病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

HISが達成すべき環境と情報の質

2019-05-26 11:25:48 | はとはあと最新情報
HISが達成すべき環境と情報の質

HISは、医療や福祉の場に求められるHospitality, Identity, Systemの概念を統合し、マインドやコミュニケーションを誠実に伝えようとする経営コンセプトである。Hospitalityは、一般に歓迎や“もてなし”という認識があるが、世にある多様な価値観を受け容れ、寛容な精神を伝えようとしている。またIdentityは、他にはない「独自の存在価値」を尊重し、それぞれの「違う主体」に着目している。また、Systemは統合成果をめざし、「プロセスの仕組み」としての働きを命題としている。組織やサービスの場に整合し、内外からの期待と信頼に応えていくことがHISの使命といえる。

また、医療や福祉、ヘルスケアの現場のすべては、「良質のコミュニケーションでなければならない」という認識も深まりつつある。正確なコミュニケーションよりも、その場に適切な情報のあり方がケアの質を保全するという認識である。またコミュニケーションは、人と人との関係だけではなく、人と場、組織、社会、ネットワークとの関係に求められる。当然、従来からの言葉や文字を超えて非言語や現象学の領域も膨張している。目で捉えた印象による意味によって人々の行動が変化する点を冷静に分析しなければならない。

私たちの日常「見えた世界」の多くには、それぞれの瞼の奥に貼り付いや印象や心象を基として理解のプロセスに進む。経験的記憶である心象であっても、見た者の深い心理層に固定されてしまうこともある。その後、自らも気づかない間に、それらは様々な判断基準となって行動を促す。そしてこの原理は、多くの場面で施策に用いられるようになってきている。もちろん医療サービスの受診行動にも広く応用すべき理論である。当然、ここでいうHISの統合概念が欠かせない時代であると考えられるのだ。

医療・福祉の場に必要なデザインの思考のHISは、少しは奇異な印象があるかも知れない。しかし環境や情報による様々な刺激、印象が心身に伝えられている事実を考えれば、決して無意味ではない。むしろこれから進化する医療サービスの方向は、医療の質として、あるいはそれらの尺度を超えての機能・役割が求められるように思う。これからの医療の評価概念は、その内に醸成されるとは限らず、隣接する多様な見識から始まるのではないか。関わる者にしか見えない世界が、すでに見ている世界もあることを確認しておきたい。
mitameya190526

HIS広報プランナー認定200回記念講座のご案内
6月29日(土)午後1時30分〜5時30分:
横浜みなとみらい クイーンズタワー5階 日揮(株)会議室
講師:ジェリイ・フォリー(イメージャス代表)ほかワークショップ含む
テーマ:「病院広報はデザインと広報で強くなる」
PL認定単位:3単位
受講申込受付中! 詳しくはこちら→ http://www.j-his.jp/

問い合わせ先:日本HIS研究センター Mail:info-hia@j-his.jp tel:075-741-8219


視神経に力を入れて、素直に“ものをよく見る(感じる)

2019-05-19 16:26:03 | はとはあと最新情報
視神経に力を入れて素直に“ものをよく見る(感じる)

若葉に包まれた大木の高い枝に止まって小鳥が鳴いているようだが、その姿は一行に見えない。鳴き声は可愛く澄んでいて聞き惚れる。どんな鳥なのか、一目見てみたいものと思い、木の周辺の立ち位置を変えてみたが、どうしても見えなかった。それから何日か経た日曜日の朝、散歩の途中、その可愛い鳴声が風にのって舞い降りてきた。羽音や飛び移る影も感じるのに、さっぱりその姿が見当たらない。その実際を目で確かめることができる姿はなく、苛立ちは続くばかり。そのわずかな記憶は、大気の中に溶け込むように消えてしまう。

また、実態はそこに間違いなく見えているというのに、そのことに向き合っている実感が付いてこないということもある。目で見て、手で触れて感じとっているのに、なんとなくその体感や重量感が感じられないという状態、というのもある。シュールリアリズム、超現実的な絵画に向き合って感じる感覚だ。確かに高度でリアルな描写に圧倒される反面、現実でない虚しさにその感動は打ち消されてしまう。そのような分裂症状の理解から逃げ出して、絵画の中の虚無的な空間に留まっていることはできないものか、思案をしてしまう。

心があっても、花がないということもある。心は感動で沸騰していわゆる花となるが、花がないという事態が起きているのか。もとから心がないからか、萎れてしまったのか。もともと花とは関係が途絶えてしまうのか。こんな議論になるなら、心が花とのご縁などなく、心の役割も消滅してしまわないだろうか。心は苦痛や辛さを伝えるが、心底からの喜びを伝えようとする、また、求めようとする。花があってもなかっても、人は花が咲くよう務めることができる。美しい鳥の声で鳴く鳥を探してみよう。絵画の中に美を観てみよう。

我々が、捉えづらいという「美」とはなんだろう。探しづらく見つけにくい美に出会うには何が必要なのか。美を的確に感知できるようになるには、何が必要か。素直に感じとる力はいかにして身につくのか。いろいろと悩ましいが、これらは、いわゆるスキルではない。なんども、ここで述べてきたが、自分にとって心地よく、前のめりになってでも見たくなる感覚にしたがって、いい視覚情報を大らかに経験していくこと、つまりは素直に視神経に力を入れて「ものをよく見る(感じる)こと」である。mitameya190519

font color="darkgreen">6月29日(土)午後:HIS広報プランナー認定200回記念講座のご案内
横浜みなとみらい クイーンズタワー5階会議室
講師:ジェリイ・フォリー(イメージャス代表)
テーマ:「病院広報はデザインと広報で強くなる」
受講申込受付中! 案内はこちらhttp://www.j-his.jp/









「見える」に含まれる様々な意味を考える

2019-05-11 13:13:47 | はとはあと最新情報
「見える」に含まれる様々な意味を考える
人の目が常に探し求めている先は、いつも美の光景である。さほど意識はしないが、目のいく先は、美との偶然の出会いに期待が向けられている。しかし、美がどこにでも散在しているわけではない。それは捉える側の感覚によって調整されるからだ。日本の観光都市の代表である京都には、歴史がその美の舞台を担っている。美というテーマが街並みや景観だけでなく、暮らの隅々から人々の仕草にまで貫いているのだ。見た目による価値観が軸となって身の周りを包囲しているが、改めてそれが負担であるということなど全くない。

京都を地元にして73年、日常が美の光景であって当然、それが人々の身体の健全につながっている。例えば「汚れ」は市民の「恥」である。そのような言い分が溢れ出ているわけではないが、京都人の暮らしの意識の中には確実に流れている。人通りの絶えない繁華街などでは、極寒の時でもない限り、店先の道路に水撒きを習慣にしているところが多い。清潔であることが品位を表すことであり信頼につながる。客サービスではなく、すべての他者へのホスピタリティである。笑顔での「おもてなし」だけではない深い社会性が含まれている。

観光都市・京都は、世界に他者から「観られる」存在である。言って見れば「言い訳の効かない」街である。見えたとおりに伝わってしまう風土になっているのだ。見えることは言葉を超えるのである。何かと言葉は、揺るぎない論理の代名詞として社会参加に絶対である。その言葉をまるでペーパーバッグに仕舞い込むように済ませてしまう文化力。これで京都はこれだけの歴史を堂々生き抜いてきたという教えの一つになる。観せる・観られるとは、部分にこだわりなく、丸ごとの印象による身体的コミュニケーションといえそうである。

壊れ窓理論(マイケル・レヴィン/佐藤桂訳)という本がある。その印象の一箇所が改善されないまま放置されると、いずれ全体の印象が駆逐されてしまうという。壊れ窓もそうだが、汚れ窓の放置も同様である。その窓だけでなくその他の窓、いえ窓だけの問題ではなく、外部への情報経路はじめあらゆる通信網から安心や信頼感が途絶えていくことになる。その結果、青いものが赤く認識されたりと、正常な社会とのやりとりが途絶える。それはまさしく組織の認知症という状態である。すべてがシステムの時代、些細なことが致命傷になる。mitameya190511

共有する言語を超えていくチカラとは?

2019-05-06 15:53:17 | はとはあと最新情報
共有する言語を超えていくチカラとは?

「香りの記号論」という書籍がある。著者は狩野博美さんで、出版社は「人間と歴史社」。私の「呼吸する環境」というヒーリング・エンバイロメンツについての翻訳本を出してくれた東京の出版社である。副題が「香りの心的エネルギーの世界」といい、2002年の出版となっている。このブログの主題が「見る」であるが、こちらは「嗅ぐ」である。外付けの鼻と書く嗅神経で、「隠れている事物」を探る感覚がテーマになっている。相互に理屈抜きに「非言語」という原始的で多様な人間のコミュニケーションを掘り下げている。

香りの効用で、一般的によく知られるのはアロマテラピーだろう。研究された香りの要因が嗅覚の反応を引き出し、人の感覚・行動を促すという原理を集約した治療などに利用する。そのひとつが視覚コミュニケーションの記号・非言語として包括的な活用できるのである。いつの場合であっても心地よい香りが、ものごとの認識や記憶にとって、気ままな気分と態度によい効果があることは多くの経験が示すところである。味覚や音楽においても、人間の生はただ合理性の選択・追求だけに終始するものではないことは周知のとおりである。

人は一人一人の自己を調整を図りながら、常に他との関係を育み、相互の調和のために自ら社会を構成して「よりよく」生きようとしている。より強固な姿勢を示すには、自らの強化だけではどうもうまく行かない。ここには双方の思慮や納得が求められる。つまり感覚世界の共有や同調、双方が「ともに見える関係」でのコミュニケーションがなくてはならない。それを引き出してくれるのは、いま紹介した書籍、香りの記号論副題に見るような「心的エネルギー」の交換であり、相互による同レベルの理解と認識ではないだろうか。

しかし、ここで殊更に制度や策としての感覚テラピーを求めるのではない。時にはキャンペーンがあってもいい。が美しいものを美しいと真に反応する人体になろうとする個々の生き方がどうかという目線が求められる。そのためには、小さくても「心地よい体験」を求める日常が重要である。また、観念的な好き嫌いをいうのでもない。心地よい場や時がどこからやってくるのか、自分が求める快適とはどんなことなのか。非言語は、共有する言語を超えていくチカラを鍛える必要がある。かりに発案者がひとり、受信者がひとりであっても。20190506


6月29日(土)午後:HIS広報プランナー認定200回記念講座のご案内
横浜みなとみらい クイーンズタワー5階会議室
講師:ジェリイ・フォリー(イメージャス代表)
テーマ:「病院広報はデザインと広報で強くなる」
受講申込受付中! 案内はこちらhttp://www.j-his.jp/


合議で生まれた「令和」を世界に誇れ

2019-04-28 11:57:37 | はとはあと最新情報
合議で生まれた「令和」を世界に誇れ

新元号「令和」が始まる。国文学者の中西進さんが、先月27日の京都新聞で記者のインタビューに応えて語られていた、誰がこの元号の考案者かいうコメントに大いに納得感が湧き上がった。それまでの元号についての報道では、新しい元号は「令和」であり、美しく平和の時代を意味するのだという解説だけが先行していた。どんな面々が考案者であるとか、他の案はコレコレといった情報は一切なし。それだけに「令和」に何か押し付けがましいものを感じたし、決定の仕方そのものにも「上から目線!」と感じざるを得なかった。

この記事で中西さんは、「決定は合議である」を強調し、喩えそれが事実であったとしても合議である以上、個人が前に出るわけにはない。あくまでそれは合議での提案であり、個人の手柄にするわけにはいかない、という主張であった。なんと今時フェアで紳士的な言い分であるのかという印象と同時に、これからの日本のアイデンティティは、この新元号「令和」を旗印に国際社会に働きかけねばなければならない。機械的になんでも多数決という数の論理に頼るだけの進め方に不審を抱いていた身体を突き抜けていった。

これはちょうど大相撲という大衆のルールをあてることができる。勝敗の根拠が不明確な場合に、審判がワザワザ土俵中央に集まり、意見を交換するあれである。審判も客席から審判を受ける。どの審判のどのような目に、どのように「見えた」のか。また、観衆・客席がその成り行きを具に検証するというシステムが、「見える仕組み」として働くのである。AIやITの導入だけでは、実際に人は付いていけない。ダサいといわれても、人の目を通して判断を加える仕組みを育てる価値観が、これからますます大事になるのではないだろうか。mitameya190428

Hospitality
Identity
System
…HIS三位一体思考で組み立てる

6月29日(土)午後:HIS広報プランナー認定200回記念講座のご案内
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講師:ジェリイ・フォリー(イメジャス代表)
テーマ:「病院広報はデザインと広報で強くなる」
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