病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

医療の現場は「愛語」の思考で出来ている

2018-01-01 14:48:08 | はとはあと最新情報
新年のご挨拶代わりのである調で失礼します。

 医療制度の質もさることながら、医療現場のコミュニケーションの現実にもっと神経を使う必要がある。厳しい時代を迎えているからこそ、ヘルス・コミュニケーションや病院広報に配慮すべきではないだろうか。

 たとえば「患者という言葉」、これは院内の広報メディアから使用を抑制することはできないか。「それでは患者さんにどう伝えればいいのかわからない」という訴えが返ってくるが、現実を直視する以外に解決はない。たとえば「ご来院の皆様」とか「ご利用の方々」など、考えればどうにでもなるし、むしろ対面では「本名+さん」で呼びかけるのが筋というものだ。
 
 ではなぜ、「患者」がよくないのか。「患う者」は上から目線の印象が残っているという観念論だけでない。確かに病名がつけば患者としてサービスが進むが、そうでなくても区別なく「患者」の語はどこにでも出現する。この対応の一つには、可能なかぎり病気を予防し健康社会が維持できるようになれば、必然「患者」は事実少なくなってくる。社会の進化と医療制度のさらなる伸展に期待すべきだ。
 
 そして二つ目は、可能な限り医療サービスを定義し、むやみにサービス利用の人々を弱者扱いしないで、医学医療の発展のパートナーとして協働していく途である。住民を弱者扱いする医療に先はない。漫然と「患者」という言葉が無意識に使われると、実はそうでない人も、弱者の自認を深めてしまうということもあり、当然のこと管理・手続きのコストも低減できない。その曖昧さが、ときには神経を使うクレーマーにつながっていくことにもなろう。
 
 必要なことは、国民が自覚し自立して健康の維持ができるよう政策を施し、専門家として毅然と振る舞い行動することでのみ「信頼」は蓄積できるように思う。「患者」という辞を控え、「隣人」に置き換える思考が求められるのだ。鎌倉時代の禅宗の僧・道元が伝えたように、医療の場では「愛語」でなければならない。言葉が人を癒すという心理学や社会学に目を向けたい。病院が目指すものは、事務的に患者をつくることではなく、一言を吟味しながら社会と向き合うことであって、少なくとも「患者様におもてなし」だけをもってすることではない。

 新春に、門前の小僧よろしく経を詠んでみた。社会には勉強も研究もしないのに解ることもある。(患者という言葉をなくす会会長・石田章一)