私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

新作能『生死の川』

2016-06-27 09:26:37 | 日記

June, 27, 2016

今年も半分が過ぎようとしている。時は素早く過ぎていく。今年の4月23日にこのブログで、増田正造『世阿弥の世界』を読んでいろいろと考えを巡らせたことを書いた。そのおり知らなかった能の世界に触れて、まずはテレビの古典芸能の番組を覗いてみようと書いたのだが、日常にまぎれてゆっくりテレビで古典芸能を観賞している余裕がなかった。昨夜やっとNHKの番組「古典芸能への招待」で、新作能「生死の川」をゆっくり鑑賞できた。これは数年前に亡くなった免疫学者であり文筆家である多田富雄の、鴎外の「高瀬川」を題材にした新作能を初舞台化したものだそうだ。

重い病を患った妻は苦しみから逃れるために自害しようとするが果たせず、夫に首にあてそこなった刃を引いてくれるように頼み夫はそうする。そのために夫はは罪人となり、罪人を運ぶ船で高瀬川を運ばれ、遠島でこの世を去る。能の舞台では、夫が、今は荷物を運ぶ船として用いられている高瀬川を渡る船に、幽霊となった乗り込み、船頭に自分の犯したとされる罪がいかなる罪であるのかと問うという話が繰り広げられる。能は初めてなのでその約束事などは分らなかったが、副音声の解説は聞かずに十分楽しむことができた。鼓や笛の音、謡のリズム、どれも違和感なく身体に入ってきた。安楽死の問題を扱っているのだろうが、そういったこととは別にして、面をかぶり舞う(?)幽霊役の美しい所作に魅了された。本物の舞台はなかなか見れないが、この番組は欠かさず見ようと思う。新作能でなく、世阿弥が説いた美の世界を扱った演目も見てみたい。

午後から図書館に、太田治子『石の花 林芙美子の真実』を借りに行ってくる。太田治子さんは朝日新聞夕刊の「人生の贈り物」というコーナーに登場している。林芙美子の『浮雲』について、「戦争が終わった後の行き場のない日本の心情を、あれほど深く描いた作家がいるでしょうか。世界に通用する文学だと思います。」(朝日新聞、2016年6月23日)と語っている。私は、海外の小説ばかり読んでいて、たまたま読書会のレポータのときに読んだ『浮雲』に強く惹かれた。いまでも描写が頭によぎることがある。太田さんの言葉にうれしくなって早速図書館に予約した本だ。この本についてはまた触れたいと思う。

画像は、妹のメールから「ホタルブクロ」。道端で1本淋しく咲いているのを見かけることがあるが、庭に群生しているのも美しい。


映画「FAKE」

2016-06-21 19:39:17 | 日記

June 21, 2016

珍しく日本映画を見た。森達也監督の「FAKE」、監督にとっては15年ぶりのドキュメンタリー映画だそうだ。オウム真理教を撮った前作などは観ていないが、社会問題への森達也の言葉はいつも納得ができ、また信頼できる人物だと思っている。本映画は、2年ほど前に、「ゴーストライターだったという男の出現で立ちどこらに天才から悪人へとレッテルを張り替えられた作曲家・佐村河内守を見つめた」(朝日新聞)作品だ。監督は、物事を善か悪かで2分して報道するメディアなどへの警鏡を鳴らし続けている。私も、この問題だけではなく、つい最近まで話題になっていた舛添前東京都知事に関する報道など、常に違和感を抱いてきた。こういった風潮は、この映画を見た後に少し調べてみると、アメリカでは同時多発事故以来、テロか正義かといった具合に、強くなったようだ。日本でもその前後からこういった傾向が広がっているようだ。事の善悪を面白おかしく報道し、悪とされた一方をたたきつづける。眉をひそめ、報道に目をつぶる人は多いと思うが、一向にこの風潮がおさまらないどころか、近年ますますひどくなるということは、需要があるからなのだろう。こんなことでは憲法問題も烏合の衆に巻きん込まれ、また戦前の過ちを犯すのではないかと不安になる。そういった意味でも、この映画は見る価値がある。反響はいいようではあるが、実際に映画館に足を運ぶ人はほんの一握りだろう。テレビでの公開を望みたい。

又、この映画は、朝日新聞の評にもあったが、佐村河内という作曲家がゴーストライターの語るとおりの人物なのかは主題ではない。ドキュメンタリーではあるが、文学性の高い芸術作品だという感想を持った。あまり体調がよくなく、途中で気分が悪くなり外に出ようかと思いつつ何とか見終えることができた。それは、映像のすばらしさに引きとめられたからだ。森達也監督の今後の作品は欠かさず見ようと思う。映画が始まったのが2:50、関東南部は午後から豪雨ということで、しっかりした傘を持ちレインコートを羽織ったが、映画館を出るとまだ強い夏の日差しがあった。図書館に寄り、だいぶ前に予約してやっと届いた村上春樹『村上さんのところ』(新潮社)を借りて帰宅した。この本を図書館に予約したころは村上春樹の作品を続けて読んでいたので、新聞に取り上げられていたままに予約した本だ。ページをめくると、村上春樹が読者のメールに答えたものを編集したものだった。多分若者が中心のものだろう。さっと目を通して返却しよう。外出が続き少し疲れた。眼の調子もよくないので、しばらくだらだらして過ごそう。

画像は、友人のメールから、「浜木綿」。この季節に相応しい花だと思う。自然のなすすばらしさに、またも驚いている。


点訳の勉強会

2016-06-17 09:34:53 | 日記

June 18, 2016

6月16日(木)
いつもは月の最終週にある点訳の例会が、今月は1週間早かった。特に締め切りがあるものをやっているわけではないが、ある程度まとまったものを持参したい。というわけで少し忙しかったが、手元にあるものはすべて完了できた。2時間ほど疑問点などを話し合い、お昼は武蔵境駅近くのビザショップで、北海道直送のアスパラを使ったスパゲッチを食べた。皆さんのお話を聞いていると、いろいろと参考になる。同じようなことで立ち止まり、同じようなことで進んで行く、私の頭もどこまで続けられるか分らないが、点訳歴が長い方々の間で、自分が謙虚な気持ちになれる場所を得られたことがうれしい。

6月18日(土)
午後から「山種美術館」へ出かけた。はっきりしないが、多分初めて訪れる場所だ。若い日本画家を対象に当美術館が主催した展覧会に、甥の奥さんが入選して作品が展示されているという。こういった機会には、よほどのことがない限り出かけることにしている。日本画はあまりよく分らないが、若い人たちの作品だけでなく、美術館が所有している絵もいくつか見ることもできた。最近美術館も入場料が高くてなかなか足を運べない。今回は妹にチケットを送ってもらったので、久しぶりの美術館訪問だった。恵比寿駅から歩いて10分と案内にあったので何とか往きは到着できた。しかし帰り道で、複雑な歩道橋を降りてから違う方向に進んでしまい、炎天下、恵比寿駅を探してだいぶ無駄な散歩をしてしまった。こんな暑い日でなければ、知らない街を歩くのは面白い。広尾近辺なので、わき道に入ると大使館などもあると思うが、今回はコンビニに入って道を教えてもらい帰宅した。

画像は、友人が届けてくださった「日々草」、梅雨時には白い花がよく映る。


ベランダの自然

2016-06-11 10:44:59 | 日記

June 13, 2016

6月11日(土)
友人がベランダでゴーヤを育てられるているのに刺激されて、ゴーヤの苗を1本買ってきた。あまり日当たりのよくないわが家のベランダの中で1等地に苗を植えた鉢を置いてやろうと、この1等地を長く占拠していた李の鉢を動かすと、ベランダの手すりの下隅に小さな蜂の巣を見つけた。小さな蜂が舞っているなとは思っていたが、ここにあったのか。これを除去しなければならないという気持が優先して、マスクや長そでで防備して、植物用の殺虫剤をかけた。こんな小さな巣にこんなにも蜂がいるのかと思うほどたくさんの蜂が出てきて少し怖かった。最後はキッチンにある漂白剤をかけて完全に退治したが、蜂にはかわいそうなことをしたと、後悔の念もある。せっかく安住の地を得たのに、人間の身勝手で一瞬に奪われてしまった。まあここに蜂の巣を作られても困るので仕方のない処置ではあったが、こんなところにも自然があるのだと、広い庭で思い切り遊んでいた子供のころを思い出した。

6月13日(月) 
次回の読書会の本、伊坂幸太郎『チルドレン』『魔王』(講談社文庫)をアマゾンの中古で購入する際に、ついでに角田光代『対岸の彼女』(文春文庫)も購入した。送料はかかるけれども、本の値段は1円だ。角田さんの本はあまりたくさんは読んでいないが、『8日目の蝉』は面白かった。本書は直木賞を受賞した作品で、10年ほど前の発刊時には、かなり話題になった本だと記憶する。30代の、たまたま大学が同じだとわかる2人の立場の違う女性が登場する。こういう時代も過ごしたてきたのだとやや冷めた思いで読み進めたが、作家の眼は鋭い。近づいたと思うと離れていく女性の不可思議な人間関係、さらに進めれば、結局は一人なのだという人間の孤独な存在は分っていても、吸い込まれるように相手を探していくことの繰り返しで続く人間のさがが描かれている。しかし『8日目の蝉』でも感じたことだが、この作家の目はとことん人を追いつめることはしない。そう、人は人を信じて生きていくものだと分らせてくれる。

画像は、妹のメールから「バイカウツギ」。

 


紫陽花

2016-06-09 17:57:27 | 日記

June 9, 2016

梅雨のせいか、何となくけだるい気分で、ブログの更新も遅れてしまった。1年に何回かこういう日がある。点訳の次々と送られてくる校正も、なかなか手が付かない。仕方がないので、気分転換にと、最寄りの駅からローカルで一駅のところにある淨慶寺という紫陽花で有名な寺に、散歩に出かけた。長くこの地に住んでいながら初めて訪れた。1615年開山だそうで、山門をくぐるとすぐ羅漢像群が目につく。脚立を立てて写真をとっている人もいて、この羅漢像を目当てに訪れる人も多いのではないか。アジサイもちょうど満開で、狭いけれども起伏のある境内は足に軽い負荷がかかり散策にはうってつけだ。ゆっくりとひとまわりして写真をたくさん撮り帰宅した。羅漢像は私の趣味ではないので、もう一度訪れるという気にはならないだろう。わがままな人間の心を和ませるものはないようだ。いくつか写真を載せて今日のブログは終わりです。

      

      

      

      

      

 


映画「さざなみ」

2016-06-03 14:59:49 | 日記

June 3, 2016

天気は良いが風が強い日だ。いつの間にか6月に入っていた。今日は予定していた映画「さざなみ」を見に「アルテリア・シネマ」に出かけた。12:15開場、中途半端な時間だったので早目に家を出て、チケットだけ買って図書館で時間をつぶした。こういった映画には人が集まると思っていたとおり、間際に来た人は満席だと言われていた。映画の簡単なあらすじは、パンフを引用しよう。「結婚45年の記念パーティの準備をする夫婦。夫のもとにドイツから届いた手紙は、50年前にアルプスの氷河に消えた恋人の遺体が発見さたという知らせだった。恋人の存在すら知らなかった妻の心は次第に揺れていく。」とある。別の解説には、「歳月を重ねた結婚生活の奥底に横たわる、老いと人間の絆の危うさとはかなさ・・・」という言葉もあった。

夫婦の物語であり、私の人生とは無縁のようではあるが、人は一人では生きれない。長く生きていればいろいろな人間の絆の中で暮らしているということだろう。そういった点では、妻の夫への信頼が揺らいでいく心のうちがよく理解できる。老いても慣れ合わずに新鮮な気持ちでいられる夫婦の形が、やはり外国ならではのものかもしれないが。

妻を演じたシャーロット・ランプリングの演技が光った。主演女優賞を総なめしているとのことだ。あまり映画を見ていないので俳優の名前には疎いが、「愛の嵐」は記憶に残っている。現在70歳とのこと、日常着ているカーデガンやコート髪形など、若い女優の衣装とは違った趣も素敵だった。また、子供や若者は日本人と外国人の違いが大きいが、歳をとると内面のものが出てくるので、人間の美しさという点ではあまり変わらないのではないかとも思った。ランプリングには、イギリス女優としてではなく年老いた女性としての美しさを感じた。久しぶりの映画鑑賞だったが、私には前評判ほどではなかった。今月はもうひとつぐらい他の映画も見てみようと思いながら映画館を後にした。

画像は、映画のパンフから、結婚45周年パーティでの場面。冬の日、イギリス郊外を愛犬と走るコートを着たランプリングの姿が素敵だったが、それはパンフにはなかった。