病院広報(はとはあと)評価支援情報

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「対話」から喜びのコミュニケーションへ

2017-03-27 18:14:44 | はとはあと最新情報
「対話」から喜びのコミュニケーションへ

「対話」は言葉を交わすことで成り立つ体操です。言葉を介すことでその理解の深まり磨かれていきます。意味の交換・交流が進み、互いの対話が深まりゆくのが普通です。ここにある知識や興味に火がつくことが双方の対話にとって大切なこととなるのです。日常、陽の当たらない知識や興味が、意味のないものにならないよう日頃からの「対話」という体操が大切であることは、人の身体と同様です。

今日は久しぶりで、病院のデザインや設計に関わっている昔馴染みと、電話のやり取りをしました。通信機器の経由とは言え、ほとんどが双方での非生産の「会話」であり、意見や考えの交換するような「対話」ではなかったのですが、そこに交わされた、懐かしい言葉やイントネーションによって、心にあるものが同期して、一種のほのかな安心感を感じることができました。クールであれホットであれ、言葉には”体温”があるなと感じました。

さて、ここで言いたいことは、広報の原理であり、原則となるものは何かです。それは、人には多様な生き方があるということ、それぞれがどの役割を担うかということ、そして生まれながらの運勢に従っているということの自認ではないかと思います。同じようでみんな違うのは、生産性からいえば能率の悪いことかもしれませんが、それぞれが一定のルールを目の前にすることで、新しい価値観を発想するのかもしれません。

対話することは、多様な生き方、役割分担、生まれながらの運勢、その矛盾に満ちた生命の仕組みを生きるための微調整になっている可能性が考えられます。目分量で決して科学的ではないが、生きていく実感から判断することも、重要な教養のひとつではないでしょうか。どんな「対話」の中であっても、多くのエネルギーが交錯して、まるで蒸気機関車のようになって、人々の前進を支えているように思うのです。

人に話かけるには、なぜか勇気がいるものですね。特に私はそうなんです。こうして文章で発信するのは平気ですが。しかし、多くの場合「話しかけてよかった」ということになります。若い二人でなくても、相手がだれであれ、気分のいいものでです。なぜでしょう? それは自らの宇宙が軽々と広がるからではないでしょうか。「対話」する機会や構えの時が整い、命のつながりを実感する機会となり、コミュニケーションの喜びが呼び起こされるからでしょう。

NPO法人日本HIS研究センター http://www.j-his.jp/
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