病院広報(はとはあと)評価支援情報

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医療福祉なら「対話」が広報になる理由

2017-03-20 14:54:21 | はとはあと最新情報

では「対話」とは、具体的にどんな形のコミュニケーションなのか、少し考えてみることにしましょう。対話でイメージするものは、人と人が向かいあって話をしている光景で、これはカフェや公園など、多くのところで見かけますよね。しかし、そのすべてが「対話」しているわけではなく、多くはその場かぎりの、いわゆる「会話」を交わしたり楽しんだりしていることが多いのではないでしょうか。

では「対話」といった場合は、何が違うと思いますか?「対話」には双方に共通の課題や意図があり、相手に「伝える」とか、相手から「聞き出す」とういう目的があるのではないでしょうか。みんながそれを聞くための集まり、その中で「対話」するのは、公の場では「会談」とか「会議」などと言い、相互の意図を伝え合ったり約束をしたりしています。大昔からある「納得」のための方法なのです。

このように「対話」は、向き合い心の奥にある欲求を交換してみる機会として神聖です。向き合う相手の話の「声ぶり」、身体による「しぐさ」、顔の「表情」などから見える多様な非言語が交換できる機会と場なのです。特に喜びや怒りは、文字による文章だけの読み取りでは難しいことは、ご存知のとおりです。

確かに、1対1の対話が広報であるという点について、待ったがかかる理由はわかるのですが、広報による情報の伝達というのは、理念や人の思い、悲しみ、喜びといった人間的な「情」の交換でもあるべきではないか。そう考えた時に「対話」は最も適切なコミュニケーションとして浮かび上がってくる「情」の方法でもあるのです。

これに対して人力ではとても不可能なマスコミやインターネットによる情報拡散は、「報」のコミュニケーションとして考えることができます。広報をこの2者を「縦軸✖️横軸」として思考することで、「情報発信の質」を位置づけていけば、効果的なコミュニケーション戦略イメージが出来上がるといえるのです。

人は先天的に自分一人で生きて行けない存在です。家族や親兄弟はもちろん、さまざまな他者と協働し、共存していくことが必要です。そのなかで自分の意思を貫くには、他者の要望や期待にも耳を傾ける必要があります。他者の期待にこたえる力のある人は、周りの人からも支えを得ることができます。

しかし、「私は一人で生きていく」と断言することは、あるいは簡単かもしれませんが、前向きな人生を過ごすには、自分以外の人や社会から目を話すわけにはいかず、共にあり助け合って生きる喜びをなにより見出していきたいところです。NPO法人日本HIS研究センターでは、会員のための各種講座を開いて、現場での「対話」を追求しています。

ぜひご入会ください。http://www.j-his.jp/