事実であろうとなかろうと、たとえ真実性が1%だったとしても、許される範囲内なら誰にも醜聞があります。ここでは最近の「韓国の醜聞」を集め、必要なかたのために出典も提示し、あればリンク先も明示しています。ただし「リンクしているから私がその主張のすべてに賛成している」わけではありません。
普通ならば
「買うか買わないか」を決めるために試食するのでしょうが、ひたすら試食するだけで買わない客が多すぎるのに対抗しています。
それは、客に対して「暴言を放つ」ことでした。きっとこれで気分をはらしているつもりでしょうが、こういう店は危ないですね。
客も心得えたもので
試食するだけで、買おうとせず、きっと返ってくるであろう暴言の前に、捨てセリフを放ってその場を離れますが、その直後を狙って、例の暴言が炸裂します。
暴言の一例:
どうせ買う気はないのだろう
とっとと失せろ、この野郎
捨てゼリフ:
こんなまずいものを売りやがって誰が買うもんか
だまされて買う人の気が知れない
これの原因ですが
- 試食させる商品の味に問題があるのか
- 接客のしかたに問題があるのか
- 客の姿勢にこそ問題があるのか
これは、韓国などの国のことを言っております。
雇用形態の違いがあるのかも知れません。
チップ制の問題があるのかも知れません。
とにかく「それが常識」と思っている人が日本へやってきたときに驚くらしいですね。
日本の場合
売る側に、買っても買わなくてもいいという姿勢が見られる。
買う側も、捨てゼリフの必要がなくなる。
買う側に「まるで自分にその気があるのでは」と錯覚させるほど売る側の「丁寧で笑顔を絶やさない姿勢」が見られます。
試食品の扱い比べ。
名古屋では「ほんとにタダきゃあ」「ほんとに飲んでもええきゃあ」などと確認してから飲む。飲んでからも律儀に何かを買っていかれる人が多いんですよ。
東京では、堂々と飲む人が多いし、嫌な人ははっきり「いらない」と断わってくる。飲んだ人に感想を求めれば、しっかりした意見を言ってくれる。大げさに言えば、ただで飲ませてもらっているという次元の低いものではなく、消費者の一人として企業に情報を提供してやるのだという意識みたいなものが感じられる。
大阪では、礼儀正しい東京ともまた恥ずかしがりやの名古屋とも違ってくる。「みんなわっと殺到してきて、片っ端から飲んでいく。ただのものは何でもほしいとばかり、ティッシュペーパーまでかき集めてもっていく。ガメツサとパワーには圧倒されてしまいますよ。
先日のTV実験。ミカン20個100円お超安値販売を、東京では手にとって確かめてはみるのだが、あまりの安さに疑問を抱いてだれも買っていこうとはしない。これが大阪ではたちまちのうちに人だかりができ、みんな奪い合うようにして袋に詰め込んでいた。:P.47 船橋武志「(続)100%名古屋人」リバティ書房
実におもしろい記事で、笑ってしまいます。
どれがいいのか何とも言えませんが、同じ日本でも、これだけの地域差があるのでした。
商品開発の際、(モスバーガーの)櫻田前社長は試作品の新開発メニューを必ず満腹の状態で試食するというポリシーがあった。「満腹の状態で食べても美味しいと感じられる商品こそが本当に美味しい食べ物である」というこだわりからであったという。:Wikipedia
スーパーで買い物をする時にも、お腹が空いているときではなく、お腹に何か詰め込んだ状態のほうが、いい買い物ができるという人の話を聞いたことがあります。
同じ「試食」ですが、地域差や考え方の違いがあるようですね。
さてさて、皆様はどう思われますか。