私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

眠れぬ夜に

2017-01-26 07:38:40 | 日記

January 26, 2017

50歳頃から不眠が続いていて、もう慣れっこになっている。そん夜は、NHKラジオの深夜便を聴いている。ラジオを聴いているから余計眠れないのかもしれないが、まあラジオを聞くのは中毒のようだ。しかし、毎日これだけの内容の番組を放送し続けているということは、世の中には深夜に目覚めている人が多いのだろう。ここでインタビューに登場する人々は、紆余曲折を経て何かを成し遂げた方が多い。そういう方々の話は、興味深いだけでなく、感動もする。とくに、社会で活躍する女性の言葉には、時代の変化を感じる。先日は、「マタハラnet」前代表の女性が語っていた。「マタハラ」とは、マタニティ・ハラスメントのことで、働く女性が妊娠して職場で嫌がらせを受けることをいう。彼女は、マタハラにあい2度流産し、このNPO法人を立ち上げた人だ。

彼女は、この法人を立ち上げたことに対して、「国際勇気ある女性賞」を受けている。この賞は、主に発展途上国の女性が受けているそうだ。日本は女性の地位では、発展途上国並み、何でも世界で100番を超す位置にあるという。私には、このような女性の社会の中での活躍は夢のような話に聞こえるが、そういった女性はまだまだ少数派なのだろう。男性は外で働き女性は家事を担当するというのがいまだに定着した社会の考えであるのは否めない事実のようだ。家庭経済の問題など、簡単に論じられない事柄だが、私にはこういった女性の存在そのものが素晴らしいと思える。世界の中で置かれている今の位置を上げて行くのは、やはり女性自身の意識の向上である。エールを送りたい。

話は変わるが、例の骨折以来、体にいろいろな異変が起こっている。家事をしたり、パソコンを打ったりすると、背中中に痛みがはしるようになった。自己診断では、骨量を増やす注射と筋肉の減少のバランスが合わないのではないかと思うが、どうだろうか。2月4日に、2ヵ月ぶりに担当医に会う予定が組まれているので、状況を説明してみようと思っている。しかし内心では、多分しっかりした答えは得られないとも思っている。加齢だからという一言は聴きたくないが、そんな予感がする。点訳の会で知り合った方から、今はやりのマッサージの先生を紹介してくださるという言葉もある。多分今の悩みは少しは改善されるだろうが、そういった世界にはまっていく経済的余裕もない上に、あまり乗り気になれない。人頼みはやめ、ストレッチや筋肉強化の軽い運動を続けて、自力で体を鍛えよう。立春も間近い。ウォーキングも再開しよう。


暦どうりに

2017-01-21 09:05:44 | 日記

January 21, 2017

1月19日(木)
明日は大寒、地球の温暖化が進んできているとはいえ、まだまだ気候は暦どうりに動いている。寒いですねが合言葉になっている。今日は今年最初の点訳の勉強会で、武蔵境まで出かけた。毎日のように東京まで出かけていたのがウソのようだ。東京が遠い。会の開始は、9:00のときと13:00のときがある。今日は午後からだったが、9:00の時は7時ごろ家を出なければならず、冬はこたえる。今後はできるだけ午後の時間に会場を予約してくださるように、担当している方にお願いした。歳をとってから社会と結びついていくことは難しい。私は点訳に携わることができたことを幸いと思いたい。3人寄れば文殊の知恵という言葉がある。独りで考えていても行き詰ってしまうことも、皆さんに問題提起して解決できることが多いと実感する。何よりも、独りよがりにならないで、他人の意見に耳を傾けられる。そうしなければ進んで行かない状況の中に身を置くことが大切だと思う。身も心もリフレッシュして帰宅した。

1月21日(土)
いつもの皮下注射を受ける日。昨日深夜までアメリカの新大統領の就任の模様をテレビで見ていたので、少し寝不足気味だ。私は、4月で80歳になる。長く生きて来たおかげで、様々な世界の移り変わりを目の当たりにすることができた。私が生きた時代は去ったが、世界は動いていく。メディアを通してではあるが、そんな移り変わる世の中の姿に少し関心を抱きながら、平凡な日常の彩りとしたい。


寒波

2017-01-14 15:01:57 | 日記

January 14, 15, 2017

日本列島に寒波が押し寄せるという予報が、しきりに報道されていた。今日は受験生には、センター試験の日だ。毎年この頃寒い日が続く。雪国ではさぞ大変だろう。今日は土曜日、私は病院に皮下注射を受けに行く日だ。気温は低かったが薄日が差してきたので、何とか行ってこれた。立春を過ぎれば三寒四温、寒さももう少しの辛抱だ。

点訳の校正がほぼ片付いたので、図書館から借りてきている本の中で、まず大江健三郎『晩年様式集』を読んだ。この頃勘違いすることが多い。先日のブログで、本書が新刊なのに図書館からすぐに届いたことに触れたが、新聞に出ていたのが文庫になってからの本のことだった。図書館からは、2013年に発刊されているハードカバーを借りたので、頭の中で何かがすり変わってしまったようだ。大江健三郎の著作は、初期の作品と、『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』以後の作品はほとんど読んでいる。少し面倒くさいと思いながらも読み続けてきたが、本書は、個人的なテーマを主題にしてきた作品の集大成といったところだろうか。文学的な価値はよく分らないが、私は同時代を歩いてきたものとして、大江の、また家族の物語を興味深く読んだ。障害を持ったご長男も登場する。大江をはぐくんだ四国の森も出てくる。

主人公の作家・長江は80歳、家族をとり囲む様々な人間関係の中で、生きていくこと、真摯に現実と向き合って生きていくことは辛いことも多い。しかしこの人々の営みの中から、絶望ではなく希望があらわれる。若い頃から、つかず離れずに読み続けてきた作家の最後と思われる作品は、やはり胸を打つものがあった。本書の最後に書かれている詩の一部を引用させてもらう。

(略)

気がついて見ると、
私はまさに老年の窮地にあり、
気難しく孤立している。
否定の感情こそが親しい。
自分の世紀が積みあげた、
世界破壊の装置についてなら、
否定して不思議はないが、
その解体への 大方の試みにも、
疑いを抱いている。
自分の想像力の仕事など、
なにほどのものだったか、と
グラグラする地面にうずくまっている。
あの日、「自分の木」の下に 
来るのが遅れた老人は、
いまの私だ。
少年に答える言葉は見つからぬまま・・・・・

誕生から1年たった
孫に、私がかいま見たはずの
老年の似姿は、ミジンもない。
張りつめた皮膚に光をたたえて
私を見かえす。
その脇にうずくまる、私の
老年の窮地。
それを打ち砕くことも
乗り超えることもできないが、
深めることはできる。
友人は、未完の本にそう書いていた。
私も、老年の
否定の感情を深めてゆくならば、
不確かな地面から
高みに伸ばす手は、
何ものかにさわる
ことが、あるのではないか?
否定性の確立とは、
なまなかの希望に対してはもとより、
いかなる絶望にも
同調せぬことだ・・・・・
ここにいる一歳の 無垢なるものは、
すべてにおいて 新しく、
盛んに
手さぐりしている。

私のなかで
母親の言葉が、
はじめて 謎でなくなる。
小さなものらに、老人は答えたい、
私は生き直すことができない。 しかし
私らは生き直すことができる。    (大江健三郎『晩年様式集』講談社) 


友人と

2017-01-10 09:00:45 | 日記

January 11, 2017

1月10日(火)
骨折以来しばらくぶりで 友人と会っておしゃべりした。いつも、一緒に暮らしてられるご家族のためにパウンドケーキを焼いたいくのだが、泡立て気を使ったりするのがまだ背中に負担がかかるので、レモンカードを作って持っていった。友人から小池百合子『自宅で親を看取る』(幻冬舎)を借りた。書庫を自宅とは別に持ってらられる余裕のある方で、私が通常読まないような本も貸してもらえる。小池さんが都知事になる前に上梓された本のようだ。応援していることもあり、人となりが分ればいいかなと思う。場所はたまプラーザ、自宅からはバスで30分かからないところだが、私が住む駅前の雰囲気とはだいぶ違う。田園都市線に直結する東急が開発している住宅地の中にあることも影響している。最近洋服を買うことはほとんどない。それでも店に並ぶ商品は、近くのショッピングセンターのものよりは高級感が漂う。ランチをご一緒し、目の保養をしていつもの駅前まで戻り、点訳するための資料、英和辞典の原文を200倍にしてコピーし帰宅した。少し疲れた。点訳に関しては自分の中でもいろいろ考えるところがあるが、少し無理かなと感じながらも何かをすることは、独り暮らしの私には必要なのだと思う。

1月11日(水)
昨夜のNHKラジオの深夜便で、詩人の工藤直子さんが、高校生のときに中原中也の「月夜の浜辺」に魅かれて、今でも空で言えると語ってられる言葉を夢うつつで聞いた。私も数ある中也の詩の中で、この詩が好きだ。工藤直子さんの詩は読んだことがないが、こんな一致はうれしい。年齢が近いこともあるかもしれない。以前ブログでこの詩の全文を引用させてもらったような記憶がかすかにある。先日読んだカズオ・イシグロの『忘れられた巨人』の中の情景が頭に浮かぶ。本当に人間の記憶力が少しずつ衰えていくことは悲しい。はたしてどうだったのかと中原中也の詩集を開いてみると、「月夜の浜辺」の箇所に紙が挟んであった。

図書館から予約してあったミステリを含む5冊の本が届いているというメールがあった。取りおき期間内に、2・3冊ずつ借りてこようと思う。日曜日の朝日新聞の読書欄で取り上げていた大江健三郎『「晩年様式集』(講談社文庫)がもう届いているのには驚いた。大江健三郎の本を読む人は少なくなっているのか。今日の新聞に、村上春樹さんの新作についての記事が載っていた。多分図書館では、希望者多数ですぐには読めないと思うが、大江健三郎の作品もそんな時代があったと、時の過ぎて行く速さに驚いている。

画像は、友人のメールから、「ぼたん」。鎌倉八幡宮に初詣に行かれた時撮られたとのこと。


本を買う、本を読む。

2017-01-03 17:57:15 | 日記

January 4, 2013

1月3日(火)
穏やかな陽気に誘われて、駅前まで出かけた。まず、腕時計の電池を交換するため時計売り場に立ち寄った。携帯で時間は分るが、外に出るときは必ず時計をはめる習慣がある。個人的なおまじないのようなものかもしれない。有隣堂で、読書会の本、村上春樹・編訳『恋しくて』(中公文庫)と、文鳥が写っている小さいカレンダーを買う。NHKテレビのBSで2日に放映されていた遠藤周作『沈黙』が、映画化という帯が付いて重ね置きされていた。テレビ番組を見ているときは映画も見たいと思ったが、その夜、キリシタン弾圧の残酷なシーンが夢に出てきてうなされた。以前本書を読書会で取り上げた頃にはいろいろと考えさせられ、ブログにも書いた記憶がある。加齢と共に精神も弱るのだと思い、『沈黙』については意識の外に追いやった。それはそれとして、昨年は広島行きがだめになったので、今年は長崎まで足を伸ばした小旅行を試みたいという考えが突然ひらめいた。今年の楽しい宿題にしよう。

1月4日(水)
世間では今日から仕事始め。私も3日間は箱根駅伝を見たり、おせち料理の続きを作ったりとだらだら過ごしたが、今日から、たまっている点訳の校正を一気に片づけたい。といってもこれはなかなか時間がかかる。朝、頭がすっきりしているうちに取り掛かることにした。又暮れから読みはじめていたカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』も読了して何か感想を書ければいいと思っている。ここでブログをいったんストップする。

『忘れられた巨人』について少し書こう。本書の内容を私の言葉で言い表すと、ファンタスチックな色彩を持つ老夫婦の愛の物語ということになる。舞台は16世紀ごろのブリテン島、老夫婦、アクセルとベアトリスは、遠い地で暮らす息子に会うために、長年暮らした村を後にして旅に出る。彼らは、若い戦士、鬼に襲われた少年、老騎士など様々な人々に出会いながら旅を続ける。これが、この小説の中心をなしている。イギリスが誕生する前のブリテン島の伝説が絡み合う物語であるが、深い森、霧、長雨など、現在のイギリスが連想される。

1954年生まれの著者は、老いの世代に入ろうとしている年齢だ。著者がこの年齢で体験するさまざまな事柄が、作品に色濃く反映されているように思える。物語の導入部でアクセルが現実と記憶との境が分らなくなり、「思い出せない」という言葉を連発して戸惑う様子は、実際に体験している私には理解でき、感情移入した部分だ。最終章で、カズオ・イシグロの小説家としての才能を見た思いがした。読書会でも取り上げた『わたしを離さないで』以来10年ぶりの長篇だそうだ。あの小説に登場した若者たちの姿は、ここにはない。次の作品ではどんな人物設定がなされるのか楽しみだ。

画像は、妹のメールから「花キャベツ」。 

 


新しい年に

2017-01-02 14:29:46 | 日記

January 2, 2017

おめでとうございます。
行く年にはあまりいいことがなかった。念願だった広島訪問も、骨折のために実現できず、不運を嘆いたが、それもこれも結局は加齢のせいだ。年が変わったからといって自分の身には何も変わりはないと思っていた頃はまだ若かった。ここ数年、確実に身体が衰えてきていることを実感する。今日もテレビをつけっぱなしで見ていた箱根駅伝にしても、昨年までは、機会があったら選手が走る路の歩道に立って応援したい、またそれが実現できると思っていたが、今年はもうそんな日は訪れないだろうという考えに変わっている。願望は実現できてこそ意味がある。寂しい。

新年からマイナス思考ではいけない。今年も点訳は続けていくつもりだ。背中の痛みが気になってすっかりご無沙汰してしまっている映画館にも足を運びたい。読書会で出会うであろう新しい本も楽しみにしたい。また図書館を利用した読書も目に無理のない範囲で続けたい。もうひとつ、今はまだ骨量が上がってきていないので思い切ったことはできないが、ウォーキングを本格的に始めたい。マップを作って記録をとったりするのも面白いだろう。途中までは乗り物を利用して、鎌倉や横浜の街をウォーキングだけを目的にして歩いてみたい。人に気を使わずに休みたいときに休み、気ままに歩く、そんなウォーキングを続けてみたい。

食べ物のお話をしよう。独り暮らしでも、年越し蕎麦とお雑煮だけは欠かさないことにしている。お節もどきも作ったりするが、今年は長時間台所に立っていられないので、大した料理は出来なかった。おいしかったのは、はるさめ、もやし、ハム、薄焼き卵などをごま油と酢醤油であえたサラダと、あっさり筑前煮だ。ここ数年、鶏のもも肉は使わないことにしていたが、この筑前煮のレシピはだしを使わないので、もも肉を使った。ごま油で鶏肉と野菜類(シイタケ、レンコン、ニンジン、ゴボウ)をさっと炒め、みりんとしょうゆだけで味付けする。酒も使わない。これが意外においしかった。材料がたくさんあったので、今日も作った。行動範囲が狭くなってブログの内容が単調になってきているのが気になる。今年は映画や心惹かれた本などを紹介したいとは思っている。
 
画像は、妹のメールから、「サザンカ」。