/11/28-17:07)


時事通信が記事の題名として北朝鮮「懲罰」警告としたのに、少しひっかかりますが、冗談とはいえ、ほんの一握りの北朝鮮為政者たちだけが怒り狂うのは当然の反応で、これがアメリカと北朝鮮の思考の違いでしょう。

北朝鮮は、荒唐無稽な発言が世界各国で報道されるという名誉に浴しながら、自分たちにとって不都合な報道なら絶対に許さない。

いつでも、世界中が、自分の思うままでなければならない、これが幼稚な共産主義特有の独善というもので、まさにお笑いの世界でしょう(大笑)。

〔注釈:荒唐無稽(こうとうむけい)〕

    • 荒・・・・無法で
    • ・・・・中身がなく
    • ・・・・ない
    • 稽・・・・考える

要するに、荒唐無稽とは、「何も考えていない無法状態」

よって上で述べた下線部分は

朝鮮為政者の中身のない感情の発露が世界中に流されていることに満足する一方で、何か不利なことを言われたらムカツク、という幼児の発想

という意味でした(笑)。

今回は「冒涜(とく)」集でしたが、もちろん二宮尊徳の報徳(うとく)や高校野球でおなじみの報徳(うとく)学園とは何の関係もございませんので、おまちがいなきやうおねがひします(笑)。


コメント

窃盗とは盗み取ることなり

2014年11月29日 08時05分09秒 | アジア

忘却とは忘れ去ることなり・・・・

文化財の窃盗という犯罪を容認して、犯罪の事実よりも

「韓国人が日本から盗んできた仏像の日本への返却は、仏像を詳しく調査してから」として盗品の返却を後回しにする韓国政府には驚いてしまいます。その調査がいい加減で恣意的であろうことは十分に予想できるので、ますます驚く次第です。きっと理解不可解な結論を出して、盗品を返却することなどあり得ないでしょう。

こうなったら

盗まれることがないように努力するしかないのでしょうか。事実、朝鮮半島や中国では、だますことは知的で名誉ある行為なので、だまされるほうが悪いらしい。つまり盗むことは名誉なことで、盗まれたほうが悪いという思考も残っているように見えます。

やはり韓国は、盗人天下、パクリ天下なのでしょうか。

1970年に採択され1972年に発効した、文化財などの輸出入に関連したユネスコ条約では、文化財の不当な移動を禁止していますが、この条約の前提となる条項をたてに、その仏像の出自が明らかになるまでは犯罪の事実を認めないとしているのが韓国政府・韓国司法の扱いのようで、呆れてしまいます。

一体この国は、まともな国なのか

もちろん韓国は民主国家風味の全体主義的な封建国家でしょうね(笑)。

カニ風味のかまぼこがあり、見た目がカニそっくりなので、これは明らかにカニ模倣食品ですが、韓国は、もう「パクリ」「盗み」のし放題、中国と何ら変わりません。


 

また対馬で仏像窃盗…僧侶ら韓国人4人逮捕

統一新羅期推定の「釈迦誕生仏」窃盗の疑いで4人を逮捕

韓国政府は2年前の盗難仏像を返さず、外交問題に飛び火 

「やっぱり、またこんな事件が起きましたね。 韓国政府の責任です」。25日、『ハンギョレ』の電話取材に応じた対馬の寺刹 西山寺の前住職 田中節孝の声には不快感がこもっていた。彼が住職だった西山寺は、2012年10月に韓国人窃盗犯が高麗時代の観世音菩薩座像(長崎県指定文化財8号)を盗み出した観音寺の本寺だ。彼は仏像が盗難に遭った後、韓国政府などを相手に「盗み出した仏像を返してほしい」と訴えてきたが2年が過ぎた今も仏像は返されていない。 

そんな渦中にある対馬で24日、韓国人が再び仏像を盗み出す事件が発生した。対馬南部警察署がこの日、対馬のある寺から仏像と経典を盗んだ疑いでキム氏(70歳・僧侶)など4人を逮捕したと『東京新聞』が報じた。

・・・・

今回の事件は冷え込んでいる韓日関係に少なからぬ負担をもたらす見込みだ。韓国政府が2012年に盗難仏像の返還を先延ししている間に、二回目の盗難事件が起きたためだ。韓国政府は「朝鮮半島で製作された仏像がどのようにして日本に渡ったか、経緯を調査しなければならない」という立場だが、盗難文化財の返還に関する1970年ユネスコ協約によれば、この仏像は元の所有者に返還されなければならない。 日本政府は公開の席上で仏像の返還を何度も要求するなど、この問題はすでに両国間の外交懸案に飛び火した状態だ。

日本では韓国政府の中途はんぱな対処が二回目の窃盗事件を呼び起こしたという非難が出ている。堀江政武 対馬市議会議長は「盗難事故が発生した後も、ともかく韓国との交流は重要と主張してきたが、今回の事件でちょっと難しくなった」と語り、田中前住職も「今回の事件で日本の嫌韓情緒がさらに高まるのではと憂慮している」と話した。 国外搬出文化財の還収運動をしてきたへムン僧侶(文化財取り戻し代表)は「文化財返還という理由で窃盗が容認されてはならない」と指摘した。:韓国ハンギョレ紙日本語版 : 2014.11.26 06:27

最後の「文化財返還という理由で窃盗が容認されてはならない

つまり「韓国外へ持ち出された文化財を母国韓国へ返還させるという理由で、盗みを認めてはいけない」

を読むと、韓国人の中にもまともなことを言う人がいるものだと感心します。が、しかし・・・・・・。

  • このような表現は、そういう意見が韓国では一般には認知されていないときに発せられるものであり、ハンギョレ紙が立派だ、くらいはいいとしても、韓国人全体が立派だ、と勘違いしてはいけません(笑)。
  • つまり「民主国家を装う韓国」のマスメディアが、怪しげな演技をして国家を持ち上げている、とみなすことができます。別表現では「民主主義さえパクッた韓国」(笑)。

産経新聞のソウル支局長起訴については、誰が見ても明らかにお粗末とはいえ未熟な韓国司法の判断らしさが残りますが、今回の事件は、日本での明白な窃盗事件ですから、さすがに、あの韓国マスメディアも、おとなしい。

この窃盗事件を、例のでっち上げで韓国の利益になるよう誘導・捏造することは並大抵の努力ではできないでしょう(笑)。

いかに韓国が、非民主国家であるかが、わかります。

韓国は、北朝鮮とほとんど変わらない国家であることが徐々に判明しつつありまずが、昨今、何を血迷ったか、あの弾圧国家である中国へ限りなくすり寄りつつあり、間違っても韓国が普通のまともな国家だと錯覚するのはいけません

それでも日本が悪かったから韓国人が怒っている、という屁理屈を信じますか(笑)。

しかしこの事件には、

前回の窃盗持ち出し成功事件に触発された事件とは言え、前回の窃盗犯罪が未だ未解決であることを改めて思い出させる

効果がありました。 



将棋名人戦の窃盗事件

「窃盗」と言えば思い出すのが将棋名人戦の窃盗事件です。

その前に、将棋の歴史を簡単にまとめると、次のようになるでしょうか。

  • 古代インド発祥のゲームが、東へ伝わり日本では将棋に、西へ伝わり西洋のチェスになった。
  • 日本では、明確なゲームかどうかは別として、平安時代あたりに散見される。
  • 1612年に江戸幕府が給料を与える形で公認の家元のようなものが誕生し、代々世襲制で発展した。「将棋図巧(伊藤看寿著)」「将棋無双(伊藤宗看著)」などは、詰将棋の分野で高度に緻密な作品。両書200問のうち現代人でも普通のアマチュア程度なら2~3問も解けないでしょう。
  • 世襲とはいえ、高度な技術に達していた将棋界だったが、やがて江戸幕府が崩壊。
  • 1924年東京将棋連盟が結成され組織作りが始まった。国家による庇護ではなく自立してスポンサーを探す時代になった。
  • 1937年から従来の世襲ではなく、短期(主に1年単位)の実力名人制を開始。世襲の13世名人だった関根金次郎が名人位を返上したことになる。東京日日新聞(現在の毎日新聞)が寄付、つまり棋譜掲載権を購入、いわばスポンサーとなった。
  • 1937年第1期実力制の名人位は対戦の結果、木村義雄に決定。次の1940年度の第2期名人位も木村が獲得した。
  • 1950年からスポンサーが毎日新聞→朝日新聞に変わる。商道徳を無視した朝日新聞のごり押しらしい。
  • 1976年からスポンサーが朝日新聞→毎日新聞に変わる。将棋連盟の大幅値上げ要求を朝日が拒否したためとされ、毎日新聞の商道徳に問題はなさそう。
  • 2007年から毎日新聞・朝日新聞の共同スポンサーとなる。朝日が再び毎日からパクろうとしたが、紆余曲折の末、最後には毎日・朝日の共催になったというもの。商道徳を無視した朝日新聞とおごり高ぶった将棋連盟の印象は残るが、まずまずの結論か。

そもそも

  • 将棋連盟がもっている棋譜掲載・棋戦運営などの権利を買うスポンサーを日本将棋連盟が勝手に決めることができるか、に問題があるでしょう。スポンサーを今度は朝日だ、いや毎日だと、決められるのは、独裁国家ならいざ知らず、普通のまともな国では考えられません。どこをスポンサーにするかは主催者ではなく公募すべき性質のものであり、少なくとも公の組織に近いとされる将棋連盟がどこかの新聞社と秘約するなど論外なのでした。残念ながら将棋連盟は、この点で、まるで中国か北朝鮮の為政者に似た驕り高ぶった集団だったと言えます。
  • そこに付け入ったのが朝日新聞で、自社の都合のいい時には毎日からパクリ、都合が悪くなれば投げ出す姿勢を貫いてきました。今年2014年の2吉田事件(調書と証言)で少しは朝日のこの伝統が薄まったかどうかが笑点いや焦点か。

そういえば、

パクリの朝日新聞による捏造の「吉田慰安婦記事」を、パクリの韓国マスメディアが長年にわたって引用掲載してきました。パクリ兄弟どすな(笑)。

↑ なにも慰安婦問題を否定してはいませんよ。よく読んで下さいね。朝日の名人戦のパクリと捏造記事について言っているのですよ。必ずいちゃもんを付けてくる人がいるので、念のため。

それでもなおかつ、「日本では朝日が妙なバッシングを受けている」とみなしたい人は、「朝日の今までの信頼性が揺らいでいる」という日本の現実を直視せず、狭い視野で世界を見渡している人なのでしょう。

自分で独自のものを作る努力をするよりも、よそからパクッたほうが手軽だ、

これが、朝日新聞と韓国の共通認識。

具体的には、朝日は名人戦という将棋棋戦を毎日からパクる、韓国は国歌や製造技術を外国からパクっている、という説が絶えません。そう見られることがないよう、普段からの努力が必要ですが、両者には、まことに遺憾ながら、それさえ見られません(泣)。

ただしパクるのが多いので韓国には朴(パク)さんが多い、というのは、明らかに言い過ぎでしょう(笑)。まあこれよりも100倍くらいひどい発言を日本にしてはばからないのが韓国人ですが、日本人なら言い方には十分注意するものです。

これに関連して次を引用しておきます。 

毎日新聞の企画「教育の森」で菊池寛賞を受賞し、後に教育評論家としても活躍した村松喬は、小欄の筆者でもあった大先輩だ。その人があろうことか同じ言論機関である朝日新聞を「盗人」呼ばわりしているから穏やかでない▲実は村松は1949年に将棋名人戦が毎日から朝日に移った際の将棋担当だった。よほど頭に来たのだろう、後に「将棋戦国史」という本を出し、当時の将棋連盟幹部や朝日の背信をなじり、その経緯を「名人戦窃盗事件」という章にまとめたのだ▲戦前の35年、毎日の前身である東京日日新聞が永世名人位の名跡を買って棋界に寄贈するかたちで生まれた実力名人制だ。その契約更改の交渉中に、毎日に一言の断りもなく、こそこそと別契約が結ばれるとは何事かと村松は憤ったのである▲そうしたいきさつがあったため、今度は77年に名人戦が毎日に復帰した際、毎日は公明正大に振る舞ったと村松は胸を張っている。実際に毎日は、朝日と連盟との交渉が決裂して契約が終了するのを待ち、朝日側に通告した上で連盟との交渉を始めている▲その名人戦をまたまた契約金上乗せを提示した朝日に移管しようという動きが水面下で進んでいたというから、どうなっているのだろう。おりしもファン注目の七番勝負の時期である。棋士やファン、主催者が力を合わせて育ててきた伝統ある棋戦が、何かモノを密売買するかのような手つきで扱われるのが悲しい▲「礼に始まり礼に終わる」は将棋を始める人がまず学ぶ言葉だ。お金で買えないものはないというすれっからしの世間知を教えてくれるのが将棋であってほしくない。大先輩の怒りも何より将棋を輝かせてきたさまざまな美しいものが汚されたように感じたからだろう。 : 毎日新聞 2006年4月14日 東京朝刊


 

さて、窃盗というと、忘れてはならないのが中国

スプラトリー諸島(南沙諸島)、パラセル諸島(西沙諸島)は言うに及ばず、尖閣諸島や黄海の韓国領での違法操業、あげくのはてには2014年の夏には、遠く正真正銘の日本領海内でサンゴの密漁をするために200隻もの漁船がやってきました。中国の漁師たちは、もう開いた口がふさがらないヤクザ集団ですね。

都合のいい時にはこの手の「無知な」ヤクザ集団を利用してきた中国共産党が、いまではその扱いに苦慮しております。これはちょうど初等教育から牙むき出しの反日国是を作りあげてきた中国共産党が、過ぎた反日暴動に発展してしまった「無知な」国民への対応に苦慮しているのと同質です。

これらの密漁は国家が支援しているともうわさされていますが、それ以外でも中国共産党が背景にある「こわ~い話」があります。 

中国政府は近来、「走出去」という政策を鼓吹している。つまり国から出て行く学者や留学生、研修生だけでなく、商売人にも情報窃盗の任務を与えているのだ。彼らは、「中華振興」の歴史的使命をおび、「強盗の道徳」をそなえ、日米欧などの先進国からの情報窃取に精を出して、いまでも大活躍しているのだ。

 世界に出まわっているニセモノの80パーセントが中国製ということは、すでに世界的な常識になっている時代だ。ことに安上がりのコピー商品も多い。法意識がほとんどない国だから、知的財産権という意識もない。

それどころか、強盗の論理が通用する社会でもある。知的財産権に触れると中国がよく逆襲として持ち出すのが、自称の中国四大発明、羅計盤、火薬、紙、印刷技術である。はたして、その四つはほんとうに中国の四大発明なのか、それははたして知的財産権の概念規定に適用できるのかどうか、そんなことは一向に気にはしない。このような理不尽な主張は、日本に対してもよく持ち出される。日本はかってに中国の漢字やハシ、さらには『三国誌演義』まで盗用したではないか。日本は中国に、そのパテント料を払ったのか、というメチャクチャな論理である。: P.58-60 黄文雄(こう ぶんゆう)「これからの中国はこうなる」ワック文庫 2010/06/30初版

情報窃盗といえば先日発生した「朱建栄の失踪事件」を思い出します。その後、朱建栄が上海へ一時帰国したときの「中国共産党による拘束」と判明しましたが、中国共産党はいっさい拘束の事実を公表しないので、「失踪」とされました。

    • こういう国家による国民の拉致など中国では日常茶飯事。よって、6カ国協議などで北朝鮮による日本人拉致問題など解決するはずがなかったのです。
    • 朱建栄は、この事件によって、あたらめて自分は中国共産党の僕(しもべ)であると再認識したことでしょう。中国人の僕(しもべ)ではなくて、中国共産党の僕(しもべ)であるのでお間違いなく(笑)。中国共産党が中華人民共和国を建国したという歴史的事実を思い出したいものです。

もう落語のように、バカバカしくも、おもしろい中国人。

そしてこんな中国にすり寄る韓国。

いずれの国にも「知的財産権」という意識はありません。どんな屁理屈を付けても、法律の概念からほど遠いのでした

それほど中国・韓国には教育が不足しているのですね。

中国・韓国にとっての教育では、中国共産党の方針をいくつ覚えたか、そして捏造の韓国歴史を疑問なく受け入れて、どれだけたくさん相手にぶちかませたか、が重要であり、これが満足できるレベルにまで達した人のことを、いい教育を受けた国民といます(笑)。

この洗脳内容を誰かにぶつける場合、相手の話の内容を聞いてはいけません。もしも相手が何かを話そうとしたらそれをさえぎってでも、こちらから大声でさけばねばならない。

どうしても相手が何かを言いたいならば、にこにこ笑顔で聞くふりをしましょう。そして相手が話し終わったら、できるだけ相手の発言内容と何の関係もないことを、どんどん大声で叫びましょう。相手の問いかけに答えていては、相手のペースに乗せられるだけですから、できるだけ関係のないことをしゃべりましょう。

これが中国・韓国の教育なのでしょうね、きっと。

自分を客観的にとらえようとする視点など、もちろんありません。哲学や宗教が発達しないゆえんです。

かつてヨーロッパの国家が世界中で植民地を建設していたころ宣教師に与えていた情報窃盗の任務を、今では中国が代わって立派に果しているのでした。

これも、「中国共産党がすべてを管理できる」と信仰していることに問題の発端があります。


その他の窃盗をまとめておきます。 


 

例えば、窃盗が当然のこととされたり、甚だしきにいたっては、光栄ある行為と認められるようになったら、民族が重大な危機に陥っていることを意味しよう。われわれ中国人は、現在、この危機に直面しているのだ。 

: P.41-48 柏楊(ポーヤン)「醜い中国人」張良澤・宗像隆幸(共訳)光文社1988/06/25 12刷発行

ポーヤンの「醜い中国人」は今(2014年)から26年前の日本発売でしたから、実際に書かれたのは30年くらい前なのでしょうか。

人をだましたり人から盗んだことを、自分の賢さだと勘違いして自慢する国が世界にたくさんありますが、日本ではそうではないと思うのは結構だとしても、一歩外へ出たらその考えを忘れなければなりません。いや自分はそんな危険な所へは行かないと思っているアナタが危ない!

日本でもヤクザは、いかにもヤクザらしい物腰で近寄ってはきません。気がついたときはもう離れられない、これが賢いヤクザなのです。くれぐれも「甘い話」には注意しましょう。その「甘さ」の何百倍も「辛い」結末が待っているからです。家族や勤め先への脅迫に、あなたは耐えられますか。

日本では対暴力団の対策が進み、40年前なんかに比べるとかなり良くなっていると思います。それでも甘い話にはご注意を(笑)。

小笠原近海でのサンゴ密漁など、窃盗の典型であり、悪びれるところなどないのが中国人の中国人たる矜恃〔きょうじ〕。こんな海賊が今の時代でもなくならず国の体をなしていない中国は「未途上国」でしょう。

「未途上国」とは私の造語で、未+途上国=未途上国としたもので、未だ(いまだ)途上国に至っていない国のことです。

中国共産党が崩壊しようがしまいが、こういう中国ヤクザは、あと4000年ほど続くのでしょう。 


  

呉 犯罪というのは、どこの国でも窃盗がいちばん多いんですが、韓国はなんと詐欺なんですね。窃盗よりも詐欺が多い国なんて、韓国しかありません。日本でも昨今はオレオレ詐欺とかが流行っていますが、それでも詐欺の発生率は世界的にかなり低いんです。日本人は本当に人を騙すことができない人たちだと思います。韓国では人を騙すのは普通にあることで、騙された方が悪いとすらいいます。 

石 中国では、他人を騙したことを自慢する。自分はこれだけ知恵があるという自慢話になるんです。で、韓国と同じように騙された方が悪いし、あいつは騙されたそうだ、なんて馬鹿なんだ、だめなやつかと非難されたりするんですね。:P.173-178 黄文雄(こうぶんゆう)呉善花(おそんふぁ)石平(せきへい)共著「売国奴(TRAITORS)」ビジネス社2007年11月2日第2刷発行

呉善花の、「韓国では、窃盗よりも詐欺が多い」という話には驚きますね。まぁ窃盗も詐欺もひどいものですが・・・・調べてみると、たしかにありました。ただし調査年月不明。 

OECD各国の「詐欺(Frauds)」比較

1位 ドイツ
2位 アメリカ
3位 イギリス
4位 フランス
5位 韓国
6位 ポーランド
7位 カナダ
8位 ロシア
9位 メキシコ
10位 南ア
11位 イタリア
12位 日本
13位 インド
・・・・・ 
 

韓国には詐欺が多く、5位であり日本の12位を大きく引き離していました(笑)。

「中国人が人をだますのを自慢する」のは上の石平やポーヤンの説の通り、中国人の本質なのでしょうか。もちろん中には立派な中国人もいて、その腐敗ぶりにうんざりして、ほとんどが外国へ出てしまいましたが(大笑)。

なお、ほかの各国の犯罪数を比較した英文サイトが見つかりました。各国で犯罪の分類・定義が違うようですから、専門家でなければ、ちいちその数値をみることなく、全体的な傾向を知っておくという程度にしたいものです。

OECD各国の犯罪比較Comparisons of Crime in OECD Countries

全体的な印象として、日本の犯罪率は極めて低いようです。

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やはり北朝鮮は

2014年11月28日 12時55分07秒 | アジア

西ドイツと東ドイツが

長く(半世紀ほど)、ソ連により分割されていましたが、ソ連崩壊が事実上決まったも同然だった1990年に、再統一されました。厳密には、再統一ではなく、西ドイツが東独を吸収合併あるいは編入、でしたか。

西ドイツ+東ドイツ〔5州→14県→5州〕=ドイツ 

この直後、ソ連が正式に崩壊〔1991年〕しました。

このころ、つまり1990年の頃

北朝鮮はソ連とも険悪な関係に陥り(どことでも険悪ですね)、金丸(自民党)や田辺(社会党)などが北朝鮮を訪問しています。

私の思うところ、ソ連は、崩壊しかかっていたからこそ東ドイツの西ドイツへの編入を認めたのですから、中国共産党が、崩壊しかかれば中国は北朝鮮が韓国へ編入されることに同意するでしょう。←それはハチミツよりあま~い?

ただしその場合、ソ連が東ドイツを支配していたのと同じ関係が中朝になければなりません。

それから24年が経過し

すでに北朝鮮は、中国とも仲違いし、今ではロシア・中国・韓国の全てから遠ざかり、文字通り、孤高いや孤低の暴走路線をまっしぐらに走っております。

物騒な話ですが、北朝鮮としては、もうこうなったら破れかぶれ、暴走するしかなく、秘かにその機会をねらっているようです。核開発を推進したり、南北境界線でイザコザを仕掛けたり、威嚇外交を繰り返している、のはその一環でしょう。何とか暴走のチャンスを狙っていて、もちろん相手の先制攻撃があったからこそ攻撃を加えた、と正当化しなければなりません。

思わぬきっかけから暴発するかも知れず、しっかり見定める必要があるでしょう。

なぜ朝鮮半島が統一できないか

について多くの方が述べていますが、上と重複するのを覚悟すれば私の見方では、

  1. 中国が合併に同意しない〔崩壊寸前のソ連はドイツ合併に同意〕
  2. 韓国が吸収合併することになるでしょうが、北朝鮮が孤立路線を自ら選び、なおかつ危険な瀬戸際外交を続けたために国連からも制裁され、北朝鮮の経済力が極端に低下し、合併したとしても韓国側の負担が西ドイツの負担よりも極端に大きいこと
  3. その韓国の経済が2014年現在、かなり落ち始めていて、かつては相当景気がよかったのですが、すでに南北合併のチャンスを逸し、時すでに遅しというところ。なおかつ韓国には大企業を優先しすぎる細い産業構造があり、しかも各国とFTAを結び始めていて農業はもちろん中小企業の疲弊は頂点に達そうとしていること、つまり韓国の悪い経済事情〔それでも反日は元気ですから、その熱意を統一に向けろと言いたい?〕
  4. やっかいな「儒教+共産主義」弾圧独裁政権を維持している北朝鮮は不名誉な併合を受け入れないだろうこと〔実利は南に譲っても、何らかの名誉を勝ち取りたいでしょうが、これはあり得るだろうか〕

などが考えられます。もう目も当てられませんね。

「メンツ」とか「見栄」を抑える勇気がないのが、中国・韓国・北朝鮮というところでしょうか。

2000年史上初の南北会談

韓国大統領金大中が平壌へ行き、北朝鮮総書記の金正日と会談しました。その後も、北朝鮮への不正な融資がうわさされています。

いったいこの決定的なチャンスをどうして北朝鮮は自らの言動で潰してしまったのか、という疑問が残ります。

それから14年経過した今の2014年

よくなるどころか、ますます悪化する南北関係。

幸いなことに、中国経済が減速し、経済崩壊から中国共産党崩壊の前触れではないかともささやかれています。こうなると崩壊寸前のソ連が東ドイツの西ドイツへの編入を認めたように、中国も認める時代になるかも知れません。←それもまた、甘すぎますよ!

そこがまた中国の問題であり、ソ連崩壊のようにすんなりとはいかないでしょう。かつてはソ連の修正主義を厳しく非難した教条主義の中国でしたが、いま中国は、北朝鮮の教条主義を批判しながら、自らはしっかりと修正主義を実践しています。不思議な、いいかげんな、変節〔へんせつ:大切に守ってきた態度を変えること〕ですね。自分が批判していたソ連よりもひどい修正主義か?

言い換えると、

中国は、かつて批判されていた自分の主義を、今では北朝鮮の中に見いだして批判している

というところ(大笑)。

さらにたとえ話をするならば

  • 若い頃の左翼主義者が、長じて右翼主義者に変わり左翼を批判
  • 若い頃の頑固者が、今ではものわかりの良い人間になり頑固者を批判
  • 若い頃の吉原遊び人が、長じて立派な商家の旦那に変わり、吉原を批判

あまりいいたとえ話ではありませんでしたか(笑)。

こう見てくると、韓国も、中国も、自分に資格がないことを平気で言える屈折した度胸があるやに見えます。

そもそも共産主義は

巧みな弁舌を発展させはしましたが、エスペラント語と同じで広く普及するには至らず、その全体主義以外の「一部のまともな理念」を社会民主主義と称して既に取り入れた国々が多々あることから見て、共産主義の役割は終えて久しく、もう静かに消え去る運命にある

と言えましょうか。中国共産党が崩壊しなければならない、とするゆえんです。

1994年や2013年には、ソウルやワシントンを火の海にする、と繰り返し発言した威嚇大好き国「北朝鮮」には、引き続き監視の目を忘れてはいけないようです。

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美人とは

2014年11月27日 13時03分02秒 | 社会

「美女」の表現には、いろいろありますね。

ちんぎょ   らくがん  へいげつ  しゅうか
沈魚 落雁 閉月 羞花

たてばシャクヤク、すわればボタン、歩く姿はユリの花

おののこまち てるてひめ                     ようきひ
小野小町か照手姫、クレオパトラか楊貴妃か

沈魚落雁閉月羞月については少し補足が必要かも。

  • 沈魚:あまりにも美しすぎて、底へ
  • 落雁:あまりにも美しすぎて、飛行中に編隊を乱して下した
  • 閉月:あまりにも美しすぎて、雲にじられた
  • 羞花:あまりにも美しすぎて、じらう(恥じる)

という中国4大美女の飾りでしょうが、現代の中国共産党と同じで、誇大表現どすな(笑)。

  • 女性としての「美しさ」は強力な武器になるはずですから、武器商人としては「安く」売るよりも「高く」売りたいもの。一生懸命に努力して男性の目を眩(くら)ませてやろうぢゃ~あ~りませんか。
  • 見栄っ張りの男性が「見た目の美女」を連れ歩きたがるゆえんです。
  • ただし顔かたちが「美しい」のだから、その根性も「美しい」、と勘違いするのは、カワイイ男性特有の現象で、多くの場合これが勘違いであることは、同性で対抗心いっぱいの女性には衆知のことでした。
  • 残念ながら、努力しなくても男性が近寄ってくる生来〔せいらい〕の美人には、身を守るために自然と身についた「はねつける習性・拒否の言動・選択の自由」がおおいに発達しています。こういう女性の根性が必ずしも悪いとは限りませんが、いい印象をもてない男性が多いのには、正当な理由があったのですね。
  • 一方、そうとう努力しないと男性が寄ってこない女性の努力の中にこそ真の価値がある、と信じる人もいます。そうかも知れませんが、そうでないかも知れず(笑)、これだけは保証できません。このあたりが人生のおもしろさですか。

だいたいの場合、「仲が良さそうに見える男女」とすれ違った時の反応は

  • (男性)あの美女が、なぜあんなくだらない男と・・・・
  • (女性)あの美男が、なぜあんなくだらない女と・・・・

らしい(笑)。

さて賢者はどのように美人を見ているのでしょうか。 


 

 女子大生があこがれの的であり、大学崇拝主義とも言うべきものがある一方で、勉強は不美人がするもの、不美人だから勉強の方でがんばろうとしているんだというある種の蔑視があり、この二つが一人の人間の意識の中に共存している。:P.68 呉善花「スカートの風」角川文庫

時代は変わっていて、韓国の現状をそのまま表わしているとは思いませんが、韓国人の「差別病」は、急にそう大きく変わらないでしょう。

これだけコンピュータが普及したというのに、中国科挙制度の影響が根深く社会に残っている韓国では、まだ暗記一点張りの大学崇拝がはびこっているらしい。大学さえ出ていればどこにでも就職できるという状態のまま国策として大学を増産した結果、今では大学卒業者の40%が卒業と同時に失業状態に陥る〔韓国中央日報日本語版2014/03/05〕といいます。

しかし、いい機会です。これをきっかけに、李氏朝鮮時代以来の公務員志向、つまり何もしないで楽をして裕福に暮らせる、という玄宗を捨てないと、(中国の)幻想皇帝に失礼。

つまり額に汗を流して何かに打ち込み頑張る精神が芽生え、労働を軽蔑する人が減ってくるならば、韓国は近代国家へ歩み始めることでしょう。しかし、今のままでは、あと100年ほど、この「差別病」を克服できないと思われます。

旧日本軍の従軍慰安婦問題は、自らの差別性を覆い隠すキャンペーンに過ぎませんが、脇目もふらずにごり押しでヒステリーを起こす一途さには「もののあはれ」を感じるものの、でっち上げの演出に弱い国際的な影響については、要注意かも知れません(笑)。

韓国人が日本人の見方に違和感をもつということは、韓国人の価値観が明確だからとも言えますが、同時に、韓国人の価値観が未発達で理解不能に陥っているからかも知れません。どんなことに関しても「どちらが上か」を決めないと心の安定が得られない心理的な弱さがあるようで、韓国人には価値の多様性についての理解が不足している、と言えます。

とにかく「美人病」に陥った韓国人は、テレビキャスターに至るまで、みな同じ整形外科病院で手術したのではないかと錯覚させるほどの統一美をほこり、まるで一糸乱れぬ北朝鮮のマスゲーム〔統一ラジオ体操のようなもの〕を見ているようで、やはり同じ民族だな、と感じます。 



「たしかに名古屋には美人がすくない」。20年前に来名したというある人などは、当時を振り返りながら「広小路を歩けど歩けどブスばかり。美人はみんな空襲でやられてしまったのかとガク然とした」とまで言い出すのだった。・・・・

そんな話を聞かされていると、ぼくは「やっぱりこれも三英傑の弊害なのかなあ」と、だんだん思わざるをえなくなってきた。秀吉や家康は天下を取る過程で、地元の優秀な男たちをみんな連れていってしまった。それらの地元に住む人たちが「ここに残ったのはカスばかり」と自嘲して言うのも、あながちオーバーな表現とは思われないのである。: 船橋武志 (続)100%名古屋人 リバティ書房 

 

京都は美人が多く、よく京美人などとも言う。しかし、うがった見方をすれば、それだけ外部からの侵入に悩まされ、レイプ・レイプの繰り返しの中で生み出されてきた悲しい歴史の産物だったと見ることも出来る。その点、名古屋はドロのついたジャガイモのように見栄は少々良くないものとなってしまったが、内輪だけで仲良く平和に暮らせたありがたい大地だったのである。: 船橋武志「(続)100%名古屋人」リバティ書房

おっしゃることは十分理解でき、両方とも正しいと思います。

織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も、すべて名古屋近辺の出身でしたね。そういう人たちが、京の都や大阪で天下を取ろうと故郷を離れるときに優れた男性部下を数多く連れて行ったため、残ったカスばかりの男性との間に生まれた女性だから、という自虐説を聞くと、名古屋人もおもしろくて、なかなかやるな、と思います(笑)。

たしかに血は、問題の少ない「近すぎ」よりも、問題の多い「遠すぎ」の方が健全であり、進化の上でも有利なのでしょう。

「見栄っ張り」は、日本各地でみられるものですが、やはり自分勝手な論理が見られますね。

私のその自分勝手な論理は、

  • 名古屋人には妙な見栄が強く生きており余人には入り込めないところがある〔例外も多い〕
  • 東京人には、日常生活のすべてにわたってフワフワした見栄があり、江戸っ子には元気良さの代償として妙な孤高さを感じる〔例外も多い〕
  • 大阪人には意外性があり大変おもしろいが、金銭がからんでくると別人のように損得にうるさくなるという欠点がみられる〔例外も多い〕

というもの。

上の引用文は、名古屋人の見栄っ張りに反発したものゆえに、印象に残る名言なのでした。 



(ある女子中学生)「心からにじみでる美しさ」なんて宗教みたいな言葉はもうたくさん。きれいになりたいの。お化粧にも関心があるけど美少女がお化粧すればとても太刀打ちできないこともよくわかっている。: NHK 中学生日記 1988年

30年近く前のことですから、相当考えは変わっていることでしょう。

うがった見方が好きな人なら、

「心からにじみでる美しさ」には手が届きそうにない女性たちが、何でもいいから美しくなって女性も男性も見かえしてやりたいと思っている、と見るでしょうか。

テレビなどで、

美人が「普段どのようなお化粧をしていますか」と問われたときに、「特に何もしていません」と答える人が多いのですが、テレビで事実を語ってはいけません

こう答えることによって、まちがいなく多くの女性視聴者から嫌われることでしょう(笑)。まあ嫌われるのを避けて嘘をつくよりも、嫌われても事実をのべるほうに好感がありますが・・・・

事実を述べてはいけないという例を、落合博満が王貞治から受けた忠告で思い出しました。 

私は決して練習をしなかったわけではない。むしろ他の選手の何倍もバットを振ってきたことは、これまでにも何度か書いてきたと思う。だが同時に、どんな練習をどれくらいやっているのかなどということは、ファンやメディアに対して語る必要もないものだと認識していた。加えて、自分のためにしている鍛練は『必要なこと』であって、『練習』ではないととらえていたから、練習に関する質問を受けても「してないよ」と答えていたのだ。

ところが、このことについて、王さん〔王貞治のこと〕は次のように言った。

「そういう君の気持ちは十分に理解できるし、プロ野球は君が表現している通りの世界だが、世の中はプロ野球界や落合君のことをよく知っている人ばかりじゃないんだ。そんな人たちが君の発言を聞いたらどう感じるか。僕は、君が損をするだけだと思う。それに、落合君の言葉は若い選手やプロ野球を夢見る少年たちが、野球の世界で頂点にいる者の言葉として受け止めるんだ。練習しなくても一流になれると勘違いされては、マイナスしかないだろう」

長い間、プロ野球界のみならず、日本の国民から注目され続けた人の忠告は重かった。

それからの私は、王さんのような人格者には程遠いかもしれないが、野球が自分にとってかけがえのないものであり、素晴らしいものであるということはプレーを通じて、また現在は、このような場を借りて表現していると思っている。

王さんには、その後も度々、特に私が野球人生において岐路に立たされた時は、相談に乗っていただいたり、励ましの言葉をかけていただいたりした。

:P.277-284 落合博満「プロエッショナル」ベースボール・マガジン社 1999年12月25日第1版第1刷発行

落合博満と聞くと「オレ流」、と思う人は、スポーツ新聞に相当毒されています。

スポーツについて話をしていると、この人は完全にスポーツ紙に毒されているな、と感じることがあります。一言でいえば「断定調」なのです。

「オレ流」とは、(鍛錬はしているのに公式コメントとして)「練習していない」という発言を、記者にヨイショしないいや~な落合の「自分流」と解釈した、記者たちの造語なのでした。

スポーツ記者たちが、落合の中に自分自身の姿を投影して無意識で反発したのかもしれません。

つまり、スポーツ選手ならみんな自分たち記者にヨイショしてくれるのに、落合だけがしてくれない。それは記者自身が、日常的に読者にヨイショ記事を書き続けている自分に嫌気がさしていて、落合の中に自分そっくりさんをみた、という意味です。

独断的な記者による誤った記事によって、子供たちに「練習しなくても成績は残せる」という誤解を与えると憂慮したのは、王貞治らしいところ。

人生前半の落合博満が大人だけを相手にしていたのに対して、人生後半の王貞治が子どもにまで配慮していた、ということでしょう。

真実を語るだけでは、誰かがそれを別解釈して「本来の意図とは異なるように」伝える危険がある、という好例だと思って、この話を挿入しました。

美人の話にもどりますが、

不美人は、負けることがわかっていても化粧で何とか美人に対抗したいのです。美人が同じ化粧をしたら負けるに決まっているとわかっていても、そこはテクニックで勝ちたい・・・・と。

日本に限らず女性が化粧でごまかすのは ♬ 序ノ口・序二段・三段目  〔大相撲協会

韓国ほどではないとしても、部分的な整形などは日常茶飯。違法手術は減っているでしょうが、実際には増えているかも知れず、一方で後遺症などの裁判沙汰が増えると、件数は抑制されるかもしれません。

日本が「1億総中流意識」といわれた時代も終わり、アメリカや中国ほどではないとしても、日本が階級化しつつあるように思われます。この傾向は、規制を減らし自由を追求しすぎると、必然的な結果なのかも知れません。 


 

「日本のスキヤキと韓国のヤキニクと、どちらが好きですか?」

「どちらもそれぞれ好きですよ」

こうした曖昧な発言が、韓国人にとっては、「無原則でいい加減」という印象を与える。私が日本に来て間もないころは、こうしたやりとりの中で、「日本人というのはいったい何を考えているのだろう」とわからなくなる一方で、深刻に悩んでもいた。韓国人ならば、AとBのどちらを美人だと思うかをはっきり言うし、善か悪かの考えをはっきり述べる。また、まず自国の食べ物のほうを好きだと言うはずである。

当時の私には、日本人のこうした曖昧な答え方は、それぞれ、AかBかを順列づけるだけの美的な基準を持っていない、善悪をはっきり定める価値観を持っていない、自国の文化や身内に対する貞操感がない、としか考えられないものだった。:P.40-41 呉善花「ワサビの日本人とトウガラシの韓国人」祥伝社

美人かどうかの判断と同じで、好きかどうかについてあいまいな日本人がいるために、日本人を理解できない、というのが韓国人のみならず外国人に共通した見方らしい。

そもそも韓国人が、日本人も自分たちと同じ考え方であると思うのが、勘違いと言えます。

自分のとらえ方以外は間違っている、という人生観・先入観を改めることでしか、この誤解は解けないでしょう。

韓国人が、日本人の判断が「あいまい」だと感じるのを尊重しますが、ひょっとしたらその感覚は「自分の価値観が狭すぎる」からではないか、と思うのです。

自分の文化に対してさえ、二律背反が常識だと思っているのではないでしょうか。こういったことは、人間が成長するにつれ、多くは10代の頃に、遭遇する問題であって、人間性の確立にも関係しています。

哲学が発達していない韓国人には困難なことでしょうが、自分自身をふり返る習慣が日常的になければ、国内でひんぱんに発生する大きな衝突はおろこか、世界各国との関係もうまく築けないことでしょう。

    • どちらの人が美人か、どちらの食べ物を好むか、を決められないのは、日本人が「価値観をもっていない」からなのか
    • それとも韓国人の、どちらかが上であるはずだ、という揺るぎない信念そのものが「多様な価値観を欠く証拠」なのか

これは検討に値します(笑)。

まぁ、今日はこれを好み、明日はまた別を好む、でいいのでしょうね(笑)。 



私が修理させてもらった建物の中で一番美しいと思っている建物も瀬戸内にあります。それは広島県尾道の浄土寺本堂です。とくに軒線(のきせん)に注目して見てください。薄化粧の日本美人のようなたたずまいです。大仰なところはどこにもなくて、美しさと力強さが絶妙に調和している。建築技法にも高いものがある。

一方、奈良の東大寺や兵庫県小野の浄土寺浄土堂は、尾道の浄土寺本堂とは対照的に、いかにも無骨で男性的です。: 松浦昭次「宮大工千年の知恵」祥伝社黄金文庫

宮大工の苦労話を聞けば、ただ何となく建築物をみているのとは違った新しい視点が得られるものです。言えないこともたくさんあろうかと思いますが、言えることで十分なのです。

日本が、今はだんだん死語となりつつある「薄化粧の日本美人」を理解する時代が、きっとくるでしょう。こんな歴史は繰り返すものですから。

そのきっかけは、化粧品に対する疑惑が大きくなった時であり、その巨大な販売力に水を差すことをはばかる風潮をはね返すほどの大事件があった時でしょう。

いつになるかは、予言できませんが・・・・

今の建築基準法が、長い歴史の中で、どの程度の正しさをもっているのか、と疑問を感じることがあります。

木材は、扱いさえ正しければ長持ちするし耐震機能もあるでしょうが、津波などの水害や火災にはもろい面があります。そこで鉄筋コンクリートが導入されてきましたが、塩分の多い砂を使うなどの手抜き工事で莫大な利益を得た企業が10年程度でひびが入る新幹線の欠陥橋桁を残していきました。コンクリートも扱いがいいと大正時代の建築物でさえ立派に残せるようです。要は、手抜きを許さない・見破るという姿勢が大切なのでしょう。

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「自分」いろいろ〔05〕

2014年11月26日 10時18分01秒 | 生き方

もうきりがないほど出てくる「自分」ネタで、ついに第5回となりました。

 

女性が事業を成功させるための資格として、美人でないことがある。美人だと、人からチヤホヤされやすく、つい自分の力を過信してしまうのと、美人はスポンサーがつきやすいので、男のいいなりになるおそれがあること、それと、美人と言うのは、他の女性から嫉妬されるので、女性相手の商売の場合これがひびいてくる。:P.72 邱永漢「商売入門」ごま書房

逆の言い方をすれば、美人女性でありながら、

    • 周囲のチヤホヤに耐え
    • 男性のいいなりにならず
    • 自分の力を過信せずに
    • 女性から嫉妬されない

そんな女性ならば経営者としての資格は十分といったところで、木久扇に黄パジャマ、猪木に赤ストール、アトムに核エネルギーといったところ(笑)。←ど~ゆ~意味ですか?

男性の男性経営者に対する嫉妬と比べたら、女性の女性経営者に対する嫉妬は、100倍以上かもしれず、感情豊かで感性で生きる女性ならではのことでしょう。これがいい方向に作用することもありますが、悪い方向に作用することもありそうなので、要注意かも(大笑)。

 

平均的アメリカ人は、週に一度教会へ行って、そこで自分の「心」と直面してくる。新聞の宗教欄が「心」の問題を取り上げないのは、それは教会の受持ちだから、という分業意識がはっきりしているからなのでしょう。アメリカの新聞がニュース専門のア・ラ・カルト(一品料理)なら、日本の新聞は、幕の内弁当です。:P.100 R・れい子「日米新聞記事よみくらべ」PHP

アメリカでこのように、

    • 毎週教会へ行くことが慣例化している人が多いとするなら、また就任する大統領の多くが聖書に宣誓し続けるならば、残念ながら世界の宗教対立はおさまらないでしょう。利害がからむ宗教対立では、そういう行為が対立を激しくするだけで、まず歩み寄りなどないからです。アメリカでの慣習が必ずしも他国で受け入れられるとは限らない見本でしょうか。
    • 別の見方をするとアメリカでは、洗脳であり形式的とは言え、定期的に自分と向き合う習慣があるというのは重要で、中国・韓国が、国や社会への批判を許しておらず、自分と向き合うという客観化さえ確立していないのと比べると、なかなか興味深いですね。

幕の内弁当がいいのか、一品料理がいいのか。

    • 幕の内弁当を演じる日本の新聞社では、記者が入社以後ずっと定期的に担当部署を移り変わるのが普通で、それが「社会勉強」になるらしい(笑)。よって、ある分野を20年以上も担当するという専門性は育ちにくく、一生懸命やっているつもりでしょうが記者は相変わらず広い分野を低レベルで扱い続けざるを得ません
    • ただし、長期にわたってある専門分野とかかわったアメリカの記者たちが、内容に関して深い記事を書けたとしても、ものごとを正しく公平に判断できる能力を磨いたとも言えず、幕の内弁当のそれぞれの料理が一品料理を上まわることさえ、十分に考えられるのです。
    • 一方で日本の大阪や東京にある町工場には、大手の下請け工場もあれば、高品質の部品単体を製造し続ける優良小企業もあります。これらは専門料理に似ていて、大手新聞社や大手企業が幕の内弁当風なのとは、好対照です。
    • さらに全国には何百年も続くとされる老舗も多く、血統よりも暖簾・看板を大切にしてきた結果なのでしょう。そういえばイスラム教でも、血統を重んじるシーア派もありますが、血統にこだわらず教えとか暖簾を守ってきたスンニ派(スンナ派)が数の上では圧倒的に多いらしい。
    • これらから見ても、日本には幕の内弁当と一品料理が混在していて、たまたま新聞社が「全国紙」という珍しい特徴を目指したために「幕の内弁当」風になっただけなので、この傾向を改めなければならない、とは言えません。幕の内弁当・松花堂弁当などには、栄養のバランスがみられるのです。

この点に限るならば、政府共産党があらゆるマスメディアよりも上質であるとして国全体の言論を弾圧統制する中国や、何でも上下関係でとらえる妙な優越劣等意識から抜けきれない朝鮮半島国家は、残念ながらもう議論の対象外だと思われます(笑)。

 

吉永小百合のことを、いい女っていう男の気が知れないね。タモリが、吉永小百合をいい女だって言うのは分かるよ。あれは、お仕事としてのサユリストだからね。ああいう風にして、吉永小百合を利用するのが自分の生きるための一つの手段だと計算した上でやっている。小汚いことも、自分の生きる道だと心得てやっているから、私は認めるんだ。:芹沢博文「依って件の如し」ケント出版

相当古い時代の話で、多分30年ほど前のことでしょうか。私は、歳をとっても品格を失わないように見える吉永小百合にも、またタモリにも、昔からほとんど興味がありませんでした。

タモリは仕事として吉永小百合を利用しようとしているのでしょうが、芹沢もまた、せっかくの才能を放棄してまで、芸能界を利用しようとした将棋棋士だったのです。

 

自分自身のやりたいこと、得意なことを探し当てることが人生の始まりである。そして、「やりたい」という気持ちがしっかりしていれば、多少の能力の欠如をカバーできると思うのである。:竹内均「頭をよくする私の方法」三笠書房

「頭をよくする私の方法」とは、きっと出版社側から与えられた題名なのでしょう。そう匂っていますね(笑)。

竹内の言う「得意なことを探し当てることが人生の始まり」はその通りだと思います。どんな人にも他の人よりも「好きなこと、得意なこと」があるはずです。

「やりたいという強い気持ちがあれば、才能に恵まれながらも飽きっぽい人を上まわる」という趣旨の言葉にも好感をもちます。「努力できる天才」とも称されますが、これが難しいらしい。

 

後鳥羽院の激怒をかった定家の歌

道のべの野原の柳したもえぬ あはれ嘆きの煙くらべに

この結果罷免はされなかたが、謹慎処分になった。(定家59才)。

この本歌は、菅原道真(醍醐天皇の右大臣だったのに太宰府へ流された大学者)だが、後鳥羽としては、定家が自分自身を道真に例えたか?と怒ったのかも知れない。道真配流の件については、非は天皇側にあったことは明白なのであったから、これに触れることは、宮廷にあっては禁忌となっていたのである。:堀田善衛「定家明月記私抄(続編)」新潮社

菅原道真〔845-903〕は、藤原定家〔1162-1241〕からみれば300年以上も前の人。

道真の政敵だった藤原時平871-909〕が、時の権力者だった醍醐天皇885-930〕を利用して、菅原道真を大宰に左遷〔901〕しました。

300年後でも明らかに醍醐天皇側の間違いとされていて、定家が生きた時代でも300年前の天皇家の落ち度は、いわば禁句だったようです。

    1. 後鳥羽天皇〔1180-1239〕、が定家の歌を強引に「自分を道真になぞらえて天皇を批判した」と解釈して謹慎処分とした(つまり何らかの讒言があって処分された)のか
    2. それとも定家の側に非があったのか
    3. はたまた後鳥羽の例の思いつきだったのか

私には、どれが正しいのか、さっぱりわかりません(笑)。

この手の拡大解釈・こじつけ・捏造・罪のなすりつけ、は昔からありました。

  • 特に自分の横暴さに気付いていない人による「横暴をかき消そうとする行為」に多くみられます。昨今の中国・韓国による異様な反日国是は、まさにこの好例でしょうか。
  • 豊臣秀吉〔1537-1598〕没後、徳川家康は、「豊臣家の方広寺梵鐘銘文「国」が徳川を冒涜するものだ」とでっち上げて(1614年)、豊臣家滅亡(大坂夏の陣1615年)のきっかけとした、とされています。
  • 今でも、権力者がしばしば正当化するためにしばしば使う口実なのでしょう。政治の権力社会では、もう掃き捨てるほどの例がありますね。人を小ばかにする中曽根や麻生の発言などは非難されて当然でしょうが、どうでもいいくだらない失言騒動など無数にみられます。
  • 私企業ではこの種のいいがかりは日常茶飯であり、あまりにも悪質な場合は犯罪となりますが、多くの勤め人はこの手の災難が降りかからないよう息をこらして、しかし外の居酒屋では大声で批判しながら、生き延びようとしています。サラリーマンはつらいものでおぢゃりますなぁ。

 

謙遜とは、自分自身で思っている自分の長所をすべて他人に言わせる術である。(フィリップ・ブーヴァール):ジェローム・デュアメル(吉田城訳)「世界毒舌大辞典」大修館書店

中国人・韓国人にはあり得ませんが、適度の謙遜には、自信過剰には見られない心地よさがあるもの。しかし度が過ぎた謙遜にはイヤミだけが残ってしまいます。そしてこの「度」には集団差があり、ある集団では「ごく自然で伝統的な謙遜」だと受け取られますが、別の集団では「いやらしい謙遜」になりますね(笑)。

「ひいきの引き倒し」とは、この「いやらしい謙遜」を飾って持ち上げるヨイショ人間に違いないのですが、そういう役割を演じる人も、必要なのでしょうか(笑)。


これほど「自分」には興味が尽きないのでしょうか。ひょっとしたら「自分」いろいろ〔06〕なる記事があるかも(笑)。

この種の記事をまとめておきましょうか。

  1. 「自分」いろいろ〔01〕
  2. 「自分」いろいろ〔02〕
  3. 「自分」いろいろ〔03〕
  4. 「自分」いろいろ〔04〕
  5. 「自分」いろいろ〔05〕 いま御覧の記事です

 

また記事右上のジャンルで「生き方」を選んでも、この種類の記事が見られます。

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やたらと国歌が流れて

2014年11月25日 07時58分52秒 | その他

テレビを見ていてつくづく思うのが海外各国の国歌。

  • 番組である海外の国を取り上げる時に、まるで掟のように背景で流すその国の国歌。一体どういうつもりなのでしょうね。まぁ何も考えていませんが(笑)。
  • 例えば 2014/11/23(日)TBS系の日曜日サンデーモーニングで 08:48 頃に日米野球のニュースを伝える背景で、アメリカの国歌を断片的に流していました。
  • 国歌について何かを報じる場合など、意味がある場合はこの限りではありませんが、ある報道をするときに扱った国の国歌を流すのは、エサを見てよだれを流す習性のような気がするため、もうやめませんか。

そのくせ日本では、

学校行事などで国歌を流す場合に、起立しなかったのが命令に反する、などと、いまだに騒いでいます。

みなさまは、どう思われますか。何とも思いませんか。

私は、

どこの国であれしばしば国歌を流すのを鬱陶しく思っております。NHKのMLB中継でも、球場で必ず流れるアメリカ国歌まで生放送するため、かりに中継を見る機会があったとしても、これが終わり試合が開始されるころからチャンネルを合わせるようにしています。どこの国であれ、ナショナリズムを高揚させる国歌を流し続けるのには、うんざりしています(笑)。

いや別に、国歌の演奏は悪くないではないか、という人もいます。

  • 多くの人にとって、外国の国歌にはなじみがないため、関連する内容の時に背景で流すことは自然。
  • 世界中の国と国歌を知ることは、悪くない。
  • オリンピックなどの国際大会でも国歌が流れるし、時代に沿った傾向だから、いっこうに構わないではないか。

 しかし企業がCM拠出金の見返りを求め、なおかつ寡占が進む時代。つまり一企業が業界を独占し始めていて、共通の労働組合などもまた例外ではありません。組織は巨大化するほど危険なのです。

  • 「国歌の何が悪いのか」と迷っている人もいますが、一握りの企業がマスメディアを支配しつつある現代の危険を理解しているかどうか、大いに疑問を感じます。たとえば、あるマスメディアの報道調査で、違法性が自社へのCM拠出企業に見つかった時に、これを暴(あば)けるかどうか。これはアメリカでも現実に起こっていることなのでした。
  • 中国などは、国自体が「一巨大企業」であり、ずっと前から中国共産党が国のマスメディアを支配しているため、もう議論の余地がないほどの危険度100%。こういう国では「危険だ」という発想そのものが出てこず、誤った道を突き進む可能性が大で、事実、そうなりつつあります。人の叡智を活かすことなく反対意見をもつ人をすぐに逮捕・粛正したがる弾圧国家の中国。「巨大市場」という甘いニンジンをぶら下げられてすり寄る薄汚い諸外国の企業人たちに、今一度思いを巡らせてみたいものです。
  • 議論が大きく分かれるテーマについて、巨大企業がテーマを明示することなく、さりげなく、どちらかの側に立って何かを強調するのはとても危ない。そもそも「大きく分かれる議論」について知っていないと、「そんなものか」で終わってしい意識なく染まってしまいます。こういうのを「洗脳」と言いますね(大笑)。つまり知っていないと簡単に洗脳されてしまう典型例でした。

国歌についてのもう一つの問題があります。

それは、国歌が宗教問題を彷彿とさせやすいため、国歌が宗教の争いを暗示させるのです。

私は、オリンピックが甲子園の高校野球なみになればいいな、と思っています。それは、卒業生でなければ誰も知らないような校歌を一生懸命に歌うのと国歌を流すのとでは、意味が大きく異なるからです。

オリンピックで国歌を流し、妙にナショナリズムをかき立てて競争意識を盛り上げるのが、国同士の紛争をなくすのに役立っているとは思えないのです。

結論として繰り返すならば

  • テレビ番組で、その国に関係があるからと言って、安易にその国の国歌を流さないこと。
  • オリンピックなどの国際競技でも、対立をあおるような行為を極力へらすこと。

ですね。

では古代遺跡から発掘した「国歌」を御覧下さい。 


 (呉善花)朴大統領時代には、学校でも、テレビでも、映画館でも、愛国歌、愛国歌なんです。国民精神を高揚させ、国民が一丸となって経済成長を遂げていくようにしなくてはならない、ということなんですね。映画館に行くと、まずこユースが映し出されるんですが、そこでみんな立ち上がるんです。そして、いついつ朴大統領は、朴大続領ご夫妻は、どこで何をされたとはじまって、次にいろいろな出来事のニユースが流されます。:P.68-71 黄文雄・呉善花・石平「帰化日本人だから解る日本人の美点弱点」李白社 2008年11月17日初版発行

今の韓国の大統領朴槿恵(パク・クネ)ではなく、その父親の話です。

韓国の元大統領だった朴正煕〔1917-1979暗殺〕は、たった35年前に暗殺されました。

その後、韓国が 反共・反日→反日→反共・反日 とふらついていることは御承知の通りです。厳密には「反共」と「反北」は違うのかも知れませんが・・・・

しかし、30年以上経過しても、韓国はさっぱりまともな国家にはなっていませんね。そもそも愛国を強調し国歌を垂れ流しすることがその国のその時代を象徴しています。「国歌」に注意しなければならないゆえんです。

日本国内でみると、「日本の国歌」に徹底して反発する勢力も、それゆえに強制しようとする勢力も、共にどこかがおかしいと言わざるを得ません。対立しているように見えて、きっと「同じ穴のむじな」なのでしょう(笑)。

日本人が「韓国を民主国家」と誤解していることが、韓国の北朝鮮に対する対応を不思議に思うことにつながっているのでしょうか。

誤解は、いけないこと、ですね(笑)。


日本、アジア連覇 中国に3-1 サッカーアジア杯

【北京=榊輝朗】四年に一度サッカーのアジア王者を決める第13回アジア杯は最終日の七日、北京で決勝戦を行い、日本が地元・中国を3-1で破り、二大会連続三度目の優勝を果たした。懸念された観衆の反日応援の過熱化は、試合中は厳重な警備で封印されたかに見えたが、日本優勝決定後、日の丸を焼いたり、日本サポーターを取り囲むなど混乱した。

会場の工人体育場は、中国の初優勝を期待する約六万人の地元観衆で埋まり、スタンドは真っ赤に染まった。反日応援の過熱化を懸念し、会場周辺は一万人による厳重な警備が敷かれたが、試合前の日本の国歌演奏はブーイングの対象に。試合中も日本の攻撃には激しい反発をみせた。

さらに、試合後は数千人の中国人サポーターらが競技場の外で「反日」を叫び続け、日の丸を焼くなどして警官隊と衝突し拘束されたほか、日本人サポーターが競技場内に足止めされるなど混乱、日本選手も一時、スタジアム内に閉じ込められる事態となった。:産経新聞 2004年8月8日3時13分更新

10年前のニュースとはいえ、こちら中国も、今とさっぱり変わっていませんね。こういう中国・韓国の全体主義的な行動は、宗教団体による洗脳を思い出させます。もしも、もう少しでもいいから個人の考え方が尊重される社会になるならば、こんなことにはなりません。

国家が国是として何かを始めていることに国民が気付くかどうかでしょう。

しかし日本もまた、洗脳の恐れが皆無だとも言いきれません。それゆえ、国歌には注意しましょうと述べております。

アメリカの場合、多民族国家なので、国歌などで国民の意識を常にまとめようとしていないとバラバラになる、という事情があり、少しは割り引いて見なければなりませんが、巨大企業によるマスメディア独占で、洗脳は着々と進んでいるようです。


【韓国・仁川発】金メダリストの暴言が日本競泳陣にまで飛び火した。25日、アジア大会の競泳男子200メートル背泳ぎで入江陵介(24=イトマン東進)が3連覇を達成。萩野公介(20=東洋大)は銅メダルを獲得し、大会7つ目のメダルを手にした。一方、2人の活躍に水を差したのが、中国のロンドン五輪自由形金メダリスト・孫楊(スン・ヤン=22)。香港メディアによれば「日本の国歌は耳障り」などと発言したという。ライバルの大失言に不快感を感じていいはずだが、入江と萩野はなぜか“擁護”。どういうことか? :2014年9月27日(土)9時10分配信 東スポWeb 

これは2ヶ月前の韓国での中国人選手の発言です。中国共産党による徹底的な愛国教育の反動が徹底的な反日国是につながっていますから、こんな発言で受けようと思ったのもむべなるかな、というところで、こんなものでしょうか(笑)。

 

こういう中国・韓国の「愛国」教育に影響されたのが、御存知の米長邦雄でした。

「国歌」といえば、2004年10月28日の園遊会での、平成天皇と、参加者の一人だった故米長邦雄〔1943-2012〕との会話を思い出します。米長の将棋連盟会長在位は 2005-2012 でした。

天皇が招待者の間を巡回して談笑している途中で、米長のところへやってきて、「(東京都)教育委員のお仕事、ご苦労さまです」と語りかけたとのことで、米長が「日本中の学校にですね、国旗を挙げて、国歌を斉唱させるというのが、私の仕事でございます。」と答え、更に天皇が「やはり、・・・・その、強制になるというようなことでないほうがね、望ましいと・・・・」と言うと「ああ、もう、もちろんそうで・・・・本当に、素晴らしいお言葉を頂きまして、ありがとうございました。」と答えたとのこと。 

これについて様々な意見が見られましたね。どれが正しいのか、どれも正しいのか、どれもおかしいのか? 

    • 「日本中の学校に国旗国歌を・・・・」と言った米長への疑問
    • 「強制でないほうが望ましい・・・・」と言った天皇には問題がないでしょうが、国旗国歌の強制に反対する勢力が「天皇もそう言っている」とこれを利用する恐れがあるとの疑問があれば、天皇が何も言わなかったとすれば国旗国歌の強制を推進する勢力が「天皇も反対しなかった」とこれを利用するかも知れないとの疑問
    • そういう内容を報道して米長を批判したマスメディアへの疑問
    • 報道で「天皇の政治利用」を批判することそのものが、政治利用そのものではないかという疑問 

そもそも、米長が議論の分かれることで持論を一方的に展開して天皇にヨイショしたつもりが、逆に天皇にたしなめられた、と捉えるならば、持論を否定されたのに「素晴らしい御言葉をありがとうございました」などと意味不明な発言をする米長の思考回路もそんなものだったようです。

まあどれが正しいのか私にはわかりませんが、米長も「がんばっております」程度の会話でよかったのを、余計なことを言ったことに発端があったのではないか、と思います。

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西暦年数上2桁の省略癖

2014年11月24日 05時29分35秒 | その他

Webニュースを見ていて気になることの一つに、西暦年数4桁の「上2桁省略癖」があります。

たしかに1980年~1999年あたりですと、89年と言えば西暦で1989年のことであり、だれも昭和89年とは思わなかったので、そんな変なクセがついてしまったようです。

今年2014年は平成26年ですが、少しさかのぼったニュース記事の場合、10年と言っても、それが西暦2010年のことなのか平成10年のことなのか、わかりにくいことがあります。

まさか半導体価格が高価だった50年前の西暦下2桁表示の時代じゃあるまいし、妙に略して

10年あるいは姑息に'10年と表記

して混乱を与えるのではなく、堂々と

2010年とか平成10年と表記

しませんか? 

10('10)が「2010なのか1910なのか」は意味から推察するべき、などとこじつけないでくださいね(笑)。年号などは意味からではなく、誰もが直感でわからなければならないことです。内容がないから意味から推察させる、というのでは、あまりにもサビシ~ぃ!

とくにこの悪癖は、今しか読まれる時はないと信じているマスメディアに特有なようで、まともな所ではちゃんと誤解のないように表記していますよ。

ここで言っているのは、西暦がいいか和暦がいいか、ということではなく、西暦表記の場合に上2桁を省略するという「不安定をもたらす悪癖」をやめようということです(笑)。

一番悪いのは、

Yahooで引用されている各紙の記事の年月日表記で、まず年がない。これは西暦も平成もついていません。これは明らかにおかしい。

ただし引用元のマスメディアを見るとだいたい西暦で年が入っていて、当たり前とは言え納得しますから、Yahooのみで見られる欠点と言えます。

Yahooニュースの例で言えば 

長野県で震度6弱 一夜明け、被害の全容が見えてきました。 

フジテレビ系(FNN) 11月23日(日)18時14分配信
22日夜、長野県北部で震度6弱を観測した地震で、けが人は39人にのぼりました。・・・・

などです。月日だけでしょう? 明らかに、短期の視聴しか念頭にはありません。このニュースが1年後に読まれるなどとはまったく想定していませんね。

念のため2014/11/21に衆議院解散を伝える各紙Webニュースを見ると、

  • 時事通信と産経新聞では、記事が短いため年表記はなし。
  • 1ヶ所だけ西暦上2桁を略した表記が見られたのが、読売、毎日、朝日
  • 日経では11ヶ所もあり多すぎ
という結果でした。日経の場合、最近の解散を報じたものゆえか、あまりにも10年とか12年という表記が多かった、と記憶しています。

どうかマスメディアの皆様、西暦の場合、文字を惜しまないで堂々と4桁表記をして下さいね。


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名前に「翔」がつく

2014年11月24日 05時20分16秒 | 似た言葉

昨日2014/11/23、大相撲千秋楽で横綱白鵬翔が32回目の優勝〔大鵬の32回に並ぶ〕を決めたようです。優勝回数ですが

32回 大鵬幸喜 白鵬翔
31回 千代の富士貢
25回 朝青龍
24回 北の湖
22回 貴乃花
14回 輪島
12回 双葉山 武蔵丸
11回 曙
以下略 

元横綱の北の富士は40回くらい優勝できそうと言っておりますが、これだけはわからないもので断定できません。すでに白鵬の体がボロボロかも知れず、ならば33回を記録したところで急激に気力・体力が衰えるだろうから、私は35回程度で引退、1代親方におさまると見ました。もちろん、根拠はまったくありませんが(大笑)。

大鵬と言えば

昨年2013年には、川上哲治〔1920-2013〕、大鵬幸喜〔1940-2013〕の両者が亡くなり、子どもが好きだった巨人・大鵬・玉子焼の3つが日本の王座から転落したような印象。すでに玉子焼もハンバーグに取って代わられていますから。


さて「」ですが、意外に少なかったようです。 

  • 大谷平 〔1994- 〕:プロ野球北海道
  • 堂林太 〔1991- 〕:プロ野球広島
  • 大嶺太 〔1991- 〕:プロ野球千葉(千葉大嶺の実弟)
  • 中田  〔1989- 〕:プロ野球北海道
  • Darvish翔 〔1989- 〕:格闘家(有の実弟)
  • 白鵬翔  〔1985- 〕:力士モンゴル出身
  • 伊志嶺大〔1988- 〕:プロ野球千葉
  • 櫻井  〔1982- 〕:音楽家「嵐」所属

その他の「翔」です。 

  • 天狼大士しょうてんろうたいし 1982- 力士モンゴル出身
  • 大翔灘駿〔だいしょうなだしゅん〕力士
  • 京都市立鸞小学校〔しょうらんしょうがっこう〕
  • 将棋棋士谷川浩司の揮毫〔飛 ひしょう〕
  • 岩嵜〔いわさきしょう 1989- 〕:プロ野球福岡
  • Wikipedia


 

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「自分」いろいろ〔04〕

2014年11月23日 11時03分57秒 | 生き方

またまた「自分」シリーズです。「自分を考え直す」という行為は、とりもなおさず「自分を見つめ直す」ことですから、朝鮮半島や中国には存在しないことなのでしょうね(笑)。

 

私は、これから商売を始めようとする人に、「毎日自分が使っている時間が、短く感じられる商売をさがしなさい」と忠告しています。・・・・夢中になって、ふと時計を見たら、もう真夜中になっていたといった仕事をみつけることです。:P.215 邱永漢「商売入門」ごま書房

時間を忘れるほど夢中になれることがある、ということ自体はすばらしいことですね。特別に金銭の出費を必要としないならば更に立派だと思います。

歳をとると「時のたつのが速い」と述懐するようになりますが、日常の雑用を苦もなくこなせるようになると逆に「雑用が多いと感じ、時間の経過が速い」のかも知れません。

    • 目標がなく先のことも考えられない時期には、時は遅く流れるもので、そういう若い頃にこそ「時を忘れるほど夢中になれることを仕事にしなさい」と台湾出身の邱永漢(きゅうえいかん 1924-2012)は主張するのです。一時代を作った人の言葉には重みがありますね。
    • しかし一方で、人は誰でも、時を忘れるほど打ち込めるものを見つけられなくて悩んでいる、とする見方もあります。なのに邱永漢が「それを商売にしなさい」と言うのですから「あなたに相応しい商売はないと」と拒絶されたと受け取ってしまうのです。

私の見るところ、金銭を消費することが「価値のあること」であると考える人が多いのではないか。

何かをすれば多少の出費をともなうものですが、それでも「消費金額が打ち込む価値に比例する」とする見方を変えなければならないようです。 


しかしいつも思うのは、外国に来たら自分の国よりお行儀良くしよう、という思いが、あっちにはないのかな?ということ。

欧米の旅人にはそれがある気がする。ズレてるなりに日本の習慣に合わせようとしたり、謙虚に振舞おうとする姿勢が多少なりとも感じられる。

ま、距離的にさらに遠い欧米からわざわざ日本まで来るのだから日本文化に興味があるのだろうし、近いというだけで来る中韓の人々とはおのずと差があるのかもしれないが…。:アジアの良識

中韓台の旅行客を必死で呼び込む旅行会社と、アジアからの旅人のマナーにうんざりしている業者(お土産店・飲食店・宿)には、相当の温度差があるようです。

    • いいも悪いも、何らかの宗教をもっている人は、他人にも注意を払うもので、言い過ぎかも知れませんが、これはひょっとしたら宗教対立のいい面なのかも知れません。
    • 一方では、宗教と似て非なる儒教という生活規範が普及している地域では、小さな地域で代々守るべきマナーを教えているとはいえ、域外でもこれを守るよう教えてはいないとみえ、むしろ民衆は域内で押さえつけられていた本性を域外で発散するのかも。
    • もう一つは、「台湾の客」の中には大陸つまり中国人の比率が相当大きいと思われ(実際の国籍調査は不可能か)、特に団体客の場合には傍若無人にふるまいがちなのに加え、長期にわたる中国共産党の反日国是が影響して日本へ旅した時に何をするかわからない。
    • 更に言えば、中韓観光客のマナーの悪さをそのまま受け入れる観光業者の姿勢にも問題があり、客の減少を恐れて何も言わないのはよろしくない。マナーの悪い客を受け入れない毅然とした態度〔やり方にはいろいろあるうでしょう〕がマナーのいい観光客には好印象を与えることを知って、何らかのかたちで対応したいものです。いくら韓国人がひどいとはいえ、「No Korean」は行き過ぎで、韓国人に「普通のマナーを守らせる」ための、幼稚ではあるけれども別の方法、があるはずです。

マナーの悪さにも、こういった要因が重なっていると思われます。 

 

日本の大手新聞は、官僚機構が最も嫌がるニユースを率先して報道しようとはしない。ある新聞だけに特ダネを握られたら困るから、記者クラブのみんなで話し合って特定の新聞だけが達う方向へ向かわないようにする。自分だけ情報をもらえなくなっては困るから、官僚機構とのケンカを避け、同じインナーサークルのなかで手を取り合う。記者クラブ制度がなぜ日本で問題視されないのか不思議だ。:P.150-151 マーティン・ファクラー「『本当のこと』を伝えない日本の新聞」双葉新書2012年8月7日第2刷発行

いやいや記者クラブは問題視されていると思いますよ。

同じことは年末恒例の事件事故特集でもみられます。マスメディアが警察の車に同乗して取材するという姿勢を続ける限り、警察がいやがるようなニュースを報道しないようになるからです。

開かれた日本、なんて笑ってしまいますね。もちろん中国・韓国と比べたら、それはそれは立派なものですが、この場合比べる対象に問題があり、自尊心を向上させるにしてはあまりにもひどい比較ではないでしょうか。これは自国産業保護のためには何をするかわからない解放偽装国家アメリカにも言えますね(笑)。 

 

大体、商売人になれば、お銭(あし)もとれない所で、むやみに貴方噺なんぞ演るもんじゃない。圓左っていう人は、そんなことはもう超越しちゃってるんですね。どこでも、聞いてくれたら、のべつに噺をしちゃう。

ある時、向島の料理屋からお座敷がかかった。行っておじぎをして、頭をあげてみたら、自分の悴(後に二代目圓左になった人)が脇息へもたれて、芸者を二人ばかりわきへ置いてる。「馬鹿野郎ォッ」ってどなった。「どこの国におやじを余輿に呼ぶやつがある。その銭ァ誰が出すんだ。みんな俺が払うんだ」っておこってから、「せっかく来たんだから一席聞かしてやる」って、そこで噺をしたというんですから、実に不思議な人です。腹がたって、そんなとこで噺は出来ませんよ。それを演ったってんだから、いかに噺が好きだったか……そのくらいですから、うまいのもあたりまえですけどね。

そんなふうに噺をするのが好きだから「稽古をして下さい」つて行けば、いやって言うわけはない。喜んでいくつでも教えてくれたんでしょう。圓左さんに稽古をしてもらった人はずいぶんありました。圓馬師(三代目・橋本卯三郎)も、この初代圓左さんから大分稽古をしてもらっています。:P.71-73 六代目三遊亭圓生「新版 寄席育ち」青蛙房 新版6刷 

色々な人の回想録がありますが、資料が不足しがちな古い時代に関する六代目三遊亭圓生の「寄席育ち」は、たいへん貴重です。

自分のせがれ(悴)に余興で呼ばれたという初代三遊亭圓左(1848-1909)の話で、六代目圓生の先々代あたりと縁があったとされるほど古い明治時代の人でした。

上記は正真正銘の私の蔵書からの引用ですが、部分的にはこちら〔Wikipedia三遊亭圓左〕でも引用されていましたのでリンクでご確認できるよう配慮しました。←やさしいねぇ。

本当に野球が好きな、心からサッカーが好きな、今でもそんな人が見られますが、初代三遊亭圓左も噺が何よりも好きな人だったようで、これが「ものづくり日本」の根底にあるのでしょう。

今は変りつつあると言われているものの、汗を出して何かをすることへの蔑視がなくならないなら、韓国の「汗を出さずに楽をして盗む」パクリ根性もまた、なくならないでせう(笑)。

 

 

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ああ、解散(かいさん)

2014年11月22日 08時33分10秒 | 社会

解散と言えば思い出すのが・・・・

  • ビートルズ   ・・・・1970年解散
  • キャンディーズ ・・・・1978年解散
  • コント55号   ・・・・1980年ごろ自然解散
  • おニャン子クラブ・・・・1987年解散
  • やすし・きよし ・・・・1989年解散
  • ソビエト連邦  ・・・・1991年解散
  • 近鉄バファローズ・・・・2004年解散
  • SDN48   ・・・・2012年解散
  • みんなの党   ・・・・2014年解散
  • 衆議院     ・・・・2014年解散
解散してそのままなのが普通ですが、中には「解散」したあと「再結成」、「引退」したあと「再登場」することが、よくありますね(笑)。

日本の衆議院も 昨日2014/11/21 に解散バンザイしましたが、3週間後の 2014/12/14 には再結成される予定とのこと(笑)。
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コンピュータを「勉強」する

2014年11月22日 07時49分12秒 | その他

いま思い出せば

その昔

    • 「パソコンくらい使えないと・・・・」

などという叱咤激励が「流行」し、多くの人も

    • 「へ~そうなのか、ならば、確かにそうなのだろう」

などと素朴に思い込んでいました。しかし私としては、

    • 「それほどPCが普及したのか」
    • 「それほど甘い言葉で販売できたのか」

などと思う反面、

    • それほど簡単に使えるものではない」

とも信じていました。

だいたいパソコンくらい

などと一般利用者を見下した姿勢の中に、見下した人から金儲けをしようとする薄汚さが見えてしまったアタシ。

見え(見得)なければ幸せだったのに、見え(見得)た不幸。

 見得りゃ不幸 見ねば幸せ それならと

         見ぬふりする 見栄っ張りかな (はと) 

かわりはてたイザナミの姿を見てしまったために「見たなぁ~」と追われる運命に至ったイザナギ〔古事記〕、恩返しで布を織る娘の正体を見てしまった老夫婦〔鶴の恩返し〕、などの物語を思い出します。

見たいでしょうが、見ないほうが間違いなく幸せなのですぞ、おのおのがた!

私は「パソコンくらい使えないと・・・・」と平気で主張する人を、信頼していませんでした。

さて現代ではどうか。

  • 便利なものが普及すると、必ずこれを悪用して金儲けに走る連中が出て来るもの。
  • ウイルス対策も含めて、関心のある機能を日常生活でそこそこ活かせるほど使えて、やっと「パソコンを使いこなしている」と言えるのであり、そこまで到達するのは、依然として簡単ではない。
  • ただし機能を限定し、サーバー利用費用以外に支出が発生しないという条件をつけるならば、多少の不満不自由はあろうとも、一応使いこなせていると言える。
  • もしもその他の支払が発生する場合、クレジットカードが定着しているとは言いきれない日本ではまだまだ危なく、ネット決済には十分に留意すること。便利には必ず危険が伴うもの。
  • 今でも私は、口が裂けても「パソコンくらい使えないと・・・・」などという上から目線で消費者を小馬鹿にする言葉は使えないのでした。 ←「口裂け女」とは言えない私が「口が裂けても」と表現するとは、これまた懐かしいですな(笑)。

ところで27年前のことですが・・・・(笑)。 

最近有名になったミニコン用OSのUNIXも、マルティックスから分岐してできたもので、MS-DOSやCP/Mもこの流れを汲む。初めからパーソナル・コンピュータを意識して作ったものではない。パーソナル・コンピュータ用に一から作り直すのが大変なので、大型コンピュータ用のOSをパーソナル・コンピュータにも使えるよう、便宜的に焼き直したに過ぎない。

そもそも、パソコン誕生のきっかけは、「個人が使えるコンピュータを作ろう」という新たな考えのもとで作られたのではなくて、「半導体が小さくなったから、コンピュータ本体も小さくしてみよう」としてつくられたものだ。だからサイズからみると、「パーソナル版」になっているが、依然として大型コンピュータの遺物を残したものとなっている。:P.20 坂村健「TRONで変わるコンピュータ」 日本実業出版 1987

さまざまな理由、特に当時、米国側が日本のTRONが貿易障壁であるという口実を作り出して攻撃したため、世界に打って出る予定だったこの国産OSは、その後、運命を大きく変えられてしまいました。「米国が科学技術の世界を支配しなければならない」という傲慢の典型が見られましたが、詳細については記録が残っているはずなので、それを御覧下さい。

かつては、少し勉強すれば「すべてを理解できそう」な世界だったPCですが、その後、半導体技術・ハードウェアが限りなく進歩し、これに伴ってソフトウェアも複雑になり過ぎたため、ついには一個人の理解を超えるに至ったようですね(笑)。

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言論の多様化と統制

2014年11月21日 11時30分32秒 | アジア

中国での言論については、よく知られているとおり

一言でいえば、中国共産党にとって都合が悪ければ、常時監視していた全国テレビ放送もすぐに遮断するし、インターネット検索でも中国共産党に不都合なニュースは検索できないよう言論統制・検閲しています。

ただし、中国を出て外から母国をみる機会を得た人たちは

「自分たちは政府にだまされてきた」と気付くことが多いようですが、母国へ帰れば、金儲けのためには弾圧を甘受するのでしょう。この例外が香港の騒動で、私は原則としてこれを支持しております。

比較的多くの中国人にとって、金儲けが人生での最大の目標なので、これを利用したのが中国共産党の「政治的弾圧統制、経済開放」政策でした。


日本で学ぶ留学生たちも、その後2通りに分かれます。

  1. 一つは「中国共産党のスパイ役」を演じその統制に忠実に従う見返りとして、帰国後の生活の安寧を約束された人たちのこと。
  2. もう一つは「真実を知ってしまった人、自由のありがたさがわかった人の不幸」とでもいうべきか、小学校時代から教科書で習ってきた内容が中国共産党による捏造だったことに気づき、ある人は日本に定住し、別の人はアメリカなどへ移住する道を選択するなど、もう母国へは帰れなくなった人たちのこと。


中国から日本を旅する人たちも、2通りに分かれることでしょう。

  1. 優遇された富裕層は、その好待遇の見返りとして「中国共産党による洗脳」を疑問なく受け入れなければなりません。日本は悪人による国家である、という小学校時代から教科書で教えられてきたことを、けっして疑ってはいけないのです。いくら現実と異なっていても、疑ってはいけません。どうしてもこれに懐疑的になるなら、中国共産党による粛正を覚悟しなければなりません。
  2. 一方、徐々に増えてきたせいぜい4人程度までの個人旅行客のマナーは団体客のマナーに比べてそれほど悪くなく、普通の旅をすることが多いようです。こういう観光客が増えると、中国共産党による恣意的な国是から出た「対日感情悪化に、いささかのブレーキがかかる」かも知れません。

 

しかし、いくら中国共産党が情報を統制しようとも、

  • あらゆる手段を使って真実を知るという幸運に恵まれた人が増えてきて、中国共産党が、歴史はもちろんのこと現実さえ相当捏造しているのではないか、と気づき始めた
  • 母国を出て、外から中国を見つめる人たちが増えた


そうです、「人は生まれ育った環境を外から俯瞰(ふかん)できれば成長したと言える」のでしょう。自分自身を客観的に見る視点を得た時ですね。

こんなたとえ話がわかりやすいでしょうか。

  1. 幼少のころは自分の家庭内が世界のすべてであり、親が前納いや全能の神ですから疑問の余地なく親の指示通りに動いていた。
  2. 小学校へ通うようになると、できた親友にも家庭があるとわかり、やがて親友の家庭とは異なる決まり・考え方が自分の家庭内にあることを知り、衝撃を受け、悩み、考え始める。
  3. もっと上の学校に進むにつれ、異なる地域では違った思考形態があるを知るに至り、考え方が大きく変ってきて人格形成が始まる。
  4. さらに、旅や留学などで異国を知ると、特に言論統制されている国から出た場合はそうですが、自分の常識がまったく通用しないことを知り、改めて外から母国をみる視点を得るに至る。

このようにして人は年齢を重ね成長するのですね。

このあと、その人がどうなるかは、運や環境も影響しますが、その人の考え方、形成された人格一つで決まります。

  • いやこれは何かのまちがいだ、と自分の新しい視点や発見を必死で自己否定し、今まで通りの見方が正しいのだと思う道
  • これではいけない、何とか自分を改めなければならないと思う道

などですね。

こんなときに、ここ沖縄でも、こんな主張を目にしました。


これまで、沖縄の地元紙が県民性を保持し、あるいは形成してきた役割については今更議論の余地もない - その記事だけでかかれた戦後史すらあるほどだ - が、現代の若者たちはむしろ、テレビなどの視聴覚的なメディアによって育てられてきた側面が強いようである。

これまで地縁、あるいは血縁のつながりの中で育てられてきた子供達が、そうした共同体の枠を越えたところで、第三者からの情報を自由に得ている。その意味で、彼らは、一面消化し得ない情報の氾濫にさらされているとも言えるが、反面、伝統的な共同体を外側から見る視点をもちつつあるかもしれない、という可能性を否定することはできないだろう。

いながらにして外から見る、ということは個にとっては、一種の不幸な状況でもあるが、社会にとっては変革の契機であることも事実である。テレビに映るヤマトからみた沖縄の映像を見る沖縄の人々は、それを通じて、ヤマトの視覚を知ると同時に、改めて自分たちの実像について考えざるを得ない時がある。そうした状況の中で若者たちは成長している。この事実を、今後の県民性を考える上では無視し得ないように思われる。:P.45 沖縄地域科学研究所編「沖縄の県民像」


これによると沖縄の若い人たちの中には、沖縄を出ても出なくても、日本全体から、世界各地から、生まれ育った沖縄を見つめ始める人が出てきたのです。

そう受け取った著者の感受性を、まずは誉めるべきでしょう。

小さい共同体の中での判断が一番正しい「死守すべき正義」だと考える人たちにとっては苦々しいでしょうが、視野が広がるのは、一般的に言って、悪いことではありません。

変節の人翁長雄志〔おなが:2014/11/16の選挙で沖縄県知事に当選〕が、たとえ「自分の見解が沖縄の民意だ」とやや勘違いしているとしても、時代は変っているのですね。

民意で思い出しましたが・・・・翁長にも不思議な自己矛盾が。

新知事の翁長は、「沖縄の反対意見は全体から見れば少数意見であり、日本の民意ではない」とする日本政府が許せなくて、大いに反発するのですが、その翁長が沖縄の中では日本政府と同じことをしていて、「知事選挙での自分への反対票を無視してまで自分の意見が沖縄の民意だ」と信じているらしい(大笑)。

自分が非難している日本政府と同じことをしているこの自己矛盾に気がつけば、沖縄での新しい展開があるかも知れませんが、ないかも知れません(笑)。

まぁ冷静に見る人ならば、この種の自己矛盾は、翁長に限らず、誰にでも発見できるでしょうが・・・・・・。

わかりやすく言えば、翁長新沖縄知事が沖縄の中で自分に反対する意見を無視している姿は、日本政府が沖縄の主張を無視している姿と、何ら変らない。

日本政府が、形式程度とは言え法治国家らしく沖縄の意向にも配慮しているとするならば、翁長沖縄県知事もまた、形式程度とは言え法治国家らしく反対者の意向にも配慮しなければならない、のでした。私が「政治家はこうあるべきだ」と想定している姿なのです(笑)。


仲井真前知事の変節を非難する翁長ですが、自分の変節を棚に上げ、しかもまるで自分の主張が沖縄の民意であると堂々と発言してはばからない姿勢に、多くの県民を率いていく知事としての十分な信頼性があるのかどうか疑いをもっております。

これが私だけの杞憂(きゆう)ならばいいのですが・・・・・・。

期待されて就任する政治家が、その後期待を裏切らないことは、まずありえず、90%以上が期待を裏切ります。

ですから、私の「新知事の翁長が信頼性を欠きそう」という期待も裏切られるのが通例でしょうから、「ぜひとも裏切って信頼性のある知事へと成長していただきたい」と、心から願うばかりで(笑)。

また熱烈に支援する皆様も、「ひいきの引き倒し」にならないよう、これまた大いに成長していただきたいと思うけふこのごろです(笑)。←いまのところ引き倒しになりそ~

 

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2014日米野球総決算

2014年11月21日 09時53分37秒 | スポーツ

すでに日米野球(全5試合)は終わっていますが

  • 5試合に先だっての練習試合(MLB-巨人阪神連合)
  • 初めて那覇で行なわれた昨日の親善試合

などすべてが終わり、結果をまとめましたので御覧下さい。

上にも書きましたが、

5試合に限れば日本の3勝2敗

前後の親善試合を含めると日本の4勝3敗

となっています。

ただし今年2014年に北米で優勝したサンフランシスコから参加した選手がいなかったのは不思議でした。

今回特筆すべきは、

則本〔のりもと:楽天〕が先発した第3戦で、継投でしたが日本がMLBをノーヒットに抑えて勝ち、3戦目にして3連勝し、早くも勝ち越しを決めました。〔全5試合のため〕

共に楽天に所属する田中将大(2014年からMLBニューヨーク・ヤンキースへ移籍)と則本を比較すると

楽天入団

    • 田中 2007年
    • 則本 2013年

プロ野球最初の2年間の比較

    • 田中〔1988- 〕

2007年 11勝7敗 防御率 3.82 WHIP 1.35

2008年  9勝7敗 防御率 3.49 WHIP 1.30

    • 則本〔1990- 〕

2013年 15勝8敗 防御率 3.34 WHIP 1.14

2014年 14勝10敗 防御率 3.02 WHIP 1.12 

則本は、勝星・防御率・WHIPで田中将大を上まわっているのでした。

ただし通算で言えば

    • 田中
2007-2013 99勝35敗 防御率2.30 WHIP 1.11
2014〔MLB〕13勝 5敗 防御率2.77 WHIP 1.06
は立派ですね。

最初の2年で比較すると田中は則本より劣りますが、通算8年で見ると、則本の最初の2年より優っています。

則本が入団早々から完成に近い投手であるのに対して、いいライバルだったダルビッシュに恵まれた田中将大が、入団後、徐々に向上していったことがわかります。

ついでにダルビッシュでも同じ比較をしてみました。

北海道入団
    • ダルビッシュ 2005年
プロ野球最初の2年間
    • 2005年  5勝5敗  防御率 3.53 WHIP 1.54
    • 2006年 12勝5敗  防御率 2.89 WHIP 1.28
通算
    • 日本    93勝38敗 防御率 1.99 WHIP 0.98
    • MLB  39勝25敗 防御率 3.27 WHIP 1.20
 
ダルビッシュも田中将大も、

もちろん並の選手ではありませんが、それでも2人ともプロ野球入団後に、次第に力を蓄えてきたことがわかります。ダルビッシュの日本通算など、もう悲鳴を上げたくなるほどの数値です。

則本は

プロ野球へ入団して2年しか経過していませんが、同じ2年間のダルビッシュや田中将大を超えており、既に投手として完成しているとも言えます。

ただしコーチなどから見れば、まだまだ修正しないといけないと思われることがたくさんあることでしょうし、3年目の来年2015年からどうなるかまったく予想できませんが、いまのところ立派過ぎると言わねばなりません

またこれらと比較すると、
いろいろ条件が異なるとは言え、2014年の大谷翔平が11勝本塁打10本というのが、どれほど凄いかもわかってきますね。

北海道入団
  • 大谷 2013年
プロ野球最初の2年間
  • 2013年  3勝0敗 防御率 4.23 WHIP 1.46 本塁打 3
  • 2014年 114敗 防御率 2.61 WHIP 1.17 本塁打10
球速
クルーンに並ぶ日本最速の162km/h

投手で11勝を挙げて、本塁打10本、とはこれまたダルビッシュ・田中・則本とは違った意味で、凄いことなのです。

大谷の3年目も実に楽しみです。本人には苦労が多いでしょうが、ぜひとも乗り越えてもらいたいと念願しております。

しばらくプロ野球がないため、例外を除いて、3ヶ月ほど記事も書けなく
なることでしょう。
 
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「不幸」その2

2014年11月20日 09時58分59秒 | 生き方

先の記事「不幸といえど・・・・」では、

いろいろな不幸について語る賢者の話をご紹介しました。 

今回は、その第2弾(笑)。←「弾」とは言ってもたいしたことはない?

うちの古代遺跡を発掘していると、思わぬものが出てきてしまい、発掘調査を忘れて見入ってしまいます(笑)。 大掃除の時に出てきた古い新聞に、大掃除を忘れて見入るようなものでしょうか(笑)。

 

プラトンは、無知をあらゆる悪と不幸の原因であると考えたソクラテスの思想を、政治上にも徹底させようとしたものと解されよう。:P.12 田中美知太郎の解説 世界の名著6プラトン 中央公論社

どんな文脈での引用だったか忘れましたが、少なくともプラトンは「知」があれば最悪の不幸には至らない、と考えていたようです。

現代風の解釈ではなく、2000年以上前の人の説であると理解するならば、たしかに今でもこんな人がいる、と思ってしまいますね。

必ずしも

「知」が幸せをもたらすとは言えず、「無知」が不幸をもたらすとも言えません。

一方では

「知」が不幸をもたらすことがあり、「無知」が幸せをもたらすこともあるのです。

こんなことから

ソクラテス・プラトン・アリストテレスに対して、いいと思うことも悪い思うことも、ほかの人の意見を聞く余裕をもちながらも、堂々と今の時代に生きる私たちらしく意見を述べたいものです。

かつての風潮を見ると、時代によって

    • ある流派を一方的に否定
    • ある流派を全面的に肯定

して時代を勝手に作りあげ、その時代での反対意見を封殺していたものです。歌曲や政治や経済のどの分野でもこれが言えます。

もちろん暴力流派はだめで、暴力を否定するのは当然とはいえ、これからの私たちは、堂々と、しかし謙虚に、自分の意見を述べられる時代を作りあげていきたいものです。


こんな理不尽で生殺しの状態におかれても、たとえそれが一生続こうと、耐え忍ぶことができる。ところが、それがいったん自分の民族の誇りが傷つけられ損なわれると、もはや我慢は出来ないのだ。・・・・

いくら飢餓、貧困、若死、子供たちの発育不全といった不幸が、民族の誇りよりもずっと重大であるといわれても、誰もそれを信じようとはしない。:P.9 ソルジェニーツィン「甦えれわがロシアよ」日本放送協会

私は、ソ連時代のソルジェニーツィン〔1918-2008〕が反骨心溢れる人だと思っていたものの、その後キリスト教風の凡俗な民族主義者に変節したと思っています。もちろん正しいかどうかはわかりませんが(笑)。

亡命先の国よりも、生まれ育った故郷のロシアのほうが心地よかったのでしょうが、民族を大切に考えることは重要とはいえ、あまり自信過剰に陥り、過激に走ってはいけません。今ソルジェニーツィンが生きていたらなら、世界平和に寄与するどころか、むしろ世界の混迷を一層激化させそうな気がしますが、皆様はいかがですか。


臨終のとき、敗北のあと、また災難のさなかに、アラブ人は神を称える。「神は偉大なり」(アッラーホ・アクバカ)と。

神の意思に不満を述べるようなことは避ける。信仰深い人ならば不幸に遭った人に「かわいそうに」とは言わないだろう。なぜなら、そういう表現は神の意思への服従に欠けるからである。その代わり、相手に我慢とあきらめをすすめ、「いかなるものであれ、神の与えてくれたものを受け入れよ」「神は与え、神は奪う。どのようなときにも神を称えよ」といって慰める。:P.178 サニア・ハマディ「アラブ人とは何か」明石書店

 「神に対する理解の違いが、同一宗教内に修復不可能なほど大きい亀裂を生んだ」こと、「そもそもの宗教のあり方が原因で、現代社会が深刻な宗教対立という大問題をかかえている」がために私は、どの宗教をも好きになれません。

ただし宗教を尊重しており、信仰している人さえ十分に尊重するどころか、ここ石垣島ではマリヤ牛乳さえ尊重しております(笑)。

しかし冷静に見ていると、その信仰が深い人ほど他教への姿勢が過激になる傾向がみられ、「信仰侵攻につながる」という歴史が、私にとっては不信感の元になっていて、どの宗教にも違和感があるのでした(笑)。

大航海時代のヨーロッパ諸国が、宗教を巧みに利用して植民地政策を推し進めたことはよく知られています。まずは宣教師が入って美しい言葉で信者を増やし、その国の為政者よりも崇拝先への心酔が深まって、やがて信者への弾圧が始まると見るや、信者保護と称して母国から軍隊を導入して他国の領土を占領する・・・・・・。

また

「いかなるものであれ、神の与えてくれたものを受け入れよ」

を悪くとらえるなら、

「どんなに邪悪で深刻な問題があろうと、現状に甘んじよ、不幸を甘受せよ、今の身分を維持しなさい、政府を変えようと考えてはいけない」

と教えているようにみえ、まるで儒教と同じではないか、とも思われるのです。

中国共産党が

イスラム教も含めた全ての宗教を否定しているのは、やはり共産主義の源泉にも似たような宗教観があるから、邪教を危険視するがゆえに、日本の江戸時代のように宗教を禁止しているのでしょう。

経済開放をしながら政治解放はしない、つまり政治弾圧は続ける、そんなことなど、できるはずがないのですね。中国はFTAを進めながらも必ず逃げ道を用意していて、まちがいなく統制経済に戻ることでしょう。TPPを中国封じ込めととらえ、この対抗上やむを得ない道と判断したのでしょうか。

異なる考え方を許さない共産主義は、人類の発展にとって大きな障害となるだけでなく、むしろ邪悪で強硬な反対勢力を生む源にもなります。中国共産党が崩壊しなければならないというゆえんです。崩壊しなければ中国でもっとひどい集団が登場する可能性があるからです。

決して対立をあおるつもりはありませんが、人の世は少しずつでもいいから常によりよい方向へ改善していくべきで、

    • 現状を変えてはならない
    • 劇的な特効薬を服用すべきだ

などは危険だ、と信じています。

ただし

あまりにもひどい弾圧を続けている中国と北朝鮮をのぞいて

という条件つきですが・・・・・・。

まちがった中国や韓国などの教育はもちろん論外ですが、「まとも」な教育によって、宗教に依存しない世界共通の倫理観を構築するしかないのではないか、そんな気がするのです。


もういい加減に人類は進歩などと言う迷妄を捨てた方がよい。たしかに、科学技術によって人類は多くの恩恵を与えられ、生活も飛躍的によくなった。今後も科学技術は人類に恩恵を与えるであろうが、それがはたしてすぐに人類の進歩と言いうるのであろうか。何が幸福か、何が不幸か、長い目で見るしか人類の運命は分からない。:P.27 梅原猛「ブナ帯文化」新思索社

梅原が言おうとしていることはわかりますが、少し言葉足らずですね。まぁ一部だけを引用したので、そう思われるのかも知れませんが。

200年前にも十分文明はあったと思われますが、はたしてそこで科学技術の発展を禁止できたでしょうか。

梅原が「人類の進歩という迷妄」を捨てることで、細菌やウイルスによる人類への攻撃をだまって見ていろ、と言っているのではないと思うからこそ、今から200年後に200年前の今、科学技術を禁止したほうがよかったと考える人もいないだろう、と思うのです。

長寿が手放しで立派なことだとも言いきれませんが、細菌やウイルスに負けてしまって人類が亡んでしまったのでは、だめでしょう。

「今後も科学技術は人類に恩恵を与えるだろう」と考えるのなら、なぜ「科学技術が発展しても人類が進歩したとは言えなくなる」原因を解明し、それを軽減する努力をしないまま、「人類の進歩という迷妄」を捨てたほうがいい、と結論づけるのでしょう

また賢明な人が科学の研究をやめてしまうと、

あきらかに悪意をもった人が科学技術の研究を通じて世界中を破壊へ導くかもしれません。

邪悪な人の邪悪な研究を阻止するためにも、「まとも」な科学技術者がいると信じて研究を続けさせなければならないのでしょう。「邪悪な研究成果」を上まわる研究によってのみ邪悪をなくせると思うのです。弾圧が邪悪をなくせるわけではないのですね。

残念ながら、梅原という哲学者には、いささか「哲学」が不足しているようです。

 

現代の演奏会が多分にショー化されたからとはいえ、鑑賞者にとって決定的に重要なこの瞬間(演奏の終わった時のこと)が、演奏の終了をまたない拍手や歓声などでさえぎられることが多いのは、まことに不幸な習慣と言わざるを得ない。:P.3 芥川也寸志「音楽の基礎」岩波新書

私にも経験があります。

終わってすぐの拍手も気になりますが、終わりかけギリギリで大声を上げたり拍手するのが「妙な通人(つうじん)・粋人(すいじん)」と信じている人が多く、迷惑この上ないのでほとんどいかなくなりました。今ではどうなんでしょうね。やはりそんな人がいますか?

中には暗闇で一生懸命に楽譜を眺めながら聞いている人もいました。悪気はないのでしょうが、演奏間違いを見つけたいのでしょうか(笑)。

その点、自宅で、昔はLP、今ではCD・DVD・BDなどを聞くほうが、邪魔な大声などがなくて安心できますね。

その一方では不思議なことに、昔からですが、カラオケの最後には、ついでに拍手も入れて欲しかったものです。隣近所に座っている人が拍手をしなくてもいいように(大笑)。


パスカルが「パンセ」の中で、

 「人間のあらゆる不幸は、ひとつの部屋にじっと休息していることができないというただひとつのことから生ずる」

 と言っている。 :P.57-60 青井志津「石垣島、死者の正月」株式会社四谷ラウンド 2000年6月14日第1刷発行

人類は、高等動物へと進化したおかげで、この地球上を支配しかけていて、多くの幸せを手にしたのでしょうが、「じっとしていられない」という不幸も得てしまった、ということですね。

 

 

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不幸といえども・・・・

2014年11月19日 12時58分52秒 | 生き方

「不幸」を知ることが「幸福」につながるかも知れません・・・・が、つながらないかも知れません(笑)。

そういえば「こう」と「こうく」の文字をよく見ると、似ていますね。不幸に見えて実は幸福、また幸福そうに見えて実は不幸なのかも(大笑)。


歎きの不幸とは

嘆きといっても、それはまだ望みのあるうちのことで、・・・・。済んでしまったことをくよくよ嘆いていると、かえって新しい不幸を招くようなことにもなる。: ロメオとジュリエット 世界文学全集 河出書房

「嘆きすぎは不幸につながる」という、男性であるシェイクスピアが、物語の中でジュリエットという女性に語らせたセリフなのでしょうか。

別に違和感はないでしょうが、次の話を聞くと、俄然、違和感が出てきます。

 

韓国人は自分がいかに不幸かを話したがる 

韓国では「恨」をハンと読むが、これは「うらみ」の感情とは少々異なっている。最近では、日本人の情緒的な特性を「もののあわれ」に代表させ、それと「恨」を比較する試みなどもあるようだが、恨は韓国人特有の情緒を見るためには、ピッタリのものと言えるように思う。・・・・ 

恨をひとことで言うのは難しいけれども、結論から言えば、韓国人にとっては生きていることそのものが恨なのである。自分のいまある生活を不幸と感じているとき、自分の運命が恨になることもある。自分の願いが達成できないとき、自分の無能力が恨になることもある。・・・・

韓国人は、自分のおかれた環境がいかに不幸なものかということを、・・・・相手に嘆くことがとても好きである。・・・・「私はこんなふうに生きてきた。ああ、私の運命はなんて不幸なものなんだろう」という具合に。これは、日本人がよくやるような、相手に対して自分を卑下する言い方でもなく、また単に自分に悲観しているのでもない。 

私の日本語教室に通う韓国の女たちは、何人か集まると、好んで身の上話に花を咲かせる。そんなとき、あたかも「みじめ競争」のようなことが起こるのである。 

ある者が、「私はこんなに不幸な家庭に育った」と話す。すると、それを聞いている他の者が、「私なんかもっと不幸だった」と語りはじめる。また、もう一人が「そんなの不幸のうちに入らない」と話す……。そんな具合に、話はどんどんより不幸な話へと発展する。みんながみんな、自分こそ、誰よりも不幸でみじめな人生を背負っているのだということを、盛んに主張し合うのである。:P.85-86呉善花「続・スカートの風」角川文庫 

現在は日本国籍を取得している韓国済州島生まれの呉善花(オソンファ)は、韓国の女性が「不幸を語りたがる」と主張しています。イギリスの女性もやはり不幸を語りたがるのでしょうか。もしそうだとすれば、やや普遍性があるともいえますか(笑)。

不幸の語り方一つをとっても、これだけ違うのですね。

そういえば紫式部(平安時代)もこんなことを言っておりました。←講釈師みてきたような嘘をいい(笑)


澄める池の 底まで照らす かがり火に

まばゆきまでも うきわが身かな 『紫式部集』

こちらによれば、「澄みきった池の底まで照らす篝火〔かがりび〕が、恥ずかしいほどに映しだす不幸せなわが身」を詠んだとのことです。

名前は世界中に知られているものの、当時としては紫式部といえども出自を明確にできなかったのでしょうか。

それにしても紫式部は、自分の人生を「まれなほど冷徹」に嘆いていますね。源氏物語の作者としての冷徹さを、歌で暗示している、と私はみました。

 

「外国に出て行くとは何事だ!」という批判は当たらない 

このように「場所を変える」選択をした人に対し、「こんなに幸せな国〔日本のこと〕に生まれたのに、外国に出て行くとは何事だ! この国で通用しないヤツが、外国なんかで通用するはずがないと批判を浴びせる人もいます。

しかし、私はそう思いません。日本でうまくいかなくても、別の環境で見違えるように実力を発揮する人はたくさんいます。「幸せな国」を出ることで幸せになる人もいるのです。 

日本の企業に滅私奉公して、家族のように寄り添うことで幸せに生活できる人も、そのルールを理不尽に感じてついていけず不幸せになる人もいます。 

海外に飛び出し、自分が好きなことに邁進して自由を謳歌し、貧しくも幸せに生活できる人もいるし、夢破れて不幸せになる人もいます。もちろん、海外で多くの富を得る人もいるでしょう。 

どの選択肢を選んでも、幸せになれる希望もあれば、不幸になるリスクもあります。しかし、何かをする時にどうしようもなく立ちふさがる壁が低く、自分を成長させるチャンスはたくさん与えられる――。この両方を社会からバランスよく提供してもらっているのが、私たち日本人だということを忘れるべきではありません。 

現在の円高の影響もあり、バイトでも一生懸命働けば、どの国へ行く航空券でも購入できます。他の多くの貧しい国に生まれた人よりもスタートラインが上位にあり、それゆえに人生における選択肢が多いということに気づくと、日常感じている不満や閉塞感、絶望感がすこし緩和するかもしれません。(森山たつを) Jcast

「この国で通用しないヤツが、外国なんかで通用するはずがない」

まだまだこの日本には、こんな間違ったことを平気で言う人が、うじゃうじゃ棲息していますね(笑)。決められたコースを歩まされた人が「愛情を込めて言っている」つもりですが、的を射た発言どころか、人をおおいに惑わす言葉でしょう。あまりにも人を見誤っている、と言うべきか、あまりにも外国を見下している・・・・・・・。

    • 「不幸な家庭環境」で育った人が、長じて立派な家族をもつこともあるでしょう。
    • 「イジメや暴力がひんぱんに起こった学校環境」を終えた人が、長じて立派な上司になることもあるでしょう。
    • 「みじめな見栄や縄張り競争」に終始しながら禄をはむことに我慢できなかった人が〔我慢できる人もますが〕、その後、転職して立派になることもあるでしょう。
    • 公務員を1年でもやるともう使い物にならない、と昔は言われたものですが、今はどうなんでしょうか。

ですから、「ある環境で通用しない人が他で通用するはずがない」というのは、明らかに間違っています

この意見は、ものの見方にもよるのですが、その環境でも「通用しない」人が大多数であり、その人が他へ移っても通用しなかった、のを過大に表現したものと思われます。

本人が「愛情をこめて」言ったとするならば、その愛情はかなりいびつな愛情といえ、この説に賛同する人は少ないでしょう。

人が、他人から見て幸せそうに見えても、

実際は針のむしろに座る心地かも知れず、見かけだけで安易に他人の幸せ・不幸せを決めつけないことですね。

そうです、幸せかどうかは自分の心が決めるものでした。

人は、不幸であればあるほど

幸せを装ったり、幸せを演じなければならない、と信じ込む。

大多数の国民が不幸な地域ほど、為政者が「国民の幸せ」を演じさせたがる、と知っておきましょう。

北朝鮮の為政者はそれほど悪質で、北朝鮮国民が可愛そうなのです。

こういうカンによる決めつけは、

どちらかというとカンが発達した女性に多く、決めつけが当たっている場合もありますが、しかし又はずれることも多い(笑)。そして、はずれたときのほうが深刻な影響を与えるもの。

不幸を嘆きすぎるのがよくないとする地域もあれば、互いに不幸を述べ合って共感し合ったり、自分の不幸を短歌で嘆く地域もあり、生まれ育った地域を脱出する選択肢もあると指摘する人がいたり、いろいろですね。

この多様性を知ることが、人として重要な一歩になると思います。決して世間で流通している決まり切ったものの見方だけではない、ということでした。

 

500年も前の足利義政の不幸とは

私は「日本のこころ」の研究を始めるまで、東山文化の中心的な役割に気づいたことがなかった。私が日本の歴史で読んだ足利義政に関する様々な話を総合すると、彼は気まぐれな専制君主のように思えた。京都の町が応仁の乱で燃えているさなかに、義政は自分の宝物である美術品を玩弄(がんろう)して楽しんでいた。私が考えたのは、たぶん義政はネロのような人物ではなかったかということで、ローマの町が野蛮人に略奪されているさなかに、ネロは(伝説によれば)ヴァイオリンを弾いていたのだった。

私は間達っていた。義政は、特に晩年の義政は繊細で美的天分に溢れた人物だった。ただし銀閣寺に居を定めるまでは、同時代の日本人の暮らし向きにも、将来の世代の文化にも一切貢献したことがなかった。

義政は、将軍として失格だった。日野富子との結婚生活は不幸せだったし、息子の義尚とは敵対関係にあった。しかし生涯の最後の十年間は、東山時代の精神を体現する守護神のような存在だった。この時代が日本人に残した文化遺産には、測り知れないものがあることが明らかとなっている。たぶん日本史上、義政以上に「日本のこころ」の形成に影響を及ぼした人物はいなかったのではないだろうか。・・・・

 「日本のこころ」について一番注目すべきことは、日本人がこの言葉を使って次のよぅな信念を伝えてきたことかもしれなくて、それは日本人の審美的かつ精神的な嗜好のある部分が日本人独特のものだということだった。あるいは、それは正しいかもしれない。しかし自分たちだけが特別だという確信を、このように強く抱いている国民が他にいるとは思えない。:P.303-309 ドナルド・キーン「ドナルド・キーン自伝」角地幸男訳 中公文庫2011年2月25日初版発行 

気まぐれで専制君主の道を歩み、人間関係でも不幸だったとされるのが足利義政に対する定着した見方でした。

しかし義政が晩年、東山の銀閣に住むようになってから、今はなくなりつつありますが現代にまで影響を及ぼした、障子や畳などの日本間を生み出した、とも言われております。

不幸な人生だっただけに、晩年にこそ足利義政の幸せがあったのでしょう。そう見抜いた日本人ドナルド・キーン〔雅号:鬼怒鳴門 きぬ・どなると 「鬼怒川きぬがわ」の「きぬ・どなると」?〕もまた、ただものではありません。

定着したものの見方にとらわれていてはいけない、という見本ではないでしょうか。


最後に笑ってしまいそうな「不幸」に関する毒舌を・・・・(笑)。

デザイナーの不幸

我々高級婦人服のデザイナーにとっては不幸なことに、多くの女性は現金払いで服を脱ぐというのに、服を買うときはクレジットで買うのである。(ルイ・フェロー):P.86 ジェローム・デュアメル(吉田城訳)「世界毒舌大辞典」大修館書店

 「不幸」にも、いろいろあるのですね(笑)。

 

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