私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

2014年最後のブログ

2014-12-30 20:22:08 | 日記
December 31, 2014

年末に近くの友人宅に「黒豆」を煮て届け始めてから何年にもなる。例年、土井勝『日本のおかず500選』のレシピを使っていたが、今年は朝日新聞に掲載されたもので作ってみた。豆は今年も富沢商店で買った。レシピは、土井さんのものと大して変わらないが、今まで中で1番よくできたように思う。最初に煮るときの水の量をレシピ通りにすることが大事なような気がする。ついでに白豆も煮たので、一緒に届けた。かまぼこや果物をいただいて、いつも「海老鯛」になってしまうが、歳をとって交流が少なくなった友人と、年に1度ゆっくり顔を合わせてお話しできる機会を大切にしたい。

夜は珍しくテレビの前にくぎ付けになった。まだ眼鏡が完成しないので、ながら族が出来ない。テレビの近くに椅子を持って行ってみている。7時から9時までは、ボクシングの中継を見た。スポーツ観戦は何でも好きだが、とくに、ボクシングは、たとえ最初の回でKOに終わったとしても、その背後にあるドラマが想像できて心に響く。顔から血を流したりする光景を目にするとき、それだけでは酷だが、死闘の結果2人のどちらかが勝者になる、ルールはいろいろあるのだろうが、素人にもわかりやすい。この日の圧巻は、ライト級王者の井上尚弥が、伝説の王者と呼ばれるアルゼンチンのオマール・ナルバエスを2回KO勝ちした試合、見事だった。ロンドンオリンピックの金メダリストからプロに転向、この日は、米国人選手に判定勝ちした、村田諒太選手も、井上選手も、細身で、顔立ちも美しく、そんな姿にほれぼれとする。シンプルな私は、たちまちファンになった。

さて、9時から11時までは、女優の杏さんが旅する番組、「杏のヒストリージャーニー・へミングウェイが愛したキューバ」を見た。女優を起用した旅番組でへミングウェイを語るのは安直だという人もいるだろう。しかし、『老人と海』の舞台となった浜辺に漁師たちが建てたというへミングウェイの像、猫を抱く作家の姿、長く暮らしたキューバの風景は、研究者が描くへミングウェイよりも、この作家の姿を写しているように思う。素晴らしかった。へミングウェイは大好きな作家だ。翻訳されている作品はたぶん全部読んでいる。へミングウェイと親交のあった料理人や漁師が語る作家の人となりは、作品を通して私が感じていたままの人物だった。61歳で自ら命を絶った作家の心の内を知ることはできない。うつ病を病んでいたこともあるだろうが、天才の心と普通の人であリたという願望のはざまに彼の死があったのかもしれない。作家の遺した作品をもう1度読み直してみたい。女性の、日本人の私の心がつながる作家は、得難い。
「老人と海」の最後の一節を次に引用させていただく。

 とにかく風はおれの友だちだ、とかれは思う。そのあとで、かれはつけくわえる。ときによりけりだがな。大きな海、そこにはおれの友だちもいれば敵もいる。ああ、ベッドというものがあったっけ、とかれは思う。ベッドはおれの友だちだ。そうだ、ベッド、とかれは思う。ベッドってものはたいしたもんだ。打ちのめされるというのも気楽なものだな、とかれは思う。こんなに気楽なものとは知らなかった。それにしても、おまえを打ちのめしたものはなんだ。
 「そんなものはない」かれは大声でいった、「おれはただ遠出をしすぎただけさ」(へミングウェイ、福田恒存・訳『老人と海』新潮文庫)

画像は、旅行の途中、キューバに立ち寄った妹が送ってくれたポストカードから。
「MUSEO ERNEST HEMINGWAY」という言葉が印刷されていた。

2014年は残りわずか、つたないブログを覗いてくださってありがとうございます。よいお年をお迎えください。

バターそして涙

2014-12-25 08:49:20 | 日記
December 25, 2014

クリスマス当日、日本中の各地での大雪情報が続いている。幸い私が住む関東地方の南部は、ほぼ毎日晴天である。気になっていた年賀状も昨日ポストに投函できた。日本人はクリスチャンでもないのにクリスマスというと騒ぐ、といった声は、最近聞かない。それだけ世の中の人々が素直になったのか。24日に駅前に出かけた知人が、いくつかあるケーキ屋の前は、どこも長蛇の列だったと言っていた。ともあれ、買ったケーキはないが、せめて自分用にとパウンドケーキを焼く。私は、クリスマスに関係なく、パウンドケーキを焼いたり、最近は、レモン・カードやチョコスプレッドもよく作る。ちょっとしたお礼やプレゼントに使ったりもする。点訳で疲れて一服という時に、紅茶を入れて自家製の甘いものをいただくのは、至福の時だ。こじんまりとした生活を送っているので、世間の情勢に左右されることはめったにないが、この頃のバター不足には、少しまいっている。200グラムの箱が1個あれば、私の作るパウンドケーキは4本焼ける。だからたくさんはいらない。しかし売り場にない、あるいは私がもたもたと出かけたときには、すでに売り切れていた。やっと見つけたので2個買ったら、レジでお1人様1個ですといわれて、恥ずかしい思いをしたり。まあ年内に予定しているケーキとレモン・カード用のバターは確保できたので、ほっとしている。

さて表題の「涙」は、バターとは関係ない。テレビを見ていたら、視聴者の「滝のように涙が流れた」という言葉に、コメンテ―タの女性が、そういうことを経験したことがあると応じていた。今朝がたのNHKラジオ深夜便の「平尾昌晃」特集で聞こえてくる恋の歌を聴いていたら、「滝のような涙」を経験したことが1度あったと、思い出した。深夜のこと、これは夢かうつつか分らないが、最近涙もろくなったと感じることが多い。映像を見てとか、人の話を聞いたり読んだりしたとかいうことではなく、単に自分の思いの中でふっと涙があふれてくる。多分ある年齢に達した人は誰でも経験することではないだろうか。積み重ねた人生のなかに、泣きたい思いがなかった人はいないだろう。私は、最近こんな自分に驚いている。

画像は、友人のメールから、「ストック」。大好きな花だ。

尾崎放哉

2014-12-21 08:45:42 | 日記
December 21, 2014

日曜日から週が始まるとすると、先週になるが、寒い週だった。この週、私は忙しい日々を過ごした。ほとんど毎日のように出かける用事があり、さすがに疲れた。やっと手元にあった点訳の校正も送ることが出来たので、あとはいろいろとあった今年をゆっくり振り返りたいと思う。

今日は日曜日、朝日新聞の読書欄に目を通す。「思い出す本、忘れない本」に、『尾崎放哉全句集』(ちくま文庫)が取り上げられていた。歌人・東直子さんが読後感を書いている。尾崎放哉については、だいぶ前に、読書会で、放哉の生涯を扱った、吉村昭『海も暮れきる』(講談社文庫)を読んだ。どういうわけか、その頃自分の生活には遠い存在のように思えた、放哉の句やその生涯について、時折頭に浮かぶことがある。もう一度読みなおしてみたいと思っているときに、この記事が出た。ちくま文庫、すぐに買って読もう。東さんは、次のように書いている。

 心がざわついたとき、悲しいとき、怒っているとき、空しいとき、浮足立っているとき。開く度に、こちらの心理状態に合わせて響き方は変わる。開くたびに新鮮に驚き、何でもない時間のかけがえのなさを痛感する。(朝日新聞、2014年12月21日)。

新しく点訳に参加することになった、『オーレックス英和辞典』(旺文社)の点字を打ちこむために長時間パソコンに向かっていたら、さすがに目が疲れてきた。放哉の句を載せさせていただいて、今日のブログは終わり。

    咳をしても一人
    ヒドイ風だドコ迄も青空
    どっさり春の終わりの雪ふり (尾崎放哉)

忘年会兼読書会

2014-12-16 19:54:58 | 日記
December 18, 2014

12月16日(火)
忘年会を兼ねた今年最後の読書会を、東京の友人宅で開いた。本は、木内昇『櫛挽道守』(集英社)。すでにブログで書いたが、この本と一緒にアマゾンで求めた同じ著者の短篇集『茗荷谷の猫』を読んで、筆力がある人だと思っていた。本書は、江戸末期、木曽の山中の薮原宿で、櫛挽を生業とする一家の物語を、幕末の世相を背景に描いたものである。長編として読者をひきつけていく面白さはあるが、私個人としては、登場するどの人物にもより添えない感じはあった。著者の年齢や人生経験が関係があるのかもしれない。直木賞受賞作の『漂砂のうたう』などあと2,3冊読んでみたいとは思っている。少し休んで再開した読書会、今年もいくつか本を読んできた。長く4人のメンバーで続けているので、お互いの気心は分かっている。しかし、それぞれが読んでいる本はさまざまであり、自分一人で読んでいたらたぶん手にしなかったであろう本を読めるのはうれしい。

今年は、後半突然白内障の手術をし、その後ブドウ球菌による炎症というおまけがついて、目薬の点眼から解放されずにうっとうしい毎日を過ごしてきたが、やっと眼鏡の処方もできたので、ほっとしている。

12月18日(木)
中部地方に住む友人と何年ぶりかで会う約束をしていたが、今夕から東海地方に大雪の予報が出ていることもあって、友人の上京は中止になった。新幹線では2時間ほどの距離であっても、地形的には間にいくつか山脈が横たわり、当然気候も違う。改めて友人、また同じく中部地方に住む姉妹たちとの距離を感じた。実はこの日、新しく参加を予定している「英和辞書」の点訳の会の例会に誘われていた。友人との約束が先だったのでお断りしていたが、関東地方はお天気もいいようなので、会を取り仕切っている方に電話して、例会に出席することにした。

今日も飛びきり寒い日だった。しかも場所は、西武池袋線の「練馬」から徒歩10分余のところ、住まいからはかなり遠方になる。70歳を過ぎてからよく知らない人たちのグループに入っていけますね、と周りの人からは言われるが、私自身はあまり気にならない。この辞書にかかわる人は私を含めて10人、20年30年の点訳歴がある方たちばかりなので、皆さんの足手まといにならないように頑張ろう。

画像は、「ガーデン・シクラメン」。友人のメールから。

P・D・ジェイムズ

2014-12-12 08:33:50 | 日記
December 12, 2014

新聞で、11月27日に、イギリスの推理作家、P・D・ジェイムズさんが94歳で亡くなったことを知った。私の40代、50代に夢中になって読んだ作家だ。老齢のため最近作はないと思っていたが、たまたま図書館の返却用の棚に、この作家の作品が3冊並んでいた。きっと新聞の訃報をみて借りた方がいたのだろう。1冊まだ読んでいないと思う作品があったので借りた。P・D・ジェイムズ『秘密』(ハヤカワ・ミステリ)。ジェイムズのほとんどの作品に登場するダルグリッシュ警視、この作品では警視長になっていた。詩人でもある。ずっと独身だったが、この作品の最後は彼の結婚式で終わっている。そろそろこのシリーズが終わるのではないかと予感させられる。作者が、筆を終える日が近いと考えられたのかもしれない。しかし2008年に刊行された本書には、筆の衰えは全く感じさせない。ポケ・ミスで436ページ、緻密な構成が、読者をを最後まで引っ張ってくれる。

本書は18冊目の長編だそうだ。ジェイムズやそのほかのハヤカワ・ミステリを夢中で読んだ頃が懐かしい。私の独りの生活を支えてくれたと言っても過言ではないだろう。ここ十数年、点訳で外とのつながりが増えた。そのせいかどうかわからないが、今まで読んだことのなかった日本の作家の本を読みはじめ、ミステリから遠のいた感がある。しかし久しぶりにジェイムズの本を読むと、ミステリの面白さに改めて思い至る。ミステリを読むことを教えてくださった友人のブログを覗くと、相変わらず推理作品を読まれている。今後の私の独りの生活に、またミステリが登場するような予感がする。取りあえず1911年に刊行されたジェイムズの『高慢と偏見』を図書館に予約した。

私の日常生活は質素なものだが、たとえばジェイムズの作品を読んでいると、イギリスの生活様式が、あたかも自分が暮らしているような形で頭の中に入ってくる。レストランでの食事、ロンドンやイギリス郊外の風景、ドライブ・・・、これぞ現実逃避というものだろう。本の内容に少し触れると、主人公の女性が、高名な形成外科医が所有する荘園に滞在して、顔の傷跡を消す手術を受けることになった。手術の翌朝、この女性が扼殺死体となって発見される。ダルグリッシュ警視長がロンドンから派遣され、事件のあった荘園の関係者への尋問が始まる。そんなときでも、食事は必要だ。荘園の女性支配人が、ここで働くコック夫婦に、食事の指図をする文章を、少し引用しよう。これは謎解きとは全く関係ないが、こういった描写が、ジェイムズのミステリの醍醐味であるので。この中に出てきている「レモン・カード」は、今、私がマーマレ―ドの代わりに作っているものなのも、うれしい。

「豆のスープはいい考えね、温かくて栄養たっぷりで、気持ちが和むわ。ストックがあるから、簡単に作れるでしょう。食事は簡単なものにしましょうよ。教会区の収穫祭かと思われたら困るでしょ。温かいソーダパンにバターをたっぷりと添えてね。冷製のお肉にはチーズの盛り合わせを組み合わせたらいいんじゃないの?タンパク質は取らなくちゃいけないから。でも控え目にね。いつものように食欲をそそるように出してちょうだい。だれもお腹がすいていないでしょうけど、食事はしなくてはいけない。それからキンバリー(コック)が作ったおいしいレモン・カードとアプリコット・ジャムを出すといいんじゃないかしら。ショックを受けると、甘いものが欲しくなるものだから。コーヒーはいつもたっぷり出せるように用意してね」(P・D・ジェイムズ、青木久恵訳『秘密』早川書房)

画像は、「野菊」。図書館の庭にたくさん咲いていた。

病院へ

2014-12-08 16:38:01 | 日記
December 8, 2014

こんなにも病院というところへ行く日が待たれたことはない。白内障の手術後の眼についてである。1週間前に眼鏡が出来ると張り切って出かけたのに、両目に炎症があり、さらに右目の眼圧が異常に高かった。ステロイド系の点眼薬を1日4回さすように言われたが、右目に霧がかかったような状況は変わらない。しかし、今日の診断で、眼圧は正常になり、左目は完治、右目に関しては、さらに点眼を続けるようにということだった。私は、素人判断で、眼圧が高いのは何か重篤な病気のサインではないかと心配していた。正常に戻ったということを聞いて、思わず、「ああよかった。」と声をあげた。ほっとしたところで、電車の中や病院の待合室で少しずつ読んでいた須賀敦子『塩一トンの読書』(河出書房新社)について少し書こう。

だいぶ前にこの著者の『本に読まれて』(中公文庫)を読んだ。こちらは書評だけを集めたもので、取り上げられている本の中からいくつか読んだ記憶がある。残念ながらこの頃どんなに興味深く読んだ本でも、しばらくすると全く記憶から落ちてしまう。しかし、本屋でこの本を手にしたときは、薄れた記憶の中で、また何か新しい本が読めるのではないかという気持ちもあって、買った。本書は、本にまつわるエッセイといったものだろうか。須賀敦子さんは、夫との死別後、日本に帰国し、50歳で大学に専任の職を得た。ご自分の運命をどう考えられていたかは分からないが、人に教えるという立場に最も近い人だったように思える。何事にも襟を正して立ち向かうという姿勢が、どのエッセイにも感じられる。決して堅苦しくはないのだが、ルーズな生き方をしてきた私は、本にまつわる話でありながら、日常を反省させられた。題名にある「塩1トン」は、須賀さんのお姑さんが言われた「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」という言葉から取っている。本書のまえがきのような形で書かれている文から少し引用させてもらおう。

 ・・・「読んだつもり」になっていた本をじっさいに読んで、そのあたらしさにおどろくこともすばらしいが、ずっと以前に読んで、こうだと思っていた本を読み返してみて、前に読んだときとはすっかり印象が違って、それがなんともうれしいことがある。それは、年月のうちに、読み手自身が変るからで、子供のときには喧嘩したり、相手に無関心だったりしたのに、おとなになてから、なにかのきっかけで、深い親しみをもつようになる友人に似ている。一トンの塩を舐めるうちに、ある書物がかけがえのない友人になるのだ。そして、すぐれた本ほど、まるで読み手といっしょに成長したのではないかと思えるくらい、読み手の受容度が高く、あるいは広くなった分だけ、あたらしい顔でこたえてくれる。それは、人生の経験がよりゆたかにななったせいのこともあり、語学や、レトリックや文学史や小説作法といった、読むための技術をより多く身につけたせいのこともある。古典があたらしい襞を開いてくれないのは、読み手が人間的に成長していないか、いつまでも素手で本に挑もうとするからだろう。・・・(須賀敦子『塩1トンの読書』河出文庫)

画像は、「ポインセチア」。あまりいい写真ではないのですが。


ジュンパ・ラヒリ

2014-12-06 17:02:04 | 日記
December 6, 2014
この前のブログにも書いたが、右目の調子が悪くなっていくばかりだ。8日が受診日なので、それまで待つよりは仕方がない。、今までこういたことは経験していないので、ここ2・3日はなにも手につかない状態だったが、やっと平常心をとりもどした。これまで病気をしてこなかったことが不思議なのであって、このくらいのことでうろたえていてはいけない。また年齢のことを考えれば、致し方のないことかもしれない。というわけで少し元気が出てきたので、いくつか料理を作ったり、手元にある本を読みはじめた。

ジュンパ・ラヒリ『見知らぬ場所』(新潮社)が面白い。二部に分れていて、全部で8編の短編が入っている。ラヒリは両親ともにカルカッタ出身のベンガル人だが、幼少期に渡米して、アメリカで育っている。先日ブログでも触れた『停電の夜に』がデビュー作である。同書でも、また今回読んでいる本でも、インドの生活習慣や、またアメリカで育った子供と親の世代との葛藤などがえがかれている。いっぽうで、アメリカ社会に根を下ろした子供の世代に話が及んでくると、インド色のようなものは薄れて、普通の人々が直面する生活の中の物語が多くなってきている。これはインドとは関係ないことなのかよく分らないが、ラヒリの作品を読んでいると、共鳴できる点が多い。アメリカ人の物語ではなくアジア人に近い感性で話が運んでいく。まだ途中だが、自分が育った家庭の中での生活をふと思い出すような場面に出会ったりして、どきっとしたりする。目がかすんで読みづらいことを忘れさせるほど先へ先へと引っ張ってくれる本だ。

さてあまり本に夢中にならないようにと、作りおきしておく料理をいくつか作った。いつもこのブログで書いているようなものばかりだが、ひとつ大根料理のおいしレシピが見つかった。「焼大根のコチジャン味噌味」というもの。朝日新聞の「料理メモ」をスクラップしてあった中に見つけた。2人前で、大根1cmの厚さの皮つきの輪切り4枚を、ごま油をひいたフライパンに並べ、強火で焼き色が付いたら、弱火でふたをして3分焼く。裏も同じようにする。やや歯ごたえが残る程度に焼けたら、コチジャン小さじ半分、味噌、砂糖、酒、水大さじ1杯を合わせたものを強火で絡めて出来上がり。しっかり味の付いた大根は、なかなかおいしかった。コチジャンの代わりにトウバンジャンやキムチのもとでもいいのではないでしょうか。私はトウバンジャンを使った。

画像は、「葉ボタン」。お正月の花として、あちこちで売られている。私もスーパーで安いものを買ってみた。

12月だ。

2014-12-01 08:41:50 | 日記
December 2, 2014

12月1日(月)
ひさしぶりに病院へ。やっと眼鏡の処方が出るということでいさんで出かけたが、思わぬ結果になった。2,3日前から右目にかすかに幕が張ったような感じがしていて、少し心配していた。両眼ともに炎症を起こしているとのこと、また、右目の眼圧が正常値(10-21)を超えた26なので、まずは1週間ステロイド系の目薬を1日4回点眼し、結果を見てから眼鏡を作りましょうということになった。順調にいっていたのにショックだったが、まあこういうこともあるのですね。もっと気落ちしたことは、私が信頼して白内障の手術をお願いした執刀医が、今年いっぱいでこの病院を去るという。詳しくは次週にお話ししますということだった。これからも眼のことではお世話になると思っていたので、残念だ。新しい病院ではよくあることだと聞いていたが、早速洗礼を受けてしまった。世の中なかなかうまくいかない。

12月2日(火)
東京に住む友人と、私の住まいの近くにある映画館「アルテリア・シネマ」で上映されてい「ウイークエンドはパリで」と「リスボンに誘われて」を続けて見た。私は「リスボン・・・」をみる予定にしていた。しかし、友人がせっかく東京から出かけていくのだから2本見たいということで、私もお付き合いしたが、こちらの映画もとてもよかった。まず「ウイークエンド・・・」の方から。パンフの紹介文の言葉を引用すると、「結婚30年の節目に、週末を思い出のパリで過ごそうとやってきたイギリス人夫婦。夫は大学で哲学を教え、妻は中学校の生物教師だ。彼らはそれぞれに相手に打ち明けることが出来なかった秘密があった・・・。パリを舞台に、熟年の夫婦の危機からの脱出を軽やかに描く。」話が進むうちに、夫のニックが大学からクビを宣告され、経済的にひっ迫していることや、息子が期待どうおの生活を送ってないことなどが明らかになったりする。人生は思ったようにはいかない、それでもパリは2人の心を軽やかにしていく。背景に流れる音楽がまた素晴らしかった。それにしても、俳優が演じているとはいえ、外国の熟年の男女はなんて素敵なんだろう。楽しかった。

次に「リスボン・・・」について書こう。パンフには、「スイスの高校で古典文献学を教える主人公は、ある日、ふとしたきっかけで手にした一冊の古書に魅了され、作者に会いにリスボンへの夜行列車に飛び乗る。美しい街並みを彷徨する彼は、40年前の革命に翻弄された人々の運命を追体験する。名匠アウグストの最新作」とある。主人公の教師ライムント・グレゴリウスが、古書の著者アマデウの素顔と謎を解き明かしていく過程に、どんどん引き付けられていった。ポルトガル革命の頃の、反体制な政治活動への当局の陰惨な弾圧の映像は、ナチの頃の地下運動を描いた映画を思い起こさせる。今も続くヨーロッパの暗部だ。この映画のもうひとつのテーマは、たまたま手にした古書に魅せられて、日常を捨ててスイスからポルトガルに出かけていく中年の男性の情熱だ。たとえ映画の中の物語にしても、こういう展開は人の心を揺さぶる。ライムントを演じているジェレミー・アイアンズが列車に飛び乗った時から最後まで着ている肘に当て布が付いたツイードの上着と毛糸のベストが、彼の誠実な人柄を物語っている。スイスに帰る駅のホームで、リスボンで知り合った眼科医の女性は、5年前に「あなたは退屈だ」と言って去った妻と反対に、「退屈ではない、リスボンにとどまるという選択肢もある」と語るところで映画は終わる。パリの街並みも素敵だが、リスボンの美しい背景が、男のロマンをひきたててくれる。素晴らしい映画を2本も見れて、友人にも感謝したい。

画像は、友人のメールから。東京の住宅街の紅葉、今日のような青空ならではの写真、いただいたばかりのホットなものです。