病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

見ることとは、変化の中に身を置き感じること

2018-05-19 14:40:36 | はとはあと最新情報
見ることとは、変化の中に身を置き感じること

見ることで生きる。見て・見えた結果としての知覚像は、目の奥に広がり、神経を煽ってある種の信号体系となる。それが過去の同種の信号体系との型併せにより相違が検出される。それが認識の構造ではないのか。視覚機能に疎い素人は、自らの経験(過去の同種の信号体系)という尺度を用いないと把握できない。しかし、それは唯単純な仕方を繰り返す作業であるとは思えない。形の物量感、色目、柔軟度、表面感覚、湿感、温度感などあらゆる感覚の有無を認めながら、より現実に納得可能な状況のあり様を問いかけている。

それらは、物質でありまた空間である。こういうことは、あたかも静止した物量とか空間として扱われがちだが、すべては一定ではないのだ。つまり見た時と、見えた時では、対象物の変化に変化が現れる(対応する)ということである。それはその対象物自身の変化でもあるが、その形づくる環境要因による変化の場合もある。例えば、光である。立方体に光を当てると、いっそう立体感が増すことは理解されやすい一例であるが、見る・視えるという要因には、当初から決まり切った形態が存在していてそれらを規定しているわけではない。

この脳の中で起こっている事象(身勝手な活動)は、もちろん人間の言葉では表し切れないほど不定形に隆起したり、消え去ったりしていつも知らない振りをしている。でも、その様な脳内の実態を切り取り、楽しむことも、自覚と認知があれば、対話することも可能だし、それを楽しむこともできる。また、それを象徴として形容すれば、現代人が挙って歓迎している生産性の現場にも連れ出すことができる。これほどまでして手探りの、さらにその奥にある官能の世界を我々は求めてしまうが、今、それは無価値の極悪しか見ないと。

実はこの話は、2つ折りの用紙を間違って反対に追ってしまった世界の話である。なんてこともない。あるものは、ある。ないものはないのである。要はあるのだ。だから、そのような台車にさえ乗っかっていれば、死んでも生きていることができる。生きていても、死んでいるかもしれない。事実、街をあるいても、食事をしても、脳と神経のお世話により、使い分けができている。印象とかイメージという脳内映像を無料で楽しませてくれている。人間が不安に慄いている間に。我々はもっと現世を「見る」ことに真剣であらねばならない。


お知らせ:
大阪でHIS広報プランナー認定(3単位)講座を開講

ヒトメディア・ヒトブランドの活用講座を開講
日本HIS研究センター大阪事務局では、来たる6月9日(土)午後1時〜5時(4時間)、エルおおさか(京阪天満橋徒歩5分)6階において、表記講座を行います。医療・介護など福祉サービスの経営管理者や専門者に最適です。受講料はHIS会員8,640円、会員でない方は16,200円 並行して各種会員も募集中、講座申込と同時入会がお得です。
詳しくは電話075-741-8219 http://www.j-his.jp Mail:info-his@j-his.jp