熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

カルガモが歩いている住宅街

2018年06月05日 | 
   朝、8時頃門扉を開いて、外に出たら、前の道を番のカルガモが歩いていた。
   家の庭の生け垣の向こうは、小川が流れていて、少し前に、番のカルガモが水面を歩いていたので、これらの鴨だと思ったのだが、道を歩いていて、バイクの音にも怖気ずに休息している。
   逃げる気配もないので、私のような者でも、写真に撮れたのである。
   
   
   
   

   この小川は、鎌倉山の地下水に源を発して、切り立った住宅街の合間を流れている短い川なので、大雨や嵐の時には、増水して激しく流れるが、日頃は、ちょろちょろ綺麗な水が流れている程度で、魚などが棲んでいるような雰囲気ではないので、何故、カルガモが来るのか分からない。

   千葉に居た時に、印旛沼に近い長島監督の旧家に近い田舎の川には、結構鴨が泳いでいたし、コサギやバン、カワセミ、それに、田んぼには、雉もいたし、家の庭には、色々な野鳥が訪れていた。
   しかし、このカルガモのように、殆ど、近くまで野鳥には近づけなかった。

   さて、我が家を訪れてくる野鳥だが、先日、梅の木とヤマボウシの茂みを梯子して、鶯が鳴いていた。
   珍しいのでは、キツツキの小型のコゲラ。
   先日、ヤマボウシの枝落としをしていたら、シジュウカラであろうか、小さな作りかけの巣がついていた。
   大分前に、巣作りの偵察であろうか、ツバメが軒下に舞いこんで来たが、諦めたのか来なくなった。
   ジョウビタキも良く訪れてくる。
   上空高くに、トビが舞っている。

   小動物として、鎌倉に沢山いるリスで、これは、あっちこっちで見かける。
   庭にボコボコ穴が開いているので、モグラもいるのであろう。
   爬虫類は嫌いなので、触れないでおこう。

   森や林と言った本格的な林間の雰囲気には多少距離はあるが、鎌倉には、まだ、田舎や自然に接して楽しめる風景が残っている。
   私の知人友人の中には、庭仕事などが大変なので、住み慣れた一戸建ての家を処分して、マンションに移り住んだ人が何人もいるのだが、私の場合は、いつまで続くか分からないが、ガーデニングなど自然との対話からは、引退できそうにはない。
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映画「のみとり侍」

2018年06月04日 | 映画
   とにかく、面白い映画で、「お犬様」と言うのも奇天烈だが、「猫の蚤取り稼業」とは。
   江戸の珍商売と言うことだが、大坂なら、もっと面白い商売があったのであろう。

   ストーリーは、
   越後長岡藩のエリート藩士・小林寛之進(阿部寛)は、藩主・牧野備前守忠精(松重豊)の和歌を良寛作だと言って機嫌を損ねて、猫ののみとりを命じられる。猫ののみとりとは、猫ののみを取るのではなく、床で女性に愛を届ける裏稼業であった。寛之進は、切羽詰まって、のみとりの親分・甚兵衛(風間杜夫)とその妻・お鈴(大竹しのぶ)の元で働く。寺子屋を開いて子供たちに無償で読み書きを教える極貧の浪人佐伯友之介(斎藤工)や長屋の人々、のみとり屋の同僚などの助けを借り、“のみとり”を始める。最初のお得意が、亡き妻・千鶴にそっくりのおみね(寺島しのぶ)で、何も分からず相手をして、「下手くそ!」と罵られて落ち込む。偶然、妻・おちえ(前田敦子)に浮気を封じられた恐妻家で色事師・清兵衛(豊川悦司)に出あって、女の喜ばせ方の指南を受ける。しかし、一人前になった寛之進だが、老中・田沼意次(桂文枝)が失脚すると、急遽“のみとり”禁止令が出て、寛之進は、犯罪者として捕縛されて川っぷちにさらされる。
   藩の恥さらしとして藩主の前に引き出されて、沙汰を待つが、意外にも、清廉潔白な寛之進が、同僚に命を狙われていたので、のみとりとして助けるために追放していたので、悪家老たち獅子身中の虫を成敗して綱紀粛正のための役に任じられる。お手打ちを覚悟して諦めていたおみねと共に城を退出する。

   大の男が、派手だが品のない着物をひっかけて、隊列を組んで、「猫の蚤取りましょう」と通りを練り歩き、客の女性に呼び止められて、部屋に入って行く。
   遊郭とは違って、至ってオープンだが、インターネットをいくら叩いて調べても、猫の蚤取り商売はあったようだが、この女性に奉仕すると言う裏稼業の説明は探せなかった。
   江戸時代のペットの9割は猫だったと言うことであるが、この映画でも出ていたように、フカフカの毛皮を猫にかぶせて、乗り移った蚤を取ると言う商売が、結構繁盛したと言うのだが、これが、元祖の「猫の蚤取り」。
   「親孝行でござ~い」と言って流した親孝行屋もあったと言うから、あの田沼意次の時代には、奇天烈極まりない大道商人がいたとかで、何でもありであったのであろう、大らかな時代であった。
   この田沼意次を演じるのが、桂文枝で、道中、賂商人を一人一人呼んで怪しげな会話を交わし、囲い人おみねが蚤取り侍と戯れているところに乗り込んできて、寛之進に意見するなど、悪辣さエゲツナサ、その片鱗を見せて面白い。

   それに、出色の出来は、いかがわしいのみとりの元締めの甚兵衛(風間杜夫)とその妻・お鈴(大竹しのぶ)夫婦の名うての蚤取り連中を操るコミカルタッチの強かさとそのユーモア、
   同じく監督の鶴橋康夫の「後妻業の女」で、大竹しのぶと素晴らしい芸を見せた清兵衛の豊川悦司の色事師ぶり、
   R-15指定の映画で、寛之進とおみねと同様に、甚兵衛も美女と派手な濡れ場を演じるのだが、渡辺淳一作品の映画と違って、画面ぼやかしシーンはないので、至って健康的(?)。

   よく考えてみれば、これは、寛之進とおみねのラブストーリーでもあり、
   寺子屋の主・極貧の浪人佐伯友之介(斎藤工)や誠意のある医師宋庵 (伊武雅刀)などの赤ひげのような善人の登場など一服の清涼剤であり、
   そして、誠実に一生懸命生きている心優しい長屋の住人や子供たちの温かくて優しい眼差しも、この映画のサブテーマであって、見逃せない。
   それに反して、権力者とそれに靡いて追従する人間たちの群像は、誰が悪いのか小学生でも知っている、どこかのモラル欠如の知的後進国の縮図そっくり。悲しい人間のsagaを感じて心が塞ぐ。

   それに、また、この映画は、東洲斎写楽のイメージを暗示していて、別な面から江戸文化を感じさせてくれて、興味深い。
   
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アマゾン・エフェクトの脅威と言うのだが

2018年06月03日 | 経営・ビジネス
   今日の日経に、「アマゾン風圧 日本株も 小売り50社 「指数」上値重く
百貨店2~4割安 ドンキは独自性で上昇 」と言う記事が出ていた。
   要するに、アマゾン・エフェクトが、日本の企業の経営に、大きな影響を与えていると言うことである。

   日経によると、アマゾン・エフェクトとは、アマゾンがあらゆる企業・産業をのみ込むことを意味する造語。同じ電子商取引(EC)業界にとどまらず、2017年には1兆5000億円を投じ、高級スーパーのホールフーズ・マーケットを傘下に収めた。米玩具販売大手トイザラスの破綻や衣料品チェーン大手のギャップの約200店の閉鎖など、かつて高い知名度を誇った老舗小売業の苦境にもつながったとされる。

   アマゾンの破壊力を表す象徴的な指数が、アマゾンの躍進で打撃を受ける株式銘柄を集めた「アマゾン恐怖銘柄指数」、すなわち、「デス・バイ・アマゾン」で、顧客侵食が懸念される百貨店のJCペニーや書店のバーンズ・アンド・ノーブルなど小売り関連約60社の株価で構成されていて、過去3年間で3割程度下落した。と言う。

   日本でも、「アマゾンで取り扱う歴史が長い商品や、アマゾンでも買える商品の割合が高い企業」50社で構成するデス・バイ・アマゾン指数があり、15年以降、今年5月末まででこの「日本版デス・バイ・アマゾン」指数は3%の小幅高だったが、米アマゾン株が同期間に4倍弱になり、日経平均株価が8%高だったのに比べ、上値の重いことが分かると言う。
   中でも、衣料品などネット通販が浸透した影響が大きく、株価下落率が大きいのが百貨店で、その他、デス・バイ指数でみるとネット通販比率が高い商品を手掛ける業態の不振も目を引くと言う。
   日本の書籍関連では丸善CHIホールディングスや、中古本のブックオフコーポレーションがそれぞれ5%、10%の下落。
   一方、カタログ通販のベルーナは、ネットよりカタログのほうが使いやすいと感じる顧客をターゲットに、中高年層の女性から高品質・高単価の商品で支持を集めて、株価は3年で倍。店頭から活路を開くのがドンキホーテホールディングスで、多彩な品ぞろえや迷路のような特徴ある売り場づくりでライブ感、お祭り感を醸成して集客力は高く、株は2割上昇した。と言うのである。
   アマゾンの知的武装の上を行く、隙間を狙った破壊的イノベーション戦略の追求以外に生きる道はない。

   巨大なプラットフォーム企業であり、世界のICT知識情報産業を支配するAGFA(Apple, Google, Facebook, Amazon)の四強の一角を占めているアマゾンは、最早、ネット通販などと言ったジャンルの企業ではなく、最先端のあらゆる経営資源を自由自在に操り得る革新的創造的な企業であり、流通販売小売業を営んでいるのであるから、同業者は、どうあがいても、アマゾンに駆逐されてしまうと言っても過言ではなかろう。
   それに、AMAZONBOOKSなど、実店舗展開を始めており、最先端の販売手法を駆使して、ネット通販とのシナジー効果を追求するなど、事業展開には止まるところを知らない貪欲さである。

   私自身、別に、アマゾンファンでも何でもないし、随分、以前に、ブックレビューを書いていて、記事を修正したり、都合の悪い記事を削除するなど、悪意のある処置を受けたので、それ以降、ブックレビューは止めてしまったのだが、考えてみれば、知らず知らずのうちに、結構、アマゾンで、本や孫のおもちゃなどを買っている。
   本の情報などでは、アメリカのアマゾンのHPから、情報を仕入れて、結構参考になることがあり、助かっている。

   アマゾンで、何が一番良いかと言えば、即時に、電話対応してくれることで、他の会社のカスタマーセンターのように、何回も電話のボタンを押さされて、繋がっても延々と待たされるのとは雲泥の差である。
   価格コムで価格を比較することがあるのだが、必ずしも、アマゾンが最安値ではない場合の方が多いものの、楽天やヤフーのように、商品の検索が曖昧でいい加減ではなく、比較的的確に目指す商品を探せるので、まあいいかと言う気になって、アマゾンから買うことが多い。
   楽天やヤフーのように店舗対応ではなく、アマゾン一社で扱う商品が多くて、相手がアマゾンだと言うことで、トラブル対応が楽であり、安心感が全然違ってくる。

   とにかく、デス・バイ・アマゾン故か、書店など大型小売店が、どんどん消えて行き、ヤマダ電機さえ店舗を畳むなど、リアル店舗冬の時勢であるから、ネットで買わざるを得なくなりつつあるのである。

   さて、本のことだが、アマゾンとブックオフとは、微妙な関係である。
   アマゾンでの古書販売は、Amazonマーケットプレイスで、楽天と同じように、古書店が出店していて、アマゾンアウトレットもあるが、この個人店舗から古書を買うことになる。
   実際に、ブックオフのネット店舗が、Amazonマーケットプレイスに本を出していることもある。
   ブックオフは、リアル店舗なので、店に行って直接本の状態と価格を確認できるが、アマゾンの場合には、価格は表示されているが、本の状態は、可、良い、非常に良い、ほぼ新品との表示があるので、これで判断する。
   ブックオフの場合には、店頭の半分くらいは、108円から200円、300円くらいで、新刊本と思しき新古書は、7割くらいの値段で売られていて、非常にシンプルだが、Amazonマーケットプレイスの場合には、本は個々にまちまちであり、動きのある本は価格など変化する。
   アマゾンでは、メルカリのように、個人で出店しているものもあるようで、1冊10円で買いたたかれるブックオフよりは、高く売れるのかも知れないと思う。

   私は、これまで、時々、神保町の古書店に行って、主に、経済や経営の本だが、誰も読んだことがないと思しき新古書を買って読むことがあったが、最近では、あまり行けなくなったので、偶に、ブックオフで新古書を見つけた時や、タイミングがズレて書店にない場合などには、アマゾン(結構ある場合が多い)やAmazonマーケットプレイスのほぼ新品を目指して買って読むことがある。
   私の場合には、図書館に行くこともないし、人から本を借りることもないし、読む本はすべて自分で買っているので、新本に拘るのだが、どうしても読みたくて古書に頼る時には、パソコンを叩くだけで、ロングテールで、本が探せるアマゾンにお世話になることもある。
   ブックオフも、所詮、安いと言うだけで、リアルショップであるから、アマゾンには、勝てないのであろうと思う。
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映画「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」

2018年06月02日 | 映画
   山田洋次監督作品「妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ」
   寅さん映画の延長線上にある「家族」をテーマにした作品で、いわば、日本の国民映画と言った位置づけであろうか。
   
   今回の主題は、主婦・史枝の家出で、家族崩壊の危機!?
   家事に疲れて、つい安楽椅子で休んでいて居眠りした隙に、泥棒が入って、コツコツ貯めていたへそくりが盗まれた。夫・幸之助から「俺が香港でタフなネゴ中に居眠りして、その上、俺の稼いだ金でへそくりをしていたのか!」と辛らつな嫌味に攻められて、我慢も限界に達した史枝は家を飛びだす。肝心な時に、富子が腰痛で寝込んでしまい、掃除、洗濯、風呂掃除、朝昼晩の食事の準備等々、やったことのない家事を父・周造たちが肩代わりするも大混乱で、主婦の消えた家族の日常生活はままならず無残そのもので、家族会議も空転して崩壊寸前で、子供たちも両親の離婚の危機に胸を痛める。

   ところで、現実問題だが、私など、家事と言っても、掃除洗濯は、機械がやるので造作ないとして、スーパーなどの買い物は殆どやっているものの、後はゴミ出しくらいで、料理と言えば、昔、テレビで田崎真也が紹介した、キングサーモンをブルーベリーと醤油で味付けしたワイン漬けを料理することくらいで何もできない。
   尤も、どうしたのか記憶が定かではないのだが、フィラデルフィアでのウォートン・スクール留学時代には、半自炊をしていたのだから、やろうと思えば、出来るのかも知れないが、今は、小1と保育園の孫二人の面倒見や家事一切を家内がやっており、どう考えても、肩代わりなどは、私には出来ない。

  核となる家族は変わらず、
  平田周造 ( 橋爪功)富子(周造の妻- 吉行和子)
  平田幸之助(周造・富子の長男- 西村まさ彦)史枝(幸之助の妻- 夏川結衣)
  金井成子(周造・富子の長女- 中嶋朋子)泰蔵(成子の夫- 林家正蔵)
  平田庄太(周造・富子の二男- 妻夫木聡)憲子(庄太の妻- 蒼井優)
  平田謙一(幸之助の長男- 中村鷹之資)信介(幸之助の二男 - 丸山歩夢)
  

  かよ(周造行きつけ酒屋のおかみ)風吹ジュンや文学塾講師高村の木場勝己は変わらないのだが、
  小林稔侍、笹野高史、笑福亭鶴瓶は、各映画ごとに役を変わって登場して達者な味のある芸を披露している。
  今回は、立川志らくが、現場検証に来た刑事で登場し、林家正蔵と、同じ落語家同士で、落語チック(?)な会話を交わしていて、そのホンワカした雰囲気が非常に良かった。
  中国に居た頃から父親の聞く落語放送に興味を持って面白かったと語っていた監督の原点が垣間見えて興味深い。
  藤山寛美の孫藤山扇治郎が、大阪弁を喋るお巡りさんとして登場していた。
  中村富十郎の長男中村鷹之資が、雄々しく成長して立派に演じている姿を見ていると、67歳の時の子供で早く逝ってしまった父親としてどう思うか、感無量であろうと思うと感に堪えない。

   山田監督も言っていたが、金井成子の中嶋朋子が、兄幸之助に意見したり追いかけて行ったりした時に、感極まって幼い頃に戻ったのであろう、「お兄ちゃん」と呼びかける台詞が3~4回続けて飛び出したが、さくらを思い出して懐かしかった。
   この映画で、史枝が家を飛び出した田舎の雰囲気や柴又の帝釈天の風景なども、もう、あの懐かしい寅さん映画のシーンで、嬉しくなった。
   何回も書いてきたが、寅さん映画に入れ込んだのは、オランダに住んでいた頃で、日本への行き帰りのJAL便、アムステルダムのホテルオークラでの映画会、日本からのビデオなどでファンとなり、家内と娘二人も、いわば、寅さん映画で、日本を感じてヨーロッパ生活を送ってきたようなものであった。
   その後、イギリスへ移っても、日本への出張時に、殆どすべての寅さん映画のビデオやレーザーディスクを買って帰って、結局、全編鑑賞しており、今でも、NHKのBSで録画したものも含めて、沢山のこっている。

   さて、史枝のへそくりを、自分一人で稼いだ金だと言って、弟庄太に窘められるのだが、経済学的に、妻の働きが、国民所得計算、すなわち、GDPに参入されないところに問題がある。
   GDP計算されれば、妻の主婦業の生産価値・付加価値は、夫の仕事と甲乙つけがたい程、高い筈である。
   妻の果たす役割だが、掃除、洗濯、食事、病気や子供の世話等々、夫婦生活も含めて殆ど四六時中働きづめだが、これに似た同じ仕事を外注すると、それ相応のコストがかかるのだが、それらは、GDP計算に反映される。
   この主婦の仕事がGDPに加算されない不備は、半世紀以上も前にサミュエルソンが指摘していたのだが、尤も、主婦の仕事だけではなく、アルビン・トフラーがコインしたプロシューマー(生産消費者)の膨大な経済活動もGDPの埒外で、GDPの概念そのものが、市場経済の反映のみであり、実際の生産価値・付加価値を表現するには、不備も良いところなのである。

   話が変な方向にそれてしまったが、この映画を見ていて、誰もが思い当たることがあり、身につまされたり、うなずいたり・・・見ている人の笑い声が絶えず、特に、女性陣の反応が豊かで、してやったりと言うところであろうか。
   最後に、土砂降りの雨をついて自家用車で妻を迎えに行った幸之助が、史枝の手を握って、「俺にはお前が必要なんだ。」
   香港で、土産に買ってきた土産のスカーフを開くと、「薔薇の花」
   「妻よ薔薇のように」!!!
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わが庭・・・フェイジョア咲く

2018年06月01日 | わが庭の歳時記
   庭のフェイジョアが、一斉に咲き出した。
   この花を見ると、ブラジルでの生活を思い出すのだが、実際には、ブラジルでは見ておらず、帰国してから、ブラジルの花だと言うこの変わった花に興味を持って、庭に植えたのである。
   千葉の庭には、何本も植えていたのだが、この鎌倉の庭には、既に植わっていて、かなり大きくなっているので、一本でも結実していた。
   庭木としては、樹形が乱れがちなので、広い庭でないと無理で、花と果実が面白いので、一本あれば楽しめるであろう。
   
   
   
   
   

   フェイジョアとよく似た名前で有名なのが、ブラジルのフェジョアーダ。
   フェイジャオン(豆)を使った料理と言うことだが、元々は、アフリカからの奴隷たちがブラジルで編み出した料理とかで、農場主らの食べた豚肉の残った、主に内臓、耳や鼻、足、しっぽなどに豆などを加えたごった煮なのだが、今では、真面な肉の入ったブラジル人の国民食で、毎週何曜日か忘れたが、フェジョアーダの日があって、その日になると、昼前には、運転手などブラジル人従業員は、そわそわし出して、一気にレストランへ駈け込んで行った。

   もう一つ有名なブラジル料理は、シュラスコ(churrasco)と言う、サーベルのような鉄串に、牛肉や豚肉、鶏肉、ソーセージなどを刺し通して、荒塩を振りかけて炭火で焼く豪快な肉料理。
   ブラジル語では、Rを、Hの発音となるので、シュハスコと言うのだが、最初は珍しくて食べていたが、肉は固いし、とにかく、ガルソンが次から次へと肉を切り取って皿に乗せ、肉、肉、肉なので、参ってしまって、食べなくなった。
   先のフェジョアーダも、一回か二回くらいは食べたかも知らないが、食べた記憶もなく、4年も居たのに、ブラジル料理の思い出は、殆どない。
   サンパウロには、立派な日本人街もあって、日本料理店もあったし、サントリーもあったし、正に、人種の坩堝とも言うべき国際都市なので、フレンチやイタリアンなど外食には事欠かなかった所為でもあろうか。

   わが庭だが、アジサイ、ばら、ビョウヤナギ
   彩を添えてくれている。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   心配していた大玉トマトのホーム桃太郎が、結実した。
   第一花房は、切り取って、第二花房に集中したのだが、虫は殆ど飛んでこないし、なにしろ、花弁の口が非常に狭くて、どうして受粉するのか疑問だったが、私のやり方は、いたって簡単で、黄色い花が咲くと、電動カミソリを数秒当てるだけ。
   以前は電動歯ブラシを使ったが、要するに、花を揺すって自家受粉させれば良いのである。
   今年は、いくらか、大玉トマトを収穫できそうである。
   
   
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