私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

真夏日の中で

2019-07-30 16:13:44 | 日記

July 30, 2019

冷夏の日々が続いて、かっと暑い真夏日が恋しくなっていたが、現実に朝からむっとした空気に見舞われると、速くこの日々が過ぎていってくれることを願ったりする。若いころ、ロシアのシルクロードに沿った地域を旅したことがあった。あの地方では、昼は40℃近くになるが、湿度がないだけそんなに暑いとは感じなかった。夕方涼しくなると、この地方の庶民たちが、バレーや演劇を楽しむために劇場へ集まってきていた。高度成長期の日本から訪れた私たちは、ロシアの田舎の不便な暮らしに驚いたが、夕方になるとご近所同士で連れ立って芸術作品を楽しむ姿が印象に残り、また文化の高さを感じた。もちろん日本にも様々な地域の芸能がある、しかし私たちは、そういったものとは無縁な生活をして、ただただ異国というものにあこがれて外国に来ていた。今思うと恥ずかしいような、舌足らずなような自分の姿を顧みている。

老年になって、代わり映えのしない日々の中での思いは、必然的に若いころの思い出へと帰っていく。が、そんなことではいけない。私は今を生きているのだと、現実の自分の生活に目を向けると、何んとも切ないものがある。午前中は、点訳という課題にしがみついているが、ランチをすますと時間がありすぎる。この暑さでは外にも出かけられない。読書にも集中できない。仕方がないので、9月末の次の例会まで余裕があるので先延ばしにしている、預かったままの点訳の校正をすることにした。本当は、他人が点訳したものを校正するのが一番勉強になる。特にこのところの健忘症には、忘れたことを思い出さしてくれるという利点がある。何しろ今の英和辞典を点訳しているメンバーの方々は、私以外は30年、40年のベテランで、ミスが少ないのには驚かされる。携わっているものにだけわかる世界の中ではあるが、すごい人がたくさんいるのだと改めて感心している。

画像は、妹のメールから、「柏葉あじさい」。


とりとめなく活字と遊ぶ

2019-07-27 11:15:01 | 日記

July 27, 2019

活字が好きだ。学生のころ、何かの反対運動で座り込みをしているときに、地面に敷いた新聞の活字をむさぼり読んでいる友人がいた。今彼の気持ちがよくわかる。読もうと思えば活字は手近に転がっていて、読む時間も無限にある。あの時の環境とは違うが、気持ちは同じようだ。疲れていても活字を追っているとホッとする。誰にも共通することではないかもしれないが、そんな意識を共有する人も多い。

老年になって、もの忘れに悩まされている。経験しているものにだけわかることだと思うが、例えばコップにいっぱいになっている水が少なくなりつつある状態と言ったらいいのか。自覚できているからいいと言ってくれる人もいるが、それだからこそ怖い。当然読んだものもすぐ記憶のかなたに遠ざかる。しかしいま、活字が好きだったことに救われている面もある。手仕事や土いじりと同じで、自分が帰っていく場所があるようで安心する。長く友人たちと続けてきている読書会の本とは別に、本を携帯せずに外に出て、電車の中や待ち時間に読む本を、近くの本屋で求めることがある。そんな本の続きを、帰宅して読み続けることも楽しい。先日点訳の会で上京した折に買い求めた本、谷川俊太郎『ひとり暮らし』(新潮文庫)を読了した。先に書いたように、とりとめなく手にした本だが、面白かった。

戦争末期、田舎に疎開するまで住んでいた住まいが、谷川俊太郎氏の父上の谷川徹三氏の家の隣だったと記憶している。この本を読んでいると、谷川家はあの場所にずっと住み続けられているようだ。まだ田んぼがあった道を歩いて小学校に通った頃の記述などに触れると、杉並第2小学校に通っていた頃のかすかな記憶がよみがえる。文庫本の紹介記事によると、1931年生まれとあるので、私よりは6年ぐらい年上だ。個人的な記憶の連鎖のようなことを書いていて、普遍性がないようにも思えるが、私の両親の世代が歩んだ道は、戦争末期の人の運命を変えるような出来事の中にある。改めて戦争反対を誓いたい。

画像は、ベランダで種から育てた「あさがお」。背景に青空を入れたかったが、住まいの周りはマンションで囲まれていて、息苦しい環境の中にいる。日が暮れかけてきたときに、スマホで撮った。

 


選挙

2019-07-22 09:30:25 | 日記

July 22,2019

昨日は、参議院選挙の日だった。私は、この住まいに移ってきてからは、ほぼ毎日足を運んでいる駅前にある区役所で、期日前投票を済ませてあった。区役所は図書館の隣ということもあって、日常の行動の中にあり、選挙はいつもこの方式を選んでいる。テレビは、この選挙関連の報道と、この日行われている水泳の世界選手権でにぎわっていた。一人暮らしで、あまり外との交流もない生活、テレビの画面が、世間との窓口にもなっている。

選挙は、改憲反対をテーマに投票したが、今日の朝刊によると、改憲勢力が、改憲の国会決議に必要な3分の2に届かなかったようなので、少しほっとした。世代は変わっても、戦争反対の軸になる憲法9条への思いは、まだ細い糸ながらつながっているようだ。私は老齢で何もできないが、選挙が済んでも、ぜひ戦争反対の草の根の運動を、若い世代に受け継いでもらいたいと願っている。

相変わらず不眠症に悩まされている。トラベルミンを導眠剤の代わりに使っているが、これも薬であることに変わりはない。常用はできない。いま日本列島を覆っている長引く梅雨空の天気にも影響があるのかもしれない。病を抱えた人や、私のような老齢者にはきつい毎日だ。点訳もほどほどにして、気のまぎれるような軽い小説を読んで乗り切りたい。軽いといえるかどうか分からないが、いま、車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫)を読み始めた。先日の読書会で、メンバーの方が語られていた本だ。自分一人では手に取らない本を読めるのがうれしい。今日は午後からこの本を読了したい。

画像は、住まいのある団地の庭で撮った。大木に成長した「ブットレア」。薄紫色の花房が垂れ下がり、なかなか見ごたえがある。


読書会(小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』文春文庫)

2019-07-10 11:15:10 | 日記

July 10, 2019

7月9日(火)
読書会のために、友人宅に出かける。友人は料理が上手だ。この日も、たけのこご飯と煮物を用意してくださっていた。いつもレシピを教えてもらって作るのだが、どうも同じようにできない。今回一つ発見があった。私は具材の切り方が大きいということ。これを反省して煮物に挑戦してみよう。

さて、本は小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』だ。小川洋子の作品は、これまでにも読書会でいくつか取り上げられている。本書は、文庫本で364ページ、なかなか読み応えのある本だ。幻想的な小川洋子の世界に引き込まれるが、人間の生と死を扱っている本ともいえるだろう。現実の世界とは縁遠いようなシチュエーションでありながら、私たちが今直面している世界を描いているように思えた。老人も若者も、これといった規範のない世の中で右往左往しながら生きていかなければならない。私たちのように、規制が厳しかった時代を経てきたものにとって、今のこの自由な世界を愛したいが、さて、人は与えられた自由をどう受け入れていったらいいのか。主人公の死で終わっているのが切ないが、私が与えられている生活に通じるところもあり、いっきに読んだ。読者を引っ張っていく筆力に、あらためて感心した。

7月10日(水)
半年に1度の歯の定期検診で、近くの歯医者に出かけた。この歯医者さんとの付き合いも長い。先日は、義歯が欠けてしまい、飛び入りで直してもらった。歯以外は医者とかかわりないままに生涯を終えたいと思っているが、可能かどうか。生意気な私の思いを打ち砕くような状況に直面するかもしれない。自治体が行う無料の健康診断だけは受けることにしよう。歯は、特に治療することもなく、機械できれいに掃除してもらい、次回の検診の日を予約して帰宅した。そろそろ梅雨寒の日は終わり、本格的な夏が訪れようとしている。今年はエアコンを新しくしたので、少しは快適に過ごせるかもしれない。

画像は、妹のメールから「なにわいばら」。


光さす海へ ~ 全盲ヨットマンの太平洋横断~(テレビ)

2019-07-01 18:28:58 | 日記

July 1, 2019

うつうつした天気のせいか、何をやっても集中力が続かず、仕方がないので駅前まで出かけ、マックでコーヒーを飲んでバスで帰るといった日々を過ごしていたが、やっと少し元気が戻ってきた。友人が訪ねてくれたり、別の友人と電話でおしゃべりしたりしたのがよかったのかもしれない。何しろ人間の心は自分でも把握できないほど気まぐれだ。危ない橋を渡っているような状態だが、多分もう大丈夫だろう。

BSテレビで、全盲ヨットマンの太平洋横断を記録した番組を見た。私自身、今は右目がほとんど物を識別できないうえに、左目は、眼鏡をかけてもある程度以上は視力が上がってこない。もともと目は弱く、中学生の時から眼鏡を着用している。最初に眼鏡をかけたときの世界が明るくなった感じは、今でも記憶の中にあるが、加齢とともに、いろいろと不都合が起こり、さらに白内障の手術がうまくいかず、今のような状態になってしまった。普通に日常生活を送っていても、いつもぼんやりとした光の中にいるような感じでいるが、全盲の人と比べれば、ぜいたくな悩みだ。このテレビの中でも語られていたが、目が見えないことは、暗闇の中にいることだ。しかし、そういったことを忘れさせるような映像だった。人が生きていくことは、もっと別のところにあるのだと気づかせてくれた。

 画像は、「ワイヤープランツ」。室内の小さな緑です。