病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

がんばる病院広報で、何を魅せるのか

2019-04-21 17:47:35 | はとはあと最新情報
がんばる病院広報で、何を魅せるのか

自己の利益と持続を長期の視点から持続的な基盤に立って公衆の信頼と理解を得ようとする活動がPublic Relations(公衆との連携)である。情報の発信というイメージ(認識)から、広告と混同して認識されている。また、広報はマスコミとの協力やイベントなど多様で、象徴的なイメージになりにくいことものあり、必ずしも広告媒体を使った情報発信ではない。時代のうねりを受けて、これからの医療や介護のあり方に関心が高まっている。書いて字の如しで、「人間」という言葉には、「ふれあい」「関わり合い」という期待が含まれている。

求める者と求められる者との心地良いサービスの理解・協働の質こそ、医療・介護の今に求められるべきテーマではないか。特に医療は、市民・利用者にとって高度な価値観や専門的理解には近づき難い面があり、一般に言われるように情報も届き難い現状は否めない。一般に医療情報といえば、現場の専門が取り扱う限られた情報であり、市民には不必要なデータであり、別世界の事柄だ。情報を減らして利用するようなことは考えられない。いかにも配慮したデザインを施してみる程度で、理解を深めるのはかえって問題を困難にする。
 
社会全体への医療の成果を考えるべきこの先、医療の情報価値への改革は、待ったなし、今後いっそう重要になるだろう。医療・介護サービスの利用者が必要性を満たす情報メディアやカテゴリの拡張がこれから必要になる。専門家から真価を引き出すための知識やモラルの獲得が求められてくる。もちろん医療サービスの提供側もこの動向には、力を貸していくことが求められるが、それでは理解にバイヤスがかかってしまう可能性もある。利用者側も自立した視点からの価値観や理解を広げて社会貢献の輪を広げることではないか。
 
とはいえこれは知識の競合と考えることが目的ではない。たとえば仏教の言葉に「門前の小僧、習わぬ経を読む」というのがある。お経は全てをいちいち理解しなくても、それを唱えた者にご利益があるというもの。でも、理解を深めれば、もっとご利益があるはずです。お経がもっている有難い響きが、その人その一団のプラスにつながり、信念が有効に働いていくという具合。他のサービスと異なり、医療・介護というサービスは人が人に直接接して、一体となって進める場面も多く、その点でまず信頼ありきである。

人がそこにいることの圧力は相当なものになる。利用者は信頼感(最大公約数的)を覚悟に変えて受診する。来院の間にその信頼に値する事実をさがし納得を求めている。信頼できない事実とは、その過程で手触り感によって発見されていく。その事実が改善されそうにないときに落胆し、クレーマーさんに変身することがある。雨の中、遠い道のりを傘をさしても受診にくるのは、期待と信頼の脳の鼓動によって来院行動が起ったから。外からは何も見えない。「ふれあい」こそが人と人の本質であり健康のもと。人は医療に何を見てしまうのか。 mitameya20190421

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それとも柳の鞭でぶちましょか、いえいえそれは・・

2019-04-14 16:31:43 | はとはあと最新情報
それとも柳の鞭でぶちましょか、いえいえそれは・・

今朝の京都新聞のコラム天眼に、哲学者・鷲田清一先生の「金糸雀記」というのがあった。西条八十作詞の童謡「かなりや」(金絲雀記)が紹介されていた。ある程度の年配者には、子供の頃の懐かしい純粋な思いが俄かに込み上げてくる。書かれているように、音楽には、他人の苦しみを自分の苦しみのように抱擁する力がある。この象徴派の詩人は、家族の扶養に懸命の詩業を断念、生計の維持との錯綜の胸の内をこの唄に求めたというのだ。先生には、いちど日本HIS研究センターから講演をお願いした経緯もあり、神妙になって読んだ。

問題は、年配者には響くこの感情豊かな曲の味わいが、今の若い人たちには受け継がれていないことだ。時代は変わるもの。変わるから時代という理屈は当然ではあるが、では、人間がIT機器のように簡単にバージョンアップしてしまえるのか、ということ。それで万事いいのかという素朴ともいえる疑問がここに浮かび上がっている。しかし、それはITやAIといった技術の変革・革新といった従来の変化やニュースの中身ではない。日常の若者とのコミュニケーションの中で、それこそヨヨーッ!としてしまうことが多いのだが。

だが、ここには童謡「金糸雀(かなりや)」の中には、日本人の優しい精神が謳われているのに、真剣な伝承ができていないのではという問題提起がある。講師が最後の授業として考え抜いた講義であったにも関わらず、出席者である若者が「金糸雀(かなりや)」という歌の存在を誰も知らなかったというのだ。目の前の効率優先の結果だとはいえないが、何年かの間に、社会は人間的な配慮を蔑ろにしてきた事例の一つではないだろうか。形式やDATAの比較としてだけが、あたかも唯一正しい評価として処理されてきているきらいがある。

そのズレには、人の心につながる夢や可能性の入る余地・機会が意図されてないのだ。この近年の傾向は、組織間の協働やビジネスのうえでも平気であらわれているように思う。特に会議や連絡といった仕事のコミュニケーションにおいて、いつも亡霊のようにスーッと立ち上がる。発信側も受信側も「見えているだけ」のやりとりで深いところを見ていない。情報があったら文字列(記号)として記号どおりの理解に終わる。もちろん全てがそうであるとは言えないのだが、相互に心からの遣り甲斐に繋がったという確認はできないものだろうか。mitameya20190414

第200回記念・病院広報プランナー(PL)認定実践講座
開講:6月29日(午後)横浜みなとみらい クイーンズタワーA棟 会議室
講師:ジェリイ・フォリ(イメジャス代表)
   石田 章一(日本HIS研究センター代表)ほか

詳細・申し込みは、http://www.j-his.jp/



見る目を鍛えることがなによりの成長になる

2019-04-07 11:32:54 | はとはあと最新情報
見る目を鍛えることがなによりの成長になる

人や動物の眼は何を見ているのだろうか。その原理は言われるとおり光の強弱や角度によって多様な見え方を描き出している。対象に行き着いた光は、人の眼、視覚機能によって脳に伝えられ、その意識は過去の記憶との合成によって判断・行動が行われる。光の束が統合され、刺激、信号となって現実をなぞっていくことで、現実感を体内に取り込まれる。ディスプレイに描かれる映像は、機械的に構成された現実感である。同じ対象を捉えても、その印象、脳内映像は同一の構成でないところにも、人々の驚きと関心が湧き上がる。

多少理解に乱れがあるかもしれないがモノを「見る」、「見える」という誰もが自覚する身体の実感はこんなものではないだろうか。より大胆に言い換えれば、眼はクルマの運転席に広がるフロントガラスといえる。運転手は「前」を向いている。前方の山並みの間から、青い海が少し見え始めたとする。眼の神経は青く輝く海に集まっていく。しかし道路は大きく右手にカーブし、その先は土手と木々に遮られ、いまひとつ把握できないまま、刻々と変化していく。こんな時、ドライバーの眼はその先一点に集中し、ガラス全体に眼は行かない。

一方、人の眼、つまり眼差しは、その光跡を追うように、また確かめるように自在に反応し運転席のごとく、生きることに連動していく。行く先で偶然にも見事な桜花に出会えば凝視して身体をその場にと止め、ひと時の安らぎを楽しむかもしれないし、その思い出を何かに書き留めることに繋ぐかもしれない。身体全体が見た目のガイドにしたがい豊かさを享受することとなるが、このとき過去の経験や情報による脳からの危険信号によって行動の抑制することもある。見る目は、脳との連携により、適切で安全な進路を示してくれる。

よりよく生きる上で、「見る目を鍛えることがなにより重要」である。どんな視覚経験をすることがいいか、一概にいえることではないが、普遍的な意味や価値のある姿・形に出会えるよう積極的な生き方や暮らしを取り入れることであり、その印象を頭から羽織ることではないかと考えている。羽織ることによって他者にも“印象波”を伝えることができる。流行りの「見える化」などではなく、無言であってもその場の質に貢献する言語として、である。なにより自らを高める生き方として「見る目」を羽織ることである。mitameya 190407

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6月29日(午後)横浜みなとみらいクイーンズタワーA棟
詳しくは、http://www.j-his.jp/



組織や現場にココロがあれば「成果」はできる

2019-03-21 16:05:44 | はとはあと最新情報
組織や現場にココロがあれば「成果」はできる

「イシダクン、君そこ、そこ、そこ!小さな、ホレ白いの、見えないのかね?」。松下会長が私の耳元に手をかけ苛立ちながら囁きかけた。「え、どこどこ?・・なになに・・?」その日アメリカのジョンソン大統領が、来日を機に、当時日本で最先端を誇っていたテレビ組立工場の見学のために立ち寄られることになっていた。他の社員とともに、工場など見学通路の入念な点検していた時のことであった。ただ何かをやれ!早くしろとのご指示のようだが、耳元の会長の囁きが何を意味するのか、入社2年の身には、どうしても理解できなかった。

その数分あと、少し先輩の営業部の社員が、廊下の床から拾い上げたのは、5ミリ角ほどの白い紙切れであった。その後は何もなかったように無言の列は次へと進んだが、私には、その後の記憶が止まったままで今日まできている。全く見えないものが、会長の目は、いち早くそれを捉えて問題を解決したのに、私には全くその単純なことができなかった。だが、仮にそのゴミに対応しなかったとしても、なんら大きな問題にはならなかったとも言えなくもない。たった5ミリもないようなゴミ切れが、見学者の印象を悪くするはずもない。

会長が言いたかったこと、問題意識は「ゴミ一つない当社などではなく、全社員の目が清潔で快適という常識」つまり社風の中にある工場を見てもらいたいということであった、と思った。結果的に廊下にゴミを放置するのも社員であり、言われなくても対応し、無くすのも社員である。5ミリであろうが1ミリであろうが、その価値は理屈ではなく「組織としての精神である」という点を理解しなければならない。それが数10年も経ってやっと理解できた。これを実行したから成果があるではなく、この精神が経営成果に生み出すのである。

筆者は、その後1年少しでこの会社を退職し、上京して現業のデザインの道に入っていくが、モノづくりのためだけのデザインではなく、コトづくり、あるいは環境づくりのデザインに可能なかぎり心がける。人づくりとも言える。たとえエビデンスが不明でも心意気や情熱のある取り組みへの参画にすべきだ。折々にその情熱や信念をもってすれば、いま声高に叫ばれる「成果」や「生産性」は必ず付いてくる。根底に組織・現場にココロがあるからである。デザインはココロを入れ込む仕事であり、カタチだけでは、寧ろもったいないと思う。
mitameya190317


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ゆるぎない視覚戦略が組織を活性化させる

2019-03-16 12:13:11 | はとはあと最新情報

ゆるぎない視覚戦略が組織を活性化させる

人にもさまざまな癖があり独特の仕草が見える。山田さんは山田さんだけの雰囲気があり、目頭に浮かぶ独特の印象がある。印象がいいとか悪いとかも話題にも昇る。自分の意を通したい時、何かで賛同を得たい時には、とりわけこの印象に気を遣うことがある。印象がいいことは、人から愛され希望に近づくチカラ(推進力)になる。誰しも理解可能な前向きな生き方のポイントである。人だけではない。人が集まって何かをしようとするとき、その総体、約束で集まった組織体にも、印象やイメージによる他にない相違を見ることができる。

良いにつけ良くないにつけ、その組織体についての印象は、目に見えるモノや出来事についての情報に張り付いている。というよりもそのモノを見る側の脳メガネと掛け方によって様々に変化する。レンズが合うとか合わないという問題もあるかもしれないが、印象は記憶されて次の機会のために一時保存される。しかし、印象について防備、対策はよく見えない。眠りから覚めたあと、目に映り込むすべては一旦網膜に映り込み、さまざまな判断と記憶・保存のために使われるようだ。印象の多くは、感情により脳の記憶機能に頑固に配置される。

昨夜であった大学教授は、人当たりのよい優しげの迸る人物であった。見るからに付き合いやすい印象で、「この人に出会ってよかった」という思いが残った。はじめて出会った人の印象は、評価も不完全になりがちだが、その人そのものであると言える。つまり印象(感情)のかたまりとして多少の履歴や為人を把握していても、字面だけでは実際が見えない。何度か何時間かを一緒に過ごすとか、仮に偶然であっても共同の場をともにすることで次第に全体像が把握できて来る。ただの印象から「実感」としての相手が把握できて来るのだ。

つまり、「見たモノ」は空気や栄養のように「体内に取り込まれ、生きた“自身”になる」と言える。見た目という「印象」は絶え間なく脳に送られ身体行動のエネルギーとなって身体を働かせている。人とのいい出会いや経験に、印象が関わっているなら、印象の果たす役割や目的をより明確にすることも重要になる。何が人々の行動を駆り立てるのかが分かれば、問題の解決は早くなる。印象そのものには、温度もなければ重みもないが、目の前の有効資源として活用するには、成員の目に見える感性さえあれば十分と言える。

今述べていたように、これは人のもつ能力である。人の集まりである組織や法人にとって戦略や戦術にも関わる視点である。何かを成し遂げたいという意思や思考があるなら、意図したコミュニケーションを原点として「印象」や「イメージ」を戦略化するべきではないか。人間理解の経営というならば、シンボルとしての建造物に加えて人心をリードする揺るぎない「印象づくり」が無くてはならない。自分たちが他者からどのような印象を持たれているのか。見られたいように、見えているのか。安心して動くという側面も考えたい。mitameya190316

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