私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

歯科医院へ

2015-11-30 16:30:18 | 日記

November 30, 2015

今年も余すところ1ヵ月、毎年同じようなことを書いているが、気持は少しずつ違う。年ごとに身体も精神も弱っていくように感じられる。今日は、6ヵ月ごとの歯科の定期検診だった。機械で洗浄し、歯の間に隠れていた小さい虫歯を処置してもらった。6ヵ月後の予約をとってもらったが、来年のカレンダーにしっかり書き留めて忘れないようにしなければならない。現在私は、歯は6ヵ月に1度、眼は3ヵ月に1度定期健診を受ける手はずを整えてある。医者には縁のないままに一生を終えたいと思っていたが、そうもいかないようだ。この頃感じる全身の疲労感はいったい何なのか。

いったん家に戻り昼食を済ませ、午後からウォーキングに出かけた。先に歩いたときから数日しか経っていないのに、落葉樹の葉はすべて落ちて、裸木が本格的な冬の到来を告げていた。当然、踏みしめる落ち葉はさらに厚くなっている。今日はほかにも駅前に用事があったのでいつものコースを通ったが、次回こそ、たまプラーザ行きのバスが通っている道を歩こう。もちろん途中からバスに乗るつもりだが。で、今回はウォーキングを短縮して、図書館に立ち寄り、本を受け取った。本は、角田光代『紙の月』(角川春樹事務所)。映画やテレビでドラマ化されていて話のあらすじは分っていたが、活字で読んでみたかった。少し読み始めたが、面白い。比較するようなことではないが、1980年代から90年代ごろ、印象派の画家の展覧会があると必ず出かけて鑑賞し、分厚いカタログを買って帰った頃のことをふっと思い出した。角田光代、小川洋子、村上春樹・・・と、何か活字に飢えたように、私にとっては若手の日本の作家の本を読み漁り始めている。それぞれの環境の中で、時間を費やす楽しみはどこにも転がっているということだろう。

 画像は、妹のメールから、「ダイヤモンドリリー」。アフリカ原産の球根植物、光が当たると花びらがキラキラ輝いて見えることからこの名が付いた。学名は「ネリネ」。私も球根をもらって育ててみたが、毎年咲かせるまでには至らなかった。


ウォーキング2

2015-11-27 10:55:22 | 日記

November 27, 2015

いよいよ冬将軍の訪れだ。週2回はウォーキングに出かけようと決めながら、寒い日が続き出来なかった。今日の予報は、都心で朝は霧のため湿度が90パーセントあるが、午後には11パーセントまで下がると言っていた。住まいのある場所は東京よりは少し早く天気が動くの、朝早く洗濯を済ませた。またこういう乾燥した日は気分がいい。いつものように夕食の用意をする。今日はマカロニグラタンにした。残っていた牛乳をたっぷり使ってソースを作り、チーズで焼きつければいいところまで作って冷蔵庫に保管した。弱いながらも冬の日差しがさしてきたところで、早昼を食べてウォーキングに出かけた。新しいところを探さずにこの前と同じコースを歩く。1週間しかたっていないのに、足の下の落葉の層が厚くなっている。自然は日々姿を変えていくのだと実感する。

いつもの駅前に戻りマックでコーヒーとアップルパイを注文する。計200円、安いです。図書館の本は全部返して、予約してある本10冊は待ち人が多いようなのでしばらくかかりそうだ。というわけで1度読んだ佐藤優『世界史の極意』をリュックに入れてきた。これに少し目を通す。世界の情勢は刻々と変わっていくのでこの本もすでに古いのだろう。「イスラム史から読み解く中東情勢」の部分を読み返すと、イスラムの問題の深さにほっと溜息が出る。歴史を元に戻すことは出来ないが、歴史を続けている以上、すべてが永遠の課題だろう。マックを出て向かう先は近くのショッピングセンター。今朝の新聞の折り込み広告にあったルームシューズを買いに、「ユニクロ」に行く。ひと頃ずいぶん「ユニクロ」で買い物をしたような気がするが、この店から足が遠のいた。たぶん3階のフロアの一部にあったものが、6階のフロア全部がこの店になった時からのように思う。あまり広いとどこに何があるか探すのが大変だ。最近私は、やはり駅前にある別のショッピングセンターに入っている「無印良品」の店を利用する。あまり値段は変わらないうえに、こちらの方が年寄りには向いているように思える。

最後に有隣堂による。次回の読書会の本、村上春樹『国境に南、太陽の西』が面白かったので、ストーリー性のある本が何かないかと物色したがよく分らない。料理の本を立ち読みして結局今日もバスで帰る。刺激のある生活は無理だとしても、なんだか変わりばえのしない日常が悲しい。次回のウォーキングは、何か発見があるようなコースを探そう。

画像は、ウォーキング途中の道で携帯で撮った。

 

 


ウォーキングなど

2015-11-22 12:29:13 | 日記

November 21, 2015

先日見た映画「あの日のように抱きしめて」のサウンドトラック「スピーク・ロウ」については、前のブログであれこれ書いた。結局購入したCDは、歌が入らないジャズ演奏のものだった。この辺が私のおっちょこちょいなところか。しかしこのCDは素晴らしかった。ウオルター・ビショップJr.トリオが演奏するジャズの名盤だった。何しろ毎日聞いていても飽きない。若い頃に新宿にあった「木馬」というジャズ喫茶でジャズに耳を傾けた日々がよみがえってくるようだ。早速空のCDに読みこんで、二人の妹に送った。音楽が好きな友人にもプレゼントする予定にしている。

このところパソコンにばかり向かっているので、身体の調子がよくない。昨夜は、眠れぬままに夜中に体操をしたりした。というわけで、今日は午後からウオーキングに出かけた。スニーカーをはき(最近いつでもこのスニーカーで出かけているが)、リュックを背負って駅を一周する道のりで出発した。途中の大きな花屋では、紫紺の花をつけた野ボタンを見かけ欲しいと思ったが、これからまだ歩くのにこんな荷物を持つわけにはいかないとあきらめた。パンジーなどもたくさんリーゾナブルな価格で売り出していて、近所のスーパーの花屋さんとは比べものにならない。これからは、この店で買うことにしよう。小田急線の線路を越えて北側に進み、さらに、いつも映画を見る「アルテリア・シネマ」をめざす。ずいぶん歩いたなと思ったが、ここまででやっと5,000歩余だ。久しぶりに歩いたためか、近くのショッピングセンターに入り、カートを引きながら買い物をしている時に、突然右足がつって激しい痛みに襲われた。何とかカートに寄り掛かってしばらく痛みが治まるのを待ち、少量の買い物を済ませた。さらにいつも利用しているマックまで歩き、100円コーヒーで一息ついた。反省点もある。まず水分を持参しなかったこと。足がつった原因でもある。帰りはバスに乗ったが、窓の外に見える街路樹のイチョウが、暮れかかった陽を受けて美しかった。今後1週間に2回はこのコースを歩いてみたい。手すさびみたいに時間をつぶして全く何の利点もないパソコン上のゲームは、アインストールしてひとまず画面から見えなくした。深まりゆく秋の街を歩けば、何か拾いものがあるだろう。

画像は、友人のメールから、「秋の薔薇」。晩秋の真っ青な空に黄色い花色が際立っていてきれいだ。


中年を過ぎてからの壁

2015-11-18 07:20:25 | 日記

November 20, 2015

読み終わっていたがなかなか取り上げることが出来なかった、岩城けい『さようなら、オレンジ』(筑摩書房)について書こう。新聞の書評を読んで図書館に予約した本だ。簡単に読めるが、内容は深かった。二人の女性が登場する。一人はアフリカから戦火を逃れてこの地、オーストラリアに来た黒人女性、いわゆる難民である。もう一人は、研究員の夫の就職に同伴してきた日本人女性。二人は英語学校で知り合う。難民の女性は、2人の息子がいるが、夫はアメリカに行ってしまい帰ってこない。彼女は食肉加工所で働いている。日本人の女性は、大学に通い始めるが、幼い娘が預けていた託児所で死亡し、大学をやめる。二人の女性の生活を通して、異国で暮らす人たちのさまざまな壁、特に言葉の問題がある。大学卒業後単身オーストラリアに渡り結婚、渡豪20年になるという著者の体験が織り込まれているのだろう 。小説としても面白いと思ったが、 難民の問題を含め、世界中の人々が抱えている問題を提起してもいる。私は、生きるという一点を見つめた時、それぞれの人が持つ価値観を超えて、人間として大切なものは何かということを考えさせてくれる読みものだったと思う。

本書では、言葉の問題がネックとして取り上げられているが、30歳を過ぎてからの言葉の壁は子どもとは違う。特に部族語しか知らない難民の女性が、たどたどしい英語を学んでいく姿に、今、世界で増え続けている難民、特にヨーロッパの戦火の地の人びとが重なった。と同時に、点訳を通して少し知るようになった眼の障害者の世界についても思いが及んだ。最近は、病気や事故で、中年過ぎてから失明する人が多い。こういう方々が点字を習得することはなかなか困難であり、音声を使った支援の機器がいろいろ作られてきてもいる。フランス人のブレイユの発明から始まった点字も、これからは姿を変えていくのかもしれない。

画像は、妹のメールから。散歩していると、この花が懸崖になっているのを見かける。ミントの一種だと思うが名前が分らない。

 


相変わらずの日常

2015-11-16 13:55:09 | 日記

November 6, 2015

しばらく更新がないなと思っていた友人のブログを覗くと、ボローニャに旅行されていたとのこと、ちまちました私の日常と比べ、うらやましい。経済的なことだけではなく、その行動力が素晴らしいと思う。旅のホームページを持ってられるので、ゆっくり読ませていただこう。寒かったり暑かったりと気温が安定しない日々、  12日には点訳の例会に練馬まで出かけた。今はこの点訳1本に絞ったので、東京まで出かけることがほとんどなくなった。週に何回も出かけていた頃のことを思うと、行動範囲が狭くなったとは思うが、この点訳を仕切っているキャップの方が、砂利道で転倒したとかで、サングラス姿でいらしていた。そのくらいのことでよかったが、私も気をつけなければいけない。階段の上り下りなどを考えると、1ヵ月に1度ぐらいでいいのかもしれない。校正ファイルをいくつか引き受けて帰宅した。

2,3日前の新聞に、マクドナルドの130円のチーズバーガーが、ダブルだと340円なのは値段設定がおかしいのではないかとネットで話題になり、マクドナルドの広報に聞いたら、「100円のバーガーと並び、チーズバーガーは単品としてのお得感を強く打ち出す『特別な商品』だからです」という回答があったという記事が載っていた。実は、マックはよく利用する。チーズバーガーをコーヒーと一緒に注文して230円、信じられないほどの安さだ。いろいろ問題があった店でもあるので、バーガーは10日に1度ぐらいにはしているが、ここへ点訳の校正を持参することもある。私がよく行く駅前には、南口と北口それぞれにマクドナルドの店がある。図書館に行った帰りにコーヒーを飲んでひとやすみしたり、なかなか役に立つ。自分の姿は見えない。白髪で背中のまがったおばあさんが点訳校正をしている姿は、客観的にみると少し笑えるけれども。

次回読書会の本、村上春樹『国境の南、太陽の西』(講談社文庫)がアマゾンから届いた。『風の歌を聴け』を読んだときの感動が引きずって、その後の村上春樹作品を敬遠していたときもあったが、最近は翻訳もよく読む。言葉の使い方がすぐれていると思う。 村上春樹・訳、山本容子・銅版画のトルーマン・カポーティ『あるクリスマス』を、今図書館から借りている。薄い小さな本で、手元に置いておきたい。1989年発刊の古い本なので、もう絶版になっているかもしれない。まとまりのないブログになったが、この辺で。 

画像は、妹のメールから、「サフラン」。

 


戦後は続く

2015-11-10 15:55:00 | 日記

November 10, 2015

友人のブログでいい映画だと紹介されていた映画、「あの日のように抱きしめて」がやっと近くの映画館に降りてきたので、早速見てきた。映画が終わってもすぐに席を立ちたくないような、すばらしい映画だった。まずいつものようにだいたいのあらすじをパンフから。「1945年6月、ベルリン。歌手のネリ―は顔に大けがを負いながらも強制収容所から奇跡的に生還し、顔の再建手術を受ける。彼女の願いはピアニストだった夫ジョニーを見つけ出し、過去を取り戻すこと。顔の傷が癒えるころ、ついにネリ―はジョーと再会するが、容貌の変わったネリ―に夫は気づかない。そして、収容所で亡くなった妻になりすまし遺産を山分けしようと彼女に持ちかける。「夫は本当に自分を愛していたのか、それとも裏切ったのか―」。その想いに突き動かされ、提案を受け入れ、自分自身の偽物になるネリ―だったが・・・」とある。これは映画の単なるあらすじであって、言葉で表現できないから映像なのだ。もう一度見て見たい。

監督・主演は、「東ベルリンから来た女」のトリオだ。あの映画も印象深かった。戦後70年というが、第2次世界大戦の遺した傷跡は大きい。戦争は始めるのも終えるのも人間だ。戦中であれ戦後であれ、そこには人間の葛藤がある。それを描いた映画は、そのことによって反戦にも通じていると思う。また、映画の中で響く、亡命作曲家クルト・ヴァイルの名曲「スピーク・ロウ」が、映画のクライマックスを演出し、またいつまでも耳に残った。歌を覚えたいと思い、この曲のCDの中古品をアマゾンに注文した。中古でも2000円近くするので私にはぜいたく品だが、たまにはいいだろう。

映画の帰りに図書館に寄り、届いていた本2冊、トルーマン・カポーティ(村上春樹・訳、山本容子・銅版画『あるクリスマス』(文藝春秋)とジョン・ル・カレ『テイラ―、ソルジャー、スパイ』(早川書房)を借りてきた。図書館が臨時休館になるので、今回は3週間借りられるとのこと、うれしい。今年中に完成させる範囲の辞典の点訳は、私の分は終わったが、これから校正がたくさん届くと思うので、少し忙しくなるかもしれない。

画像は、妹のメールから、「赤そば」。 

このブログを公開した後、私がアマゾンから購入したCDは、「iTunes Store」で、曲を300円でダウンロードできることが分った。キャンセルしようか迷ったが、今回はあきらめることにした。ひとつ勉強した。

 


良質な本を読む

2015-11-08 15:09:20 | 日記

November 8, 2015

新聞の書評の中の言葉、「遠くに何かが見えることを感じながら、ひとは「最低」を生きる」(朝日新聞、評者・宮沢章夫)に興味を覚えて図書館に予約した本、滝口悠生『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』(新潮社)が届いたので、読んだ。良質な読みものだった。著者は、1982年生まれとのことで、若い。作品の中では、遠景として、ニューヨークのテロや福島の原子力発電所が描かれ、中年になってからの回想ではあるが、近景として、東北をバイクで走る途中で出会う出来事、人、また記憶の中に登場する人物が語られる。近景は、若者のいい加減さと刹那的な感情のままに暮らす生活が描かれていて、それが、「最低」という言葉でも語られる。私の孫といってもいい年齢の作家の本ではあるが、妙に自分の20代の頃の生活感覚がよみがえってくる。同時に、もちろんこれは小説の中での話であるが、冒頭に引用した評者の言葉が胸に突き刺さる。遠景を感じながら「最低」を生きるという点では、年代に関係なく現代の私たちが抱えている状況などだと思う。ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスは聞こえてこないが、主人公の高校時代の美術の教室の描写が、油絵を習っていた頃の記憶をよみがえらせてくれた。時は過ぎていく。次に、少し引用させていただく。

 房子が迷わず、最高、好き、と応えたのはゴーギャンだった。私はその画集を家に持って帰った。我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか。という変な題名の絵を見ながら、私は絵のことよりもその題名のことを考えた。その頃の私の世界は、私と房子と新之助がほとんどすべてだったから、我々と言えばその三人で、その三人がそれぞれに違うと言っても、そんなにたいして違いはなくて、同じところから来て、同じところに行く、同じ者だと思っていた。あとから考えればそんなのは浅はかだけれど、あとから考えてどう思うかはその時には関係ないし、当たり前だけどわからなかった。浅はかだったならその浅はかさがその時で、それが哀れなら哀れなのがその時だったが、浅はかとも哀れとも気づかずに、いやそんなことは全然考えもせずに、その時自分は不足や不満を抱えながら満ち満ちに満ちていた。(滝口悠生『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』新潮社)

同じように活字を追いかけてはいても、読書は点訳とは違う。上等な小説を読んだ後は、最近ふと感じるわけのわからない不安が消えていくように思える。本書と同時に図書館で借りてきた岩城けい『さようならオレンジ』(筑摩書房)を読んでいる。これは、今世界が抱えている難民問題を扱った物語だ。この本についても書きたかったが、いつも日曜日に見ているNHKテレビのミステリ「刑事フォイル」が始まりそうなので、別の機会にしよう。

画像は、妹のメールから、「野葡萄」。


新鮮な野菜

2015-11-03 18:59:31 | 日記

November 3, 2015

11月2日(月)
すぐ下の妹から、たくさんの食料品が、宅急便で送られてきた。牧場に嫁いでいる姪の所からの新鮮な野菜も含まれていた。朝届いたので、早速料理に取り掛かった。葉付きの大きなカブは、「レモン漬け」にした。大根と一緒に届いた大根葉のごま油炒めとこのカブ、それに温かいご飯があれば、今日のランチは十分だ。さらに大好きな「目玉焼き」を添えた。今は考えられないことだろうが、戦後は卵も貴重品で、目玉焼きを半分にして姉妹で分け合った。私が育った家では、「目玉焼き」を「日の出」と呼んでいたことを思い出した。母が嫁いだ時、目玉焼き」といったらば、まだ学生で同居していた父の弟に、気持ちが悪いと叱られたと、母がよく言っていた。これは父の家の呼び方だったのだろう。今私は「日の出」とは言わない。話がそれたが、里芋、大根、それに友人が北海道経由で送ってくださったジャガイモと玉葱もまだたくさんある。寒さに向かう中、私の心は温かい。皆さんに助けられて生きている。新鮮な食材で料理をする楽しみは最高だ。

11月3日(水)
昨日から読みはじめた、奥泉光『シューマンの指』を読み終えた。ミステリの範疇にはいる本だ。私は、ミステリだけでなく、普通の小説も、長く海外のものを読んできた。日本の作家の作品をよく読むようになったのは、最近だ。本書の著者については、「『吾輩は猫である』殺人事件」という本が話題になったので、名前だけは知っていたが、作品を読むのは初めてだ。ミステリとして面白かった。しかし、本題に入るまえに、シューマンやクラシックの話が長々と続く。CDの解説やインターネットの検索など、知りたければすぐに手に入るような事柄を、何ページにもわたって書き連ねてあるのは興ざめである。さらに、最後の10ページほどのどんでん返し的な内訳話は、せっかく上等なミステリに仕上がっているのに、残念である。また全体に無駄な飾りが多い。あれも削ろう、これも余分だと考えていくと、話がどんどんやせていくのも理解出来るが、多分中堅作家であろう著者にしては素人じみているように思った。他の作品をいくつか読んでみよう。

木枯らし1番がふき、冬将軍の到来も近い。今年は風邪もひかずにこの時期を迎えられたことに感謝しよう。画像は、『シューマンの指』のカバー。デザインが素敵だ。


過ぎていく日々

2015-11-01 08:21:20 | 日記

November 1, 2015

少しブログの更新が遅れた。毎日忙しいというわけではないが、気が付くと1日が終わっている。まず英和辞典の点訳、眼の障害もあり、締め切りに追われないということで、これ一本に絞った。しかし、私も賛成ではあるが、今回、少し急ごうということで、年末までに全体の6分の1を終えることになった。ほぼ出来上がっていたとはいえ、残りのページを皆で振り分けていると、点訳・校正と、毎日机に向かう時間が多くなる。やっと目途がついた。

今日は日曜日、新聞の読書欄で紹介されていて、読んでみたいなと思う本を図書館に予約した。先日、辞典点訳のキャップをされていて、偶然わが家の近くに住んでられる方が、自家製の 干し柿とお孫さんから借りたという、奥泉光『シューマンの指』(講談社文庫)という本を持って、訪れてくださった。この点訳を通して知り合った方だ。私より2歳上 とのことだが、すべての点で私より若々しい。手仕事が好きなことなど、私と共通する点もある。私のような年齢まで生きてくると、それぞれが歩んできた道はさまざまだ。いろいろあるとは思うが、今は辞典点訳を完成するという1点を考えて、人間関係を大切にしていきたい。

先週末、校正済みのものを次の方に送るために郵便局に行った時、親しくなっている郵便局の若い女性に、今日から年賀状が発売になっていますと言われて、もうそんな季節なのかと改めて思った。そんなわけで、昨日は年賀状の原案を作り、色の多いプリンターを使っている下の妹にパソコン経由で送り、仕上げを頼んだ。テレビで「全日本大学駅伝」を見ながら書いている。ここで少しパソコンを閉じて、続きは後にしよう。

結局、駅伝は、前評判の高かった青山学院ではなく、東洋大学が優勝した。監督の作戦勝ちのようにも見受けられたが、私は東洋を応援していたのでほっとした。あまり母校意識はないが、去年はシード落ちしたわが母校は、今年は4位だった。3位から終盤で駒澤大学に追い越された。もうひと踏ん張りがないのは、ちょっと歯がゆい。そんなテレビ観戦しながら、昼食をとった。朝作っておいた「なすときのきのこの蒸し煮」をスパゲッチにあえて食べた。おいしい。いま野菜が高いが、ズッキーニやマッシュルームはなぜか安い。このレシピでも、キノコにはマッシュを使い、なすとズッキーニと玉葱、ミニトマトをオリーブオイルで炒めて、ワイン(ワインがなかったので、料理酒で代用)と水を入れて蒸し煮にし、塩コショウで味付けし、粉チーズをふんだんにふりかけた。さて、夕食は何にしようか。

最近、公立図書館に民間の企業が入るようになり、新聞などでいろいろと取りざたされている。私が利用している図書館も、大きい書店が参加している。経済的な問題もあるのだろうが、何か図書館の持つ素朴な雰囲気がなくなるように思える。今日は、このことについて触れたかったが、別の機会に書きたいと思う。画像は、妹のメールから、「ホトトギス」。好きな花だ。