病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

目で「よく見る」文化で質を上げる医療

2018-11-04 16:58:22 | はとはあと最新情報
目で「よく見る」文化で質を上げる医療

情報の大半は人の目を通して伝えられるという。人の会話は、話し言葉のやりとりで成り立つように理解されるが、こちらにおいても、実は声という音だけではなく、身振りや顔の表情、会話が行われる場や環境が伝える諸々の意味や暗示がモノをいう場合が日常的にあるし、それが意図して行う場合もあれば、双方が気づかない間に、その意味が特定されている場合もある。「目は口ほどにものを言う」との言葉もあるが、「目は耳ほどにコトを聞く」ということもある。人のコミュニケーションは互いの目を通して行われているといえるのだ。

つまり病院広報においても、そこに記された情報の意味もさることながら、相互の目が捉える「印象」によって伝えられる内容は認識されてしまうことをよく理解しておくことが重要である。真新しく質の高い設計やデザインの病棟であっても、地域住民や出入りの関係者、利用者など外部の目で見てどうか、視覚理論から見て、運用上で理念を伝える仕組みが活かされているかどうかという理解がほしい。いちいち言葉で伝えなくても、いまある病棟が「視覚言語」として常時理念を発信する。それが病院のあるべき姿であってほしい。

従来、日本人は「情緒」という心理的環境を重視し、大切にしたコミュニケーションに配慮してきたはずである。説明しなくても共感することで、その心象を理解し共有してきたところがある。これらは必ずしも確証のある、合理的な理解ではないかもしれないが、それなりの成果も上げてきた日も時もある。思いやりや配慮は、暮らしやまちづくりなど至るところで創出されていきた感性であり文化でもある。そのすべての出発点は、モノを見る目、愛も合理性をも含めた統合の目、つまり人間的な価値判断の文化といえないだろうか。

医療施設・現場は、このような価値観と組織文化を盛り上げることが求められている(と思う)。専門性とは距離もあるが、だからこそ連携や組織化に理解を示すことが必要になる。考え抜かれたはずの建造物に、配慮なくベタベタとその場かぎりの見づらく読みくい文字群には耐え難いものがある。アンケートやご意見箱では汲み上がることのない病院文化をなんとかしたい。それができないなら、地域のヘルスリテラシーなど夢のまた夢だろう。これには、成員の目を鍛えるしかない。海と向き合わないとサカナは獲れないのと同じである。

方法はひとつ、「いいモノを見る」である。目を肥やすのだから当然である。安物を務めて見ないこと。デザイナーの駆け出しでアートに七転八倒の私に、先生は同様のことを言って励ましてくれた。「いいモノを見なさい」。それを見分けるには、自らが身体を張って向き合う以外にない。医療の質も同じではないのか。いい医療や病院もいい目線の前にしか育たない。つまらない時間を過ごしている暇はないのだ。その上で多様な価値観とも向き合えば、内的パワーは縦横に広がり視界は大きく開けていく。良くなるには「目を鍛える」である。mitameya181104