「民度」というのは、
みん‐ど【民度】人民の生活や文化の程度。「―が高い」
という意味らしい。〔広辞苑第六版〕
「生活の程度」とか「文化の程度」というのですが、何の「程度」なのか、その尺度が示されていません。それほどに「生活」や「文化」という言葉に広がりがあり、「民度」の意味として 「生活の程度」とか「文化の程度」で充分だと信じているのでしょうか。
因みに「程度(ていど)」は
①物事の高低・強弱・優劣などがどのくらいかという度合。
②適当と考えられる度合。ころあい。ほど。
となっています。〔同上〕
つまり「生活の、高低・強弱・優劣・ころあい」とか「文化の、高低・強弱・優劣・ころあい」くらいの意味でしょうか。
辞書による意味の理解は、こんなものであり、わかったようでわからないところが残りますが、まれに「広義の意味」がわかることもあり、捨てきれません(笑)。
さて今回の話題は、「中国人の民度」。
日本では近年
ヘイトスピーチなるものが話題になっており、確かに一民族や一国家だけを排斥する言動は、たとえその声明だけでも厳しく糾弾されなければなりません。
しかし過日(2012年以前)中国で多発した民衆による破壊活動
つまり無差別な日系企業・店舗への放火・破壊行動は、ヘイトスピーチ〔hate speech〕よりももっと悪質なヘイトクライム〔hate crime〕だったと言えます。
あきらかな暴力犯罪でしたが、中国共産党政府は、反政府に対しては放置すると自らが崩壊するため激しい暴力で鎮圧しなければなりませんが、反日暴動の場合には、政府後援のためか傍観するだけで、むしろ後ろであおっていたのではないか、と疑われました。
中国政府としては自分たちがおこなう弾圧破壊活動に比べたら「ひどい暴動ではない」として放置したのでしょうが、その対応に大きな疑問を感じます。
ヘイトスピーチ満載の強制的な初等教育を受けてきた中国人たちが、共産党直系の通信社・新聞社による排他的な愛国・愛党主張にあおられて破壊活動に走る姿を見ていると、中国人とは政府も民衆もこんな程度なのかと思うと共に、国民をあやつる教育の大切さを強く感じた次第です。
日本にも多くの問題がありますが、中国や韓国の歴史教科書には、その100倍くらいの深刻な問題があります。自画自賛だけのまことにご愁傷様な国民性で、「歴史認識」を語る資格さえないのが韓国・中国の政府なのですね。
広辞苑を引用しましたので、Cambridge DictionaryとOxford DictionaryとWikipediaからも引用しておきましょう。
Cambridge Ddictionary
hate crime
noun [C or U]
a crime or crimes, usually involving violence, committed against someone because of their race or religion, because they are gay, etc.
hate とは「憎しみ」、crime とは「犯罪」のこと
Oxford Ddictionary
hate crime
NOUN
crime motivated by racial, sexual, or other prejudice, typically one involving violence:
prejudice とは「偏見や先入観」のこと
日本語Wikipedia
ヘイトクライム
ヘイトクライム(英: hate crime)、憎悪犯罪とは、人種、民族、宗教、性的指向などに係る特定の属性を有する個人や集団に対する偏見や憎悪が元で引き起こされる暴行等の犯罪行為を指す。・・・・前田朗によれば「人種・民族・国民的な差異をことさらにターゲットにして行われる差別行為とそうした差別の煽動」であり、ヘイトスピーチと概念は重複する。
あきらかな中国での犯罪(ヘイトクライム)だったのに、中国での取り締まりもほとんど見られず(尤も取材制限の多い国ですが)、国際社会から中国へ非難が集中しなかったのはなぜか、については
- どこの国にも似たような犯罪があり、大声で非難できない
- 中国という国そのものが、人権無視・暴力多発・威嚇外交など近代国家の体をなしておらず、レベルが低すぎるため、たとえ悪質なヘイトクライムがあっても非難するに値しないと思われている
- 一方日本では、これに呼応するかたちで発生したヘイトスピーチでさえ懸念を示す声明が出ている
などが考えられます。
日本の報道では
- 中国の暴動・破壊活動であるヘイトクライムについては無数に報道されましたが、違法性を大きく伝えることがあまりなかった。
- 日本の右翼によるヘイトスピーチには深刻に憂えるコメントがなされた
このためか
まるで中国での暴動(ヘイトクライム)よりも日本でのヘイトスピーチのほうがひどかった、と勘違いしている人がいるらしい。
これは、日本での反中・反韓ヘイトスピーチには触れるけれども、中国や韓国での反日暴動・反日言動には触れようとはしない多くの日本人のいびつな本質、をついています。
私は、多額の損失を出した中国内での暴動に関して中国共産党政府が謝罪したという日本の報道をみたことがほとんどなく、中国政府の悪質さを如実に示していて開いた口がふさがらないというところです。
つまり中国共産党が国是として長年にわたって継続して反日ヘイトスピーチを続けてきたのであり、これを「反省」することがあり得ないのは中国人の伝統的な特徴。よって中国政府の強制的な教育で反日思考を強制されてきた「愚か」な民衆による破壊活動などに至っては「反省」する価値さえない、のでしょう。
いやなことですが、日本にいる日本人には
言論の自由がある日本の問題点については言わねばならないと判断し、言論の自由がない中国や韓国の問題点についてはピタリと口を閉ざす
という人が多く、その妙な自主規制が不健康な感じです。同国人の日本人には何を反論されてもいいけれども、外国から反論されると、まるで
「自分の言動を反省はしない」けれども「混乱を招いたことそのものに関してお詫びします」で退陣する企業幹部の如く
謝罪・退陣しなければならないと感じているからでしょうか。
では最後に「民度」についての識者の意見を見てみましょうか。
■民度はどこまで低下したのか
民度の低い群れを指して、フランスの社会心理学者ル・ボン(1841-1931)は「群氓(ぐんみょう)」と称した。
平明な言葉でいえば、些細な実利のため悪知恵を働かせたり、犯罪まではいかずとも、目先の小さな利益に目がくらんで阿漕(あこぎ)なことをする人々のことである。
彼らは、ルール無視、信用不在、道徳低劣な行為を日常茶飯に行なうので、結果としてその社会に、きわめて重大なマイナスの影響を与えることがある。
しかも、その首謀者がいるわけでもなく、集団的に大勢でがやがやしているばかりなので、その1人ひとりは大した悪人とは言い難い。まさに「平凡な邪悪者」である。
このような「平凡な邪悪者」の群れである「群氓」は、中国にはいくらでも存在する。
一例を挙げよう。
「人民网」によれば2012年12月27日午後1時頃、甘粛省の柳忠高速道路の入口で貨物トラックが横転する事故が発生した。死傷者はいなかったけれど、トラックに満載した蜜柑30トンが道路からこぼれ落ちて道路脇の農地に散乱してしまった。
うわさを聞いた附近の村民たちは、たちまち農用3輪車を運転し、あるいは大きな農用袋や籠(かご)などを持ってどっとやってきて、現場に散乱した蜜柑を拾い集めて逃げた。4、50人の村民はまるで自分たちが経営する果樹園で果物を拾いあげるように夢中になって拾い集めた。
トラックの運転手である李さんがいくら止めても、村民たちは傍若無人。結局当日の損害額は10万余元(約170万円)にも達したと李氏は訴えていた。
中国の最底辺で暮らす農民を、善良で素朴だと知識人は同情しているが、中国の農民はむちもうまい無知蒙昧であるばかりではなく、彼らは一種の「群氓」で「平凡な邪悪者」でもある。
そして、彼らは、一種の限られた時空内で、自分たちの目先の利益、些細な実利を得るための悪知恵、小知恵はきわめて発達しているのである。
民度の低下、卑劣たる放縦は農民の特徴でもあろう。私は無知な彼らには同情できても、民度の低下には決して同情できない。おそらく、世界最貧国と比べても、中国の農民の民度は最下位の水準であることは間違いないと思う。:P.210-211 金文学「進化できない中国人」祥伝社 平成26年3月20日初版第1刷発行
日本語には、流民(るみん・りゅうみん)の意味での流氓(りゅうぼう)という言葉がありますが、群氓(ぐんみょう)というのは日本語にはないようで、たぶん中国語だろうと思われます。なんとなく意味は分りますが読み方が分らないだけ?
それもそのはず、著者の金文学は中国瀋陽市に朝鮮族として生まれ、今では日本在住、日本国籍をとって3カ国語を操っているとのこと。
多くの中国人は、とにかく欲に目がくらんで、全知能を「得をする」ことに向けるらしい。これが犯罪にならない程度ならいいのですが、しばしば、いや多くは、犯罪のレベルに至ります。しかし幸運なことに(笑)中国では犯罪とはみなされていないようです。
中国人が日本へ来て感じる日本人の「民度の高さ」は、この犯罪多発国家に生まれた中国人が外国である「日本」にやってきて発した印象に過ぎません。別に日本が特別に立派ではありませんから。
いや中国では、中国共産党の弾圧に対して従順に従う限り少々の詐欺・捏造犯罪にも目をつぶる「目こぼし」があり、法治国家ではなく袖の下でなんとでもなる人治社会ですから、もう道徳心や公共心のかけらもない社会になってしまったようです。したがって日本の民度が非常に高いと錯覚するのも、やむえを得ないか(笑)。
曰く、何かを紛失しても、拾った誰かが警察へ届けてくれて本人の元へ無傷で戻るもこともあるらしい。ばれないと思ったら何をするか分らない日本人もいるため、すべての日本人がそうであるとは言えませんが、それでも中国に比べたら格段に民度は高いと言えるでしょう。一刻も早く中国もそうなって欲しいと、一応は、願っておきます(笑)。
最後の著者の言葉、「無知な彼らには同情できても、民度の低下には決して同情できない」には、良質の節度がみられます。これも中国に生まれて中国で一生を終える人には見られない資質、つまり「ふるさとは、遠くにありて、思うもの」の中国版逆説かと思われます。