2014年にロシアが突然ウクライナを侵略し始めたのは
- 50年も前に、中国共産党がチベットを突然侵略し始めた歴史を思い出させます。
- ロシアも中国も、共に領土拡張の野望を捨てきれない共産主義国なんですね。
今回は、
60年も前の中国がいきなりチベットを侵略し始めた頃をみていきましょうか。なぜか中国に憧れている人、漠然と中国を「普通の国家」と思っている人には衝撃的な内容なのですが、果してうまく伝わるかどうか・・・・。
ただし以下引用文で「・・・・」としたところは、長くなるので略した部分です。興味のある人は是非とも原典にあたってみてください。
このほかにも「ダライ・ラマ「ダライ・ラマ自伝」山際素男訳 文春文庫があります。また次が関連するサイトです。 その1 その2 その3 その4
1950年、中共がチベットを侵略した時、彼らは大量の近代兵器、多様な通信手段、底無しの人的資源を持ち込んだ。1959年までに彼らの優位は百倍にも達し、チベット人の奴隷労働者をこき使った道路建設、空港、兵舎建築が進められた。おかげで中共軍の戦略的展開が奥地にまで可能になり、中共のチベット支配が一層強化されていった。・・・・
しかし、ラサの反乱が押し潰されたからといって、チベット抵抗勢力軍はそれが当たり前の結論とは考えていなかった。一時的な敗北と見ていたのである。角度を変えてみれば、敗北でもなかった。そのおかげでチベット国民は同一の敵に対して団結して戦うことに目覚めたのである。それだけでなく、あの暴動と混乱によってダライ・ラマの国外脱出が実現したのだ。これはその時点における最大の勝利といえる。・・・・
チベットへの海外からの関心は最高潮に達した。国際メディアは、チベット国内での目撃者の陳述を掲載し、東西冷戦諸国を問わずダライ・ラマを〝時の人″扱いにした。1959年4月20日には雑誌「タイム」の表紙をダライ・ラマの顔が飾った。
あわてたのは中共側である。何もかも後の祭りで〝帝国主義者″〝反動主義者〟と陳腐な文句で罵る以外何もすることができず、揚句に新しい〝犯罪者″リストにネール首相を登場させて彼をこき下ろした。・・・・
インド首相は面目を失い、市民の非難を浴びた。国民がどれほどチベット人に同情的だったかまったく気づいていなかったのだ。ネールはなぜ国民を欺いていたのだ? なぜ十年もの間チベットの惨状を伝えようとはしなかったのか? インドの主要都市でデモが行われ、新聞の中には、中共がチベットにした行為を強姦になぞらえるものもあった。国際メディアはネールがダライ・ラマを幽閉状態に置いているとまで仄(ほの)めかした。
ダライ・ラマは、公開会見の場で誘拐の事実を否定し、中共の残忍なチベット占領を非難した。さらに、17箇条協定は脅迫によって署名させられたもので、中共はその後何度も協定違反を犯している、と強く非難してその無効を訴えた。
中共は直ちに好戦的な態度で反論し、特にネールを全面的に批判することで彼をあわてさせた。
北京の1959年5月18日付「北京レビュー」は宣伝相の談話を発表した。
「帝国主義的干渉者とインド拡張主義者はチベット反動共の謀叛を利用し、人民中国への全面的中傷宣伝を開始している。お得意の罵詈(ばり)、歪曲、見えすいた大嘘は、冷厳な事実の前にたちまち色褪せてしまうだろう。ネール氏はチベットの強力な旧政府勢力を温和しい子羊のように語っているが、自尊心の高いわが中国人民政府は、このような内政問題への介入を断固拒否する」
しかしネールはアジアに友愛の精神による新世紀をもたらそうとする夢から覚めず、インドでのダライ・ラマの亡命政権樹立を彼に許そうとはしなかった。
:マイケル・ダナム著 山際素男・訳「中国はいかにチベットを侵略したか」講談社インターナショナル
インド・中国の両国が独立を果した第二次大戦直後の頃の話です。
その後インドのネール首相はダライ・ラマのインドへの亡命を認めていますが、当時つまり、インドが独立して間がなく国内問題で手一杯だったそのどさくさに紛れて中国共産党がチベットを「だまして」侵略した頃は、「中国を刺激するといけない」と考えたか、亡命を認めていませんでした。
この歴史を知っていると、東アジアでいまなお中国がいだいている領土拡張のうすぎたない野望が見えてきます。
60年前に中国共産党人民解放軍がラサに武力侵攻し
宮殿の数々を破壊しつくしましたが、その直前にダライ・ラマはラサを脱出し、山越えをしてインドへ亡命します。その時に多くの人たちが同行し、またそれ以上の無数の人がラサに立てこもって抵抗し、亡命に必要な時間稼ぎをしたことを、私たちは知っておかねばなりません。
その抵抗のおかげでダライ・ラマは宮殿を脱出し、山越えしてインドへ亡命できたのですから。もしも遅れていたならば、ダライ・ラマがその中で生活していることを知ってか知らずか、中国共産党人民解放軍は大砲を撃ち込みダライ・ラマもろとも殺していたことになりますから。
- インドのネール首相は中国の毛沢東に微笑外交を続けており、これを逆手に取った中国が突然チベットを武力占領したのでした。その頃の状況を、多くの人へのインタビューを通じて克明に解き明かしたのが本書。
- それまでに私はダライ・ラマ著「ダライ・ラマ自伝」山際素男訳 文春文庫を読み終えていましたから、2冊目にあたるかと思います。
- さらに中国がインドとの不確定国境を越えてインドを攻撃するに及び、ネールは中国のあくどさをようやく理解し、武力反撃に移ります。そうすると身から出た錆をコロリと忘れたかのように、例の病気のような中国共産党の声明が出ます。「帝国主義者がチベットの反動主義者と組んで中国に反発している」と。自らの帝国主義を棚に上げて相手を攻撃する時の例の「共産主義中毒」患者の症状ですね。いつも自分だけが正しいとうぬぼれる中国共産党の体質が、すでにこの頃にはっきりと見られたのです。
- たしかに不平等さが残っていたチベットですが、侵略後にチベットの富裕層が所有していた土地を取り上げた中国共産党はそれをチベットの貧しい人たちに与えます。ここまで聞くと「いいこと」をしているように見えるのですが、そんなはずがありませんね(笑)。何と中国は、新しい土地を得た人たちの生産物を全部中国へ持ち込ませて貧しい人たちを前よりも一層貧しくさせたのでした。こういうのを植民地的搾取といいますが、残酷な中国共産党は逆らうチベット人たちを虐殺したりチベット女性たちを暴行し殺害するなど、平気で残酷この上ない弾圧を繰り返すのでした。あまりにもひどすぎて、とてもここには書ききれません。
- そんな残虐さを知っていると、尖閣諸島で中国漁船が体当たりしてくるとか、サンゴ密漁が見つかって逃げ回わった挙句に暴力で対抗するとか、スプラトリー諸島(南沙諸島)・パラセル諸島(西沙諸島)などで暴力行為を繰り返すとか、韓国領土内で密漁して銃撃されたり、インドネシアが先日言ったとのことですが「悪質な中国密漁船から船員を出した後で船を爆破撃沈させる」程度のことが、中国人なら大いに可能性があると納得できるのです。
- 親中国の日本人なら「そんなはずはない」、「あまり中国を刺激してはいけない」と逃げるのですが、「相手を刺激し続けた中国を、なぜ刺激してはいけないのか」について、何も語れません(笑)。
60年前に中国共産党が発したインドへの非難声明が、これまた笑わせますね。60年も経過したのに、何も変わっていないのです。これが一党独裁の恐ろしさでした。曰く
- 「帝国主義的干渉者とインド拡張主義者」
- 「罵詈(ばり)、歪曲、見えすいた大嘘」
これは、中国共産党がインドを非難しているように見えて
実は自分の姿を自分で語っているのですね。相手に自分の姿を投影して汚くののしるのが60年前からの中国共産党のやり方です。こういうのを専門用語?では「天につばする」「自分の欠点をネタにして相手をののしる」と申します。すぐに自分に災害が降りかかる、という意味ですね。
もう言わなくても分りますが、具体的には
- 自分で外国に干渉しながら、中国への干渉は許さない
- 自分で隣国を侵略しておきながら、反発されると「内政に干渉するな」
落語の世界ですね。
一体何が「内政」なのか。ロシアが武力併合したクリミアについて外国が語ることそのものも、きっと「内政干渉」になるはずです(笑)。
インドなどを帝国主義者と呼んでいますが
まことに残念ながら、中国こそが帝国主義的に領土を拡張していることに気付いていないようです。自分は絶対に「帝国主義者ではない」と言いながら領土拡張をする帝国主義者そのものだったのですね。今の中国やロシアとそっくりだと思いませんか。
それと、おもしろいのは、中国共産党が陳腐な非難をするときは、「何も対策ができていません」の意味だと解釈した方がいい、ということでしょうか。
「帝国主義者」とか「反動主義者」は、中国共産党が相手を非難するときの常套文句ですが、自分自身が「帝国主義者」「反動主義者」であることを、まったく理解できていないようです。中国以外の国の人はみなそう思っていても・・・・・・。
米国との共存を唱えたソ連を「修正主義者」とこき下ろしたのが中国でしたが、50年後の今、自らがみごとに「修正主義者」になっています。門戸を開き経済開放をしなければ中国共産党の存続さえ不可能だったからです。
そして、その後、ソ連が崩壊したように、中国共産党そのものが崩壊しなければならないのでした、まる(笑)。これが従来から繰り返している私の「中国共産党崩壊論」なのでした。
みなさまは、どうお考えですか。