病院広報(はとはあと)評価支援情報

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「尊い寺は門から見える」よりナラティブな理解を

2018-11-25 16:09:13 | はとはあと最新情報
「尊い寺は門から見える」よりナラティブな理解を

人が生きて行く上で、偶然の直感は有難いものである。頭の中がなんとなく落ち着きのないときに、「こんな情報、いかが?」とばかりに呼びかけがある。この呼びかけが、具体性をもって急接近して、大変ありがたい知恵やヒントを提供してくれることがある。多くは悩みの解決に困っているとやってくるから、大助かりである。「そうそう、そうなんだ。それで行こう!」と元気がでてきて嬉しくなる。しかしこの恩恵に浴するには条件がある。それはある程度、考え続け、なんとかしなければという強い気持ちが継続していることである。

「尊い寺は門から見える」というのも直感に訴えようとしている。門の外は端正に行き届いて手が入っている。門を潜って尋ねなくても、中には立派な仏殿があり、尊敬に見合う僧たちが修行している。それは門の前に立ったときの直感で理解できるだろうということ。日常を見渡しても、さしたる根拠や論理が存在しないし、確認など何もしないのに、行動が決定されていくことは忍び難いことである。身体に蓄積された認識データが反応して判断すると理解できる。世の全てに検証が必要となれば、生命も社会も崩壊するしかなくなるだろう。

人は大いに「感覚」で行動する存在である。感性を鍛えて自らを可能なかぎり自由で自発的な行動の保証が求められる。企業やビシネスではシビアな行動と成果管理により、そこに至る組織やプロセスの質などということが経済の仕組みの上から欠かせないという現状がある。それは致し方ない側面ともいえるが、その切り分けがすべて明確だとは言えないために、却ってマイナスの状況を引き起こしてしまう。人間は「心身」をセンターに抱く存在であることを最優先した仕組みが社会を動かすようにならないか、かなりの難題かもしれないが。

筆者らが運営している日本HIS研究センター(京都市)では、医療施設のヒトにまつわるHospitality(あなたの視点)・Identity(わたしの視点)・System(みんなの視点)として見ることで、ヒトが協働した成果を観察していく仕組みを模索している。例えば以前から問題視されている医療関係者の働き方実態、医療福祉への住民の意識・知識・リテラシーにおいても、客観性を求めるあまり納得のいく現状把握が見えにくいことが多い。こうした点では、よりナラティブな資料づくりで理解することが必要だと思っているが、さてどうだろう。

病院経営にも、企業の方法論や感覚が幅を利かしてきている。まず中心は、医療サービスを受けるために来院するヒトの位置付けである。この人々を顧客と位置付けることでスッキリしようとする思考があるが、ここから考え直すことが急がれる。顧客の実際は、料金を払う立場から「主体的に商品選択が可能」という人々のことである。まともな医療を考えない医療者はいないはずだ。未だに「お客様」の求めに応じようとする。医療はゲームでななく、双方、社会性に立った協働の立場が求められている。「尊い寺は門から見える」のである。